詩誌「母音」を創刊し、多くの詩人を育てた医師で詩人の丸山豊氏(1915~89)が久留米大に寄贈した蔵書の一部を公開し、詩作をたどる企画展「丸山豊と『母音』」が、久留米市御井町の同大御井図書館で開かれている。同大文学部の主催で入場無料。3月24日まで。 丸山氏は広川町生まれ。久留米市の旧制中学明善校時代から詩人野田宇太郎氏(小郡市出身)と詩誌を刊行するなど詩作に励んだ。九州医学専門学校(現久留米大医学部)卒業後、戦後は久留米市で開業医の傍ら、現代詩の代表的存在として活躍。海外でも1967年にフランスの詩人ルイ・アラゴン主宰の「文学」誌上で「十人の日本詩人」として紹介された。後進育成にも尽力した。 企画展は丸山氏の功績を紹介するパネルとともに、2004年12月に遺族から寄贈され、御井図書館筑後文化資料室に所蔵された約8千点のうち、約70点を展示。補修や整理に時間を要していたため、今回ほとん
今年のノーベル文学賞の受賞が決まった米国のシンガー・ソングライターのボブ・ディランさんに関する書籍の展示「ボブ・ディランを読む」が、金沢市角間町の金沢大中央図書館で開かれている。元国際ポピュラー音楽学会長の三井徹同大名誉教授が寄贈した洋書がメイン。同館によると、ディランさんにまつわる洋書の蔵書数は全国の図書館でも有数だ。二十一日まで。 三井名誉教授は所蔵していた洋書七十六冊を寄贈。図書館の蔵書の和書など十四冊と合わせた九十冊を展示している。ディラン研究の代表作である「ソング・アンド・ダンスマン」もあり、ディランさんの世界観に触れることができる好機となっている。 一九七一年に発刊されたディランさんの初めての著作「タランチュラ」は、注目を浴びる一冊。三井さんが、洋書の書評を連載していた雑誌「ミュージック・マガジン」でこの本について書いた考察も掲げられている。 作品が、英文のピリオドを省略したり
■戦時下中国で日本語文学活動 現吉野町に生まれ、日中戦争開戦後に兵士として中国に渡った詩人、池田克己(かつみ)(1912~53年)にスポットを当てた初の展示会が、奈良大学図書館(奈良市)で開かれている。池田は上海で日本語文学活動の中心的役割を果たし帰国後も活躍したが、40歳で亡くなった。木田隆文・同大准教授(日本近代文学)は「池田克己という詩人の存在、戦争と文学の複雑な関係性を知ってほしい」としている。 池田克己は20代前半で処女詩集を出版。詩誌「豚」も創刊し、若手詩人グループとして全国的に注目された。兵士として上海に渡ったが、現地で日本語文学活動を展開。上海文学研究会を結成し、「上海文学」を創刊して詩を発表した。当時は詩人の草野心平、高見順、小説家の武田泰淳らとも交流。だが戦時下のため日本の支配政策と関わらざるを得ず、活動は複雑な状況にあったという。 終戦後は、上京して出版社に入社。詩誌
江戸中期の俳人で俳画を確立した与謝蕪村(よさぶそん、1716~83)の、これまで知られていなかった俳句212句を収めた句集が見つかった。天理大付属天理図書館(奈良県天理市)が14日発表した。句集の存在は戦前から知られていたが、長らく所在不明だった。 蕪村は松尾芭蕉、小林一茶と並び称される江戸期の俳人だが、これほど多くの俳句が一挙に見つかるのは極めて異例だ。 見つかったのは、蕪村存命中に門人がまとめた「夜半亭(やはんてい)蕪村句集」(夜半亭は蕪村の俳号のひとつ)の写本2冊。 図書館が4年前に書店から購入… この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 この記事は有料会員記事です。
江戸時代中期の俳人、与謝蕪村(1716~83年)の俳句集「夜半亭蕪村句集(やはんていぶそんくしゅう)」に未確認の俳句212句が掲載されているのが分かり、所蔵する奈良県天理市の天理大付属天理図書館が14日発表した。 図書館は「一度にこれだけ多くの句が見つかるのは驚き。今後の蕪村研究を進める上で貴重な資料だ」としている。 句集は長く所在不明になっていたが、図書館が4年前に古書店から購入。研究の結果、蕪村が生涯に詠んだとされる約2900句にはない、未確認の句が多数掲載されていた。 新発見の句は、ぼろぼろの傘をお化けに見立て、破れ目から月が見えることを詠んだ「傘(かさ)も化(ばけ)て目のある月夜哉」など、ユーモアと風情が織り交ぜられているのが特徴という。
