タグ

人生とアフリカに関するlaislanopiraのブックマーク (54)

  • 日本初のアフリカ人学長の挑戦と理念――「グローバル」と「ダイバーシティ」掲げて奔走 - Yahoo!ニュース

    京都精華大学のウスビ・サコ学長は式辞で、生まれ育った西アフリカ、マリ共和国の文化や言葉を織り込む。それも、必ず、である。小雨模様だった今年3月の卒業式は、「マリは乾燥地帯で、雨の日が一番おめでたい。だから日は、マリ的には非常に天気がいいのです」というあいさつから始まった。4月の入学式では、母語のバンバラ語で「みなさん、故郷の家を出て、新しい家へようこそ」と語り掛けた。世界の広さを感じ、想像してほしいからだという。2018年4月の就任から1年余り。「日で初のアフリカ出身学長」と話題になったサコ氏は「グローバル」と「ダイバーシティ」を掲げて奔走している。(文・松創、写真・浜田智則/Yahoo!ニュース 特集編集部)

    日本初のアフリカ人学長の挑戦と理念――「グローバル」と「ダイバーシティ」掲げて奔走 - Yahoo!ニュース
  • アフリカで密猟と戦った英兵士、ゾウに遭遇して死亡

    ロンドン(CNN) 東アフリカのマラウィで密猟者の摘発に当たっていた英国の兵士が、活動中にゾウと遭遇して死亡した。英国防省が発表した。 近衛歩兵隊に所属していた兵士のマシュー・タルボットさんは、5日に死亡した。実戦配備されたのはマラウィが初めてだったという。地元住民とも交流を深めて現地の言葉も覚えるなど、明るく親しみやすい性格だった。 ペニー・モーダント英国防相は、タルボットさんの勇気とプロ意識をたたえ、「野生生物を殺戮(さつりく)して利益を稼ごうとする犯罪者から絶滅危惧種を守る活動において、我が軍が直面している危険を改めて思い起こさせる」と指摘した。 野生のゾウは密猟や生息地の減少によって、アフリカ全土で個体数が急減している。 2016年にアフリカ全土で実施された調査によると、ゾウの個体数は1979年の130万頭から、35万頭にまで減っていることが判明。予想以上の減少だった。 徒歩による

    アフリカで密猟と戦った英兵士、ゾウに遭遇して死亡
  • 映画は誇張…「ホテル・ルワンダ」元従業員が見た現実:朝日新聞デジタル

    25年前の4月。アフリカのルワンダで絶望的な虐殺が始まった。隣り合って暮らしてきた人々が、民族の違いや権力争いから、ナタを振り回した。主に多数派民族フツの政府軍兵士らが、少数派民族ツチの人々を殺害。100日間で犠牲者は80万人を超えた。 ツチの人々が逃げ込んだホテルが首都キガリにある。国連の平和維持部隊の関係者が宿泊していたミルコリンホテルだ。当時従業員だったゾゾ・ビズムレミさん(65)が今月10日、ホテルを訪れた。犠牲になった仲間の名が刻まれた記念碑の前で、その死を悼んだ。 113室ほどのホテルには多い時で1200人が避難。廊下や堂、プールサイドで息を潜めた。事は援助団体の配給に頼った。2004年制作の映画「ホテル・ルワンダ」のモデルになり、ビズムレミさんに似た従業員も登場する。 フツ出身のホテル支配人らが…

    映画は誇張…「ホテル・ルワンダ」元従業員が見た現実:朝日新聞デジタル
  • 秋葉原を歩いていたらカメルーン人の難民と出会った

    秋葉原から岩町に向かって歩いていたら、めちゃくちゃ遠慮がちに、黒人の女性に呼び止められた。 赤いクリアファイルに目的地の紙が入っている。場所が分からないらしい。 自分も2ヶ月前に東京に引っ越してきたばっかりだし、分からない。そこらへんのおじさんを呼び止めて教えてもらった。 女性の様子がなんか普通じゃないというか、「清水寺はどこですか」って聞いてくる人とは明らかに違っていて、なんかほっとけなくて、そこそこ遠かったけど、一緒に歩いた。 予感は当たっていて、目的地はフードバンクだった。 カメルーンからの難民らしい。そういえば牛久の入管施設で亡くなったのもカメルーン人だった。 無事に着いたし、ここでOKだよねと離れたけど、遠くからもう一度見てみると、彼女はまだ立っている。施設がオープンしていないから、ドアの前で、寒そうに立っている。 べ物がもらえるのは14時からで、まだ12時半くらい。 赤道直

