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立花隆の検索結果1 - 40 件 / 55件

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立花隆に関するエントリは55件あります。 人生政治訃報 などが関連タグです。 人気エントリには 『立花隆さん死去 ジャーナリスト、評論家「田中角栄研究」 | 毎日新聞』などがあります。
  • 立花隆さん死去 ジャーナリスト、評論家「田中角栄研究」 | 毎日新聞

    多くの調査報道やベストセラーを発表し、「知の巨人」として知られるジャーナリストで評論家の立花隆(たちばな・たかし、本名・橘隆志=たちばな・たかし)さんが4月30日、急性冠症候群のため亡くなった。80歳。葬儀は故人と遺族の意思により家族葬で行われた。 1940年、長崎市生まれ。両親ともクリスチャンの家庭で育つ。教員だった父が赴任していた中国・北京で敗戦を迎えた。東京大文学部仏文科を卒業した64年、文芸春秋に入社し雑誌記者となるが66年に退社、フリーとなる。67年に東京大文学部哲学科に学士入学した。在学中から雑誌などにルポや評論などを発表。74年には月刊「文芸春秋」に「田中角栄研究 その金脈と人脈」を発表した。…

      立花隆さん死去 ジャーナリスト、評論家「田中角栄研究」 | 毎日新聞
    • 立花隆「後期高齢者になってはじめて人間は人間になるこの感覚は歳をとってみないとわからない」|賢人論。|みんなの介護

      立花隆氏は3万冊の本を読み、100冊の本を著した〝知の巨人〟である。1970年代、『文藝春秋』に発表した「田中角栄研究──その金脈と人脈」は当時の総理大臣を退陣に追い込み、1980年代後半から1990年代前半にかけて取り組んだ「脳死問題」に関する一連の著述は、あらためて死とは何かを日本社会に問いかけた。後期高齢者となってからも、がん、心臓手術を乗り越えた体験と最新脳科学の知見をもとに『死はこわくない』を上梓。それから5年──80歳を目前に今も健筆を振るい続ける立花氏に、現在の心境をうかがった。 文責/みんなの介護 60歳還暦を迎えてやっとスタート。70歳になって一人前 みんなの介護 立花先生は今年の1月にも新刊『知の旅は終わらない』を出版されました。失礼ながら、後期高齢者となってもいっこうに衰えを知らないその先生の執筆欲はどこから湧き上がってくるのでしょう? 立花 え?と、後期高齢者って何

        立花隆「後期高齢者になってはじめて人間は人間になるこの感覚は歳をとってみないとわからない」|賢人論。|みんなの介護
      • ネットを礼賛した立花隆の皮肉な運命

        立花隆にはいくつかネット関連の本がある。 基本的によくある「誰でも好きなことを発信できるのがすごい!」みたいなのだったけれど。 皮肉なことにネットによって立花隆みたいな「いっぱい本を読んでいるすごい評論家」みたいな人のプレゼンスは下がった。 調べたら出てくることにいくら詳しくても、それですごい人扱いされる空気はなくなった。 同じように価値が暴落した人に唐沢俊一や松岡正剛がいる。 彼らはいくら物知りでも、しょせんは二次情報の寄せ集めでしかないんだよね。 本だけの時代ならそれだけでも価値が出せたけど、ネット時代には無理。 立花隆を「知の巨人」扱いしている人も、ここ10年は全く見なかった。 だって、分野ごとに一次情報を持っている人が、自ら発信する時代だからね。 立花隆みたいなのはいくら情報を持ってようと、全部二次情報だから。 ラジオスターの悲劇みたいなものだろうか。

          ネットを礼賛した立花隆の皮肉な運命
        • ジャーナリスト・作家 立花隆さん死去 幅広いテーマ取材 | NHKニュース

          田中内閣退陣のきっかけになったと言われる「田中角栄研究」をはじめ、政治や科学、医療など幅広いテーマで取材や評論活動を行ってきたジャーナリストでノンフィクション作家の立花隆さんが、ことし4月、急性冠症候群のため亡くなりました。80歳でした。 立花隆さんは昭和15年に長崎市で生まれ、東京大学を卒業したあと出版社の文藝春秋に入社しました。 入社から2年余りで出版社を離れたあとも取材活動や記事の執筆を続け、昭和49年に現職の総理大臣だった田中角栄氏の金脈問題を膨大な資料を検証して追及した「田中角栄研究」を発表して大きな反響を呼び、田中内閣が退陣するきっかけになったと言われています。 その後も鋭い着眼点と徹底した取材をもとにしたルポルタージュを次々と発表し、扱うテーマも政治だけでなく、最先端の科学や医療、宇宙や脳死など多岐にわたり、「知の巨人」と称されました。 平成7年からは東京大学の客員教授を務め

            ジャーナリスト・作家 立花隆さん死去 幅広いテーマ取材 | NHKニュース
          • 立花隆さん、蔵書5万冊を譲渡 遺志で古書店に | 共同通信

            Published 2022/04/11 19:26 (JST) Updated 2022/04/11 19:33 (JST) 昨年4月に死去したジャーナリストで評論家の立花隆さんの5万冊を超える蔵書が、立花さんの遺志で古書店に譲渡されたことが11日分かった。妹で秘書だった菊入直代さん(77)に「『立花隆が持っていた本が欲しい人』でなく、本の内容そのものに興味がある人の手に渡るようにしてほしい」と言い残していた。 自身の名を冠した「文庫や記念館などの設立は絶対にしてほしくない」と厳命していたという。 「ネコビル」と呼ばれた東京都文京区の事務所は部屋と階段の壁面にびっしりと書棚が並んでいた。さらに周辺や大学に部屋を借り、書籍を保管していたこともあったという。

