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2008年9月26日のブックマーク (7件)

  • 2008-09-24 -[偽史199X]僕は冬彦さんじゃないんですよ!- 帰ってきたへんじゃぱSS

    1990年代のフィクションにおける精神分析・心理学ガジェットの大流行の発端は、1991年6月日公開の映画『羊たちの沈黙』であり、国内の作品で言えば1992年のドラマ『ずっとあなたが好きだった』で取り沙汰された、マザコンの語であろう。ダニエル・キイスの『24人のビリー・ミリガン』の邦訳も1992年。ロバート・レスラーの著書が日に紹介され、プロファイリングの手法が広く知られるようになるのは1994年。このようなブームの総決算とも言うべき「マーダー・ケースブック」の刊行は1995年10月からで、『羊たちの沈黙』の構図に回帰した『沙粧妙子 - 最後の事件 -』も1995年。 「トラウマ」「コンプレックス」「サイコパス」「多重人格」などのおどろどおろしい術語は、『新世紀エヴァンゲリオン』以前に、市民生活を脅かすモンスターの存在原理として既に広く受け入れられていた。今読めば「ああ、綾波なのね」と言

    2008-09-24 -[偽史199X]僕は冬彦さんじゃないんですよ!- 帰ってきたへんじゃぱSS
    K_NATSUBA
    K_NATSUBA 2008/09/26
    「 『新世紀エヴァンゲリオン』の時点で精神分析を説明原理として持ち出す手法は陳腐化していた、とも言える」
  • 2006-12-02

    2004年て『オーフェン』終わった年じゃん。 そいやネット版このラノ*1の時には『オーフェン』を読んでいない人が西尾維新に入れているのを不思議がっていた記憶がある。 *1:http://maijar.org/sugoi/r_normal/index.html 1996年『NOëL』 1996年『ありす in Cyberland』 1997年『キューブバトラー』 1997年『VIRUS』 1998年『バッケンローダー』 1998年『serial experiments lain』 1999年『サイバー大戦略 出撃! はるか隊』 90年代後半、サイバーっぽい世界観でストーリー重視っぽい事をやるとえらい、という、コンシューマゲーム文化があった、ということ。 http://chiebukuro.yahoo.co.jp/service/question_detail.php?queId=10115

    2006-12-02
    K_NATSUBA
    K_NATSUBA 2008/09/26
    「90年代後半、サイバーっぽい世界観でストーリー重視っぽい事をやるとえらい、という、コンシューマゲームの文化があった、ということ。」
  • [偽史199X][番外編]ライトノベルは『スレイヤーズ』から『ブラックロッド』までが一番充実してた派。あとジャンプ系ノベライズは版型が大きいからライトノベルじゃない派。-帰ってきたへ

    んーと。 http://d.hatena.ne.jp/genesis/20061109/p1 奈須きのこよりも桑島由一・ヤマグチノボルあたりのほうがライトノベルとエロゲの越境者としては重要かと。挿絵描きに関しては竹井正樹あたりからもう越境してますね。 三重の『カナリア』ショック、ということを俺は常々言っているわけですが、もう一回繰り返しておきます。桑島由一・ヤマグチノボル・片倉真二という『カナリア』のメインスタッフは、テキストサイト華やかなりし頃のスーパースターであって、その彼らが揃ってエロゲーを作った、という、これが第一のインパクト。それから、出演声優陣*1が、エロゲに出ようとは到底思われないような面々*2であったのが第二の衝撃。そして第三のショックは、そのエロゲのノベライズが角川スニーカー文庫から出版された事です。なお、エロゲがノベライズされる、というのも結構ショッキングな出来事だった

    [偽史199X][番外編]ライトノベルは『スレイヤーズ』から『ブラックロッド』までが一番充実してた派。あとジャンプ系ノベライズは版型が大きいからライトノベルじゃない派。-帰ってきたへ
  • 2006-01-22

    ウィーヴのアニメは女の子がちょっと可愛いかっこうをしてるよね、どれもこれも。 今だから言うが波音のサマーセーターが大変に可愛らしいと思っていた俺だ。 というこの感想はマイメロでもかまわないわけだが。 おかしなものが流行る話。 そして女の子の服がちっとも可愛くないアニメ。 動画枚数・作画水準を下げても衣装デザインに凝る/を増やすウィーヴ/女児向けアニメ思想とそんな事はしないかまたはCGのテクスチャを作りこみたいバンビジ/オタク向けアニメ思想の違いであります。 単純に女の子の可愛さと言う観点から前者を支持したい。 別にこのアニメが悪いってんじゃないけど。ベタだけど丁寧でまあいいんじゃない、とも思うけど。 ノリオとジョージがえらそげな台詞を吐きながら殺し愛う、という、こんなん見せられて今更何を思えと。 いえ、『ヘルシング』ってこういうものですけどね。 原作に複数の動線が交錯しあう構図がないんだな