    秋葉原を歩いていたらカメルーン人の難民と出会った
  • 『ぼくは13歳、任務は自爆テロ』日本人の若者が模索するテロリストからの脱却 - HONZ

    テロが起こるのは違う世界の話だと思っていたのだが、ここ数年、そうとは言えなくなってきている。つい先ごろも、ロンドンで爆発のあった地下鉄に知人が乗り合わせていたと聞いた。日でもいつか起こる、そんな予感は誰もが持っているだろう。だが長い平和を甘受してきた日人にとって、テロは怖いばかりで具体的に何も対処できていない。 書は「アクセプト・インターナショナル」というテロ・紛争解決を専門とする日生まれの国際NPOで代表理事を務める永井陽右による、中高生から読むことができる現代のテロと紛争の入門書である。 ケニアとソマリアを主な活動地域とするこのNPOは、テロ組織への加入防止とテロ組織からの脱退促進を行う。 2011年、大学生だった著者は「世界でもっとも危険な場所」のソマリアを支援する学生NGO「日ソマリア青年機構」を立ち上げ、その後、現団体でスラムや元テロリストの若者の社会復帰を支援している

    『ぼくは13歳、任務は自爆テロ』日本人の若者が模索するテロリストからの脱却 - HONZ
  • 「南アで最もクールな女の子」トニー・ガムって何者? 『WIRED』表紙を飾った21歳の肖像

  • 世界最大の「Twitter炎上事件」投稿者の末路

    ごく普通の無名の人がツイッターに何か少し不穏当なことを書き込む。その人のフォロワー自体はせいぜい100人くらいのものだ。しかし、それが何かのきっかけで大勢の人たちの目に触れ、非難の嵐となってしまうことがある。 これが、いわゆる「炎上」だ。僕は、実際に炎上事件の犠牲者となった人物に多数会い、話を聞いてきた。会うと皆、ごく普通の「善良な市民」たちだ。ただ、炎上によって何もかもを失い、憔悴(しょうすい)「しきっている。当に、皆がそろいもそろってそうなのだ。 ジョークのつもりの「つぶやき」が、悲劇の始まり 僕が会ってインタビューした1人が、ジャスティン・サッコである。彼女は「世界最大のツイッター炎上」の当事者だといっても過言ではない。発端は、彼女がアフリカへ向かう空の旅の最中に、当に軽い気持ちで書いたツイートだった。 「アフリカに向かう。エイズにならないことを願う。冗談です。言ってみただけ。

    世界最大の「Twitter炎上事件」投稿者の末路
  • リクルートを辞めてアフリカ移住していたら副社長になった話 : Natsumegblog

    リクルートを辞めてアフリカに行ってました。 そしてこの度アフリカから完全に帰国しました。 アフリカでお世話になったみなさん当にありがとうございました。 帰国後の今は、とある会社の副社長をやっています。 お世話になったみなさまにはちゃんと連絡ができずに申し訳ございません。経緯と今後についてこの場をお借りしてご報告させてください。

    リクルートを辞めてアフリカ移住していたら副社長になった話 : Natsumegblog
  • 『リクルートを辞めてアフリカ移住していたら副社長になった話 : Natsumegblog』へのコメント

    ブックマークしました ここにツイート内容が記載されます https://b.hatena.ne.jp/URLはspanで囲んでください Twitterで共有

    『リクルートを辞めてアフリカ移住していたら副社長になった話 : Natsumegblog』へのコメント
  • 『メメントモリ・ジャーニー』アラサー女子、棺桶を買いにアフリカへ行く - HONZ

