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こころとブログと批評に関するlaislanopiraのブックマーク (6)

  • いいコンテンツは必ずバズる。 - デマこい!

    数人のえらい人が「いい」と批評したコンテンツよりも、数万人のふつうの人が「いい」と評価したコンテンツのほうが、普遍的な「よさ」を持っている可能性は高い。インターネットの美点は、いいコンテンツが、えらい人の一存で黙殺されないことだ。いいコンテンツには必ず熱烈なファンがつく。ファンが拡散してくれるので、いいコンテンツは必ずバズる。 私はブログを書いているので、この記事では主にテキストコンテンツについて考えている。が、イラスト音楽などの他のコンテンツでも基的に同じだろう。作ったコンテンツが「いい」なら必ずバズるし、もしもあなたの作ったモノがバズらないとしたら、それは普遍的な「よさ」に欠けていると考えたほうがいい。 では、インターネットでバズるのは「いいコンテンツ」だけだろうか? 流行にのったコンテンツだけがバズっているのではないだろうか? また、いいコンテンツでもバズらないケースがあるとした

    いいコンテンツは必ずバズる。 - デマこい!
    laislanopira
    laislanopira 2014/03/17
    "情報技術の発展により、消費者が好みのコンテンツにたどり着くまでの時間は著しく短くなった。反面、好みではないコンテンツを試す機会が減った。"
  • 元トピ職人の釣り解説を解説する - DJホームラン

    日記 [コラム]釣り分析”「歌い手」だった私にかけられた魔法が解けた”|元トピ職人の釣り解説http://topisyu.tumblr.com/post/48442003797 野暮を承知で「答え合わせ」をしてみようと思います。後出しジャンケンみたくなって、あまり良い気はしないんですけど、この方の分析芸に対して、分析された側からのリアクションってあまり見た事が無かったから、じゃあ、おれがやってみようか、と。 最初に申し上げておきますと、僕はこの「元トピ職人」さん(以降、Twitterのスクリーンネームからトピシュさん、と呼ばせて頂きます)のファンです。以前から、その釣り解説を拝見して敬意と、ある種のシンパシーを感じておりました。だから、今回トピシュさんの分析の遡上に乗れた事も非常に喜んでおります。 ここでは戸川純がキワード。戸川純ファンが辛辣なコメントをするということから、戸川純の位置づけ

  • 激論!音楽批評とは? -高橋健太郎 vs. 微熱王子-

    5月9日昼に始まり、11日昼に終結した高橋健太郎氏(@kentarotakahash)と微熱王子氏(@BN2OG)の論争を、時系列を無視し極めて恣意的にまとめました。 すでにあぶさん氏(@absolute_empty)がこの激論を「音楽批評についてのやりとり」(http://bit.ly/KOb0pE)としてまとめています。全ての呟きが時系列で並び、要点を押さえたツイートが選択されているため、記事よりも短く、従ってずっと読みやすくお勧めです。このまとめ記事は少しでも理解したいために、私がわかりやすようにかなり手を加えたものです。 高橋氏は、その荒ぶる呟きを通し2年ほど前に知り、その後音楽ライターとして長く活躍していたこと、現在はプロデューサーとして、あるいは音楽配信サイトototoyの運営者として活躍していることを知りました。 続きを読む

    激論!音楽批評とは? -高橋健太郎 vs. 微熱王子-
  • 思考途中の記事を叩いてネットの最良の部分を潰してしまう人たち - fromdusktildawnのチャットコメント

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  • リトル・ピープルの歌謡史(行ったら帰ってこない。青春と一緒) - kenzee観光第二レジャービル

    enzee「このような「翼を拡げて 大空に 鳥のように 飛び立とう」的な歌とは大昔からあるような気がするけど、実際は20年ぐらいの歴史しかないものなのだ。それどころかたった30年前には「翼など愚かな憧れだ」と諌められていたのだ。ついでに、さらに2年前の1978年の泉谷しげるのアルバム「80のバラッド」に「翼なき野郎ども」が収録されているが、歌詞に直接「翼がどうこう」といった言及はない。だが、歌詞を読めば「火力の雨降る街角」といった発電所が軒を連ねる労働者の街の話だとわかる。「ヤクザがいらつく 午後の地獄 ふざけた街にこそ家族がいる」社会の底辺で逃れようにも逃れられないしがらみがある。はじめから翼など持てなかった男たちの挽歌なのだ。つまり、この時代はまだ「翼を拡げて飛び立つことは困難だ」とされていたのだ。それが90年以降、翼を拡げることは大前提的に「いいこと」となった。この時代の転換点に「旅

    リトル・ピープルの歌謡史(行ったら帰ってこない。青春と一緒) - kenzee観光第二レジャービル
  • 思考停止と疾病利得 - 内田樹の研究室

    政治向きのことをブログに書くと、しばらく接続が困難になるということが続いている。 べつにサイバー攻撃とかそういうカラフルな事態ではなく、一時的にアクセスが増えて、「渋滞」しちゃうのである。 それだけ多くの人が政治についてのマスメディアの報道に対してつよい不信感をもっており、ミドルメディアに流布している現状分析や提言に注目していることの徴候だろうと私は思う。 今回の普天間基地問題をめぐる一連の報道によって、私は日のマスメディアとそこを職場とする知識人たちはその信頼性を深く損なったと思っている。 新聞もテレビも、論説委員も評論家も、「複雑な問題を単純化する」「日の制度的危機を個人の無能という属人的原因で説明する」という常同的な作業にほぼ例外なしに励んでいた。 ほとんどのメディア知識人が「同じこと」を言っているのだから、「他の人と同じことを言っていても悪目立ちはしないだろう」という思考停止が

    laislanopira
    laislanopira 2010/06/02
    ”自己欺瞞が有用なのは自分を偽ることによって得られる「疾病利得」が、適切な自己認識のもたらす自己嫌悪の「損失」を上回る限りにおいて"
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