    2006-01-22
    K_NATSUBA
    K_NATSUBA 2008/09/26
    「90年代から現在に至る声優史を粗描する時、我々は丹下桜の占めるべき位置があまりに小さい事に、違和感を抱く。」
  • 帰ってきたへんじゃぱSS - [偽史199X]声優史の影へ

    『美少女戦士セーラームーン』以降の声優ブームでまず脚光を浴びたのは、80年代アニメブーム終焉以降、『セーラームーン』以前デビューの若手女性声優たちだった。1967年生まれhttp://ja.wikipedia.org/wiki/1967年#.E8.AA.95.E7.94.9F辺りを中心とした世代だ。 92年時点で25歳。高卒・養成所経由で声優が大体一人前にTVレギュラーを張れるようになる年頃だった。 声優ブームの中の次の大波で今まで続くものは、『エヴァ』後にメジャーデビューした面々のムーブメントになる。桑島法子、かかずゆみ、川澄綾子etc。 この世代と前の世代の間、『セラムン』後『エヴァ』前にメジャーデビューしたアイドル声優候補たちは、00年代に入ると悉く見かけなくなった。 椎名へきる、宮村優子、長沢美樹、岩男潤子、櫻井智、丹下桜。 堀江由衣、田村ゆかり、千葉紗子らによる2000年以降の波

    帰ってきたへんじゃぱSS - [偽史199X]声優史の影へ
    K_NATSUBA
    K_NATSUBA 2008/09/26
    「この世代と前の世代の間、『セラムン』後『エヴァ』前にメジャーデビューしたアイドル声優候補たちは、00年代に入ると悉く見かけなくなった。」
  • 帰ってきたへんじゃぱSS - [偽史199X]診断名:ボクタチ

    俺たちの世代が単純反映論に過大なリアリティを感じてしまうのは、これはエヴァブームのPTSDである、と俺正史*1には記されている。 一ファンなのだから評論的な視座で楽しめばよさそうなものを一々編集者的な下衆の勘繰りを入れずにはおれない、よほど心底ほれ込んだ作品以外は貶すにしろ褒めるにしろオタクのなんたら或いは現代社会のなんたらを反映している事にしなければ落ち着けないというのはこれは明らかに異常な事態なのであり、それは作品に対し俯瞰的な視座が取れる知性を現すのではなく作品と商品/創作と受容その他諸々の区別がついていない知性の混濁を示すだけのものである。 『エヴァ』に色んなものを根こそぎ持っていかれながら、それを語るための自分たちの言葉を探り出すよりも先に言説のセットを暴力的に押し付けられてしまった、という体験。言葉を失った俺たちに残されたのはちっぽけな自分たちのシャカイ生活だけだった。 では

    帰ってきたへんじゃぱSS - [偽史199X]診断名:ボクタチ
    K_NATSUBA
    K_NATSUBA 2008/09/26
    「俺たちの世代が単純反映論に過大なリアリティを感じてしまうのは、これはエヴァ本ブームのPTSDである」
  • 2005-09-03

    ほら、自分運命の少女萌えっすから。 俺正史*1に拠れば、『修羅の門』ボクシング編、マイケル・アーロン戦後、舞子が「九十九は絶対負けちゃやだ」と言い切った瞬間をもってして、80年代とツンデレは終わった事になっている。1992年4月。それは、80年代ラブコメの最後の申し子・川原正敏が、あだち充の影響圏から完全に離脱した瞬間であった。これも俺正史による。 それ以降、時代は90年代に突入し、半眼断言電波系こそがヒロインの理想形となる。時代を代表するヒロインとしてはリリーナ・ピースクラフトであり綾波レイであるわけだが、その気高さを踏み躙るためだけに造形されたようなホシノルリの事を思うにつけても90年代オタクとして『ナデシコ』をどうしてくれよう。で、90年代の最後に『ONE』と『嬌烙の館』な。嘘臭っ。 80年代復古運動にあまり感心しないのは90年代に十代の全てを消費したからではないでしょうか。 *1:

    2005-09-03
    K_NATSUBA
    K_NATSUBA 2008/09/26
    「『修羅の門』ボクシング編、マイケル・アーロン戦後、舞子が「九十九は絶対負けちゃやだ」と言い切った瞬間をもってして、80年代とツンデレは終わった事になっている。」