    「自分の棺桶がほしい!」 これが健康なアラサー女子の切なる願い……? だがどうやら気なのだな、これが。だって、著者は理想の棺桶を求めて、アフリカはガーナへと旅立ってしまうのだから。 タイトルにある「メメントモリ」は、ラテン語で「死を想え」の意味。そして言わずもがな、「ジャーニー」は旅、つまり書は一言で言えば「死と旅のエッセイ」である。 旅先で、すごく完璧な瞬間に出会うことがある。(中略)そんなときはデジカメで写真を撮るだけじゃなく、その風景を陽射しや風やにおいといっしょにまるごと象牙や水晶の美しいマウントにリバーサルフィルムとして収めて、つらいときには取り出して氷のように口に含み、その冷たさやなめらかさを心の慰めにできないものか、と願う。人生が終わるまでに、あといくつこんな瞬間を集めていけるか考える。 端正な文章で記される旅の行き先は、西表島、恐山、五島列島、遠野……そして、ガーナ。著

    『メメントモリ・ジャーニー』アラサー女子、棺桶を買いにアフリカへ行く - HONZ
  • ヨシダ ナギ『ヨシダ、裸でアフリカをゆく』を読む - mmpoloの日記

    ヨシダ ナギ『ヨシダ、裸でアフリカをゆく』(扶桑社)を読む。実に楽しい読書。ヨシダは1986年生まれ、中学2年で学校をドロップアウトしたという。それって不登校の引きこもりじゃないか。5歳のときテレビで見たマサイ族に惹かれ、気でいつかマサイ族になると思った。10歳のころ、母親からアンタは日人、アフリカ人にはなれないと言われて絶望する。 しかし2009年に初めて一人でアフリカのエチオピアに行く。英語がほとんどしゃべれないまま。エチオピアで雇ったガイドのベイユーとも共通の言葉がないのでなかなか打ち解けない。電子辞書を使ってガイドが話しかける。ガイドから「国技」とか「国鳥」とか示されても、まともに勉強してこなかったヨシダは、その言葉の意味が分からない。それでもガイドは自分の実家に案内して自家製のビールを振る舞ってくれた。しかしそのビールは泥水のようで、しかも青臭く「幼少期におままごとで作った色

    ヨシダ ナギ『ヨシダ、裸でアフリカをゆく』を読む - mmpoloの日記
  • 激烈に愛らしいアフリカの仮面 - 人生がときめく物欲の魔法

    年末行ったガーナで買ってきたおみやげたち。ガーナで装飾棺桶を作るプロジェクトに一定額支援してくれた人たちにあげるのだ。 なんといってもかわいいのが、この角がついた丸顔の仮面。コートジボワールのバウレ族による、「プレプレ」という戦士の仮面らしい。 このモザイク柄の仮面も、たくさん売られていた。ガーナのアート・アライアンス・ギャラリーというところで買ったのだ。 赤く小さいプレプレ。酒を飲んで悪態をついているときの自分に似ている気がして、これだけは手元に置いておくつもり。 大きいプレプレは200ガーナセディ、小さいプレプレは100ガーナセディくらいだった(1セディ=30円くらい)。帰ってきてから調べたところによると、日のネットショップやギャラリーだと3万~7万くらいはするようである。棺桶を安く輸送することは至上命題だったのであまり買えなかったのだが、今にして思えば買い占めてしまえばよかった…。

  • BLOGOS サービス終了のお知らせ

    平素は株式会社ライブドアのサービスを ご利用いただきありがとうございます。 提言型ニュースサイト「BLOGOS」は、 2022年5月31日をもちまして、 サービスの提供を終了いたしました。 一部のオリジナル記事につきましては、 livedoorニュース内の 「BLOGOSの記事一覧」からご覧いただけます。 長らくご利用いただき、ありがとうございました。 サービス終了に関するお問い合わせは、 下記までお願いいたします。 お問い合わせ

