子供の入院に付き添って、しばらく病院に滞在していた。 手術の前後は必ずいなければならないのだが、親がすることできることは限られていて、概ね退屈な時間が続く。持参した本を読み終えて、院内文庫で本を借りることにした。頭は使いたくないが、すぐ読み終わるようなものは困る。村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」があった。好きな小説だが、ここ数年は読んでいなかったので、これを読み始めた。 小児病棟というのは、悲劇が日常になっていることが、感じられないくらい空気に溶け込んでいる場所だ。 付き添いで泊まり込んでいる若い母親が、もう泣きたいよーと笑いながら話す声が聞こえる。子供なんて、普通に生まれたら普通に育つもんだと思ってたら、まさか癌になるとはね。私からは見えないところから、笑い声の合間に鼻をすする音はするが、声は乱れず明るい。 細い足をむき出しにした小さな子を抱っこ紐で抱えたパンクファッションの母親が、
母がしんどい 作者: 田房永子出版社/メーカー: 新人物往来社発売日: 2012/03/24メディア: 単行本(ソフトカバー)購入: 10人 クリック: 144回この商品を含むブログ (33件) を見る毒親育ち 作者: 松本耳子出版社/メーカー: 扶桑社発売日: 2013/04/18メディア: 単行本この商品を含むブログ (4件) を見る 毒親――この、どこまでも重いテーマを扱った作品はいろいろあるけれど、漫画は、そういう毒親を表現するメディアとしてバランスが取れているんじゃないか……と思う。少なくとも『母がしんどい』『毒親育ち』は、そういう風に思わせてくれる。もし活字で表現したら窒息しちゃうんじゃないかと思うような内容を、これらの“毒親漫画”は漫画作品として巧みに成立させている。息が詰まりそうでも、ユーモアでどうにか息継ぎが続くというか。 両作品は、1.「児童相談所に通報される手前ぐらい
本をテーマにしたエッセイや随筆、本棚を紹介する本を漁ってみると、僕が知らないだけで、実は「床抜け」はそんなに珍しいことではなく、起こりうるということを思い知った。それどころか床が抜けなくても、本が大量にあるというだけで十分大変だということも、嫌というほどに理解した。 本との格闘 その中から故・草森紳一のケースを紹介してみたい。著書の『随筆 本が崩れる』(文春新書)には次のようなことが書いてあった。 ドドッと、本の崩れる音がする。首をすくめると、またドドッと崩れる音。一ヶ所が崩れると、あちこち連鎖反応してぶつかり合い、積んである本が四散する。と、またドドッ。耳を塞ぎたくなる。あいつら、俺をあざ笑っているな、と思う。こいつは、また元へ戻すのに骨だぞ、と顔をしかめ、首をふる。 これは草森さんが風呂に入ろうとして本の山が崩れ、浴室に閉じ込められたときの様子である。彼の住む2DKの空間の中でまったく
娘マチ子、もうすぐ一歳半。いつのまにか自分でカラーボックスから絵本を引っ張り出して「はい! はい!」とせがむようになった。とても嬉しい。これも妻が積極的にそういう時間をつくってくれていたからだろうと思う。記録をかねて、今うちにある絵本を並べてみることにする。 絵本は主に、 僕の実家から持ち出してくる 母が読み聞かせにとても熱心だったため、実家には大量の絵本在庫がある 区の図書館から借りてくる 妻が積極的に利用している お祝いでもらったり、買ったりしたもの 痛んで買いなおすものも含む などの経路で我が家にたどり着く。 アイエエエエ! 絵本じゃないナンデ!? 最初の絵本 こうして並べてみると、定番の絵本であるせなけいこ作品(「ねないこだれだ」「あーんあーん」「おばけのてんぷら」)がないことに気づく。 だって「ねないこだれだ」はコラの印象が強すぎて… どうぶつのおかあさん/小森 厚・藪内 正幸/
