千宗恩とは 千利休の後妻・宗恩(そうおん)は、戦国時代の女性で生年不詳。 名は「おりき」で、元は能役者・宮王三入(観世流の小鼓の名手)の妻。ただし、近年は松永久秀の妻であったとする説もある。 千利休は、この宮王三入から能を習い、親しくしていたようで、1553年頃に宮王三入が病没すると、残された宗恩と子の男子(後の千少庵)の面倒を見ていたようだ。(宗恩を側室のような立場で迎えたとも考えられる。) 千少庵(せんのしょうあん)は先天的に片足に障害を持っていたようだが、1576年頃に千利休の6女・お亀と結婚して、千利休の養子となった。 千少庵は「柔・静の茶」と呼ばれ、穏やかで円満な性格は誰からも好かれ、千利休の後継者とも目されたようだが、1587年の有名な北野大茶会では、千利休の次には千利休の嫡男・千道安の名が見られ、千少庵の名は8番目と、千利休本人は後継者として認めていなかったようだ。 翌年、1