              立花隆さん、蔵書5万冊を譲渡 遺志で古書店に | 共同通信
            • 菅直人 衆議院議員 on Twitter: "今から47年前、立花隆さんが「日本共産党の研究」を文芸春秋で2年間連載した。共産党は激しく反発し、大きな議論を呼んだ。私もそれに倣って「日本維新の会の研究」の連載をツイッター上で始める。結論を先に述べると「日本維新の会とは中央集権… https://t.co/SCYWdrPj19"

              今から47年前、立花隆さんが「日本共産党の研究」を文芸春秋で2年間連載した。共産党は激しく反発し、大きな議論を呼んだ。私もそれに倣って「日本維新の会の研究」の連載をツイッター上で始める。結論を先に述べると「日本維新の会とは中央集権… https://t.co/SCYWdrPj19

                菅直人 衆議院議員 on Twitter: "今から47年前、立花隆さんが「日本共産党の研究」を文芸春秋で2年間連載した。共産党は激しく反発し、大きな議論を呼んだ。私もそれに倣って「日本維新の会の研究」の連載をツイッター上で始める。結論を先に述べると「日本維新の会とは中央集権… https://t.co/SCYWdrPj19"
              • 「数年以内に君たちは人生最大の失敗をする」立花隆が“6時間の最終講義”で東大生に語っていたこと | 文春オンライン

                ジャーナリスト・評論家の立花隆さんが、4月30日、80歳で亡くなりました。立花さんは1996年から東京大学駒場キャンパスでゼミを開講し、多くの教え子を各界に送り出してきました。その後、「立花ゼミ」は形を変えながら続けられましたが、2010年3月には立花さんが東京大学を退官。それから3ヶ月後の6月26日、立花さんは“最後のゼミ生”に向けて、実に6時間にも及ぶ最終講義を行っていました。 当時70歳だった立花さんが、次の世代に向けて残したメッセージとは――。講義の内容を収めた『二十歳の君へ』(文藝春秋)より、その一部を抜粋して紹介します。(全2回の1回目/後編に続く) ◆ ◆ ◆ 知の巨人、振り返る 『二十歳の君へ』は、もともと駒場祭の企画の延長として生まれたものですが、駒場祭のころはこの発想それ自体に、僕自身そんなに深くコミットしていたわけではありませんでした。二十歳前後の君たちへ何かを話した

                  「数年以内に君たちは人生最大の失敗をする」立花隆が“6時間の最終講義”で東大生に語っていたこと | 文春オンライン
                • 危険なニオイがするから…立花隆さんが残した取材資料の寄託が難航 匿名の情報源含まれれば公開にリスク:東京新聞 TOKYO Web

                  「知の巨人」と称されたジャーナリスト故・立花隆さんの取材資料の行き先が不透明になっている。4月に茨城県のテーマパークへの寄託が報じられたが、故人が遺志を明示していなかったため、相続人が判断しかねているという。「段ボール100箱分」とされる資料が廃棄されてしまえば、後進の研究者やジャーナリストの損失は計り知れず、交流のあった関係者は危機感を募らせる。(西田直晃) 都心から車で1時間半。茨城県筑西市の「ザ・ヒロサワ・シティ」の一室に、「ロッキード」と走り書きされたスクラップブック、「共産」と記された段ボール箱が積み上がっている。立花さんが残した取材資料の一部だ。「ネコビル」と呼ばれた都内の事務所から6月、運び込まれた。民法上の「寄託」の位置付けで、立花さん側に代わって保管する前提だった。 「彼は日本政治を変えた男だし、何より茨城から世に出た。全資料を保管し、いずれは公開したい」とシティを運営す

                    危険なニオイがするから…立花隆さんが残した取材資料の寄託が難航 匿名の情報源含まれれば公開にリスク:東京新聞 TOKYO Web
                  • 「知の巨人」立花隆のすべてがここに『知の旅は終わらない 僕が3万冊を読み100冊を書いて考えてきたこと』 - HONZ

                    立花隆といえば、誰がなんと言おうと言おうまいと『宇宙からの帰還』である。立花隆の最高傑作というだけでなく、日本のノンフィクションとして、他を全く寄せ付けない、世界に通用する空前絶後の作品だと断言できる。 1983年に出版されたその本以来、立花隆の本を何冊読んできたかわからない。それに、露出の多い人なので、ある程度のことは知っていると思っていた。しかし、この本を読んでみてわかった。ほとんど知らなかったということが。 単なる好奇心に満ちた「知の巨人」ではない。権力を恐れる必要はない、という教えをキリスト教徒であった母親から学んだ、こわいもの知らずの武闘派である。まずは、幼少期を北京で過ごした後、ただひたすら歩いた記憶しかない引き上げ体験が語られる。 あの体験の影響がすごく大きいと思うのは、その後の人生で、どんな大きな状況変化に出会っても、平気なんですよ。 小学校時代はIQテストでとんでもなく高

                      「知の巨人」立花隆のすべてがここに『知の旅は終わらない 僕が3万冊を読み100冊を書いて考えてきたこと』 - HONZ
                    • 日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」が立花隆の死を黙殺したらしい - kojitakenの日記

                      立花隆の訃報について記事を書いた時、私があの「知のなんとか」という形容を意識的に避けたことはいうまでもない。「なんとか」は普通名詞としては必ずしもNGワードではなく、あの語頭にアクセントがくる発音の固有名詞が邪悪であるに過ぎないが、それでもあの言葉を使うのは気分が悪いのだ。それに、立花隆には晩年オカルト的な傾向も強かったようだから、「知のなんとか」というよりは「巨大な混沌」*1の人だったという印象が強い。 どこかに「知の阪神」はおらんか。もしかして柄谷行人? — 仲俣暁生(thoughts, words and action) (@solar1964) 2021年6月23日 「知の阪神」を自称していた人間が一人いる。深見東州だ。奴は「進撃の阪神」と銘打って新聞に広告を出していたこともある。深見は本名を半田晴久といい、プロ野球・阪神タイガースの佐藤輝明と同じく、阪神甲子園球場がある兵庫県西宮

