タグ

批評と宗教に関するlaislanopiraのブックマーク (13)

  • 東浩紀「テロは断固許さないという決意は繰り返し表明し続けるべき」 | AERA dot. (アエラドット)

    東浩紀/批評家・作家。株式会社ゲンロン取締役 批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。 *  *  * 安倍元首相銃撃事件から3週間が過ぎた。山上徹也容疑者が動機として世界平和統一家庭連合(旧統一教会)への恨みを口にしたことから、世間は政治と宗教の話題で沸き立っている。 容疑者の母親は同教団に1億円を献金し、家庭崩壊に追い込まれたという。大前提として、宗教法人を隠れ蓑(みの)にした犯罪行為は許されない。親の信仰で苦しむ児童は社会で保護すべきだ。必要な対処が多額の献金や選挙協力により歪(ゆが)められていたとしたらとんでもない話である。自民党と旧統一教会の関係は、これを機に徹底的に解明すべきだろう。 しかし同時に忘れてならないのは、問題の出発点が純然たる殺人だという事実だ。元首相が選挙期間中に白昼堂々射殺された。動機が

    東浩紀「テロは断固許さないという決意は繰り返し表明し続けるべき」 | AERA dot. (アエラドット)
  • 国民の不安も科学的な提言も無視...パンデミック五輪に猛進する日本を世界はこう見る

    <IOCにノーと言えない日政府に、関係者を満足させたいだけのIOC。「安心・安全」と繰り返されても安心はできない> 東京五輪まで2カ月に迫った5月19日、「開催を実現することに集中すべき」とIOC(国際オリンピック委員会)のトーマス・バッハ会長は会議で強調した。大会の是非の議論はしない、開催すると決定したのだからという意味だ。 だが6月20日まで再延長された緊急事態宣言下で、来日すらできずにいるバッハは現実を見ていない。日の国民が感じていることを理解するため、彼に見に行ってほしい所はたくさんある。 例えば立川駅のそばにある立川相互病院。5月初旬、こう書かれた紙が窓に張り出されて話題になった。「医療は限界 五輪やめて!」「もうカンベン オリンピックむり!」 「病院長のアイデアだ。たくさんの重症者を受け入れた公立病院の職員は公務員だから、こんなことはできない。うちは民間の病院だからできる」

    国民の不安も科学的な提言も無視...パンデミック五輪に猛進する日本を世界はこう見る
  • タグ : 私たちの気付かない漫画のこと 一覧ページ|Zing!

    情報コンテンツサービス終了のお知らせ 2020年9月30日(水)をもちまして、以下コンテンツを終了いたしました。 【終了するコンテンツ】 Zing! 長らくご愛顧いただきました皆さまに感謝を申し上げますとともに、ご理解を賜りますようお願い申し上げます。 トップページ - サイトマップ - お問い合わせ

  • 浅田彰「パリのテロとウエルベックの『服従』」|REALKYOTO

    1月7日にフランスで諷刺新聞『シャルリー・エブド』(チャーリー・ブラウンにちなむ名前なので『週刊チャーリー』と訳したいところ)による預言者ムハンマドの諷刺画に怒ったイスラム過激派が編集部を襲撃して5人の諷刺画家やライターを含む12人を殺害、並行して起こったユダヤ系品店での人質立てこもり事件なども含めて、最終的に犠牲者は17人に上った(イスラム教徒も含まれる)。 『シャルリー』は1968年5月革命世代によるアナーキズム系の全方位斬りまくり諷刺新聞、前身が『Hara-Kiri』だったことからも推測できるように決して良識派の媒体ではない。筑紫哲也がインターネット上の匿名掲示板に溢れる書き込みを「便所の落書き」と呼んだことがあるが、あえて言えば『シャルリー』も「便所の落書き」に類するものだ。しかし、そもそもジャーナリズムや諷刺は「便所の落書き」から発生したと言うべきではないか。「便所の落書き」で

  • 連載 田中功起 質問する 7-2:片岡真実さんから1 - ART iT(アートイット)

