小学校の頃に郷土史について学んだ時に知ったのだけど、僕が育った北海道の土地の名前の由来は「オッカイ・タム・チャラパ」(男が刀を落としたところ)の意味がある。学校帰りに、近道で森の中を突っ切って歩いている時に、その遠い過去にこの土地を歩いた男が落とした刀を見つけてやろうと思って、いつも探して歩いていた。 この土地には大きなヒグマが住民を襲撃した民話が語り継がれている。怪我を負って遁走したヒグマが住民を辺り構わずかみ殺してしまう。学校の渡り廊下には、大きな熊が赤ちゃんを噛む、遠い昔の物語を語ったものものしい大きな壁画が掲示されていた。そういった一連の遠い時代のおそろしげな物語は、小さな頃の僕の頭の中で膨らんで、神話のような雰囲気を持っている。 男は遠い昔に、恐ろしげなこの場所を歩いて、曽祖父の時代から受け継がれた大切な刀を失って、とぼとぼとうつむきながら森の中を抜けて帰ったのかもしれない。夕闇
友人の女の子が言う。 「本を読まない男の子とは何かほんの少しだけ “合わない” 感覚がある」という。この言葉を誤解の無いように伝えるんだけど、その女の子は一人を上手に楽しむタイプで、つまり相手と「一人を楽しむ」という感覚にズレが生じるのではないかなと思う。読書はいつも孤独だ。そして楽しい。 読書というのは時々不思議なことが起きる。 以前、野外で本を読んでいたら足元に穴が空いていて、そこからヘビがにょろにょろと這い出ていた。気づいた頃にはヘビはかまってもらえずに窮屈な巣穴にまた戻るところだった。つまり僕は足元でヘビが這い回るその上で静かに集中して本を読んでいたわけである。 南米の文学が好きだ。特にマルケスは「マジック・リアリズム」と呼ばれる作風で、日常の中にさらっと現れる超現実的な表現が、そこの場所に吹いている風に似合っていて、世界にピタッと合う感じがする。例えば、恋をした状態でガラスに触れ
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