                        日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」が立花隆の死を黙殺したらしい - kojitakenの日記
                      • “少年老人”立花隆さん~私しか知らない「知の巨人」の素顔~ | NHK | WEB特集

                        「サイボーグ技術」「臨死体験」「がん」…。私が評論家・立花隆さんとともに制作した番組は、この17年間で17本に上る。 立花さんとの番組作りで世界を6周半くらい回りながら、何度も議論を重ね、楽しくお酒を飲み、時に怒られ、ジャーナリストとしてのあり方、ディレクターとしてのあり方、そして、人としての生き方にもかけがえのない影響を受けてきた。 立花さんが亡くなって3か月。私しか知らない素顔を伝えたい。 (仙台拠点放送局 シニアディレクター 岡田朋敏) 今でも忘れない光景がある。立花隆さんの仕事場である事務所、通称猫ビルを初めて訪ねたあの日のことだ。 チャイムを鳴らすと、秘書をされている妹さんが重い鉄製の扉を開けてくれた。私とプロデューサーは、彼女の後をついて狭いらせん階段を上っていった。コンクリートの打ちっぱなしの狭い階段沿いに本棚がびっしりと並んでいる。 2階の事務所で改めて秘書の妹さんにごあい

                          “少年老人”立花隆さん~私しか知らない「知の巨人」の素顔~ | NHK | WEB特集
                        • 「死を恐れるのは人間の本能です」10年前、立花隆が“最後のゼミ生”に伝えていたメッセージ | 文春オンライン

                          ジャーナリスト・評論家の立花隆さんが、4月30日、80歳で亡くなりました。立花さんは1996年から東京大学駒場キャンパスでゼミを開講し、多くの教え子を各界に送り出してきました。その後、「立花ゼミ」は形を変えながら続けられましたが、2010年3月には立花さんが東京大学を退官。それから3ヶ月後の6月26日、立花さんは“最後のゼミ生”に向けて、実に6時間にも及ぶ最終講義を行っていました。 当時70歳だった立花さんが、次の世代に向けて残したメッセージとは――。講義の内容を収めた『二十歳の君へ』(文藝春秋)より、その一部を抜粋して紹介します。(全2回の2回目/前編から続く) ◆ ◆ ◆ リアリティの皮相 人間、若いときほど死が怖いものです。 死を恐れるのは、人間の本能です。戦争の時代のような特殊な時代を除けば、死にいちばん近いのは老人です。若い人ほど死からは距離があります。僕のように70歳にもなると

                            「死を恐れるのは人間の本能です」10年前、立花隆が“最後のゼミ生”に伝えていたメッセージ | 文春オンライン
                          • 立花隆の『日本共産党の研究』がなければ野坂参三は共産党を除名されなかったのではないか - kojitakenの日記

                            立花隆などをめぐる日本共産党の件について。 特高の資料に依拠しているから立花はダメというのが、共産党側からの反論のようですね。どちらの言いぶんが正しいのか分かりませんが、その一点突破では根拠が弱いような気もします。特高のスパイを暴く目的で行われた「査問」だったという時代背景もありますが。 https://t.co/XJPH2K3Mg3 — 神子島慶洋⊿ (@kgssazen) 2021年6月24日 それをいうなら松本清張だって特高の資料にずいぶん依拠している。日本共産党が成長を批判しなかったのは、清張が共産党シンパだったからに過ぎない。 共産党についてよく覚えているのは、野坂参三が100歳になり、テレビ番組「徹子の部屋」にも出演したという1992年*1になって、ソ連のスパイだったことが発覚して除名された件だが、「週刊文春」の同年1992年9〜11月の連載で暴かれた。まず9月に名誉議長を解任

                              立花隆の『日本共産党の研究』がなければ野坂参三は共産党を除名されなかったのではないか - kojitakenの日記
                            • 立花隆も女性週刊誌のライターだったことの意味…商業主義と志のはざまで、日本のノンフィクションはどこへ行く?《保阪正康寄稿》(保阪 正康) @gendai_biz

                              立花隆も女性週刊誌のライターだったことの意味…商業主義と志のはざまで、日本のノンフィクションはどこへ行く?《保阪正康寄稿》 歴史から現代史を斬る マスメディアが描かない部分 前篇《いまあえて問う、佐野眞一の死が意味するものとは何か…ノンフィクションといジャンルの命運》で、日本のノンフィクション成立史に関わって、鎌田慧と立花隆の作品に触れました。 鎌田慧の『自動車絶望工場』は、鎌田自身がトヨタの下請工場で期間工として働いたことを元にした記録文学です。低賃金、劣悪な労働環境、荒む労働者の内面などが生々しくルポルタージュされていて、非正規労働問題や貧困問題がクローズアップされている現代でも、古びずに読まれ得る内容だと思います。 この作品が画期的だったのは、時代のなかでまだ明らかにされていない現実を書き記すために、鎌田が身を切る労働の現場に飛び込み、そこでの社会矛盾を伝えたことです。それは、いわば

                                立花隆も女性週刊誌のライターだったことの意味…商業主義と志のはざまで、日本のノンフィクションはどこへ行く?《保阪正康寄稿》(保阪 正康) @gendai_biz
                              • 立花隆さん死去 「日本よ、ムダ弾を撃てるか」 2003年のインタビューを再構成 - 日本経済新聞

