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ブックマーク / koheko.hatenadiary.org (16)

  • 休日に会社からの電話に怯える彼女を見て思う - 諏訪耕平の研究メモ

    彼女は最近休みになると電話に怯えている。会社からかかってくるからだ。かかってきたとき,彼女の表情は一変し,真剣な面持ちになる。そして電話に出た後の彼女は打って変わって饒舌で笑顔だ。いかにも楽しそうに電話を終わらせた後,彼女はため息をついてベッドに倒れこむ。 この休みは,そんな電話が1日7件鳴った。1度は,僕とカラオケに行っている時だった。楽しく歌っていたが,電話が鳴ったことに気付いた彼女の表情は凍りつき,携帯を手に部屋を出て行った。そして15分間戻ってこなかった。僕は歌を続ける気にもなれず,その間携帯をいじっていた。 戻ってきた彼女は固い表情をしていた。そして,僕が「・・・歌う?」と言うと,彼女は泣き始めた。「ごめんね」。彼女は言った。「忙しすぎる・・・」。そう言って彼女はまた泣き始めた。とてもカラオケを続けられる状況ではない。と言ってすぐ出るのも違うと感じた僕はただ彼女の気持ちがおさまる

    休日に会社からの電話に怯える彼女を見て思う - 諏訪耕平の研究メモ
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    REV 2011/02/27
    「その条件では無理だ」と言えない人間に負担が集中。じゃあ、上司は「無理だ」と絶対言わないかというと、あっさり「もう、雇用するのは無理。無理なものは無理。給料も退職金も無理」と言ってくる予感。
  • 大学に関する神話はそろそろ本気で検証したほうがいい - 諏訪耕平の研究メモ

    の小中高ってのはトコロテン式で、学んだことが身に付こうが身に付くまいが次の段階に押し出されるシステムだ。学習内容は積み上げ式だから、当然「落ちこぼれ」が発生する。ある段階で何らかの理由によりつまづいたら、よっぽど幸運にすばらしい教師に巡り合う場合を除いて、その後ずっと落ちこぼれ続ける。積み上がらない。 この方に同意。ここでの議論をややこしくしているのは2点。1,大学は研究機関であるという神話。2,自己責任論。1,この手の話をしていると必ず「大学は自分で勉強するところであって勉強を教えてもらうところじゃない」とか,「大学は研究機関で,教育機関ではない」とか言い出す人がいる。それは神話。大学は自分から勉強するところでもあり,教えてもらうところでもある。また,研究機関でもあり,教育機関でもある。先生がいて生徒がいるのだから,ほっといても大丈夫な生徒はほっといて,ほっとけない生徒は構ってやれば

    大学に関する神話はそろそろ本気で検証したほうがいい - 諏訪耕平の研究メモ
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    REV 2011/02/21
  • 昔,大人たちは皆いつも怒っていた - 諏訪耕平の研究メモ

    以前,日人はよく怒っていた。僕がバイトを始めた15年ぐらい前はそんな時代だったと思う。バイト先には必ず怒る大人がいた。ラーメン屋で働いていたとき,そこは遊園地の中のラーメン屋だったので,ラーメンの隣でトウモロコシを炊いていた。そしてその日は連休か何かで,ものすごく忙しかった。トウモロコシは飛ぶように売れていて,トウモロコシ売り場のバイトの少年が,「トウモロコシできましたか?」と我々の働くラーメン屋にやってきた。ラーメン屋の責任者だった40歳ぐらいで小太りでパンチパーマの佐藤さんは,「まだだよ!」と叫んだ。その少年は,多分おおにぎわいでテンションも上がっていたのだろう,「見てみなきゃ分からないー♪」などと歌いながらトウモロコシを煮ている鍋に近づいていき,ふたを開けた。その瞬間,佐藤さんは「まだだっつってんだろうが!馬鹿野郎!」と怒鳴った。少年はしゅんとして帰っていった。 雀荘で働いていたと

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    REV 2011/02/18
  • いじめが解決されるまでの過程 - 諏訪耕平の研究メモ

    2010.1.18 NとTがIをいじめてたことをハゲに教えてやった。そしたらあいつらいじめの標的を オレにかえやがった!!!Nさんの前で恥かかせやがってーーーー! あいつらいじめないと生きていけんらしいな 2010.1.25 仮病つかった。学校休んだ。 2010.1.26 今日も学校休んだ。かーちゃん、うそついてごめん。 このスレは非常に貴重なんじゃないでしょうか。筆者の方の弟さんがいじめにあい,不登校になった経緯,それを知った筆者がどのような行動を取ったことによっていじめが明るみに出て,弟さんが学校に通えるようになったかが非常にリアルに記されています。もしフィクションだとしても十分興味深い内容であると感じました。 いくつか思ったこと。 1,いじめ被害者は被害を隠したがる 2,いじめというのは結局1人の人間が起こしている場合が多い 3,教師の対応次第でいじめは拡大も縮小もする 4,解決にお

