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論理に関するnamawakariのブックマーク (46)

  • Shin Hori on Twitter: "記事の論理は単純明快で 「"リベラル"はxxを批判する→リベラルは多様性や寛容を尊重するはずなのに、xxを批判するのだから矛盾だ。リベラルによる単一の正義の押し付けだ」 基本的にこのパターンである。 後はxxに、"差別"とか"… https://t.co/tyPgsdITu3"

    記事の論理は単純明快で 「"リベラル"はxxを批判する→リベラルは多様性や寛容を尊重するはずなのに、xxを批判するのだから矛盾だ。リベラルによる単一の正義の押し付けだ」 基的にこのパターンである。 後はxxに、"差別"とか"… https://t.co/tyPgsdITu3

    Shin Hori on Twitter: "記事の論理は単純明快で 「"リベラル"はxxを批判する→リベラルは多様性や寛容を尊重するはずなのに、xxを批判するのだから矛盾だ。リベラルによる単一の正義の押し付けだ」 基本的にこのパターンである。 後はxxに、"差別"とか"… https://t.co/tyPgsdITu3"
    namawakari
    namawakari 2021/03/24
    重要な指摘"xxを擁護する方向で反批判や論証すれば良いはずなのだが、この種の記事はそこに立ち入らない。立ち入ったら、価値や規範の議論の土俵に自分も立たねばならなくなる"本人は観席からクソ投げるだけのつもり
  • 法学こそ価値判断まみれのはずなんだが・・・ - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

    恐らくこういうのが世間一般の印象なのではないかと思うのですが、 https://twitter.com/labourstandards/status/1359120602225803270 人文学や政治哲学に違和感を抱くのは、例えば「リベラリズム=良い」とか「でもこんな悪いところもある」とか「ナチズムは悪い」「でも我々の中にも潜んでいる」とか何故か価値判断を一々挟んでいるところ。法学にはあまりそれを感じない。 でもね、それこそいろんな学問の入門書の基礎の基礎のところをちらりとでも読めばすぐわかるように、法学、少なくともその主流である法解釈学こそが、徹頭徹尾価値判断を追求している学問であり、それゆえに法解釈学は科学ではなく、傍流の法社会学が「科学としての法律学」を訴えるということになるわけだし、その対極に位置すると考えられている政治学とか経済学とか社会学といったいわゆる社会科学というのは、そ

    法学こそ価値判断まみれのはずなんだが・・・ - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)
  • 陰謀論に陥らないために - 水城正太郎の道楽生活

    はじめに 陰謀論の記事を書いていて思ったのは、やはり陰謀論者への嘲笑が多いということでした。必要なのは誰かが陰謀論に陥ってしまう前に踏みとどまる手助けをすることであり、自身も陰謀論に染まらないように生活するということです。「自分は絶対に陰謀論に染まらない」などという慢心には特に注意すべきでしょう。 しかし、厄介なのは「陰謀論とは何か?」が定義しにくいことです。どうやらマルチ商法や情報商材商法、カルト、スピリチュアルなどにハマりやすい人が陰謀論にも染まってしまう、という傾向はあるようで、陰謀論そのものもそれらと同様の傾向を持ちやすいことがわかっています。 「陰謀論とは何か?」を解説してしまうと膨大なテキストが必要ですので、それは別の機会か様々な方の記事に頼るとして、ここでは「陰謀論とは思考法そのものである」という仮説を立てて検証していこうと思います。 思考とは何かを定義しておく 思考とは、科

    陰謀論に陥らないために - 水城正太郎の道楽生活
    namawakari
    namawakari 2021/01/17
    “陰謀論では回答が頻繁に与えられます…自分で調べても答えらしきものは見いだせる…陰謀論者たちは思考していないのでなく、全力で思考する快楽を追い続けている”
  • シーライオニングとネット論客の詭弁術 - 京太郎のブログ

