仙台市青葉区の丘の上の住宅街。その一角に、佐々木慶三さんはひとりで住んでいる。1920(大正9)年生まれ、103歳になる。 戦時中に入信した日本人イスラム教徒の「最古老」がいると聞き、教えられた住所…

▽駅の子 二階建ての教会から出迎えてくれたのは、「社会福祉法人まほろば」(兵庫県三木市)常務理事の門口守子さん(83)と事務局長の中川敬悟さん(60)だ。天理教信者でもある2人は、教会で生活していた晩年の橿本さんを見守り、支援してきた。 橿本さんが以前に暮らした施設から、門口さんらに引き継がれた記録などによると、橿本さんは1953年5月、国鉄神戸駅(現在のJR神戸駅)で、生後間もなくの捨て子として見つかり、保護された。両親が誰なのか、どういう背景があって放置されていたのかは全く分かっていない。 「戦争が終わって8年しかたっていない時ですから、戦災による貧困など何かしら事情を抱えていたのでしょうね」と中川さんは推測する。本人の名前も、記録にあった1953年3月1日という生年月日も、保護した行政が設定したのか、両親が放置した際に何かしらの情報を残していったのかどうかも不明だ。 橿本さんが見つか
厚生労働省は昨年12月、「宗教の信仰等に関係する児童虐待等への対応に関するQ&A」という通知を出し、宗教の信仰に関連付けた児童虐待を例示した。夏野さんを含めた、宗教2世や3世の当事者や支援者の活動が身を結んだ形だ。 さらに今後は宗教虐待を法で裁けるようにと、児童虐待防止法の改正も訴えている。こうした支援活動をするきっかけとなったのは、夏野さん自身の経験によるものだ。 夏野さんは、幼少期から宗教虐待を受けていた。 「聞いた話では母は教育熱心で、私にムチ打ちをしていて、他の人にもムチ打ちを推奨していたようです。父もムチ打ちをしていました。理由は乳児期なので検討がつきません。集会中に泣いたとか、ぐずったり…ですかね。 私は幼稚園には行きませんでした。家でお祈りをしたり、集会の予習などをしていました。父方の祖母は、多くの時間を伝導に充てる『開拓者』をしていました。エホバでは女性は出世できないと言わ
永田町で大きな存在感を誇っていた安倍晋三元首相(享年67)が凶弾に倒れてから、はや1年。7月8日、その安倍氏の一周忌法要が東京・港区の増上寺で営まれる。夫を亡くした昭恵さん(61才)にとっても、まさに激動の1年だった。そんな中、安倍氏の一周忌に関連し、昭恵さんが自民党関係者とトラブルを起こしていたという。 「安倍さんと盟友関係にあった大物議員が、一周忌に合わせ『お別れの会』を企画していたところ、昭恵さんから横やりが入ったそうです。一周忌に関する行事はすべてご自身でやりたいという思いがあるようですね。昭恵さんの許可を得られなかったため、企画自体が立ち消えになってしまったと聞いています」(自民党関係者) さらに、一周忌法要の案内状も、昭恵さんサイドが自民党側と調整しないまま送付してしまったことで、周囲は大混乱に陥ったという。 相変わらず我が道を行く昭恵さん。そんな彼女はいま、壮大な“ある計画”
#2 山上徹也被告のツイートにはなぜ「女」が頻出するのか? 新自由主義とカルトに追い詰められた“ジョーカー”の全1364ツイートを読み解く に続く 岸田首相襲撃事件の犯人は山上被告に触発された?五野井 4月に岸田文雄首相が襲撃される事件がありましたが、その犯人(木村隆二容疑者)のツイートを分析していくと、去年の山上徹也被告による安倍元首相殺害事件に触発された部分があったと感じられました。山上被告は手製の爆弾や銃をつくりましたが、今回も手製の爆弾でした。 テロや暴力を通じて政治を変えていこうとするのを許さないのは当然の前提として、山上被告はなぜあのような事件を起こしてしまったのか? それを検証することを通じて、彼の心の裡を分析し、理解し、どうすればそういう暴力に訴えようとする人が今後出てくることがない社会を構想することができるのか、という思いから『山上徹也と日本の「失われた30年」』を書きま
