過去の物語の中で、ディストピアとして描かれてきた監獄都市は、物理的に都市を囲むことあるいは行政権力を伏在させることでその監獄性を確保してきた*1。 しかし、現代技術の発展は物理的制約、時間的制約を超えることに成功した。監視カメラの登場は、「まち」*2のパノプティコン化に成功した。「まち」における監視カメラはダミーであっても、本物であってもかまわない。『監獄の誕生』でフーコーが述べたように、カメラで見られているかもしれないという思いを抱かせることに成功すればそこに監獄が現れる。 ここまでは前置き プライバシー権は日本でも「新しい人権」の一つとして認識されているが、その名のとおり権利としては比較的新しいものである。しかし、それは昔からプライバシーというものが権利として意識されてこなかったのかというと違う。私生活への公権力介入に対する抵抗というのは昔から存在する。しかし、「新しい人権」としてのプ