旧制松本高校(長野県松本市)で学び、当時の様子を「どくとるマンボウ青春記」に記した作家の北杜夫さん(1927~2011年)の蔵書のうち一千冊近くが、同校を前身とする信州大(本部・松本市)に寄贈されることになった。北さんの長女でエッセイストの斎藤由佳さん=東京=が信大側に申し出た。信大は松本キャンパスにリニューアルする付属中央図書館に「北杜夫文庫」と名付けたコーナーを設け、学外の一般の人でも閲覧できるようにする方針だ。 斎藤さんによると、寄贈する蔵書は、東京都世田谷区の北さんの自宅で保管していた。北さんの小説「岩尾根にて」で45冊しか出版されなかった限定本や、旧制松高の先輩で親交が深かった作家の辻邦生さん(1925~99年)らが、自著の刊行時にサインして北さんに贈った本などがある。北さんが県内の山岳風景を描いたとみられる水彩画1点も含まれる。 近く発行される信大広報誌の対談企画が4月に行
江戸文学研究の第一人者として活躍する中野三敏・九州大名誉教授が収集した書籍の展示会「雅俗繚乱(がぞくりょうらん)―中野三敏 江戸学コレクションの世界―」が11日、福岡市東区の九州大箱崎キャンパス・中央図書館で始まった。当時の印刷技術や風俗などを知るうえで貴重な約70点を展示。16日には中野名誉教授らによる講演会もある。 コレクションは、和歌や漢詩などの伝統的な文化「雅」に分類されるものと、俳諧や小説などの新しい文化「俗」との計約6000点からなり、「雅俗文庫」と呼ばれている。大半が同大に寄贈されたもので、約70点というまとまった数での紹介は初めてとなる。 展示は3部構成で、第1部の「文芸のかたち」では、漢詩や俳諧、読本(よみほん)が並ぶ。巻頭に口絵を載せて主要人物を掲載する当時としては新しいスタイルをとった読本「『忠臣水滸伝』前編」(山東京伝著、北尾重政画)などが展示されている。第2部「書
文豪夏目漱石(1867~1916年)が晩年を過ごした「漱石山房」の一部再現を含む「漱石山房記念館(仮称)」の開館を目指す東京都新宿区の職員が、仙台市青葉区の東北大付属図書館を訪れた。同図書館が所蔵する「漱石文庫」の蔵書の調査、撮影が目的。写真を基に書棚の一部を再現する。太平洋戦争中に仙台に「疎開」して戦火を免れ、まとまった形で大切に保管されてきた本が生かされる。 新宿区によると、漱石は07~16年、同区早稲田南町にあった山房で暮らした。山房は45年に空襲で焼失したが、蔵書は前年までに、付属図書館長で漱石のまな弟子だったドイツ文学者小宮豊隆の尽力で同図書館に寄贈された。蔵書3000冊、手帳などの資料700点が保管されている。 記念館は、山房跡に立つ区営住宅跡地に2017年2月に開館する予定。山房の書斎(約10畳)と客間(同)、ベランダ式回廊を再現するほか、展示室などを設ける。 書斎には
2014年10月17日、法政大学図書館が、正岡子規文庫デジタルアーカイブを開設し、同館が所蔵する正岡子規文庫の一部をデジタル化公開したことを発表しました。同文庫は、2,000点を超える正岡子規の旧蔵書で構成され、子規の自筆ノートなども含まれているとのことです。 正岡子規文庫デジタルアーカイブを開設しました(法政大学図書館, 2014/10/17) http://www.hosei.ac.jp/library/NEWS/topics/141017_01.html 正岡子規文庫デジタルアーカイブ http://www.hosei.ac.jp/library/collection/kichosho/shikibunko.html
江戸時代の禅僧で、和歌や漢詩、書の大家でもあった良寛(1758~1831)が知人にあてた手紙が天理市の天理大学付属天理図書館で見つかった。10月19日に始まる記念展で初公開される。 故郷の越後で暮らしていた文政期に書かれたと見られ、近くに住む親戚で酒造業を営んでいた山田杜皐(とこう)あての短い礼状。詳細は不明だが、薬をもらった礼と乳母の件についての依頼は申し伝えたと用件のみを簡潔に記している。細くやわらかい文字で、縦16センチ、横26センチの小さな紙いっぱいに書かれている。筆跡や内容などから真筆と判断された。 良寛は地位のある人からの書の依頼は断ることもあったが、身近な人の善意への礼状は数多く残っており、書状全体の3割以上を占めるという。 天理図書館は、国宝や重要文化… こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く