ザ・グレート・サスケ オフィシャルブログ「THE GREAT SASUKE」Powered by Ameba 1990年3月1日、後楽園ホールにおけるユニバーサル・レスリング連盟旗揚戦でデビュー。 1993年3月、日本初のローカルプロレス法人、株式会社みちのくプロレスを起業。 プロレス界の枠を超えたスーパースターに。 株式会社 アルファ・ジャパンプロモーション所属
みちのくプロレス MICHINOKU PRO-WRESTLING 公式 @michipro_jp おさらい・・タイトル名は長い 「天変地異 ~宇宙大戦争10 さよなら、人類~ じゃあ、また来年!さすらいのレスラーマスターと兄弟は途方に暮れる・・・・戦歴10年!年末恒例!熾烈を極めた壮大なるアナログ戦争!」 12月10日(木)18:30試合開始 東京・後楽園ホール 2015-12-02 09:38:01 みちのくプロレス MICHINOKU PRO-WRESTLING 公式 @michipro_jp おさらい2 対戦カード1 12月10日東京・後楽園ホール 5、『宇宙大戦争 さよなら、人類』 ザ・グレート・サスケ、バラモンシュウ、バラモンケイ、ウルトラマンロビン、マスターET対ダースベーダーGAINA、東林寺ヨーダ、スーパーマン錦也、C3PO-1号、R2D2-2号 2015-12-02
ザ・グレート・サスケ(The Great Sasuke、1969年7月18日 - )は、日本の男性覆面レスラー、元政治家、元岩手県議会議員(1期)。本名:村川 政徳(むらかわ まさのり)。岩手県盛岡市出身。血液型O型[1]。 ウルティモ・ドラゴン、スペル・デルフィンと並びジャパニーズ・ルチャの立役者の1人。 歌舞伎の隈取りをモチーフとしたマスクを着用しており、普段は赤い隈取りだがヒール転向時は青い隈取りのマスクを着用しSASUKEと名乗る。自ら所属レスラーとして精力的にリングに上ると同時に、みちのくプロレス株式会社代表取締役社長を2003年まで務め、岩手県議選当選後に取締役会長に退いたが、2009年8月に社長へ復帰。本人の発言によれば、経営者としての職務中も(外出時もスーツにマスク姿である)、入浴など私生活においても一切覆面は外さない。 1990年代には難易度の高い空中技を次々にこなす世界
TOP ≫ ナイナイのANN/岡村隆史のANN ≫ 岡村隆史、ニコニコ超会議2015のプロレスに参加するも大スベリした理由を明かす「ボブ・サップが仁王立ち」 2015年4月30日放送のニッポン放送系のラジオ番組『ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン』(毎週木 25:00-27:00)にて、ナインティナイン・岡村隆史が、ニコニコ超会議2015で、みちのくプロレスとDDTプロレスの参加するプロレスに乱入したと語っていた。 『めちゃイケ』メンバーの三中元克が、みちのくプロレスで修行中ということもあり、参加することになったようだ。ボブ・サップとともに乱入する予定になっていたが、そのボブ・サップとの絡みが上手くいかず、結果、グダグダのまま終了することになったという。 ナインティナインのオールナイトニッ本 vol.6 岡村隆史:日曜日にニコ超会議があったんですけど、それに『めちゃイケ』で出る
クリスマスソングとプロレスで二度おいしい 異色のディナーショー (左から)スーパータイガー、深見東州、初代タイガーマスク、ザ・グレート・サスケ Photo By スポニチ 東京芸術財団主催の「X’mas チャリティ・プロレス・ディナーショー!」(スポーツニッポン後援)が9日、東京・文京区のホテル椿山荘東京で開催された。稀代のエンターテイナー、深見東州(63)と曙、ダンプ松本らプロレスラーがエイズ撲滅のためにタッグを組み、チャリティーとクリスマス、プロレスとディナーショーが合体した、まさにサンタの夢の贈り物に約520人が美食と陶酔と興奮の5時間を過ごした。 午後5時半の開場、開宴から1時間半。食事中の会場にはなぜか「蛍の光」と「軍艦マーチ」が流れていた。7時になると、照明が落ちて、赤いジャケットを着た深見がステージに登場。 「幕の外弁当はいかがでしたか?(実際は、はみ出した松花堂弁当)何