                                ジャーナリストで評論家の立花隆さんが亡くなった。政治から脳、宇宙まで多彩なテーマを取材し続けた「知の巨人」は、21世紀の日本の競争力をどう考えていたのか。通称「ネコビル」の仕事場で半日近く話を聞いた。2003年のことだったが、当時の予測と心配はいま、ゾッとするほど的中している。インタビューは、立花さんに「リニアモーターカーに乗ったことある?」と逆質問されて始まった。「宝の持ち腐れだ」「山梨を

                                  立花隆さん死去 「日本よ、ムダ弾を撃てるか」 2003年のインタビューを再構成 - 日本経済新聞
                                • 元記者の立憲・安住氏「人生の目標、偉大だった」 立花隆氏を悼む | 毎日新聞

                                  元NHK記者である立憲民主党の安住淳国対委員長は23日、ジャーナリストで評論家の立花隆氏が死去したことについて「昭和時代にマスコミを目指した人間にとって、立花さんは人生の目標で、偉大な人だった」と悼んだ。 安住氏は、立花氏が1974年に月刊「文芸春秋」に発表した「田中角栄研究 その金脈と人脈」を大学…

                                    元記者の立憲・安住氏「人生の目標、偉大だった」 立花隆氏を悼む | 毎日新聞
                                  • “知の巨人” 立花隆さん 問い続けた「人間とは何か」 | NHKニュース

                                    「知の巨人」と称された立花隆さんが亡くなりました。 政治・経済、宇宙、人間の脳、生命科学、臨死体験、音楽。 理系・文系の垣根を越えて多岐にわたる執筆活動を続けた立花さん。 その業績からは「人間とは何か」という問いへの絶えることのない好奇心に突き動かされてきたことが見て取れます。その仕事の一部をたどりながら立花さんの足跡を振り返ります。 原点は“引き揚げ体験” 「あすどこへ行くか分からない」 立花さんは著書の中で自身の仕事や生涯を振り返る際、重要な意味を持った出来事として、幼少期から青年期のいくつかの体験を繰り返し挙げています。 その一つが幼くして体験した「引き揚げ体験」です。 1940年、長崎市に生まれた立花さんは2歳の時に教師をしていた父親の仕事の関係で中国 北京に移住。そのまま敗戦を迎えます。 5歳の立花さんは父と母、兄・妹とともに北京から山口県への引き揚げ船の出る天津の港まで、貨物列

                                      “知の巨人” 立花隆さん 問い続けた「人間とは何か」 | NHKニュース
                                    • 立花隆さんは「知を愛した哲学者」だった 佐藤優さん:朝日新聞デジタル

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                                        立花隆さんは「知を愛した哲学者」だった 佐藤優さん:朝日新聞デジタル
                                      • 《追悼》牛丼と立ち食いそばを愛した「知の巨人」…25年来の“書生”が見た立花隆さんの素顔 | 文春オンライン

                                        ジャーナリストで評論家の立花隆さんが、4月30日、80歳で亡くなりました。立花さんは東京大学などで教鞭を執り、多くのお教え子を各界に送り出す“先生”でもありました。『山中伸弥先生に、人生とiPS細胞について聞いてみた』等の著作で知られる、サイエンスジャーナリストの緑慎也さんも、教え子の一人です。 1996年に立花さんの講義を受講して以来、在学中はゼミ生として、その後は個人スタッフとして、“書生的な関係”で立花さんと接し続けてきた緑さんが振り返る、「知の巨人」の“意外な素顔”とは――。緑さんによる追悼原稿を掲載します。 ◆ ◆ ◆ 「ハムカツが80円だって」 麹町の旧日テレの近くにあるカレー屋に行った時のこと、立花さんがメニューを見て、不機嫌な表情を浮かべた。注文を取りに来た店員に「なんでこんなに高いの?」と食ってかかった。 紀尾井町の文藝春秋からも近く、筆者はその店に行くのは初めてだったが

                                          《追悼》牛丼と立ち食いそばを愛した「知の巨人」…25年来の“書生”が見た立花隆さんの素顔 | 文春オンライン
                                        • 立花隆さん死去 生前語っていた“知の巨人”の大量読書術「人間の脳は、すごいよ」 | AERA dot. (アエラドット)

                                          立花隆さん/2006年10月撮影(c)朝日新聞社 「読書とは、インプットではなく、スループットだ」 【写真】壁がすべて書棚に覆われ…立花隆さんの仕事場「知の要塞」が写ったAERAはこちら 4月30日に急性冠症候群のため死去していたことがわかったジャーナリストで評論家の立花隆さん(享年80)は、2001年7月9号の「AERA」で自身の読書のあり方をこう語っていた。 ときの首相の退陣につながった「田中角栄研究」などの調査報道があまりに有名だが、それ以外にも経済や医療や宇宙など、さまざまなテーマで次々とベストセラーを生んだ。 本を愛し、本に囲まれる生活を送っていた「知の巨人」の読書とは、いったいどのようなものだったのか。当時61歳だった立花さんの読書術を再掲する。 *  *  * 立花隆さんが、近著『ぼくが読んだ面白い本・ダメな本そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術』で、速読術を披露した。 「そ

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                                          • 「僕は学生時代、何度も自殺したいと思ってたんです」立花隆さんが生前語っていた“死の哲学” | 文春オンライン

