<ボリス・ジョンソンや小池百合子などがコロナ禍を機に福祉重視へと舵を切るなど、新自由主義は変更を迫られつつある。だが「社会」を立て直すにはさらなる一手が必要だ。本誌「コロナと脱グローバル化 11の予測」特集より> 今回の新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)は、1980年代以来、小さな政府と市場の自由、個人の選択と自己責任を強調して世界を席巻してきた新自由主義に、二重の意味で大きな変更を迫っている。 1つは、感染症の拡大を防ぐために国家の役割が重要になったということだ。例えばボリス・ジョンソン英首相が新型コロナ感染症に罹患し、生還しながら、「社会というものはある」「NHS(イギリスの医療制度)に命を救われた」と述べたことは象徴的だ。ジョンソンは、80年代に新自由主義を開始したマーガレット・サッチャーの有名なせりふ「社会などというものは存在しません」をもじってサッチャーの新自由主義
自主隔離中の3月29日、ジョンソン首相はビデオメッセージを発した。そこで注目されたのは、彼が締めくくりの言葉で、医療関係者に感謝を述べつつ、「コロナウイルスが証明したのは、本当は、社会というものはあるということでした」と述べたことだった。 これがなぜ話題になったのかは後で述べるとして、退院した12日、彼は再びビデオメッセージを公表した。 It is hard to find the words to express my debt to the NHS for saving my life. The efforts of millions of people across this country to stay home are worth it. Together we will overcome this challenge, as we have overcome so many
2月27日、安倍晋三首相は、新型コロナウイルス感染症対策のためとして、全国の小中高校に対して、3月2日からの臨時休校を要請した。この決断は唐突に行われたもので、与党議員ですら、その多くが事前に知らされてはいなかったという。 学校や教育委員会も寝耳に水であった。まして現場の教員たちは、その日の夜、ネットやテレビのニュースで初めて知るといった有様であった。ただでさえ学期末で成績評価や行事などが立て込んでいるこの時期のことである。テストはどうなるのか。卒業式はどうなるのか。学校は短期間に判断を迫られることになり、各地で混乱が起こった。 問題は山積みである。たとえば非常勤の教員の給与保障はどうなるのか。非常勤の教員はコマあたりで給与が支給されるため、学校が休業するとなると生計が成り立たなくなってしまう。すでに発注してしまった分の給食の食材はどうなるのか。大量の牛乳は廃棄するしかないのか。給食がなく
沖縄を代表するロックバンド「紫」のリーダー、ジョージ紫さん(68)は「自分は何者か」を考え続けてきた。父は米軍属で、母は日本人。沖縄の人たちと一緒に街に住みつつ、米軍基地内のアメリカンスクールに通った。近所にはアメリカの悪口を言う人がたくさんいて、逆に学校では、沖縄や日本の悪口を言う者がいた。「だから三つあるんですよ、アイデンティティーが。アメリカと日本と沖縄」―。 今から45年前の1972年5月15日。その日までの27年間、沖縄は米軍の統治下にあった。日本から沖縄に行くにはパスポートが必要で、通貨はドル、自動車は右側通行。街には英語があふれ、水は「アイスワーラー」で給料日は「ペイデイ」だった。「アメリカ世(ゆ)」とも呼ばれるそんな日常を生きた人たちはいま、何を思っているだろうか。ミュージシャンやレストランの経営者たちを訪ね、「沖縄の今」を考えた(Yahoo!ニュース 特集編集部)
小島慶子(こじま・けいこ)/エッセイスト。1972年生まれ。東京大学大学院情報学環客員研究員。近著に『幸せな結婚』(新潮社)。対談集『さよなら!ハラスメント』(晶文社)が発売中 世界中で人権や平等は命がけで勝ち取られてきた。2017年、ボストンでヘイトスピーチに抗議し、デモ行進する人たち (c)朝日新聞社 タレントでエッセイストの小島慶子さんが「AERA」で連載する「幸複のススメ!」をお届けします。多くの原稿を抱え、夫と息子たちが住むオーストラリアと、仕事のある日本とを往復する小島さん。日々の暮らしの中から生まれる思いを綴ります。 【この記事に関する画像をもっと見る】 * * * テレビやツイッターですっかり悪者にされている「キレイゴト」。理想論を振りかざす世間知らずのエリートより、「ホンネ」を堂々と語るやんちゃ者の方が信用できる、という定番の構図です。洋の東西を問わず、このキレイゴト
野党への支持率が絶望的に低い。特に若者世代ではその傾向が顕著だ。そうした「野党ぎらい」の背景には、若者世代が「コミュ力」を重視している事実があるのではないか。コミュ力を大切にし、波風の立たない関係を優先していれば、当然、野党の行う批判や対立を作り出す姿勢は、嫌悪の対象となる。摩擦のない優しい関係が社会に広がるなか、野党の置かれた立場は難しいものになっている。 政党不信が深刻である。とりわけ「野党」への不信の広がりとその深さは、前代未聞のレベルに達している。総選挙で躍進した立憲民主党への支持も5%程度で伸び悩み、希望の党が解散してできた国民民主党にいたっては、支持率は1%にも達していない(参考)。こうした傾向は少々のことでは変わりそうにない。 「野党がだらしないからだ」。こう言う人がたくさんいる。たしかにそうかもしれない。しかし、「だらしなさ」加減があまりにひどいので、「野党ぎらい」が高まっ
納税額の低い人を「税金泥棒」と見なす社会は、どう克服されてきたか 私たちはこの達成をすぐに忘れてしまう そもそも国民の権利は、納税の「対価」なのか 近年、納税額の少ない人間を「税金泥棒」と呼ぶ言説が登場し話題になっている。この興味深い言説が登場した経緯を簡単に振り返ってみよう。 金融庁のワーキンググループによる報告書——「平均的な高齢夫婦の場合、毎月およそ5万円の赤字が続き、退職後の30年間でおよそ2000万円の不足が生じる」、「若いうちから積立、分散、長期の投資などを奨励」——を受けて6月4日に麻生太郎財務相が記者に対して、「100まで生きる前提で退職金って計算したことあるか?」と説教を始めた映像に国民の多くが面食らった。 報告書に示される、威圧的な文字列に恐慌を覚えたこともさることながら、なぜこの財務大臣は、「100年安心」という建前を反故にする内容をこうまで偉そうに語ることができるの
「安倍政権を倒したいならば、左派は経済を語れ」 これが、ネット上において国政野党に票を集めようとする運動のスローガンになって久しい。もちろん、野党が経済政策を充実させ、活発に支持を訴えることについては、大いにやればよいと思う。しかし2点ほど引っかかることはある。まず1つ目は、野党および左派はすでに経済について語っているということである。その状況についてこうしたスローガンをとなえるのは、左派は経済的に無策であるという右派・与党のプロパガンダへの加担ではないか。これは、すでに参議院選挙の1人区での一本化など野党共闘が進んでいるにも関わらず「野党はバラバラ」だと批判する野党支持者にもいえる。 2つ目は、そもそも与党も経済を語ってはいないのではないか、ということである。与党は、財界や資産家や投資家を喜ばせるような政策について語っている。しかしそれは経済を語っていることにはならない。2012年の政権
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