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修羅の門に関するK_NATSUBAのブックマーク (2)

  • 2005-09-03

    ほら、自分運命の少女萌えっすから。 俺正史*1に拠れば、『修羅の門』ボクシング編、マイケル・アーロン戦後、舞子が「九十九は絶対負けちゃやだ」と言い切った瞬間をもってして、80年代とツンデレは終わった事になっている。1992年4月。それは、80年代ラブコメの最後の申し子・川原正敏が、あだち充の影響圏から完全に離脱した瞬間であった。これも俺正史による。 それ以降、時代は90年代に突入し、半眼断言電波系こそがヒロインの理想形となる。時代を代表するヒロインとしてはリリーナ・ピースクラフトであり綾波レイであるわけだが、その気高さを踏み躙るためだけに造形されたようなホシノルリの事を思うにつけても90年代オタクとして『ナデシコ』をどうしてくれよう。で、90年代の最後に『ONE』と『嬌烙の館』な。嘘臭っ。 80年代復古運動にあまり感心しないのは90年代に十代の全てを消費したからではないでしょうか。 *1:

    2005-09-03
    K_NATSUBA
    K_NATSUBA 2008/09/26
    「『修羅の門』ボクシング編、マイケル・アーロン戦後、舞子が「九十九は絶対負けちゃやだ」と言い切った瞬間をもってして、80年代とツンデレは終わった事になっている。」
  • 2005-08-29

    http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20050829#1125327476 俺たちが声優のモノに拘るのは、声優を愛して愛して愛してやまないのにも、或いは憎んで憎んで憎んでやまないのにもかかわらず結局それを語る言葉をどうしても手に入れられず、失語症状態に追い込まれざるを得なかった闇黒の日々があればこそ、です。 そんな俺たちにとって、堀江由衣の可愛いけど男とも女ともつかない感じをチンコが生えていると表現するとしっくり来るという発見が光の道であったと言う事がどうして理解できないのですか。 結局のところ堀江には生えていない、と主張するタイプの人は、堀江由衣の中の人には生えていない蓋然性が高いという程度の根拠しか提出できないじゃないですか。 それが根拠になると思いこめる人にとっては結局声優ってキャラクターの中の人でしかないんだなと思うばかりですよ。制作裏話を知る事で作品について

    2005-08-29
    K_NATSUBA
    K_NATSUBA 2006/07/22
    「それは分厚い舞台衣装の下にではなく、彼女の声のその表層に堂々と露呈されている」 どうでもいいが「光の道」は『修羅の門』からの引用。
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