大学の夏休み期間を利用したフランスでの在外研究から帰国した後、職場のポストを見ると、同僚の加治屋健司さんから献本いただいた『絵画の解放――カラーフィールド絵画と20世紀アメリカ文化』が投函されていた。この本については別の媒体で書評を記す予定である。 モーリス・ルイスやジュールズ・オリツキーのカラーフィールド絵画は、論じることが不可能であるほどに好きな芸術の一部だ。何も考えずにただじっと作品の前に座して見つめていたいと思う。隣にいる人と「やはりいいね、気持ちがいい」などと呟き合うのもよい。だが作品を目の前にして、「この絵画の良さを教えてほしい」と尋ねられても、「色が空や海のようできれい」であるとかいった印象的なレベルにとどまること以外に、私には決してうまく語ることはできないだろう。 DIC川村記念美術館には、幅5メートルを超えるオリツキーの作品《高み》のみが展示された贅沢な空間がある。歴史的
キュビスムを50年ぶりにとらえ直す。国立西洋美術館で「パリ ポンピドゥーセンター キュビスム展—美の革命 ピカソ、ブラックからドローネー、シャガールへ」展が10月3日から開幕 ロベール・ドローネー パリ市 1910-12 ポンピドゥーセンター(1936年国家購入) Centre Pompidou, Paris, Musée national d’art moderne - Centre de création industrielle © Centre Pompidou, MNAM-CCI/Georges Meguerditchian/Dist. RMN-GP
ヘレン・フランケンサーラー いわき市立美術館 ポーラ美術館 アーティゾン美術館 富山県立美術館 モーリス・ルイス いわき市立美術館 群馬県立近代美術館 DIC川村記念美術館 東京国立近代美術館 東京都現代美術館 富山県立美術館 静岡県立美術館 愛知県立美術館 滋賀県立美術館 国立国際美術館 大阪中之島美術館 広島市現代美術館 ケネス・ノーランド 東京都現代美術館 滋賀県立美術館 国立国際美術館 大阪中之島美術館 ジュールズ・オリツキー 東京富士美術館 ハラ ミュージアム アーク フランク・ステラ いわき市立美術館 DIC川村記念美術館 東京都現代美術館 セゾン現代美術館 富山県立美術館 静岡県立美術館 愛知県立美術館 名古屋市美術館 滋賀県立美術館 京都国立近代美術館 国立国際美術館 大阪中之島美術館 兵庫県立美術館 和歌山県立近代美術館 広島市現代美術館 ベネッセハウスミュージアム 高松
現代の眼 展覧会レビュー 宇宙を視るためのレンズ──北脇昇のオブジェに寄せて 副田一穂 (愛知県美術館学芸員) コレクションによる小企画「北脇昇 一粒の種に宇宙を視る」|会場:ギャラリー4[2階] 戻る 会場風景│撮影:大谷一郎 二科会創設者の一人・津田青楓の画塾1を経て独立美術協会を主たる発表の場とした北脇昇は、1937年、突如それまでのフォーヴィスム調を捨て、庭木や拾った植物の実などを拡大して茫漠とした背景に描いた作品を発表する。この時から1951年に病没するまでの北脇の画業を、本展は充実したコレクションによって辿る2。その仕事は大きく次の3期に分けられよう。かたちの連想を発展させた「幻想的なイメージ」の時期、自然科学や易などを駆使した「図式的な絵画」の時期、そして《クォ・ヴァディス》(1949年)に代表される終戦後の時期だ。 本展の主眼は、北脇をシュルレアリストたらしめてきた幻想的な
東京都美術館のマティス展にいってきた。回顧展だが、とくに1910年前後のマティスの作品群が、個人的にはモダンアートの歴史全体においてピークの一つだと考えているので、それらを見ることができたという意味においては展示に満足した。ただ、帰ってカタログの論考を読んでみて、思うところがあったので記事にしておく。 今回のカタログでは、近藤学氏、藪前知子氏、アラステア・ライト氏、岡崎乾二郎氏の論考が掲載されていた。アラステア・ライト氏以外の三人については日本の美術業界では著名なので知っていたが、ライト氏の名前はまったく聞いたことがなかった。どうもオックスフォード大学で美術史について教えている方らしい。 ライト氏の論考は「プリミティヴィズム––アフリカ芸術との出会い」という題で、マティスとアフリカ彫刻の影響について論じている。こういった文物がヨーロッパに入りこんでくるのは言うまでもなく帝国主義による植民地
杉浦邦恵さんがニューヨークの窓について書かれたので、こちらは名古屋にかつてあった「アメリカ」の窓から話をはじめよう。 大和生命ビル (1939年に名古屋日本徴兵館として横河工務所によって建てられた。地上7階、地下2階に冷暖房施設、電動シャッター、エレベーターを備えたアメリカの近代オフィスビルに倣った建築 )は、名古屋の広小路通と本町通の交差点にアールをなす装飾の少ない外観に、南側に大きな玄関口を備え、廊下も広々としたスケール感のある建物だった。「あれはアメリカだった」とはかつてこのビルに入居していた某氏の言。第二次世界大戦時に市街中心部のほとんどが焼け野原と化した名古屋にあって残存した数少ない建造物のひとつだったために、戦後、ちょうど南面する敷地に進駐したアメリカ軍によって接収され、このビルに司令部が置かれた。アメリカのオフィスビルの様式を模したこの建物は、まさしくアメリカのオフィスになっ
伊丹市立美術館などが統合されてできた伊丹ミュージアムへ、先日行ってきた。「小牧源太郎 生きとし生けるもの」展である。なお、会期は終了しています。SF的な作品の「初期シュルレアリスム的時代」はもちろん、川勝政太郎の史跡・美術同攷会に参加したり、天野俊一の仏教美術文様図を模写し作品にとりいれた「仏画的時代」や戦後の稲荷神、オシラ神、道祖神などを取り込んだ「土俗信仰的時代」の作品も注目すべきものであった。ここで、小牧が昭和23年6月から26年12月まで東京精神分析学研究所の京都分室主任だったことを知った。 江戸川乱歩が大槻憲二主宰の同研究所の所員だったことは、「大槻憲二の東京精神分析学研究所 - 神保町系オタオタ日記」や「東京精神分析学研究所創立期のメンバー - 神保町系オタオタ日記」で言及したことがある。落合教幸・阪本博志・藤井淑禎・渡辺憲司編『江戸川乱歩大事典』(勉誠出版、令和3年3月)には
昭和19年2月22日小早川秋聲の《國之楯》が完成した。この作品は、一昨年の夏京都文化博物館の「小早川秋聲 旅する画家の鎮魂歌」展で展示された。この時期の小早川が、『南木芳太郎日記五』(大阪市史料調査会、令和4年11月)に出てくるので、紹介しておこう。 (昭和十九年) 二月十一日(金曜日)紀元節 (略)難波別院に至る。(略) 輪番所にて鹿野氏・長島氏・山口氏と会見。明治天皇御聖蹟顕彰について相談す。(略) 二月十七日(木曜日) ◯京都東山巡り護国神社前東一休庵にて(大谷大学徳重氏*1・小早川氏・山口氏・鹿野氏等と会合の事、午後四時の約束也)。 (略) 二月二十四日 (略) ◯午後五時、難波別院へ行き安井栄之(少年審判所長)・勝山検事・藤岡事務長官・小早川秋声氏等と協議後、信濃橋ふた葉にて会食す。 二月二十八日(月曜日) (略) ◯難波別院発起人会欠席す、電話にて断る。 三月十日(金曜日)午後
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