    BLOGOS サービス終了のお知らせ
  • (世界発2015)無差別性暴力、内戦の闇 コンゴ民主共和国、救済進まず:朝日新聞デジタル

    内戦状態が続くアフリカ中部のコンゴ民主共和国(旧ザイール)。紛争下で、多くの女性たちが無差別的なレイプを受け続けている。救済に取り組む現場の医師たちは、国際社会がもっと被害に目を向けるべきだと訴えている。 ■連れ去られ、幼児までも 午前7時、東部ブカブ近郊のパンジ病院。鉄製の柵で守られた病院… この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 この記事は有料会員記事です。

    (世界発2015)無差別性暴力、内戦の闇 コンゴ民主共和国、救済進まず:朝日新聞デジタル
  • 『独裁国家に行ってきた』204カ国を旅した筆者が語る - HONZ

    204カ国。書の著者が訪れたことのある国の数だ。限りある人生のなかでは、訪れることのできない国、自分自身の目・耳で感じることのできない世界が山ほどあるのだろう。いや、たとえ同じ国を訪れようとも、タイミングや、そこでの人との出会いが異なれば、見える世界や抱く印象は異なってくる。だからこそ、他者の旅行記は、自分が知らない世界、味わったことのない経験に触れられる貴重な資源だ。まして書は「独裁国家」にフォーカスした旅行記で、取り上げられている国の多くが、一生を通じても訪れる可能性が低いと思われる。 書で紹介されている「独裁国家」は、トルクメニスタン、リビア、北朝鮮、ジンバブエ、サウジアラビア、ベネズエラ、キューバ、ベラルーシ、シンガポール、ナウル、コンゴ、ブータン、リベリア、シリアの全15カ国。 日だったらありえないことだらけ 「独裁国家」と聞いて最初に思い浮かぶのはどんなイメージだろうか

    『独裁国家に行ってきた』204カ国を旅した筆者が語る - HONZ
  • 『日本人ビジネスマン、アフリカで蚊帳を売る』中の人が語る新規プロジェクトの実録 - HONZ

    次々と効果的な殺虫剤を開発し、農業化学分野では一目おかれる成果を出していた、とある30代後半の会社員。ある日、自宅でぼんやりテレビを見ながら酒を飲みつつ考えていた。 自分が当にやりたいことは、なんだったのだろうか ビジネスマンなら誰でも一度は思いなやむ悩みであろう。そしてこの日の悩み事が、その後、彼が所属する住友化学という大企業を突き動かしていくこととなる。「そうだ、海が好きだったんだっけ。俺は。」国内向けの仕事をしてきた彼には、海外の僻地で暮らす人々の光景が見えていた。 書は、日の化学メーカーが、アフリカでBOPビジネスを立ち上げる過程を、プロジェクトを推進した当事者たちの視点から描く一冊だ。新規プロジェクト立ち上げの苦悩と挑戦の物語が凝縮されており、書を読むだけで疑似体験できる優れものである。 著者は、同プロジェクト立ち上げに中心人物として携わったマーケティングコンサルタント。

    『日本人ビジネスマン、アフリカで蚊帳を売る』中の人が語る新規プロジェクトの実録 - HONZ
  • トルコ、アクサライ地区は世界中からの移民が集う場所 - SYNODOS

    イスタンブルが夜を迎えるころ、アクサライ地区の通りでは、全く別の光景が現れる。世界中から理由があってアクサライにやってきた人々が話している多様な言語の響きが耳に入ってくる。ある場所ではセネガルから来た人々がフランス語を話す一方、少し離れた場所ではロシアから来た母と娘がどの店に入るかを議論している。左側を向くと、3人の子供と物乞いをしたシリア人女性と目が合ったちょうどその時、私達の間を知らない言葉を話す3人の女性が通って行った。いくつかの通りは危険で、入った瞬間恐怖で身震いするが、一つあとの通りに入った時、原価で売っている店では恐怖を忘れてしまう。 夜に数時間通りを歩いて外国人や商店主と話した時、これほど混乱しているものにも彼らの中では秩序があることを学ぶだろう。曲がり角のや歩道の縁で、布の上に並べられたベルト、小さなカウンターであらゆるブランドのコピーの香水、時計を売っている黒人のセネガル