                                            ジャーナリストで評論家の立花隆さんが、4月30日、80歳で亡くなりました。立花さんは『死はこわくない』『臨死体験』などの著作があり、安楽死や脳死など人間の死について取材を重ねたことでも知られています。その立花さんが出演された「NHKスペシャル 臨死体験 立花隆 思索ドキュメント 死ぬとき心はどうなるのか」について、週刊文春に語ったインタビューを再公開します。(全3回の2回目。1回目、3回目を読む) (初公開:週刊文春2014年11月6日号。記事中の肩書・年齢等は掲載時のまま) ◆ ◆ ◆ 死とは一体何なのか、いくら考えてもわからない ――前回は評判を博したNHKスペシャル『死ぬとき心はどうなるのか』に沿って、立花さんの「死は怖くない」というメッセージの意味を紹介しました。今回は、立花さんの死生観の変遷についてうかがいたいと思います。最初に死を意識したのはいつごろですか。 立花 中学生のとき

                                              「僕は学生時代、何度も自殺したいと思ってたんです」立花隆さんが生前語っていた“死の哲学” | 文春オンライン
                                            • 立花隆と考える、自然界との正しい向き合い方

                                              新興感染症の流行と相次ぐ異常気象。生態系への介入が引き起こす「自然の逆襲」が加速化している。私たちは自然とどのように付き合えばよいのか? 「知の巨人」立花隆氏は、デビュー作の中で「自然と折り合いをつけるために我々が学ぶべきものは、生態学(エコロジー)の思考技術だ」と投げかけている――。立花隆著『新装版 思考の技術』の一部を、再編集しお届けする。 エコロジーとは何か。本稿では、「善悪」の問題を通して考えてみたい。善悪とは、別に倫理学の命題ではない。原理的に善とは何ぞや、悪とは何ぞやということを問題にしようというのでもない。 自然界において、われわれが悪と呼び、善と呼んでいるものは、よく考えてみれば、たいへん恣意的な善悪でしかないということをいいたいのである。 自然はあるがままにある。全体としての自然の中には善も悪もない。自然の一部を切り取ってきて、そこに一つの座標軸をはめ込む。善悪が生じてく

                                                立花隆と考える、自然界との正しい向き合い方
                                              • 立花隆さんが死去 評論家、「田中角栄研究」 - 日本経済新聞

                                                「田中角栄研究」で脚光を浴び、脳や宇宙など多彩なジャンルを追究したジャーナリストで評論家の立花隆(たちばな・たかし、本名=橘隆志=たちばな・たかし)さんが4月30日に死去した。80歳だった。東京大仏文科卒。文芸春秋社を退社しフリーになった後の1974年、「田中角栄研究 その金脈と人脈」を発表、故田中角栄首相の金権政治の実態を明らかにし、首相退陣、ロッキード事件摘発のきっかけとなった。数多くの資

                                                  立花隆さんが死去 評論家、「田中角栄研究」 - 日本経済新聞
                                                • 【追悼】「立花隆最後の恋人」――編集者が明かす知の巨人の素顔(阿佐川 嗣人) @gendai_biz

                                                  ジャーナリストで評論家の立花隆さんが4月30日に逝去した。80歳だった。1974年、月刊『文藝春秋』に「田中角栄研究~その金脈と人脈」を発表し、ジャーナリストとして不動の地位を確立。政治、医療、宇宙、宗教など幅広い分野の問題を追究し、第一線を走り続けた。立花さんとゆかりのある編集者、阿佐川嗣人が故人を語る。 70歳頃からの「変化」 立花隆先生が亡くなった。 最後に電話でお話ししたのは亡くなる2年ほど前で、「あんたは相変わらず、社内で不遇で腐ってんの」と以前と変わらず、お元気な声に聞こえたが、ここ数年はあまり体調が良くないという噂も耳にしていたので、早くご挨拶に行かなければと思っていた矢先の訃報だった。 2009年、小沢一郎代議士の陸山会事件の頃までは、社会事件について積極的な発言を続けておられたが、70歳になった頃から、立花先生の変化を感じるようになった。 それをもっともはっきりと、目に見

                                                    【追悼】「立花隆最後の恋人」――編集者が明かす知の巨人の素顔(阿佐川 嗣人) @gendai_biz
                                                  • 立花隆さん死去 ジャーナリスト、評論家「田中角栄研究」(毎日新聞) - Yahoo!ニュース

                                                    多くの調査報道やベストセラーを発表し、「知の巨人」として知られるジャーナリストで評論家の立花隆(たちばな・たかし、本名・橘隆志=たちばな・たかし)さんが4月30日、急性冠症候群のため亡くなった。80歳。葬儀は故人と遺族の意思により家族葬で行われた。 【今年亡くなった方々】「5万回斬られた男」も 1940年、長崎市生まれ。両親ともクリスチャンの家庭で育つ。教員だった父が赴任していた中国・北京で敗戦を迎えた。東京大文学部仏文科を卒業した64年、文芸春秋に入社し雑誌記者となるが66年に退社、フリーとなる。67年に東京大文学部哲学科に学士入学した。在学中から雑誌などにルポや評論などを発表。74年には月刊「文芸春秋」に「田中角栄研究 その金脈と人脈」を発表した。首相だった田中氏の政治手法を入念な取材と裏付け調査で明らかにし、田中氏退陣のきっかけとなった。同企画は「調査報道の先駆」「雑誌ジャーナリズム

                                                      立花隆さん死去 ジャーナリスト、評論家「田中角栄研究」(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
                                                    • 「私自身、若い頃は、死が怖かった」“臨死体験”を取材した立花隆さんが伝えたい、人間が“死んでいく”ときの気持ち | 文春オンライン

