タグ

社会学に関するshichiminのブックマーク (20)

  • 見田宗介の死、「ほんとうに切実な問い」: 鶴見済のブログ

    その時に、「自分としてはこれ以上に追悼すべき人はいない」みたいなことを書いたのだが、実はひとりいるなと思っていた。

  • 社会学者の見田宗介さん死去 84歳 「現代社会の理論」:朝日新聞デジタル

    ","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"

    社会学者の見田宗介さん死去 84歳 「現代社会の理論」:朝日新聞デジタル
    shichimin
    shichimin 2022/04/12
    おつかれさまでした。え?真木悠介氏と同一人物だったの?「気流のなる音」は何度も読んだ。
  • 戦争倫理学への補注 - shinichiroinaba's blog

    今日びの動向を見ながら近刊予告 - shinichiroinaba's blogへの補足を試みる。 ==================== 『社会倫理学講義』で戦争倫理学についても少しだけ論じたが、そこではあまりはっきりと立場を打ち出せなかったので、このウクライナ戦争を前にもう少しはっきりさせようと思う。 そこで我々はリベラリズムの政治哲学と矛盾しないリベラル戦争観とでも言うべきものをおずおずとながら提示した。その要点は結局のところ「戦争と平和の区別をはっきりつける」とでも言うべきものだったかと思う。戦争そのものを悪として否定し、なくすべきだという議論は提示しなかった。実際問題としてときに暴力は噴出し、暴力を用いた紛争は現実に起きてしまうものなので、いかにそれを抑え込み、管理するかという方向で議論を進めた。戦争を絶対に否定すると、実際に起きてしまった戦争を前にそれをあたかも絶対悪である

    戦争倫理学への補注 - shinichiroinaba's blog
    shichimin
    shichimin 2022/03/25
    ”ロシアや中国はリベラルな国際秩序を否定しているのではなくそれに寄生し、ハックしている。”
  • 近刊予告 - shinichiroinaba's blog

    来年度新学期に合わせて刊行予定の書下ろし教科書『社会倫理学講義(仮)』(有斐閣)より初校段階で挿入した戦争論についての節を先行公開します。 =================== 第9回 政治哲学 補足 5 現代戦争政治哲学を論じたついでに、現代の倫理学・政治哲学においては戦争、武力行使はどのように論じられうるか、考えてみよう。 ・無差別戦争観から戦争違法化論へ リベラリズムの政治哲学を前提とした場合には、先にグローバルガバナンス論においてもカント的な独立国家の世界連邦構想と、リベラルな世界帝国構想とでもいうべき両極が考えられるとしたが、そこでの戦争論においても必ずしもこの両極にきれいに対応するわけではないが、やはり一見互いに対極的な二つの戦争観を導き出すことができる、と私は考える。 ひとつは、これはもう過去のものとなった無差別戦争観であり、近代主権国家は原則的には自由に戦争を行う権利

    近刊予告 - shinichiroinaba's blog
    shichimin
    shichimin 2022/03/25
    ”来年度新学期に合わせて刊行予定の書下ろし教科書『社会倫理学講義(仮)』(有斐閣)より初校段階で挿入した戦争論についての節を先行公開します。”
  • メモ - 社会学内部からの社会学批判

    twitterでは社会学批判が喧しいが、当然ながら社会学内部からも同様の批判はある。それをメモ代わりにまとめておく。 太郎丸博:査読文化の欠如 「社会学者からの社会学批判」として昨今のインターネットSNSで最も引用されているのは、2009年の太郎丸博氏のブログ記事「阪大を去るにあたって: 社会学の危機と希望」であろう。彼の主張を端的に表す部分を抜き書きすると下のあたりだろう。 「最後に日の社会学に対する危惧を一つ述べておきます。日の社会学の特徴は、アカデミズムの軽視だと思います。すなわち、学会報告や学会誌を軽視しているということです。学会発表もせず、学会誌に論文を投稿もせず、それでも社会学者づらしてを出版したり、さまざまなメディアで発言することができるのが、日社会学の実情です。」 「アカデミズムを軽視し、に好き勝手なことを書くことを理想とするようになります。研究そのものから降りて