作者は、昭和初期に活躍した童話作家・新美南吉。 物語は、南吉が村の茂平(もへい)というおじいさんから聞いた話とされる。 いたずら好きの小狐「ごん」は、村に住む兵十(ひょうじゅう)という男が捕ったウナギを逃がす。 その後、兵十の母が亡くなる。兵十は、どうやら病気の母にウナギを食べさせるつもりだったらしい。 ごんは後悔して、兵十の家にひそかに食べ物を持っていく。しかし兵十にごんの意図は通じず、かえって迷惑をかけたり、神様のおかげだと思われたりする。 しまいにごんは、栗を持って兵十の家に入ったところ、兵十に「またいたずらをしに来た」と思われて撃たれる。倒れたごんに近づく兵十は、土間に置かれた栗を見て、すべてを悟る。 なんとも悲しい話である。 しかし、『ごん狐はなぜ撃ち殺されたのか 新美南吉の小さな世界』を著した作家・編集者の畑中章宏さんは、今あらためて「ごん狐」をはじめ、新美南吉の諸作品を読み返
良い機会があった。遠い親戚が亡くなったのだ。 「良い」なんて不謹慎だけど、このご時世に大往生だから感謝しないと。家族総出で葬式に行く。テレビなどに任せず死の教育をやってきたつもりだが、百聞一見、葬式こそ最高の現場だ。 子どもに伝えたいたった一つのことは、以下に尽きる。 あんたまだ生きてるでしょ だから、しっかり生きて、それから死になさい しっかり生きてないと、ちゃんと死ぬことすらままならない…このメッセージをそのまま言っても分からない。まず、自分の「生」を大切にさせる。できるようになれば、家族の、ひいては他人の「生」へも目配りができるようになる。 自己であれ他者であれ、「生」を大切にできるようになれば、それを支える「生活」も大切にするだろうし、「生」を生み出す「性」も同様に扱えるようになる(はずだ)。 生の反対は死でない。しかし、死について考えることは生きる本質(文字通りの "qualit
やや刺激の強いタイトルのマンガがfacebookで紹介されてきて、amazonを見に行ったらレビューが星5つと星1つにまっぷたつ。自分の目で確かめてみようと思った。 母親やめてもいいですか 作者: 山口かこ,にしかわたく出版社/メーカー: かもがわ出版発売日: 2013/03/01メディア: 単行本(ソフトカバー)この商品を含むブログ (6件) を見る いわゆる「コミックエッセイ」である(定義はよくわからないが)。発達障害をもつ子どもの母親自身が描いたマンガや本はこれまでにもたくさんあり、その多くは子育て中の保護者(特に母親)が知識を得たり、共感を覚えたりするような内容を目指していたと思う。マンガにすることで本が苦手な人も手にとりやすくなる。 「こういうことって、あるある」「自分だけじゃないんだ」という共感は、親にとって単なる気休めではない。私的な体験と思われていた苦労が、「みんな」にとっ
今朝方、ツイッターから見える世間を眺めていると、「アメリカ/米国不動産投資日記」というブログの「東横線沿線の高校生は裕福? 日本でも所得別住み分けが進行中?」(参照)というエントリーのリンクが目に付いた。それだけ見ても、だいたいエントリー内容は想像できるが、リンク先を開いて読んでみようと思ったのは、その想像の確認ではなく、もしかして、という思いがあったからだ。 もしかしてというのは、世帯の所得格差の考察において、夫婦共稼ぎの要因を考慮に入れてないんじゃないか、という思いともう一つの思いである。 リンク先を開いて該当エントリーを読むと、男女間の人口比は考慮されているが、夫婦共稼ぎの要因はさほど考慮されていなかった。もちろん、それゆえにその考察が間違っていると言いたいわけでは全然ない。おそらく、このエントリーのような考察においては、「夫婦共稼ぎによる世帯所得の要因に地域差はない」という前提が含
書評に類するブログ記事を書くということは、 その書物を二度読むということであった。 直喩だとか隠喩だとかいったレトリックの名称それ自体は中学・高校の国語の授業で習うものだし、国語便覧を繙けば必ずまとめられている。(手元の『最新国語便覧』では「効果的な表現」に修辞法が紹介されている。目次には「レトリック」「修辞」の文字は一切ない) しかし、それにも関わらず、直喩と隠喩の両者に本当に差があるのか疑問に思うことがあった。機械的に判別するなら「〜ようだ」のつく方が直喩で、「〜ようだ」がつかない方が隠喩なのだが、それでまさか納得できるはずもない。「ようだ」があってもなくても文意が通るとすれば、直喩と隠喩を使い分ける意味など無くなってしまう。ヨーダは戦犯か否か。もちろん、そんなことは誰もいっていない。両者のニュアンスが異なっていることぐらい日本語のネイティブなのだから分かる。分かるのだが……では違いは