甥の山上徹也が安倍晋三元首相を銃撃した2022年7月8日の事件から、まもなく1年が経とうとしている。 事件後、私はマスコミ関係者に事件の背景を説明してきた。徹也の幼い頃に父親(私の弟)が自死したことや、徹也の母親が旧統一教会に多額の献金をしたことが原因で一家が破産したこと、さらには障害者だった徹也の兄が将来を悲観して自死したことをなどである。そうした事件の背景を説明することが伯父としての社会的責任だと考えたからだ。 徹也の捜査は終了し起訴されたことで、私は、自分の任務を終えたと考えている。ところが事件から1年という節目が近づいているからか、最近、再びマスコミ関係者が私のところにやってくるようになった。その一つひとつに対応するつもりはないため、以下、徹也に関することを記しておくことにした。 海水浴場で見せた笑顔 まずは彼の少年・青年時代に触れておきたい。 彼の父親が自死したのは1984年、徹
男たちは店外に出て、煙草の煙をくゆらせた。なかなか “一服” できなかった、長旅の疲れを癒やすかのように――。 【写真多数】北島康介「教団Tシャツ姿」「煙草で一服」 6月8日、東京都内の蕎麦店から出てきたのは、元競泳選手の北島康介(40)と元柔道家の吉田秀彦(53)。2人はこの日、東欧・ポーランドから帰国したばかりだった。 「彼らは、ポーランド在住のウクライナ避難民に向けて『玄米粉』を届ける『世界平和人道支援団』として、5日に羽田空港から出国。8日に成田空港へ帰国しました。店での打ち上げにはいませんでしたが、2人に加えて北島さんの後輩の萩野公介さん(28)も一緒に渡航していたんです」と話すのは、ある宗教団体の関係者。 じつは、この活動は宗教法人「不二阿祖山太神宮(ふじあそやまだいじんぐう)」と、その関連団体「地球(ちだま)と共に生きる会」によるものだという。 「世界平和人道支援団」は、20
パパと会わなくなって7年経った。 死んでしまったわけではない。パパは私が住む家から歩いて1分ほどの場所に住んでいる。でも会わない。 喧嘩をしたからだ。 私が18になったとき、私とパパは警察が来るほどの大喧嘩をして、それ以来いちども顔を合わせていない。 私のパパはセネガル人だ。アフリカの西の、イスラムの国の人間だ。 私の本名には苗字がふたつ付いていて(戸籍上片方の苗字は名前扱いになっているけど)、パパの家系の苗字はセネガルの由緒ある聖人の家系の印として付けられているらしい。 パパが言ったことなので本当かは分からない。でも実際、時々知らないセネガル人から「ごきげんようプリンセス」とメッセージが届く。くるしゅうないぞ。 今でこそ横浜の片田舎で祖母の作った鯛のあら汁を啜るどこにでもいるプリンセスこと私だが、パパと暮らしていた幼いころの家の様子はやはり他とは異なるものだった。 壁いっぱいに飾られた教
母親の価値観により「婚前交渉禁止」と決められていた ――戸田さんは、新興宗教家庭で育ったことを公表されています。いわゆる「宗教2世」ということでしょうか。 戸田真琴さん(以下、戸田) 母親が熱心な宗教2世で、私は実は3世なんです。うちの問題って、おそらく宗教2世的な問題と、母親と父親自身の人間性の問題とが混ざってキツくなっていたのが実態だと思うので、純粋な「宗教2世問題」かというと違うのかもしれないんですけど。 例えば私の家は「婚前交渉禁止」だったんですが、それは宗教的な要因というより、母親の価値観的な部分、今思うと母親には強いミサンドリー(男性への嫌悪)があったと思うんですが、そこからくるもので。 ©杉山拓也/文藝春秋 小さい頃は同じ宗教の子としか遊ぶことを許されず ――複合的な要因があるということですよね。 戸田 はい。そもそもは祖父母が宗教に入っていて、その影響で母親がかなり熱心な信