    メモ - 社会学内部からの社会学批判
  • 『社会学はどこから来てどこへ行くのか』出版によせて - 社会学者の研究メモ

    今月(2018年11月)、四人の社会学者の対談集、『社会学はどこから来てどこへ行くのか』が出版された。私以外の三人は、社会学の世界に限らず高い認知度があって、どういったいきさつからか、そこに私も混ざっているのだが、いくばくか場違い感があるのは否めない。 社会学はどこから来てどこへ行くのか 作者: 岸政彦,北田暁大,筒井淳也,稲葉振一郎出版社/メーカー: 有斐閣発売日: 2018/11/14メディア: 単行(ソフトカバー)この商品を含むブログ (1件) を見る 私はどちからといえば、他の三人と比べて制度としての社会学の世界に浸かっている度合いが強い。社会学会、家族社会学会、数理社会学会では面倒な≒重要な役を仰せつかっているし、大規模な調査プロジェクト(SSMやNFRJ)に参加しているし、そういったしがらみのなかで雑務に追われるのが日常だ。一日の仕事時間の1/4くらいは、広い意味では学会関係

    『社会学はどこから来てどこへ行くのか』出版によせて - 社会学者の研究メモ
  • SYUGO.COM

  • 都立青山高校模擬授業「社会学入門の入門」 - shinichiroinaba's blog

    またしても用意したレジュメと全然関係ないことをしゃべったよ。即興でしゃべったことを基にここに書いておくよ。 ========== 社会学は経済学政治学と並んで「社会科学」の仲間とされますが、日の大学では大体社会学科は(もちろん、社会学部のないところでは、ですが国公立大学にはほとんど社会学部はありません)文学部に配置されています。なぜこうなっているのかといえば、社会学部は他の社会科学と比べて「主観」、人間の主観的な意識、心をその焦点とするからです。 経済学をはじめとして他の社会科学は「客観」的現実に照準を合わせますが、社会学はこれを無視するわけではないにせよ、人間がそうした「客観」的現実をどう「主観」的に経験し、その経験から「客観」的現実にはたらきかけていくか、を主題とします。その意味で人間の「主観」に照準する文学や人文学と共通するところが大きいのです。 文学部では文学、歴史学、哲学、心

    shichimin
    shichimin 2010/12/24
    青山高校の生徒はラッキーだな。一粒で二度美味しい講義!
  • 家事分担研究の現在 - 社会学者の研究メモ

    社会学そのうちこちらでプレゼンをすることになりそう...なので頭の整理メモ。話自体は家族と仕事に関する日の研究アジェンダの変化についてを予定しているのですが、家事分担研究も重要なパートです。家事分担研究は、いくつかある家族社会学の流れの中でもかなり目立ったグループを形成しています。なかでも盛んなのは夫婦間の家事分担規定要因の研究(家事分担はどういった要因で決まるのか?)です。参考までに、日の夫婦の家事分担の現状を示すデータをご紹介しましょう。以下は、夫婦の家事時間の総量を100としたときのの分担割合(%)です*1。...というわけで、ごらんのとおりのありさまです。日の家事分担のへの偏りぶりは家族社会学界では周知の事実で、世界を見渡してみても、日の男はダントツで家事をしていません。このデータを見て、「そりゃ日の男はめちゃくちゃ働いているもん、無理もない」と思われるかもしれません

  • 東京大学教育学部教育学特殊講義「統治と生の技法」 - shinichiroinaba's blog

    実際にはこの日しゃべったことは拙著『「公共性」論』の要約だったりするわけだが。 「公共性」論 作者: 稲葉振一郎出版社/メーカー: NTT出版発売日: 2008/03/01メディア: 単行購入: 8人 クリック: 175回この商品を含むブログ (70件) を見る *「ネオリベラリズム」とは何か? フーコーは『生政治』において「ネオリベラリズムとは(マルクス主義同様)多様で多義的な立場である」と強調している。おそらくこのことは、わかっている人には自明だったのであり、ただそれがネオリベラリズム・ブームの中で見失われてしまったからに他ならない。 ウォルター・リップマン・シンポジウムやモンペルラン・シンポジウム、そしてモンペルラン協会といった、実体的な人脈によってそれなりの同一性はそこに保たれているものの、思想的に見れば「ネオリベラリズム」とは異質な立場、異質な思想の寄り合い所帯である。 最低で

    東京大学教育学部教育学特殊講義「統治と生の技法」 - shinichiroinaba's blog
  • 東京大学教育学部教育学特殊講義「統治と生の技法」 - shinichiroinaba's blog