    いじめが解決されるまでの過程 - 諏訪耕平の研究メモ
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    REV 2010/08/22
  • 久々に2ちゃん見てイラっとした - 諏訪耕平の研究メモ

    オヤジが酒大好き・タバコ大好きの低収入の大家族 いやこれ見てましたけど、叩く対象じゃないでしょ・・・お寿司3年ぶりって言ってたし、子ども7人育てるのはすごく大変だろうと思うし、それは水道費を滞納してしまうぐらい大変だということだし(水道課で働いてるのに水道代を滞納するのってすごく大変だと思いますよ)。批判している方々は恐らく子どもがいない人たちで、「子どもがいるだけで金もらって寿司えるのかよむかつく」ってことなんでしょうけど、さすがにそんなこと言う権利ないですよ。匿名だからって想像力がなさすぎなんじゃないか。 まあ、そんな文句言うなら見るなって話ですけどね。

    久々に2ちゃん見てイラっとした - 諏訪耕平の研究メモ
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    REV 2010/07/11
  • 道行く人を皆馬鹿にする女子高生3人組を見ながら思ったこと - 諏訪耕平の研究メモ

    サイゼリヤ事に行ったら隣に女子高生3人組がいた。勿論盗み聞きなどする気はなかったし、する必要もなかったのだが、聞くとはなしに内容が聞こえてきてしまった。何せ、視界に入るあらゆるものにケチをつけまくるのである。基的には窓の外を見ながら、ちょっと変わったTシャツを着ている人を見つければ、「見て見て、あのTシャツありえなくね?(笑)」。はげてる人を見つければ、「はげ発見!(笑)」。少し変わった服装の女性を見つければ、「あの人時代逆行してね?(笑)」と、とにかく否定しまくる。見た目はごく普通の、髪を染めるなどもしていない女の子3人だったので(別にギャルならさもありなんと言うわけでもないが)、少し意外な思いをしていた。 ちょっと焦ったのは、すぐ近くの男性1人の席にステーキが運ばれてきたときのこと、サイゼリヤに行ったことのある人なら分かるかもしれないが、ある種類のステーキを頼むと、ジュウジュウと

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    REV 2010/07/11
  • 左手で握手しながら右手で殴り合うということ - 諏訪耕平の研究メモ

    『加治隆介の議』という漫画の中で,「外交」についてこんなセリフが出てくる。 「外交とは喧嘩ではありません。右手で殴り合っていても,左手は握手しているということが重要です」(原文とは少し違うと思う) 私は,これは外交に限らず,人間関係においてもかなり重要な考え方ではないかと思ってる。特に教授−学習関係においてこの考え方の重要性が浮き彫りになる。日人は人を褒めるのが下手であるそうだ(http://d.hatena.ne.jp/favre21/20090618#1245293123)。いきおい,日人の後輩指導は,叱りが中心になる。そこにおいて,後輩が左手での握手を認識できていれば,それほど問題はないが,両手で殴られているという認識に至ってしまうと,悲劇を生みだすことになるだろう。つまり,「この人は自分のためを思って言ってくれている」という感覚と,「この人はただ自分を否定したいだけだ」という感

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    REV 2009/10/28
  • 学生は教授の研究のために授業料を払っているわけではない - 諏訪耕平の研究メモ

    2〜3日前の読売新聞に静岡産業大学学長の大坪壇先生のコラムが掲載されていました。これが思わず拍手したくなるような内容だったので掲載しておきます。全文掲載はまずいのかなとも思うのですが,これは是非読んでいただきたい内容なので踏み切りました。問題があれば削除いたします。 内容は,「学生は教授の研究のために授業料を払っているわけではない」というもの。そう言われれば多くの人が「そりゃそうだ」と思うんでしょうけど,実際は多くの大学教員が教育よりも研究に時間を割いているというのが現実ですよね。 なんでこういうことになるのかというのを居場所論で考えてみると,要するに大学教授というのはいかに教育を行ったかではなく,いかに研究業績を出したかが大学での居場所につながるのだろうと思うのです。その状況ではある程度仕方がない。教育者が,その教育内容でもって評価されるようなシステムの構築が必要なんでしょうね。

    学生は教授の研究のために授業料を払っているわけではない - 諏訪耕平の研究メモ
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    REV 2009/08/09
  • 「持っている人」は「持たざる人」の気持ちはなかなか理解できないと思う(追記あり) - 諏訪耕平の研究メモ