    1.シーライオニングとは何か? 2.ネット論客のシーライオニング 3.悪質なシーライオニングの問題点。 3.1 追記 4.【関連記事&参考文献】 1.シーライオニングとは何か? 嫌われる行為の一つとしてシーライオニングというものがよく話題に挙がる。しかしこのシーライオニング、実は単に嫌われるというだけでなく様々な問題を含んでいるのではないだろうか。 今回は、シーライオニングとは何かという話と悪質なシーライオニングが蔓延することの問題点について考えていきたい。 まず、シーライオニング(sealioning)とはウェブ漫画家David Malki !の描いた漫画から派生して生まれた概念である(URL: https://wondermark.com/1k62/ )。 簡単に言うとシーライオニングとは、上の漫画のアシカ(シーライオン)がやっているようなことである。 漫画の内容としては、左上から ①

    シーライオニングとネット論客の詭弁術 - 京太郎のブログ
  • 望月氏の「証明」はガラパゴス現象なのか? - himaginary’s diary

    1年半ほど前にABC予想に関するピーター・ショルツの見解を紹介したことがあったが、そこでリンクしたPeter Woitのブログで今回の「証明」を機に改めてABC予想に関するエントリが立ち、そちらのコメント欄にショルツが降臨している(H/T math_jinさんツイート)。以下はそのコメントの冒頭部と最終部の引用。 I have been weighing back and forth commenting again on this matter. However, the news in that last comment by David J. Littleboy convinced me that it might be good, even if futile, to say something again. I may have not expressed this clearl

    望月氏の「証明」はガラパゴス現象なのか? - himaginary’s diary
  • 桜を見る会再論 - 内田樹の研究室

    もうこの話をするのにも飽き飽きしている。「桜を見る会」についての話である。 どうして「飽き飽き」しているかというと、ふつうの人間の受忍限度を超えて、この話が続いているからである。 続く理由は簡単で、ふつうは申し開きのできない証拠をつきつけられて「申し訳ありませんでした。私がやりました」として「犯人」が白状して、火曜サスペンス劇場が終わるところで、ぜんぜんドラマが終わらないからである。 でも、「私がやりました」と言わないというのは、ある意味では「合理的な」ふるまいなのである。 昔、東京地検に勤めていた友人から、推理ドラマはあれは嘘っぱちだという話を聴いたことがある。検察官に供述の矛盾を衝かれて、顔面蒼白となって、「もはやこれまで」と自白するのは「自分が知性的な人間である」ということにおのれの存在根拠を置いている人間だけだというのである。 「そんな人間は実はめったにいないんだよ。そんなのはね、

    namawakari
    namawakari 2020/02/01
    トップがただの神輿であっても、神輿に徹してくれればシステムがなんとかできたわけだが、神輿がシステムに介入したら、システム全体が馬鹿になるという結果に。システムが壊れたら後が大変だよ。馬鹿は逃げるけど。
  • ララビアータ:「俗情との結託」 - livedoor Blog(ブログ)

    ミルの言葉についての小論についてコメントをいただいた。 科学者や法律家や政治家や、そんなエリート集団は公害汚染を「撒き散らし」「なんの責任もないとのたまい」「卑しく」「阿呆で」「飲めや歌え」と「浮かれ騒ぎ」「がっぽり稼ぐ」輩だと単に煽っているのではありませんか? と仰るのであるが、もちろん私は一部でそのような趣旨の主張を確かにしているのである。そしてそれを正当な主張だと信じているのである。ただし、それをそのような事態が生じているわが国の社会制度的背景について、その構造的問題をミルに託して浮き彫りにしつつ論じていたのである。 ところが、「構造を浮き彫りにする」ことが行われているとは読み得ず、ただ「煽り」しかないと言う。 私の主張が間違っているのなら、その根拠を語ればいいだけの話だと私は書いた。コメンテイター氏は、それは一切書かず、「煽りだ」と書いただけで何か批判した気でいる。何とも不思議であ