    *フーコーの「リベラリズム」(承前) ただしフーコーは、アダム・スミスの系譜のみをリベラリズムと見なしているわけではないようだ。 公法に関する根的で質的な問題、それはもはや、十七世紀および十八世紀とは異なり、主権をどのようにして基礎づければよいのか、どのような条件のもとで主権者は正当でありうるのか、主権者はどのような条件のもとで自らの法権利を正当なやり方で行使することができるのだろうか、といったものではありません。そうではなくて、問題は、公権力の行使に対し、どのようにして法的な限度を設ければよいのかということです。図式的に言うなら、そのような練り上げに対して十八世紀末そして主に十九世紀初頭に二つの道が提案されました。まず、公理の道、法的かつ演繹的な道、と呼べるようなものがあります。これはある程度までフランス革命の道であり、これをルソーの道と呼ぶこともできるかもしれません。(中略)つまり

    東京大学教育学部教育学特殊講義「統治と生の技法」 - shinichiroinaba's blog
  • 東京大学教育学部教育学特殊講義「統治と生の技法」 - shinichiroinaba's blog

    今日はグダグダでしたすいません。 話したことと(いつも以上に)だいぶ違いますがあげときます。 *フーコーの「リベラリズム」(承前) フーコーによれば中世から17、18世紀までの、法権利による主権者の、その統治の制限が問題となっていた局面においては、統治の目標とはまさに統治の主体たる主権者の目標、主権者の欲望の宛先ということになるだろう。しかしそれが具体的には何を意味することになるかといえば、重商主義政治経済学、官房学、ポリス学等々の絶対王政下での新しい統治の知が教えるように国力、国富ということになる。重農主義・自由主義政治経済学もまたこの国富を主権者の、統治の目標として指し示す点において選ぶところはないが、その同じ目標を実現するための政策手段については、決定的に異見を唱えるわけだ。 目標と目標を遂行できる能力とは別物である。更にいえば、目標それ自体とその目標達成から主体の得る効用、利益もま

    東京大学教育学部教育学特殊講義「統治と生の技法」 - shinichiroinaba's blog
  • 東京大学教育学部教育学特殊講義「統治と生の技法」 - shinichiroinaba's blog

    *フーコーの「リベラリズム」 『安全・領土・自由』に続く『生政治の誕生』の主題はリベラリズムであるが、それはあくまでも「統治」として捉えられている。すなわちフーコーに従うならばリベラリズムとは「政治」であるよりは「政策」として理解されるべきなのである。 しかしもちろん近世絶対王政の「統治」とリベラリズムの「統治」との間にはある転換が見出されている。 中世を通じて、王の権力は結局、何を出発点として増大したのでしょうか。もちろんそれは、軍事力を出発点として増大しました。それはまた、司法制度を出発点とすることによっても増大しました。軍事システムによって二重化された司法国家の要石、司法システムの要石として、王は少しずつ、封建権力の複雑な作用を制限し、縮減したのでした。司法の実践が、中世全体を通じて王の権力を増大させたということです。ところで、十六世紀そしてとりわけ十七世紀初頭以来、新たな統治の合理

    東京大学教育学部教育学特殊講義「統治と生の技法」 - shinichiroinaba's blog
  • 面白い論文の書き方(その一) - 社会学者の研究メモ

    今回も教科書ネタ。 学生の論文には、読んでいて面白いものと、苦痛なもの指導しがいのあるものがあります。後者のような論文を書く学生は、論文についてこう考えていることが多いです。 興味のあることを見つけて、それについて文献を読み、それをまとめて、最後に自分の意見を書く。 こういう指導をされている先生方は意外に多いのではないかと思います(自分も昔はそうでした)。指導がラクだし。しかしこれは論文を書くときの方針にはなりませんし、してはダメです。 論文とは「研究成果」のアウトプットの1つです。少なくとも社会学における研究とは、解かれていない謎や決着のついていない問いを自分で見つけ出し、データ等の証拠を使ってそれに答えることです。(それ以外の論文もありますが、まず基を抑えないとダメです。)上記のダメ方針は、研究と単なる勉強を取り違えているのです。 研究の手順は標準的に教えられているもので十分です。

    面白い論文の書き方(その一) - 社会学者の研究メモ
  • 経済学で「正しい選択」を行うことは可能なのか?――経済学の最先端「マーケットデザイン」に刮目せよ! | 若手学者が激論する!-経済学・政治学・社会学のコラボレーションで日本を

    経済学が今「飛ぶ鳥落とす勢い」なのは、なにも不況というバックグラウンドだけが理由ではない。ゲーム理論の登場と発達を受け、経済学の最先端はどこまでも突き進んでいる。「若手最注目」として注目を集める経済学者・安田洋祐氏に経済学の最新キーワード「マーケットデザイン」とは何なのかを伺った。聞き手は、同じく気鋭の若手社会学者、西田亮介氏に務めていただいた。(進行・構成:荻上チキ) 最先端の経済学で学校を選ぶ時代? 西田:最近、経済学がなにかと話題になっています。僕は安田さんが研究されている「マーケットデザイン」については、(荻上)チキさんに紹介していただくまで寡聞にして「経済学の最先端」という程度の認識しかありませんでした。ですが、この機会に、いくつか資料を手に取ってみて、「合理的な政策立案にとても有効な手法ではないか」という印象を持ちました。そこでまずは、分野の概要と安田さんの研究について教えてい