    海外での作家活動を通して、以前より日を相対的に見られるようになってきたという田中さん。身近なアート関係者の動きからマーケットの動向まで含め、いま「日とアジア」からアートを捉え直すことへの興味を片岡さんに伝えました。もちろん、彼女がこれまで手がけた展覧会におけるアジア観への関心も添えてーー。いっぽう片岡さんは、いままさにアジア各国キュレーターとの「光州ビエンナーレ」に向けた議論や、サンフランシスコのアジア美術館における展覧会準備の真っ最中でした。それらを通しての現状認識と問題意識とは? 往復書簡 田中功起 目次 件名:日、あるいはアジアから「世界の」アートを捉え直す 田中功起さま ポッドキャストやトークイベントなどを通して功起くんが近年、敢えて思いを言葉にしようとしている姿勢には関心を持っていたし、「日、あるいはアジアからアートを捉え直す」という課題は、私自身も考え続けていることなの

  • 芸術への「信仰」 - ohnosakiko’s blog

    「「芸術」否定の書」と背表紙に銘打たれた『芸術崇拝の思想  政教分離とヨーロッパの新しい神』(松宮秀治、2008、白水社)は、「芸術はいかにして<神>となったのか」を近代ヨーロッパの思想、文化などと絡めて論じた。 国家権力から分離した宗教の穴を埋めるものとして、芸術が科学と同様に「市民宗教」の位置を占めていった経緯を明らかにし、近代以降の芸術崇拝がどのように定着していったかについて解き明かしている。 ‥‥と紹介するとかなり学術的な内容に思えるが、文章は平明で読みやすい。終わりの方は「肥大化した「芸術」という観念」を批判する余りやや筆が走っている印象もあったけれども、西欧で不当なまでに高い価値を与えられた近代以降の芸術(美術、アートに置き換え可)のあり方を見直そうとする筆者の主張は明快。「芸術は良いものだ」という「信仰」から自由な観点で芸術について考えたい人におすすめ。 芸術崇拝の思想―政

    芸術への「信仰」 - ohnosakiko’s blog
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…

    はてなブログ | 無料ブログを作成しよう
  • 橋爪大三郎×大澤真幸『ふしぎなキリスト教』(講談社現代新書)に対する批判

    2012/05/06追記。 お知らせです。 橋爪大三郎・大澤真幸『ふしぎなキリスト教』(講談社現代新書、2011年)の誤りが ふしぎなキリスト教@ウィキ に詳しく纏められております。 ご関心ある方、是非御覧下さい。 また、もしこのウィキに間違い等ありましたら、できるだけ具体的な根拠等添えてお知らせ頂ければと思います。 講談社販売局 @sokushinbu 【パブリシティ情報】講談社現代新書『ふしぎなキリスト教 http://bit.ly/m5soUu』(橋爪大三郎/大澤真幸・著)06/10(金)日、日経新聞に広告掲載&週刊新潮に書評が掲載されました。発売から一ヶ月を経ずして3刷・50000部突破! 仕掛けどきです。 2011-06-10 15:22:40

    橋爪大三郎×大澤真幸『ふしぎなキリスト教』(講談社現代新書)に対する批判
  • 原発供養 - 内田樹の研究室

    昨日の話の続き。 それぞれの社会集団は、「恐るべきもの」と折り合うために、それぞれ固有の「霊的作法」を持っているという話だった。 日人は外来のものを排除せず、それを受け容れ、「アマルガム」を作る。 ユーラシア大陸の東端にあり、これから先はない、という辺境民が採用したのは、いわば、「ピジン型」の文明摂取方法だった。 これはヨーロッパの辺境、アイルランドの文明史的地位と構造的に似ている。 聖パトリキウスはケルトやドルイドの土着の神々たちとのまじわりの中でキリスト教を布教した。 そのときに土着の神々を「根絶」するというユダヤの神の苛烈さを避け、地祇たちを生き残らせた。 それがアイルランドに今も生き残る「妖精たち」である。 前に中沢新一さんとおしゃべりしたときに、『伊勢物語』に出てくる「在原業平」というのは固有名詞ではなく、ある種の「集団」ではなかったのか、という話になったことがある。 彼らは「

    laislanopira
    laislanopira 2011/04/09
    廃炉と供養を同時に進める。祈りの場所へ。天皇のお出ましもあったし
  • 荒ぶる神の鎮め方 - 内田樹の研究室

    秋葉原のリナックス・カフェで、ラジオカフェの収録。今回はustで画像放映。 平川くん、中沢新一さんと、「カタストロフの後、日をどう復興するか」について、語り合う。 その中で、中沢さんが「第七次エネルギー革命」で人類ははじめて、生態系に存在しないエネルギーを、いわば「神の火」を扱うようになった、という話を切り出した。 そのときmonotheisticとい単語が出て来た。 原子力テクノロジーというのは、いわば「荒ぶる神」をどう祀るかという問題である。 そうである以上、それぞれの社会の「神霊的」なもののとらえ方をストレートに繋がるのではないか。 という話を中沢さんから聞いているうちに、いろいろなことが「がちゃがちゃ」っとつながった。 数千年前、中東の荒野に起きた「一神教革命」というのは、人知を超え、人力によっては制することのできない、理解も共感も絶した巨大な力と人間はどう「折り合って」いけるか

    laislanopira
    laislanopira 2011/04/09
    「ばちがあたった」のは地震ではなく原発かもしれない
  • 美術批評家が、なぜ村上隆については「口を噤んでしまう」のか?