親やるようになって十年たった。 振り回されつつ導こうとする親業(親行か?)、いずれも上手くいってる気がしない。子どもは親の言うことは絶対に聞かないが、親のマネだけは恐ろしく上手だ。せいぜい、己が背中を煤けさせないように気をつけるのみ。 それでも面白いのは、親とはつくづく業(ごう)なものに気づいたこと。親とは一種の呪いなり。遺伝情報のコピーは、遺伝子のみならず、獲得形質を子どもに渡す。それは、思考や習慣、癖といった名前で呼ばれ、人生や社会や異性に対する姿勢なども相似(あるいは反面教師)の形で伝染(うつ)される。 そういう、親の呪い、親の業(ごう)について選んでみた。お気づきの方もいらっしゃるだろうが、これは、スゴ本オフ「親子」で紹介した作品がメインになる。しゃべるのはヘタっぴなので、ここで文章化しておこうかと。 まず、親の嘘について。親が子どもに嘘をつくのは、現実がとんでもなく歪んでいるから
なんとなく、といいたいところだがゲスい野次馬根性があったのは否めない。元官房長官の武村正義氏は私が物心ついた頃から故郷を離れるまでずっと滋賀県知事だったし、政界を引退されて久しくなるとはいえ近年になってその息子が大麻で逮捕されたというのは滋賀県では大事件だった。著者は息子の妻のみゆきさんで、自身も逮捕されてから夫の裁判が終わり夫が薬物やアルコール依存症から抜け出すに至るまでのドキュメンタリー。図書館でふと手にとって読み始めたらやめられなくなった。よい本だったのでご紹介したい。 前半は夫が所持していた大麻を捨てたということで共謀を疑われて著者が逮捕され、容疑者として拘留されてから不起訴になって釈放されるまでの記録である。明るい筆致で読みやすい文体に引き込まれて読み進むと容疑者がウソの自白を誘導される過程などが体験を元にリアルに綴られていて、ゲスな好奇心なぞどこかへ飛んでしまう。筆者は現実に夫
この物語は自分のために書かれたに違いない。不思議とそんなふうに感じる作品がある。そう感じるかどうかというのは、面白い面白くないという感覚と必ずしも対応しているわけではなくて、例えば鴎外も漱石も面白いけれど、鴎外の作品を読んで自分のために書かれたというふうに感じることはまずない。これが漱石になると、自分のために書かれた感がかなり強くなる。これは読む時の年齢によってもまた違う感覚があるのだろうし、もちろんこういう感覚というのは人それぞれにあって、それぞれに愛着のある作品というのがあるんだろうと思う。 オトフリート・プロイスラーさんが亡くなられた。 →「オトフリート・プロイスラー氏死去=ドイツ児童文学作家」 小学生のとき、従兄弟の家で『大どろぼうホッツェンプロッツ』を読んだ時、これは自分のために書かれたんじゃないかと本気で思った。主人公のカスパールと仲良しのゼッペルは本当の友達のように思えたし、
(半ば独り言、半ば公開メモ) レジスターという概念がうまく説明できない。どっかによい説明があったら引っ張ってきたいと思ってethnographyの教科書を引っ張り出してみた。ethnographyというのは「民族誌学」などと訳されている。字義どおりには民族の文化を記述する学問だが言語学方面ではたとえば「社会的文化的な文脈において言語を記述する」あるいは「コミュニケーション全体の中で『言語』を位置づける」といった方法論の一つとして取り入れられたりもしている。 その名も"The ethnography of communication -an introduction" (Saville-Troike:2003)というこの入門書は、入門しかやってない私がいうのもなんだけどethnographyのよい入門書である。レジスターについての説明が引用できたらいいかなと思ってざっくりその辺を読んでみたら
親が読んで、ほっとする本。 フェミニストが何と言おうが、男の子の子育てと、女の子の子育ては、ちがう。男女は、性差ではなく性格が性別に定着していくもの。つまり、「男の子らしさ」や「女の子らしさ」は、お互いもともともっており、成長の過程で(主として環境により)際立たせられていくものでないかと。 しかし、ほとんどの育児本は、性差を意識していないか、あるいは「男の子限定」の内容となっている。なぜなら、育児本を手にするのはたいていママだから。「女の子=自分が小さかった頃」を考えて、自分を基準にしてしまうだろうから。 そんなニッチにピッタリとあてはまる本を読んだ。なじみの図書館の予約待ち順位は、「100位」。amazonでは見えにくいが、本書がどれだけ望まれているか、よく分かる数字だ。娘を持つ親のためのアドバイスが満載しており、まさにいま読みたかった一冊。 とはいうものの、デジャヴ感やライフハック臭も