    トルコ、アクサライ地区は世界中からの移民が集う場所 - SYNODOS
  • 『恋する文化人類学者』 人は文化人類学者に生まれるのではない、文化人類学者になるのだ - HONZ

    始まりは騒々しい街中。子どもの泣き声に夫婦喧嘩の嬌声、欲をそそる鍋を振る音。息遣いを生々しく感じさせるこの街の騒音が、男は無性に好きだった。突然、音に溢れるこの街に、ひときわ大きな太鼓のリズムが鳴り響く。音の源へ急いだ男の目は一人の少女の踊りに奪われた。その舞は、これまでに見たどんなものよりも激しく、華麗だった。衝撃的な出会いから男と少女の間に恋が芽生えるまで、それほどの時間はかからなかった。後にこの少女は男のとなる。 奇跡的な出会いからの恋愛、多くのハードルを乗り越えての結婚だけでも十分に劇的だが、この少女は後にその歌と踊りで国民的スターとなるというのだから話題には事欠かない。ドラマになりそうな要素満載の筋書きだが、書のストーリーは日で放映されるようなドラマとは異なる点が多い。先ず、彼らが出会った街は東京でも、ましてやパリやニューヨークでもなく、コート・ジヴォワールの大都市アビジ

    『恋する文化人類学者』 人は文化人類学者に生まれるのではない、文化人類学者になるのだ - HONZ
  • 西側諸国はうつ病なのか? はびこる悲観主義の背景にあるもの:JBpress(日本ビジネスプレス)

    (2014年12月22日付 英フィナンシャル・タイムズ紙) 人生の最盛期はもう終わってしまった、あとはずっと下り坂だ――。そんな風に考える人は確かにいる。しかし、そういう憂な気分が西側世界の大半を同時に覆い尽くすことはめったにない。短い期間覆い尽くしたことは確かにあったが(例えば、1970年代のスタグフレーションの時)、やがて危機とともに消えていった。 今日の悲観主義は、過去のそれよりも2つの面で厄介だ。 今日の悲観主義がとりわけ厄介な理由 第1に、経済学で説明しきれない。米国では景気回復が5年目に突入しているが、子供たちの暮らし向きは自分のそれよりも悪くなると考える人の割合が、景気の低迷に苦しむイタリアのそれと同水準にとどまっている。しかも、この傾向は2008年に世界金融危機が勃発する前から始まっている。 第2に、西側の悲観主義は情報技術革命と同時期に広がりを見せている。西側の信条であ

    西側諸国はうつ病なのか? はびこる悲観主義の背景にあるもの:JBpress(日本ビジネスプレス)
  • 日本人看護師が現地で見たエボラの真実 | トレンド | 東洋経済オンライン | 新世代リーダーのためのビジネスサイト

    高校生の頃に、ボランティアでベトナムの麻薬中毒患者のリハビリ施設建設に携わったことがきっかけで、世界中の病気に苦しむ人を助けたいと思うようになりました。日の病院で看護師として働き、海外留学して英語も勉強しました。2012年からはMSFに参加して、イラク、ヨルダン、南スーダンへの派遣を経験しました。 今年4月から長崎大学の熱帯医学研究所で3カ月間、エボラ出血熱について研修を受け、シエラレオネへの派遣オファーを受けました。7月30日に日をたち、帰国したのは9月10日です。 現地では温かく出迎えてくれた 日からシエラレオネへの直行便はないので、MSFの国際事務局部があるベルギーのブリュッセルを経由して、シエラレオネの首都・フリータウンに飛びました。そこからMSFが建てたエボラ出血熱の専門治療施設があるカイラフンまで、400キロの道のりを車で移動しました。 治療施設はテント作りで、私がいた

    日本人看護師が現地で見たエボラの真実 | トレンド | 東洋経済オンライン | 新世代リーダーのためのビジネスサイト