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ブックマーク / sionsuzukaze.wordpress.com (2)

  • 「日本政府と国民へのメッセージ」について一日本国民より

    我が国の首相はカイロにおいて、人道支援やインフラ整備に25億ドルの経済支援を表明しました。「非軍事的分野」での支援であり、そのうち2億ドルは他ならない「イスラム国」が生み出した難民に対して必要な支援であり、喫緊且つ重要な支援となりましょう。 或は我が国の政策が、過去から今に至るまで全て正しかったことは無いかもしれません。あなた方が国を持ちたいと願い、或は実現したいと願う社会は、その動機において正しいものもあるかもしれません。しかし、テロルを否定するという一点において、その手段を放棄しない限り、我が国の歴史を振り返って我が国はそれの国家承認という選択をしないでしょう。曾てその横行で自らの国の政策を過ち、世界を相手に戦争するまでに至った狂気への道は、決して褒められたものではないでしょう。同時に、そのテロルが貧困や社会不満を背景とし、正義の実現を願って引き起こされたものであることも、それが独善に

    「日本政府と国民へのメッセージ」について一日本国民より
  • 大臣の椅子の耐えられない軽さ

    かつてマキャベリは「われわれが常に心しておかねばならないことは、どうすれば実害が少なくて済むか、ということだ」と述べた。 昨今の極めて軽い首相・大臣職の椅子が、今日また一段と軽くなった。 鉢呂氏が大臣を辞任したそうである。 失言とされたのは下記の2点。 「残念ながら周辺市町村の市街地は人っ子一人いない、まさに死の町という形でした」 「やっぱり、ひどいと感じた。放射能をつけたぞ。いろいろ回ったけど、除染をしないと始まらないな。除染をしっかりしないといけないと思った。」 というものである。 人の弁明はどうでも良いとして、前者については修辞的意味として、現状では確かにそう譬えてもおかしくない状況ではあるが、帰郷を願う声が高まる中(それの実現可能性は別問題として)、デリカシーが無い発言とされても仕方がないように思える。 後者についてはもはや子どもレベルの問題であるが、この表現が質的には「放射能

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