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2018年9月22日のブックマーク (3件)

  • 私たちは抗議する 笙野頼子・北原みのり|Minori Kitahara|note

    笙野頼子さんと怒りを共有し、声をあげます。 【笙野頼子さんの抗議】 痴漢する権利、とは何ごとであろう。弱いものおとなしそうな者を選び、ことに中学生や小学生を狙う行為、嫌がる人間に対して性という大切で繊細な領域を踏みにじる、性暴力を振るう。幼いものにさえも、時には一生尾を引く程の苦痛を与える。まさに犯罪。 そのどこに権利がある? 拘留や裁判における人権ならともかく、その犯罪行為自体を権利として擁護すべき、という主張なのか? つまりは犯罪、加害、それ自体を権利だと言うつもりなのか。ならばそれは一体憲法のどこにあるのだろう。 しかも反語だというのならその反語の目的は何か? 誰を殴るためか? まず、殴られているのは何の犯罪もしていない、それどころかずっと被害を受けているLGBTの方たちである。つまり彼女らや彼らを一層苦しめ、その抵抗や努力を無にするためにわざわざしているのである。 掲載誌p89下段

    私たちは抗議する 笙野頼子・北原みのり|Minori Kitahara|note
  • 「新潮45」2018年10月号特別企画について | News Headlines | 新潮社

    まとめとは? 日常的な身の回りの出来事から、世界を揺るがすニュースまで、が扱うテーマは森羅万象。四季折々の年間イベント、仕事、暮らし、遊び、生きること、死ぬこと……。さまざまなテーマに沿うの扉をご用意しました。扉を開くと読書の興味がどこにあるのか見えてきます。

    「新潮45」2018年10月号特別企画について | News Headlines | 新潮社
  • 日立鉱山専用電気鉄道 - Wikipedia

    日立鉱山専用電気鉄道(ひたちこうざんせんようでんきてつどう)は、茨城県日立市の日立駅(旧称・助川駅)から同市内の大雄院駅までを結んでいた日鉱業の専用鉄道(鉱山鉄道)である。助川専用電気鉄道、略称「助鉄」とも呼ばれていた[注釈 1]。 概要[編集] 日立鉱山専用電気鉄道で使用された電気機関車。日鉱記念館敷地内で撮影。 日立鉱山専用電気鉄道は日立鉱山への物資の移送を目的として、1908年(明治41年)8月に建設が開始され、11月に開通した。当初は貨物輸送専用の予定であったが、まだ鉄道建設中の1908年(明治41年)10月に逓信大臣宛てに便乗許可願いが出され、翌11月には便乗が認可された。大正時代初めには旅客専用車の運行も行われるようになり、常磐線の助川駅から日立鉱山の精錬所がある大雄院までの物資と人員の移送を担った。旅客運賃は無料であり「無賃電車」として親しまれた[1]。 大正初期から第一次