    「当事者性」みたいな視点から議論すると,今回の民主党や公明党のマニフェストを「ばらまき」であるとして批判する人とかは,「金持ってんだろうなー」とか思ってしまうわけです。実際に保育や教育において苦労している人はなかなかそういう発想になれない。 心のどこかで,「持っている人」がいるから,自分たちは「持たざる人」のままなんだという気持ちがあるのかもしれませんね。持っている人たちは「自分は努力したからこそ持ってるんだ」と思うかもしれませんが,じゃあ持たざる人たちが「自分は努力が足らなかったから持ってないんだ」と思えるかというとこれはなかなか難しくて,何せ「努力」ということで言うと,持たざる人ってある意味で努力せざるをえない環境にありますからね。 少なくとも,例えば現在30歳の「持たざる人」が,同世代の持っている人と自分を比較して,「自分はあの人に比べて努力が足らなかったから持っていないんだ」と確信

    「持っている人」は「持たざる人」の気持ちはなかなか理解できないと思う(追記あり) - 諏訪耕平の研究メモ
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    REV 2009/07/26
    つ 「自分の持ち物は努力の成果、他人の持ち物は不労所得」
  • 社会科学における先行研究の存在意義 - 諏訪耕平の研究メモ

    大変遅くなりました。概ねご意見には同意です。ただちょっと以下の箇所の理解に苦しんだので、少し言及させていただこうかと思います。 <対象の一部を捨象することで対象について分かった気になるというのは、物理学などに特徴的な発想ですが、女性で物理学科に進む人はとても少ない。対象の一部を捨象する、というものの見方が苦痛なくできるためには、「何々は見ないことにする」みたいな芸当が苦労なくできることが必要です。こういう芸当は、最初から全体が見えていて、全体は全体でしかない、と思っている人には苦痛に感じられます。>以前「女教師ブログ」の方がこんな議論をされていました。 「テーマを絞りなさい」という指導は論文をつまらなくする: http://d.hatena.ne.jp/terracao/20080413/1208019562 ここで重要なのは多分「関心」ですよね。その学生の関心がどこにあるのか、それを見定

    社会科学における先行研究の存在意義 - 諏訪耕平の研究メモ
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    REV 2009/06/27
  • 「社会の論理」を持ち込む人々 - 諏訪耕平の研究メモ

    「ゼミを何とか改善したい」みたいなことをここのところ結構主張してきて、それはそれなりに賛同を得られるようになってきていた。どの集団にもいいところと悪いところがあるだろうと思う。うちのゼミは、活発な議論が行われるところや、上から研究テーマを強制されることはないといったところは長所だと思うが、できの良くない発表をしてしまうと参加者(主に教授や先輩)から袋叩きにあうことがあって、それが原因でゼミと距離を置く学生が毎年数名出るといったところは短所だと思って、改善を志してきた。 勿論研究を目的に集まっている集団なので、研究ができない人間の居心地が悪いのは仕方ないことだと思うけど、一応教育機関なので、「駄目なやつは切り捨て」みたいなことが許されるのかどうかについては議論があっていいと思う。できないからこそできるようになりたくて院の門を叩くという場合もあるだろうし。最初からできる人間を欲しがるのは研究所

    「社会の論理」を持ち込む人々 - 諏訪耕平の研究メモ
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    REV 2009/06/17
    しかし、「それではこの『社会』では通用しない」といって、『社会』の論理を遵守していても、たまに(大文字の)社会、つまり国から訴追を受けたりする。「局長、不正はいけないっすよ」「それは社会で通用しない」
  • 内定が出た途端自分は社会のすべてを理解しているというような喋り方をし始める友人 - 諏訪耕平の研究メモ

    内定をもらった友人に殴られた これは大変面白い。内藤朝雄は「社会では通用しない」をことあるごとに持ち出してくる父親を指して,父親が言う「社会」とは父親自身だったと述べてますが,この友人も同構造ですね。要するに結果論なんです。社会というのは静的なものではないので,「社会とは何か」に答えられる人は恐らく世の中に存在しないか,いたとしてもごく少数なはずなんですよね。しかし,「社会では」「社会人たるもの」という発言はそこかしこで見られます。彼らが言う「社会では通用しない」というのはイコール「俺には通用しない」ということなんですよ。 こういうすりかえは実は多くの場面で見られます。例えば,保育所に関する問題では多くの保護者の方が「子どもにとってどうなのかが一番大切」と言いますが,これは実は子どもを隠れ蓑にして自分の意見を通そうとしています。政治家の言う「国民が納得しない」も言うまでもないですが「俺は納