HOME 教育・学生生活 行事・シンボル 式典・式服 式辞・告辞・祝辞集 令和5年度東京大学学部入学式 祝辞(グローバルファンド 保健システム及びパンデミック対策部長 馬渕 俊介 様) 新入生の皆さん、そしてご家族、ご親族の皆さま、おめでとうございます。 私自身も東大の卒業生ですので、入学時の受験戦争からの解放感、新しい学生生活を始めるわくわく感は、今もよく覚えています。 長い受験勉強が終わって、ついに自由。たくさん遊んで、恋人作って、ガンガンやっていいと思います。 同時に、大学の4年間は、「自分で創り、自分で切り拓く、自分の人生」のスタート地点です。そしてこれからの皆さんの人生の中で、一番自由に、自分の器を広げ、自分の夢を探して突き進める時期でもあります。 私は東大卒業後、発展途上国を日本の立場から支援する国際協力機構JICA、民間の経営コンサルティング会社のマッキンゼーの日本オフィスと
安倍晋三元首相銃撃事件で、殺人や銃刀法違反、武器等製造法違反などの罪で起訴された山上徹也被告。今は裁判の開始を待っています。4歳の時に父親をなくした山上被告を、父親代わりにみてきた親族がいます。弁護士の資格を持つ伯父です。特に、事件があった2022年7月8日以降は、さまざまな形で山上被告や家族に関わってきました。「近く勾留されている徹也に会いに行こうと思う」。そう話す伯父は、思いをつづった5枚のメモをもとに、記者に現在の心境を語りました。 関西のとある閑静な住宅街。暖かな春の日差しの下で咲くソメイヨシノにはたくさんの鳥が集まっています。「ウチの庭にはたくさんの野鳥が来ますよ。四季を感じられるようにサザンカや寒ツバキ、桜などを植えて50年近く手入れを続けています。自然はとても面白いですよ…」。山上被告も幼い頃に見ていた庭を眺めながら、伯父はこう事件について振り返ります。 「荷物まとめて、すぐ
惨めに感じた子ども時代 学校での私は家や教会で祝福された「神の子」ではなく、むしろ自分はみんなよりも劣っているように思っていました。 私の家は他の家庭より貧しいのだと感じていました。 まず保育園や学校に必要なものを、みんなと同じように買ってもらえないことが惨(みじ)めでした。 私が3歳頃から通っていた保育園では、運動会で着る緑色の体操服を、私だけが買ってもらえず、白いTシャツと水色のズボンを穿(は)いていました。 「運動会のときだけしか着ないのに高い」 両親はそう言って、体操服を買ってくれませんでした。 運動会当日、整列しているときに、友達が寄ってきてこう言いました。 「なんでさゆりちゃんだけ体操服じゃないの?」 そうすると、保育園で一番最初に友達になってくれた子が、「別にいいじゃん」と私を庇(かば)ってくれました。 私は友達に聞かれて恥ずかしくて怖かったこと、同学年の友達に庇ってもらった
高校教師です。 部活を持ってた生徒が卒業した。 その子はとても上手で、部活で大学に進学したいと言ってくれた。うまく対策すれば、志望校に入れただろう。 3年生の六月ごろ、急に「大学進学は辞める」と言い出した。びっくりしたけど理由を聞いてもっとびっくりした。「宗教の奉仕活動に参加する」らしい。 その子は、ずっと学校では秘密にしてきたけどキリスト教信者で、18歳以上の男子は2年間奉仕活動に参加しなければいけない。大学に行くと途中で休学して奉仕活動に行かなければいけないから、勉学に集中できない。先に終わらせてから受験したい。親とたくさん相談して決めたとのこと。 流れで宗教のことをたくさん話してくれた。日本国内には東京と北海道と福岡に神殿があって、世界中に神殿があって、どこかに配属されて布教活動をする。そこで使うお金は基本的に実費だから先にバイトをしてお金を貯めなければいけない。クラスの子にはからか
私は幸福の科学の信者でもないし大川の著作を読んできたわけでもないが、ある時期、すこし彼に執着していろいろ調べたことがあるので、訃報に触れて思い出すことを書いておく。すべてうろおぼえの話を書くのでいろいろ間違っているとは思うが(ツッコミが入りそうな予感はする)。 幸福の科学でいちばん面白いのは教祖である大川の存在とその頭の中身だと思っている。そして、人間として大川の性格のようなものは、幸福の科学の教祖になった後、意図的に対外的な自己像をつくり直した過程によくあらわれていると思う。そのあたりの展開は『太陽の法』の初版と改訂版(現在の版につづく)を比較するとよく分かる。もし大川の人となりを知りたい者がいれば、おそらく『太陽の法』の初版以上に有用な資料は少ないだろう。 彼は徳島の田舎で誕生するが、たしか父親はGLA(かGLA系の何か)に入れ込むスピリチュアルな人で、一時期は共産主義に傾倒したあと精
