【読売新聞】 関東大震災直後の混乱の中、無政府主義者の大杉栄と妻で女性解放運動家の伊藤野枝が虐殺された「甘粕事件」。共に殺害された大杉のおい・橘宗一(当時6歳)の墓が、名古屋市千種区の覚王山日泰寺にある。保存会が半世紀にわたって毎年
9月1日に発生から100年を迎える関東大震災では、皇族や宮内省(現宮内庁)も震災対応に追われた。政務を執る摂政だった皇太子時代の昭和天皇は被災地を視察し、貞明皇后(大正天皇の皇后)の発案で医師らによる「巡回救療班」が組織された。皇居内の宮内庁宮内公文書館には、当時としては異例の活動を伝える資料や写真が数多く残されている。(佐藤大) 大正12(1923)年9月の大震災発生から2年後にまとめられた「宮内省臨時災害事務紀要」には、皇族・宮内省の被害状況や、大正天皇の摂政だった昭和天皇の被災地視察の記録が並ぶ。皇室では、神奈川・鵠沼に滞在していた東久邇宮稔彦王(ひがしくにのみやなるひこおう)の子どもの師正(もろまさ)王(当時5歳)ら3皇族が亡くなった。宮城(皇居)内の被害は「全壊660坪、半壊958坪、大破4220坪」と記され、発生2日後には、被災者向けの寄付金「救恤(きゅうじゅつ)金」1000万
吉村昭「関東大震災」を読み返す 関東大震災から94年の今年、東京都の小池百合子知事は慣例だった朝鮮人虐殺事件被害者への追悼文送付を取りやめ、事件があったかどうかについて「さまざまな見方がある。歴史家がひもとくもの」と語った。さっそくネット上では小池氏を支持し、虐殺はなかったとする声も上がる。消されかねない史実に向き合った作家、吉村昭の「関東大震災」を改めて読み返した。【中村かさね】 黄ばんだA4判大学ノートが細かい字で埋まっている。<荷物が道をふさいだ>。作品の一節と思われる表現もある。東京都荒川区の吉村昭記念文学館に展示されている「関東大震災」の取材ノートだ。愛用のブルーブラックの万年筆で証言者の住所や電話番号まで書き込んでいる。
東京都の小池百合子知事が、都立横網町(よこあみちょう)公園(墨田区)で九月一日に営まれる関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式への追悼文送付を断ったことが分かった。例年、市民団体で構成する主催者の実行委員会が要請し、歴代知事は応じてきた。小池氏も昨年は送付していたが方針転換した。団体側は「震災時に朝鮮人が虐殺された史実の否定にもつながりかねない判断」と、近く抗議する。 (辻渕智之、榊原智康) 追悼文を断った理由について、都建設局公園緑地部は本紙の取材に、都慰霊協会主催の大法要が関東大震災の九月一日と東京大空襲の三月十日に開催されることを挙げ、「知事はそこに出席し、亡くなった人すべてに哀悼の意を表しているため」と説明。「今後、他の団体から要請があっても出さない」としている。
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