『普天間を封鎖した4日間』 本の紹介です。 下記は出版社のサイトからのコピペ 〓 普天間を封鎖した4日間 2012年9月27日~30日 宮城康博・屋良朝博 著 ●四六判 112頁 ●2012年12月1日発行 ●本体価格1100円 ●ISBN 978-4-87498-498-7 沖縄中の“怒り”をよそに、10月1日、沖縄に強行配備されたオスプレイ。直前の9月末、普天間基地のゲートは大型台風が直撃する中、市民による座り込みで「封鎖」された。 現場に立ち会ったジャーナリストが克明に記録した4日間の「普天間ゲート封鎖」を、再現する!! 〓 10月28日に高文研の編集者・山本さんからメールをいただき、なごなぐ雑記の普天間封鎖に関わる記事をキャッチボールしながら整形し、現場で知り合った宮里洋子さんの大量の現場写真(洋子さんはプロのフォトグラファーではなく、座り込みに主体的に参加する市民のひとりです。彼
プリンセス願望には危険がいっぱい 作者: ペギーオレンスタイン,日向やよい出版社/メーカー: 東洋経済新報社発売日: 2012/10/26メディア: 単行本購入: 8人 クリック: 167回この商品を含むブログ (1件) を見る 息子が産まれた時から夫婦で同じように育児に関わってきて、年と共に彼が「男の子っぽく」なっていくのを、面白く眺めてきた。息子は最近、ウルトラセブンが大好きで…ではなく、自分のことをウルトラセブンだと信じている。そんな息子のお気に入りの遊びは「ダンとアンヌごっこ」。自分はモロボシダン役、そしてママ(私)にアンヌ隊員役をやらせて会話を楽しむ。例えば、 息子「みんな、洞窟に行くぞ!…ねえママ『洞窟は怖いわ』って言って。」 私「洞窟は怖いわ…」(←60年代の女らしい女性というコスプレ気分) 息子「大丈夫だ。他にもたくさん男がついているから!」 これは違うだろう、と思った私は
世の中には真の意味で、役に立たない本というものがある。あらゆる本は役に立たない、という議論もあるが、そんな深遠なことじゃなく、見た瞬間に役に立たないとわかる本、ばかばかしさやくだらなさを乗り越え、「役立たずな方向」に、全力で、一生懸命、真剣に突き進む本たちのことだ。最近なら『醤油鯛』もすばらしいが、ここにまた一冊、そんな愛すべき本が誕生した。 試験に出ないのである。しかも「出ない順」である。 ちなみに最初の単語、すなわちもっとも出ない単語はsalmon carpaccioである。carpaccioって英語か、というツッコミは脇に置き、例文は下記だ。 Bob laughed so hard that the salmon carpaccio came out of his nose. ボブは笑い過ぎてサーモンカルパッチョが鼻から出ました。 皆さん、大事ですから暗記して下さい。 対象は大学受験
前回に引き続き図鑑の紹介となります。その名も「世界で一番美しい人体図鑑」であります。 世界で一番美しい人体図鑑posted with AZlink at 2012.10.12三村明子(みむらあきこ) エクスナレッジ 売り上げランキング: 112286 Amazon.co.jp で詳細を見る 気の弱い私なら「ほんまに世界で美しいんやろなコラ、これでもっと綺麗な人体図鑑あったら尻の穴から手ぇ突っ込んで奥歯ガタガタ言わしたろか」とか「世界で一番美しくなきゃダメなんですか、二番じゃダメなんですか?」などとクレームが入るかもなどと思ってしまって、「世界で一番美しそうな」とか「世界で一番美しいと思われる」とか「世界で一番美しい(笑)」とかにしてしまいそうなものだが、ずばり「世界で一番美しい」と言い切っているあたりがまことに清々しい。もし一番でないことが分かったらその場で腹を切りますという出版社の覚悟が
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