  • アンケート調査にはスキルが必要です - 社会学者の研究メモ

    トロントとは関係ないネタですが。 社会調査や調査教育に携わったことのある人なら、調査票を作ることにはそれなりにスキルが必要だということを知っているはずです。調査スキルを持っていない人が作った調査票はしばしば深刻な欠陥を含んでいて、その結果得られたデータが学術的に全く使えないものになった、ということはよくあります。調査経験が豊富な学者が集まって慎重に検討した調査票にミスが含まれていることがあるくらいですから(私もミスの経験あります)、いわんや調査シロウトは、です。 問題は、アンケート調査という調査手法があまりに一般に普及しているために、学術的データを得る手段としての調査票作成も簡単にできるのではないかと勘違いしてしまう研究者がいる、ということです。ありがちな悲劇のシナリオとして、偉い学者さん(しかし調査経験はあまりない)が科研費をとり、予算消化しきれないので調査票調査をすることにして、そのと

    アンケート調査にはスキルが必要です - 社会学者の研究メモ
  • 東京大学教育学部教育学特殊講義「統治と生の技法」 - shinichiroinaba's blog

    今日はICレコーダーを忘れた。まあ録音したのをそのまま起こしても使い物にならないし、いいか。 *フーコーの「統治性」 まずは近世絶対主義の内政国家における統治の論理――フーコーの言葉でいう「統治性governmentality」「統治理性governmental reason」についてのフーコーの議論を確認しておこう。 フーコーにおける「統治」なる語の用い方には気をつけておかねばならない。すなわちフーコーによれば、国家は統治の唯一の主体などではないし、国家が統治の典型的な主体とみなされる時代は一時的な、過渡的なものに過ぎないということである。フーコーの考えるところでは統治は教会の「司牧」と同一の系譜に連なる営みであるわけで、更に我々はすぐさま「家政」の概念に行き当たる。フーコーが注目する古典主義時代の内政国家とは、いわば「国家の家政」の主体であったわけである。 話は少しそれるが、フーコー没

    東京大学教育学部教育学特殊講義「統治と生の技法」 - shinichiroinaba's blog
  • 社会学「再」入門 - もどきの部屋 education, sociology, history

    一般にイメージしがちな「社会学入門」書とは毛色が異なるけれども,広く人文社会科学の布置のなかに社会学という「発想」が生まれきたった由縁を示し,具体的な社会学の課題に接する入口にまで招待する,というこのの構成は正しく「社会学入門」の書だといえるでしょう.これ,いいと思う.他の分野との位置関係で特定の学問分野の発想の独自性を理解させるほうが,学部一年生とかとっつきやすいと思う. 方法論的個人主義/合理的主体モデルの社会科学(経済学とか)と対置される社会学の発想(第1部),社会学を胚胎した時代精神としてのモダニズムといった議論(第2部)を経由して「社会的に共有される意味・形式の可変性・多様性についての学問」としての社会学にいたる道筋(第3部).うまいですね.で,その「変容可能性」を予測し介入しようとする「工学的アプローチ」は社会学は苦手だと.将来の変化を予測するためには「同一不変と想定するしか

    社会学「再」入門 - もどきの部屋 education, sociology, history
  • [科学に佇む心と身体] - FC2 BLOG パスワード認証

    管理人からのメッセージ 某A社との契約を切られた関係で、大幅な更改を行わねば公開できない状態に陥った ため閉止しました。 ご連絡は http://sciencebook.blog110.fc2.com/ もしくは https://twitter.com/endBooks/

    shichimin
    shichimin 2009/06/22
    「文献辞典」シリーズおもしろうそうだな。
  • ソシオロジと社会学評論に見る社会学の方法のトレンド 1952--2008 | Theoretical Sociology

    阪口君と宮田さんに協力してもらって、ソシオロジと社会学評論の内容分析をしました。とりあえず報告書レベルの原稿ですが、公開します。pdfファイルなので、関心のある方は このリンク をたどってください。 Tweet

    ソシオロジと社会学評論に見る社会学の方法のトレンド 1952--2008 | Theoretical Sociology
  • 1