                                                      ジャーナリストで評論家の立花隆さんが、4月30日、80歳で亡くなりました。立花さんは『死はこわくない』『臨死体験』などの著作があり、安楽死や脳死など人間の死について取材を重ねたことでも知られています。その立花さんが出演された「NHKスペシャル 臨死体験 立花隆 思索ドキュメント 死ぬとき心はどうなるのか」について、週刊文春に語ったインタビューを再公開します。(全3回の1回目。2回目、3回目を読む) (初公開:週刊文春2014年10月30日号。記事中の肩書・年齢等は掲載時のまま) ◆◆◆ 数多く寄せられた「ありがとう」 私が案内役として出演した「臨死体験 死ぬとき心はどうなるのか」(9月14日放送)は、視聴率約11%を獲得しました。NHKスペシャルとしては高い値です。放送直後からNHKに再放送の要望が多数寄せられ、私の個人事務所には、放送から1カ月以上経った今も毎日、感想の手紙が送られてきて

                                                        「私自身、若い頃は、死が怖かった」“臨死体験”を取材した立花隆さんが伝えたい、人間が“死んでいく”ときの気持ち | 文春オンライン
                                                      • (3ページ目)「数年以内に君たちは人生最大の失敗をする」立花隆が“6時間の最終講義”で東大生に語っていたこと | 文春オンライン

                                                        失敗とも関係があることなのですが、もうひとつ予言できることは、これから数年以内に、君たちは次から次に予期せぬ事態にまきこまれて、充分な準備ができないうちに、大きな決断を下すことを何度も何度も迫られるということです。20代というのは、そういう年齢なのです。状況に迫られて、やむを得ざる決断を次々に下していくうちに、人生の大まかな地図が描かれてしまうのが20代だということです。準備万端ととのえた上で、人生の大きな曲がり角に差しかかることができる人はほとんどいません。準備不足は人生の常です。したがって失敗もまた人生の常です。ということは、必要以上に失敗を恐れることはないということでもあります。失敗は成功のもととはよく言ったもので、適切な失敗の積み重ねがない人には、将来の成功は訪れて来ないということも、ここで同時に言っておこうと思います。 というわけで、適度な失敗は大いに歓迎に値するものでしょうが、

                                                          (3ページ目)「数年以内に君たちは人生最大の失敗をする」立花隆が“6時間の最終講義”で東大生に語っていたこと | 文春オンライン
                                                        • 「葬式にも墓にもまったく関心がありません」80歳で逝去・立花隆さんが語っていた「理想の死に方」 | 文春オンライン

                                                          「あと1年くらいに」的な発言はよくしているんですよ ――2007年(平成19年)暮れ、立花さんは膀胱がんの診断を受けています。切除手術が行われる数日前、電話をかけてこられて「俺の寿命はあと1年くらい」とおっしゃった。 立花 そんなこといったっけ(笑)。 ――ええ、サラッとした調子で。あのときは死を意識していたんですか? 立花 そうなんでしょうね。でも、それまでも「あと1年くらいに」的な発言はよくしているんですよ。 ――手術は無事に終えられて、それから7年がたちますが、再発の可能性はあるんですか。 立花 あることはあります。一般的には、治療によってがんが消えた後、5年経過すれば患者はがんを克服したサバイバー(生存者)と見なされます。しかし、膀胱がんの場合、再発率が高く、5年経過してもサバイバーにカウントされません。僕も、手術後7年経ちますが、ついこの間、医者から「再発の可能性がある」といわれ

                                                            「葬式にも墓にもまったく関心がありません」80歳で逝去・立花隆さんが語っていた「理想の死に方」 | 文春オンライン
                                                          • 立花隆氏逝去。有名な「反プロレス論」含め、功罪を振り返る。 - INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

                                                            立花隆氏が亡くなった。謹んでお悔やみ申し上げます。 そしてこれ音声入力してるんだけど、たちばなたかし と発音すると、なんとかから国民を守るなんとかの党首になっちゃうところが令和の悲しさである(笑) 立花隆さんの、どちらかといえば後年の仕事となる科学ノンフィクションというのは、なんとなく…いわゆる色気というのか雰囲気というか味というのか、そういうのが自分とやや合わず、読むけど毎回のように読み直すというものではないんだよね。それでも重要と言うか、特にそのステータスと相まって、この人が「脳」とか「サル学」とか「臨死」とか、そういうテーマを設定すると、メディアや文化界の知的状況が、その話題で持ちきりになるという「アジェンダ・セッティング」を起こす人物という、そういう重要性があったと感じています。 サル学の現在 上 (文春文庫) 作者:立花 隆文藝春秋Amazonサル学の現在 下 (文春文庫) 作者

                                                              立花隆氏逝去。有名な「反プロレス論」含め、功罪を振り返る。 - INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-
                                                            • 「年齢学歴不問・主婦可」・『立花式読書論、読書術、書斎術 ぼくはこんな本を読んできた/立花隆』感想、レビュー - 簡単に暮らせ

                                                              著名人の読書論系本が好物です。 この本は、「知の巨人」と呼ばれる著者の読書論が詰まった本です。 読書論のほか、最も興味を引いたのは、著者が新たに秘書を1名採用したときにエピソードです。 立花式読書論、読書術、書斎術 ぼくはこんな本を読んできた (文春文庫) はじめに いわゆる「秘書問題」があります。この状況の著者はまさに、今回読んだ本には、「秘書問題」を地で行く話題が掲載されていて興味深く読みました。 「知の巨人」の秘書1名をどうやって採用したのか 実際は「秘書問題」同様の採用をしたわけではないのですが、一連のエピソードは興味深かいものでした。 だれかを雇う際の基準は、その人のコアな部分が現れると思います。 著者が秘書を採用した時のエピソードが興味深かった理由 「知の巨人」の価値観がわかる これほどの人の秘書を務めるのはどんな人物かを知りたいという好奇心 どうやって秘書を選ぶのか過程と結果