    内定が出た途端自分は社会のすべてを理解しているというような喋り方をし始める友人 - 諏訪耕平の研究メモ
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    REV 2009/06/02
  • 茂木さんを「駄目」と決め付ける人ってやっぱりいるんだね(追記あり)(追記2あり)(さらに追記)(そして追記) - 諏訪耕平の研究メモ

    http://blackshadow.seesaa.net/article/103617644.html 福岡さんは好きな研究者の1人なので,さてどんなふうに批判されるのかと期待して読んだのですがよく分かりませんでした。いや,僕が無知なゆえに分からないということなんですけどね。 「進化生物学にはダーウィンとラマルクという2つの大きな仮説があったが,様々な検証の結果,ラマルクは棄却され,ダーウィンが支持された」と理解していいのかな,そういう歴史があるそうで,そのことを前提に考えると,福岡さんがラマルクを支持するような発言をするのは許せないということになるのかな。 福岡さんが「生物と〜」の中で主張していたことは,人間を形成する組織は頭のてっぺんから爪先まですべて循環しているというようなことでしたよね。彼はそれを「動的平衡dynamic equilibrium」と呼んでいます。これを最初に発見し

    茂木さんを「駄目」と決め付ける人ってやっぱりいるんだね(追記あり)(追記2あり)(さらに追記)(そして追記) - 諏訪耕平の研究メモ
  • モンスターペアレントとか言って悪者扱いは思考停止に過ぎない - 諏訪耕平の研究メモ

    モンスターペアレントはどこにいるのか? タイトルを見て,おお!と思ったんですが,主張はちょっと僕のとは違いました。しかしこれはこれで面白い。モンスターペアレントなどと騒がれてますが,そんなもん昔からいたよという話。 ちなみに僕の主張は,モンスターペアレントとか言って一方的に悪者にすんなというもの。喧嘩両成敗なんですよ。当に。こういうことを言うたびに昔からきついネガティブコメントをもらってきたんですがしつこく言います。モンスターペアレントだけが悪いんじゃない。モンスターペアレント(と決め付けられてしまう人々)も悩んでいて,色々考えた末に学校に抗議するというしんどい手段を選んでるんです。 学校に文句言うって簡単じゃないですよ。やってみようとすればよく分かる。どこの学校にもそれなりに貫禄のある人がいるし,怖い体育教師もいる。自分の子どもの担任が新米のペーペーだったとしても,バックにはそういう人

    モンスターペアレントとか言って悪者扱いは思考停止に過ぎない - 諏訪耕平の研究メモ
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    REV 2008/06/02
  • ドタキャンばかりする人々と,何年でも無遅刻無欠勤を続ける人々 - 諏訪耕平の研究メモ

    なんか最近よくドタキャンをされる。前からそういう傾向はあったが,ある程度責任ある仕事的なことを任されるようになって,よりドタキャンされることのダメージが増した。先日大学の後輩2人と別々に約束をしていたのだが,2人ともに,なんと2回連続でドタキャンされて,「ああ,これは,サボりだな」と感じた。 ドタキャンしたくなる感覚というのはよく分かる。人は,未来の自分はスーパーマンだと思っているもので,今の自分がやりたくないことでも未来の自分は笑顔でできると思っている。だから,果たせるかどうか微妙な約束も平気でする。約束の日時が迫って,どんどん行きたくなくなっている自分に気づく。過去の自分め,遂行できる約束かどうかも判断できないのかと思う。いくつか理由を見繕ってみて,妥当っぽい理由が見つかれば,心は俄然ドタキャンに傾く。理由が見あたらなければ,しぶしぶ出かける。出かけてしまえば意外に平気なものだ。 僕は

    ドタキャンばかりする人々と,何年でも無遅刻無欠勤を続ける人々 - 諏訪耕平の研究メモ
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    REV 2008/05/06
    遅刻途中で寄ったATMが時間なのに稼動していなかったり、公的機関の窓口が開いていなかったり、コンビニで欠品があるとモジるわけですね。わかります。
  • 怒るメリットって何かあるんだろうか - 諏訪耕平の研究メモ

    http://blog.goo.ne.jp/mmatu1964/e/e940a0939fa046403c5a2fe8721e05c9 人間の生理現象というようなものを考えるとき,腹を立てる,怒るといった行動にどんなメリットがあるのかがよく分からないのです。聖書にそういう記述が多いというのは聞いたことがあって,それに対して,田中芳樹さんだったかな,「悪に対して腹を立てないというのは人間らしくない」というようなことを書いておられたのは印象的だったんですが,どうも,腹を立てる以外の抗議手段は存在するんじゃないかと思ってしまいます。それは多分,怒るという行為が冷静さと逆にあるというイメージがあるからなんでしょうね。現代は,常に冷静でなけれなならないという思想は強く支持されているように思います。一方で,こういうことを書きながら,しかし,怒りが時代を動かしてきたという部分もあるのかなと思いました。確か

    怒るメリットって何かあるんだろうか - 諏訪耕平の研究メモ
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    REV 2008/05/06
    国家総度員法とか、全権委任法のようにメリットがあると思うんだけど。
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