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政治と教育とliteracyに関するwackunnpapaのブックマーク (5)

  • E1889 – 主権者教育と学校図書館:スコットランドの場合<文献紹介>

    主権者教育と学校図書館:スコットランドの場合<文献紹介> Lauren Smith. Information literacy as a tool to support political participation. Library and Information Research. 2016, 40(123), p. 14-23. 2015年6月,公職選挙法が改正され,第24回参議院議員通常選挙の公示日(2016年6月22日)以降の選挙から,選挙権年齢が18歳以上に引き下げられた。それにあわせ,図書館界では,関連書籍の展示や模擬投票の実施,生徒会図書局主催の意見発表会の開催,期日前投票所の設置などといった様々な形で学生,生徒を対象とした取組が行われた。 世界に目を転じると,スコットランドでも,英国からの独立を問う住民投票(2014年9月)では16歳以上の住民に投票権が与えられ,スコット

    E1889 – 主権者教育と学校図書館:スコットランドの場合<文献紹介>
  • 三笠宮さま葬儀:彬子さま 学究の道「祖父いたから」 | 毎日新聞

    100歳で亡くなられた三笠宮さまの葬儀は、孫の彬子(あきこ)さま(34)が喪主代理を務め、喪主の三笠宮妃百合子さま(93)を支えられている。彬子さまは女性皇族として初めて博士号を取得し、学者として日美術史の研究を続ける。これまでの毎日新聞の取材に「学者である祖父の存在があったからこそ今の私がある。このことを忘れたことはありません」と三笠宮さまへの尊敬の思いを語っていた。 彬子さまは、三笠宮さまの長男で「ヒゲの殿下」として知られた故・寛仁さまの長女。学習院初等科時代から、疑問が浮かぶと同じ赤坂御用地(東京都港区)内に暮らす三笠宮さまの自宅を訪れたことがあったという。

    三笠宮さま葬儀:彬子さま 学究の道「祖父いたから」 | 毎日新聞
  • マツダ先生(仮名)の思い出、あるいは議論の仕方を習ったことのない人はやっかいだということ - みやきち日記

    あたしが小学5〜6年生だったときの担任・マツダ先生(仮名)は、クラスで話し合うとき生徒にたったひとつのルールを課しました。そのルールとは、「意見を言うときは、必ず理由を言わなければならない」というもの。これは鉄の掟で、例外は許されませんでした。今にして思うとこれはすばらしい教育で、あたしはマツダ先生にものすごく感謝しています。 このルール下だと、「今度クラスのレクリエーション時間でどんなスポーツをやるか」なんて議題で話し合うとき、ただ各自で 「バスケがいいでーす」 「ソフトボールがいいでーす」 「ドッジボールがしたいでーす」みたいに提案だけしていきなり採決ってのはダメなわけ。提案するには、絶対に「なぜ自分はクラスでこのスポーツをやるのがいいと思うのか」を言わなきゃいけないんです。 そうなってくると、「自分がバスケが好きだから」クラス全体でバスケをするべきだなんて言えないわけですよ。いくら小

    マツダ先生(仮名)の思い出、あるいは議論の仕方を習ったことのない人はやっかいだということ - みやきち日記
  • 小5授業で「イスラム国」遺体画像 名古屋市教委、謝罪:朝日新聞デジタル

    名古屋市東区の市立小学校で5年生の社会科の授業中、過激派組織「イスラム国」に殺害された日人男性とみられる遺体が映った画像を、20代の女性担任教諭が児童らに見せていたことがわかった。市教育委員会は5日、「不適切だった」と謝罪した。 市教委によると、教諭は3日午後の授業で静止画像2枚を教室のテレビに映した。人質となった湯川遥菜(はるな)さん(42)とみられる遺体と、後藤健二さん(47)とみられる男性が覆面姿の男の隣でひざまずいたもの。「イスラム国」がネット上に公開したとみられる映像の一部を切り取り、ぼかすなどの修整はなかった。 校長によると、授業のテーマは「情報化が進むことによる利点と問題点」。東日大震災後、見る人の心的苦痛を考え津波の映像を流さない放送局もあったが、報道で支援が広がったなどと教諭は説明し、「どこまで真実を報道することがよいか」を議論させた。 議論に入る前に後藤さんらの画像

    小5授業で「イスラム国」遺体画像 名古屋市教委、謝罪:朝日新聞デジタル
  • 本当に「騒ぎすぎ」だったのか

    新型インフルエンザの感染の広がりも、少しずつ落ち着いてきたようだ。そのためか、国の検疫体制や自治体・学校の対応、企業の感染防止策などに対して、「騒ぎすぎだ」「もっと冷静に」と指摘する声があちこちから聞こえるようになった。 現状の対策が行き過ぎたものであるなら、「騒ぎすぎ」という批判が出るのは仕方がない。しかし、4月末に新型インフルエンザの発生が確認された当時から現在までの状況を「騒ぎすぎだった」と一言で総括するのは非常に危険だと思う。 こうした批判は、「ウイルスの毒性が比較的弱く、感染者の症状もそれほど重くない」という事実が分かった今だからこそ言えることだ。いわば“後出しジャンケン”である。 筆者はこうした“後出し”の意見に違和感を覚えると同時に、企業が今後、より強力な新型インフルエンザの発生に備えて対策を準備することに、ネガティブなイメージを与えてしまうのではないかと危惧している。パンデ

    本当に「騒ぎすぎ」だったのか
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