                                                                「年齢学歴不問・主婦可」・『立花式読書論、読書術、書斎術 ぼくはこんな本を読んできた/立花隆』感想、レビュー - 簡単に暮らせ
                                                              • 「立花 隆」のつくられ方 - king-biscuit WORKS

                                                                *1 メディアが英雄を作り出す手癖、というのがあります。 英雄、というのが大げさならば、うっかりとあらぬところに人を祭り上げてしまうからくり、とでも言い換えてもいいでしょう。 何も今に限ったこっちゃない。人が言葉と意味の動物であることを始めた昔から、あらゆる英雄は語られる存在としてあり続けてきました。それはマスメディアの濃密に張りめぐらされた〈もうひとつの自然〉となったいまどきの情報環境に生きるあたしたちとて、例外ではない。 かくいう立花隆センセイも、今やそういう同時代の英雄のひとりです。 なにせ、「知の巨人」であります。政治から先端科学までを手あたり次第に網羅する何でもありな好奇心に、それを支える日々倦むことなきものすごい読書量を誇る日本屈指のおベンキョ屋。この世知辛いご時世に筆一本であっぱれおっ立てた自前の鉛筆ビルは壁一面に黒猫の顔をあしらったファンシーなもので、中身はあまたの書物と資

                                                                  「立花 隆」のつくられ方 - king-biscuit WORKS
                                                                • 『田中角栄研究』に人生を狂わされた娘が、立花隆さんと対峙した夜

                                                                  きまた・せいごう/大阪キリスト教短大客員教授 元岐阜女子大学副学長、元週刊文春・月刊文芸春秋編集長。1955年京都市生まれ。78年早稲田大学政治経済学部政治学科卒、同年文芸春秋入社。『週刊文春』『文芸春秋』の編集長を経て、2015年常務取締役、18年退社。現在、大阪キリスト教短大客員教授を勤める。関わった主な記事は、江川紹子との坂本弁護士失踪事件追及、野坂参三密告の手紙、少年Aこの子を生んで、ジャニーズ追及キャンペーン、田中真紀子秘書給与疑惑、村木厚子独占手記、田中角栄の恋文、尾崎豊の遺書など多数。著書に『文春の流儀』。 文春は、お嫌いですか?元編集長の懺悔録 元週刊文春、月刊文芸春秋編集長が明かす週刊誌報道の舞台裏。記者たちの奮闘ぶりはもちろん、権力との対峙から文豪の素顔まで、40年間の文春での日々を赤裸々に振り返ります。 バックナンバー一覧 文芸春秋に入社して2018年に退社するまで4

                                                                    『田中角栄研究』に人生を狂わされた娘が、立花隆さんと対峙した夜
                                                                  • 分野も時間も軽々越えた「知の巨人」 立花隆さんが残したもの | 毎日新聞

                                                                    「知の巨人」と評されたジャーナリストで評論家の立花隆さんが亡くなった。理系と文系、過去や現代、未来といったテーマの垣根を軽々と越えた60年に及ぶ活動が残したものは大きい。 戦闘の体験はないが、戦争への関心は高かった。幼いころの鮮明な記憶は、中国からの引き揚げだ。教員だった父親の赴任先、北京で敗戦を迎えた。5歳の立花少年は引き揚げの旅路で大人用のリュックを背負わされた。先を行く大人について行くのがつらく、「置いてけぼり」になりかけたという。 また長崎生まれで、原爆には思いがあった。東京大在学中の1960年には、英国・ロンドンで開かれた「学生青年核軍縮国際会議」に招かれ欧州に渡った。新藤兼人監督の映画「原爆の子」や関川秀雄監督の「ひろしま」、土門拳の写真集「ヒロシマ」などを持参し、各地で上映会などを開いた。

                                                                      分野も時間も軽々越えた「知の巨人」 立花隆さんが残したもの | 毎日新聞
                                                                    • 「知の巨人」立花隆の書棚に写った「殺伐」の正体(薈田 純一)

                                                                      作家・評論家・ジャーナリストとして活躍した立花隆さんが急逝してまもなく1年――。10万冊とも言われる膨大な蔵書が収められた立花さんの書棚を1年半にわたって撮影し続け、さらに2年近くをかけて『立花隆の書棚』にまとめた写真家の薈田(わいだ)純一氏が、2022年4月に「追悼 立花隆の書棚展」を開催することになった。その薈田氏が、撮影当時、立花氏の書棚に感じたという「殺伐とした」雰囲気とは、はたして何だったのか――。特別寄稿。 「書棚」には所有者の性格が現れる 私は「書棚」を撮影テーマの一つにしている。正確に言えば「書棚がもつ個性」である。写真家である私にとって理想的な書棚の写真、それは、棚に納まる各本の背表紙、書棚の質感や全体像がリアルに味わえるような一枚だ。さらに、持ち主の癖や性格のようなものまで写せたならば、それはとても上手く撮れた写真ということになる。 日本の推理小説のパイオニア江戸川乱歩

                                                                        「知の巨人」立花隆の書棚に写った「殺伐」の正体(薈田 純一)
                                                                      • 知ることに終わりはない 〜立花隆さんからのメッセージ~ - NHK クローズアップ現代 全記録

                                                                        “知の巨人"立花隆さんは亡くなる前、膨大な音声や原稿などの秘蔵資料を、NHKディレクターに託していた。そこには、次世代の若者たちに向けた「どう生きるか」という問いかけが数多く残されていた。理系・文系という垣根を越え、縦横無尽に活動してきた立花さん。晩年、自分の足元を「知る」ことが弱体化していく日本の姿を憂えていた。ジャーナリスト・田原総一朗さん、ノーベル賞受賞者の利根川進さんら、旧知の人たちの貴重な証言を交えながら、立花さんが私たちに遺すメッセージに迫る。 ※放送から1週間は「見逃し配信」がご覧になれます。こちらから

