生活っていうのは、生きるって字を用いるのだなぁと認識したのは、つい最近のこと。終活と対比して、はっとしたのだ。 昨年は家の中にあるぬいぐるみを手放し、今年に入って手放そうと決めたのはセラミックヒーター。けっこうな図体なのだが、どうも使い勝手が悪くて使わずじまいになり、キッチンの隅に何年も置いてあったのを、これはもう使わないなと手放すことにした。 「これはもう使わない」と思うとき、あたまに「残りの人生で」というのが自然のっかってくる発想のめぐりがアラフィフというやつで、「一生使わない」とか「生涯使わない」とかいうのが言葉の綾でなくリアルな時間感覚として身に迫ってくるようになった。 と言って、もう何十年か生きるかもしれないし、そこのところの尺のかげんがまったく見当つかないのが、現代人の一人一人が負っている、すさまじい生き様である。 とにかく「使っていない、この先も使わない」ものは、一つひとつ手