のはしたろう@みちのくプロレス《公式》 @kankoutaishi_n @shaolin27AM 滝沢市観光大使・かめっしーです。15日の道場プロレス、やはり“お菓子をまいて帰るだけ”というVIPぶりを発揮するとお聞きしましたが!?? pic.twitter.com/bDiZc0N6aI 2014-11-11 20:52:30 のはしたろう@みちのくプロレス《公式》 @kankoutaishi_n @shaolin27AM 何たる居直りぶり!…まあいいでしょう。怪我であればいたし方ないです。が、しかし!あなたは本当に滝沢市の子供達の為に、心からお菓子をまきたいと思っているのでしょうか?滝沢市民による滝沢市民の滝沢市民の為の道場プロレス、半端な気持ちではまかせませんよ! 2014-11-11 21:41:52
2014年10月18日、みちのくプロレス・新木場1stRING大会を観戦してきました。 会場での生観戦は、2012年10月20日のみちのくプロレス・新木場1stRUNG大会以来、ほぼ丸2年ぶりになります。 もう1週間以上経ってしまいましたが、観戦した際に速報するか観戦記を書くのは自分の中で決まり事としていたので今更ながらupします。 また観戦記を書くにあたり、目のことにどこまで触れるか悩みましたが…今回は、もう全部ありのままに書いてしまうことにしました。重く感じるかもしれませんがご勘弁を。 自分は両目が緑内障です ここで病気になった経緯などをおさらい。ブログ読者には繰り返しとなってしまいます。たぶん、この先は滅多にしないと思うのでお許しを。 2012年10月中旬、突如、右目の真ん中に白いモノがポツンと見え始めました。 もともと緑内障と白内障があり、眼科には通っていましたが…こんなことは初め
2014年10月22日23:55 カテゴリ 平日道場プロレスでした。 滝沢市観光大使・かめっしーです。 本日は、滝沢市大釜幼稚園体育館にて、ニューフェイズ(大地&郡司)による、初プロデュース道場プロレスでした…というより、のハズでした。 早々と提唱者の1人、大地が高熱の為朝からダウン。 1人じゃニューフェイズじゃねーよ、どうすんだよ、新しい旋風(かぜ)起こすって、そーいうことじゃねーよ、と途方にくれていたら、事務所に一本の電話。 受話器の向こうには、男色ディーノ選手。 『試合をさせてください!』 …渡りに舟とは、この事なのかと。 トントン拍子でDDTとの対抗戦に。 …そして、 道場プロレス始まって以来となる、過去最高の動員、過去最高の盛り上がりをみせた大会となりました。 皮肉なモンです…結果として、DDT勢がいたからこその、今日の道場プロレス。 この現実に、ニューフェイズの2人は、何を思う
ビッグダディ四男みちのくプロレス退団 拡大 ビッグダディこと林下清志の四男・源志さん(16)が、練習生として入門したみちのくプロレスを6月に退団していたことが17日、分かった。6月中旬に本人から「つらいからやめさせてほしい」という申し出があり、未成年のため、父の林下と話し合いをさせた上で退団が決まったという。まだ基礎体力作りの段階だったという。 関係者は「『もったいないんじゃないか?』と声は掛けた。やめたのは本人の意思。嫌々やられてケガをされても困る」と話し、「柔道経験があるといっても部活レベル。体力的にも一からやらないといけないレベルだった」と振り返った。 環境の変化にもついていけなかった可能性が高いという。「最初はやる気はあったけど、今までの生活と違うから。早朝の起床、掃除、練習、食事作り、練習…で遊ぶ時間もないくらい。16歳だと、そういう生活もなじめなかったかも」とした。今後について
プロレスラーのザ・グレート・サスケ氏(44)が岩手県議時代の政務調査費の返還に応じない問題で、県はサスケ氏の財産を差し押さえる方針を固め、近く盛岡地裁に申し立てることが18日、分かった。 サスケ氏は2005年度の政務調査費の一部約276万円を経営する「みちのくプロレス」の人件費などに使ったなどとして、仙台高裁が昨年7月、返還させるよう県に命じていた。 サスケ氏が再三の督促に応じないため、県は盛岡地裁に提訴。12月の第1回口頭弁論にサスケ氏は出廷せず、答弁書も出さなかったため、同地裁が全額支払いを命じた。 県は1月中旬、同月内の支払いを求める催告状を郵送したが、いまだに返還されないため、差し押さえに踏み切る。県の代理人によると、同社からの役員報酬などが対象になるとみられるが、全額回収できるかは不明という。同社は取材に「本人がおらずコメントできない」と話した。【浅野孝仁】
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