                                                                          知ることに終わりはない 〜立花隆さんからのメッセージ~ - NHK クローズアップ現代 全記録
                                                                        • 「田中角栄で10年損」の真意 編集者が見た立花隆さん:朝日新聞デジタル

                                                                          ","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"

                                                                            「田中角栄で10年損」の真意 編集者が見た立花隆さん:朝日新聞デジタル
                                                                          • 立花隆さん資料100箱、茨城へ 田中元首相関連ノートなど寄託|全国のニュース|京都新聞

                                                                            立花隆さんが「田中角栄研究」「日本共産党の研究」などの著書執筆に使ったとみられる取材ノートなどの資料が、茨城県筑西市のテーマパーク「ザ・ヒロサワ・シティ」に寄託されることが11日までに固まった。段ボール約100箱分あり、保管や展示方法などについて今後、遺族と協議される。 寄託されるのは自筆の原稿や年表、チャート図、ロッキード事件の裁判資料や共産党の機関紙「赤旗」など。スクラップ帳、テレビの出演番組や大学での講義の映像、講演の発表資料作成ソフトのデータ類に加え、小学生時代からの作文、ノートや創作作品、写真、手紙なども含まれる。 東京都文京区の事務所3階の書斎に置かれていた机や椅子、簡易ベッドなども移され、書斎の雰囲気を再現することも検討されている。 立花さんは小中高校時代を水戸市で過ごした。当時の同級生が「ザ・ヒロサワ・シティ」を運営する実業家広沢清氏を遺族に紹介した。広沢氏は「貴重な資料の

                                                                              立花隆さん資料100箱、茨城へ 田中元首相関連ノートなど寄託|全国のニュース|京都新聞
                                                                            • 「知りたがりモンスター」の脳をパカッと開けて見てみたい…!元ゼミ生のディレクターたちが語る立花隆の教え|NHK取材ノート

                                                                              「知りたがりモンスター」の脳をパカッと開けて見てみたい…!元ゼミ生のディレクターたちが語る立花隆の教え 「ゾウの糞ってどれくらいでかいの?」 立花さんのことばで一番覚えているのは、これ。 当時、大学の農学部生だった私は研究室の関係で、上野動物園でゾウの糞を洗うというバイトをしていた。 確か野生のゾウが植物の種をどれだけ遠くまで運ぶかを検証するべく、ゾウが木の実を食べた後、何時間後に糞に種が出てくるかを調べるという研究だったような・・・それでゾウの糞に入っている種を見つけ出すため、糞をひたすらシャワーで洗い出すというバイトだった。 それを立花ゼミのブログに書いたら次に会ったとき、立花さんから質問攻めに遭った。 「ゾウの糞ってどれくらいでかいの?」 「糞には何が入ってるの?」 「においはするの?」 他にもゾウの糞についてあれこれ聞かれた気がするけど、実は詳しく覚えてない。でも食いつき具合がすご

                                                                                「知りたがりモンスター」の脳をパカッと開けて見てみたい…!元ゼミ生のディレクターたちが語る立花隆の教え|NHK取材ノート
                                                                              • コロナ大流行と相次ぐ異常気象…日本人が「自然の逆襲」を乗り越える方法(立花 隆) @gendai_biz

                                                                                新興感染症の流行と相次ぐ異常気象――。生態系への介入が引き起こす「自然の逆襲」が加速化している。私たちは自然とどのように付き合えばよいのか? 「知の巨人」立花隆さんは、デビュー作『思考の技術』の中で、私たちに重要なヒントを教えてくれている。「自然と折り合いをつけるために我々が学ぶべきものは、生態学(エコロジー)の思考技術である」と。 生態学とは「自然の叡知」である。50年間読み継がれた名著が私たちに伝えるものとは? 自然界に充満する生命力 あらゆる生物は、環境に働きかけて、自分に適した環境を作り出そうとする。なにをもって適した環境というかといえば、個体としては生育、種としては繁殖の度合いによってはかられる。つまり、どんどん育って寿命が伸び、子孫がどんどんふえていくということが、生物学的な成功である。 しかし、あらゆる生物にとって、完全な最適条件が現出したら、大変困ったことになるのである。と

                                                                                  コロナ大流行と相次ぐ異常気象…日本人が「自然の逆襲」を乗り越える方法(立花 隆) @gendai_biz
                                                                                • 立花隆 没後1年「田中角栄研究」の取材日誌 武藤旬(文藝春秋第一文藝部)|文藝春秋digital

                                                                                  取材期間は約3週間。総理を追い込んだ「調査報道」には苦い挫折もあった。/文・武藤旬(文藝春秋第一文藝部)噂でしかなかった『田中角栄金脈』その色褪せたB5判ファイルの表紙には、「取材日誌 田中角栄研究(昭和)49年11月号」とある。記したのは、立花隆が執筆した「田中角栄研究―その金脈と人脈」で取材班キャップを務めた、白石勝(当時34、のち文藝春秋社長。2015年死去)である。 「今回編集部の求めに応じて、父の書斎を探したところ、クローゼットの戸棚に時代順に並べられた書類の中に、『田中角栄研究』に関連した資料一式の入った手提げ袋がありました」(白石の長男・郷ごう氏) 手提げ袋の中に眠っていた未公開ファイルには、日本における調査報道のさきがけとなった「田中角栄研究」の舞台裏が克明に記されていた——。 立花隆(享年80)が世を去って1年になる。その多岐にわたる業績の中でも、「田中角栄研究」は、立花

                                                                                    立花隆 没後1年「田中角栄研究」の取材日誌 武藤旬(文藝春秋第一文藝部)|文藝春秋digital

                                                                                  新着記事