宗教法人「幸福の科学」創始者兼総裁の大川隆法(おおかわ・りゅうほう)氏が死去したことが2日、関係者への取材で分かった。66歳。 昭和31年、徳島県生まれ。東京大法学部を卒業後、商社に勤務していたが、61年に幸福の科学を設立した。 62年に出版した著書「太陽の法」がベストセラーとなり、その後も多くの著書を出版。公称1100万人の信者獲得につなげたとされる。劇場映画公開による広報活動にも力を入れた。 平成21年には政界進出を目指して政治団体「幸福実現党」を設立。この年の衆院選に出馬し、落選した。その後、学校法人「幸福の科学学園」を立ち上げた。さらに幸福の科学大学を設置する計画を進めていたが、26年に文部科学省の大学設置・学校法人審議会が開設を不可と判断した。
新興宗教団体「幸福の科学」の創始者で総裁の大川隆法氏が死去したことが分かった。66歳だった。 関係者によると、大川隆法氏は、おととい、東京・港区の自宅で倒れ、病院に搬送されたものの、きょう午前、死亡が確認されたという。死因は分かっていない。 取材に対して、教団側は、「大川総裁の現在の状況についてはコメントを差し控える」としている。 大川隆法氏 この記事の画像(15枚) 講演する大川隆法氏(2009年7月) 東京ドームで講演する大川隆法氏(2017年8月) この記事に載せきれなかった画像を一覧でご覧いただけます。 ギャラリーページはこちら(15枚) 今、起きている事件、事故から社会問題まで、幅広い分野に渡って、正確かつ分かりやすく、時に深く掘り下げ、読者に伝えることをモットーとしております。 事件、事故、裁判から、医療、年金、運輸・交通・国土、教育、科学、宇宙、災害・防災など、幅広い分野をフ
旧統一教会信者である両親から止められ、教団から妨害されても屈せず、顔を出して宗教2世としての被害を訴え続けてきた小川さゆりさん。昨年12月に小川さんが参考人として参議院の特別委員会に出席し、「被害者救済法案」制定の立役者となってから約2か月、両親との間に新たな動きがあった。1月末、月刊誌『Hanada』(飛鳥新社)に、「両親が覚悟の独占告白 国政を動かす『小川さゆり』の真実」という記事が掲載された。 同記事では、合同結婚式で結婚し教会に残り続けている小川さんの両親が「娘の発信は事実ではない」と訴える声を載せ、小川さんの話には全く信憑性がないと主張。さらに、小川さんから聞きとりをした際の動画をYouTubeに投稿している立憲民主党の議員に対し、旧統一教会(世界平和統一家庭連合)が裁判を起こしていることも明かされた。 小川さんと両親が双方の証言者として対峙する可能性もあるなか、小川さんが自らの
ーー信仰をやめる方は、活動を控えるだけの方が多いとお伺いしたんですけど、どうして脱会までされたんですか? 脱会については、実は最近明かしたんです。10年前に脱会しているんですけど、脱会したということを公表していなくて。 脱会した理由の一つは、政治活動をしていく上で、非常に誤解されやすいんです。無所属でやっているのに、「長井さんは創価の学校を出ているから、公明党から出るんですよね」とか、「創価学会の人からバックアップしてもらえるんですよね」みたいな。 違うんだと。私は、何らかの組織とかのお金を使って選挙をやるような、そういう政治のやり方に一石を投じたいという思いもあります。だから、しっかり脱会して、創価学会信者ではないんだということを公に示したかったんです。 ーー脱会を10年言わなかったのはなぜですか? 親兄弟たちに対して非常にいろいろハレーションが起きるので。今も起きていますけど。創価学会
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