    3 @drawinghell 村上隆特集の美術手帖11月号を図書館で見た。いやぁ~ヒジョーに良くできてるねぇ~と感心する。ヒジョーーーーーに良くできたカイカイキキの公式企業パンフレットだw 2010-10-20 22:39:19 3 @drawinghell 「ヒジョーに良くできた公式企業パンフを美術手帖誌上で実現してしまうこと」がそのまま村上隆の芸術を構成する一つになってしまうところが村上隆というアーティストの厄介なところなのだが、それにしても外側からの視点で村上の芸術を相対化させる論考が一も載ってないのはやはり「異常」だ。 2010-10-20 22:42:12 3 @drawinghell 「外部」からの論考を載せないことが企画を受け入れる条件だったのか、それとも単に書く人材がいなかったのか・・・。そーいえば先日見に行った美術犬主催の「批評!!」シンポジウムでも村上隆について美術批

    美術批評家が、なぜ村上隆については「口を噤んでしまう」のか?
    laislanopira
    laislanopira 2010/10/26
    ジェフ・クーンズやダミアン・ハーストの仲間に村上隆が入ってしまった感じか/ 日本の仏教が国家による金ぴか路線なら、神道はどうか。シンプルなエリート路線か、神輿の民衆芸術路線か
  • 『仏陀再誕』は弥勒(未来仏)とも無関係。楳図かずおは天才。 - ひじる日々

    菩薩は必ず出家して「成仏」する ついに公開された映画『仏陀再誕』ですが、「釈迦牟尼仏陀が再誕する」という主張があまりにも無理筋であることに気づいたらしい某教団は、最近、しきりに「再誕の仏陀は未来仏、つまり弥勒仏陀の下生である」ということをほのめかしています。 教団関係者が執筆していると思われる wikipedia 記事には唐突に、 過去七仏、仏陀再誕の言い伝えがある、インドのアジャンター村の石窟寺院の第17窟に、未来仏を含めた「八仏」が描かれている。 として、写真が貼り付けられています。写真の右端に王族の装束を着た未来仏が描かれていることを取り上げて、インドの仏教遺跡は「スーツを着た仏陀の出現を予言していた」と強調したいようです。でもこれは、仏教美術のイコノロジーへの無知から来た誤解に過ぎません。 未来仏として受記されているという弥勒(マイトレーヤ、メッティヤ)は、仏典によれば現在トゥシタ

    『仏陀再誕』は弥勒(未来仏)とも無関係。楳図かずおは天才。 - ひじる日々
    laislanopira
    laislanopira 2009/10/21
    "弥勒菩薩は、人類が自業自得で招いたハルマゲドン的な危機を乗り越えてから...その寿命を極限まで延ばせるほどに安定した社会を構築した後、それでも避けられない「無常」を人類に教えるための「教師」として現れる"
  • 神話としてのアンパンマン - レジデント初期研修用資料

    ハッヒフッヘホー。アンパンマン、腐敗と発酵の違いを知っているか?」 大体このへんから始まった、一連のおしゃべりをまとめた。 バイキンマンからこんな問いを投げかけられて、アンパンマンはたぶん、 答えを見つけられないはず。正義というのは来、「悪役」なしには存在できないから。 妄想:アンパンマンは山の神様だった 原作だとこのあたりは、アンパンマンの体は、ジャムおじさんのパン種に飛び込んできた星みたいな何かで、 バイキンマンは異星人だけれど、このあたりはあくまでも、人間の側から見た事実。 ここにこんな設定を持ち込むと、物語の意味が大きく変わって面白い。 「アンパンマンとバイキンマンは元は同類の存在であったが、片方はイースト菌で用に、もう片方は雑菌が繁殖し出来損ないとして廃棄された」 焼かれる前のアンパンマンとバイキンマンは、山の中に「パン種」として存在して、 ジャムおじさんの介入を受けること

  • 1