  • 酒井泰斗「なぜ『社会学はどこから来てどこへ行くのか』はどこにも辿り着かないのか」(2018.12.23) - socio-logic

    このことこそ、「普通である」ということなのだ。 それについて何も経験せず、何も考えなくてよい人びとが、普通の人びとなのである。 (岸 政彦『断片的なものの社会学』p. nn) 0-1. この文書について この文書は、 岸 政彦・北田暁大・筒井淳也・稲葉振一郎著『社会学はどこから来てどこへ行くのか』(有斐閣、2018年。以下『どこどこ』と略す) の最終章(第8章)を取り上げ、下記5つのトピックについて検討を行い、書がおこなっているエスノメソドロジー・会話分析(以下EMCAと略)の戯画化に対する反論を行うものである。 各章を月一のペースで公開することを予定しており、少なくとも2まで(なるべく3まで)は書き進めたいと考えているが、4と5については数か月後の状況をみて、執筆するかどうかを決める。 開き直りと割り切り:筒井・前田『社会学入門』への評価について (公開済) 調査協力者に対する作法 〈

    酒井泰斗「なぜ『社会学はどこから来てどこへ行くのか』はどこにも辿り着かないのか」(2018.12.23) - socio-logic
  • 詭弁のガイドライン(2018年版)

    使いやすさと面白さを重視。 参考にしたサイト:http://lelang.sites-hosting.com/naklang/fallacy.html ストローマン藁人形論法。 相手の主張を一部分だけ引用したり、極端な形に言い換えたりして、反論しやすいかたちに改変してから論破してみせること。 チェリーピッキング多くのデータの中から、自分にとって都合の良い例だけを取り出してきて、都合の悪い例は無視すること。 Whataboutismそっちこそどうなんだ主義。 自分の行動が批判されたときに、それ自体には反論せず、「お前も同じことをやっているじゃないか」と相手の過ちをあげつらう論法。 多重質問互いの合意が得られていない前提が含まれている質問のこと。 「最近の漫画がつまらないのは出版社のせいだと思うか?」という質問は、「はい」と答えても「いいえ」と答えても「最近の漫画はつまらない」という前提を認め

    詭弁のガイドライン(2018年版)
  • 自然主義的誤謬では退けられない主張 Kahane (2016) - えめばら園

    Moral Brains: The Neuroscience of Morality (English Edition) 作者: S. Matthew Liao出版社/メーカー: Oxford University Press発売日: 2016/08/15メディア: Kindle版この商品を含むブログを見る Guy Kahane. (2016). Is, Ought, and the Brain. In S. M. Liao (ed.), Moral Brains: The Neuroscience of Morality, Oxford: Oxford University Press. 2. Hume's law and naturalistic fallacy 「我々は自然なことをなすべきだ」という主張を考えよう。このような主張は、ヒュームの法則ないし「自然主義的誤謬」によって、決定

    自然主義的誤謬では退けられない主張 Kahane (2016) - えめばら園
  • 自分が使う無敵論法を他人が使っているかのように見せかけるgryphon氏 - 法華狼の日記

    まず、以前に別件で引用した*1、はてなブックマークの下記コメント。 はてなブックマーク - へぼやま on Twitter: "穏当な抗議をしている間は『たいした問題じゃない』『それほど大きな批判はない』と無視をし続け、より大きなアクションで抗議をしたら『こんなやり方では聞き入れられない』という論法。 結局「おまえ等の言い分は全て無視」の卑劣漢の常套句です… https://t.co/0wVc4xJQtY" 同じ主張を、ずっと行動右翼がテロ(彼らは「肉体言語」と自称)や街宣車の正当化論法として使ってた。ああ、在特会もか/あだち康史も「わが意を得たり、ありがとう!」/あ、江川卓も「ドラフト改革は俺のお陰」と 次に、タブロイド学者*2の用いた詭弁を解説したツイートへの、はてなブックマークのコメント。 はてなブックマーク - hhasegawa on Twitter: "ヘイトスピーチの来の対

    自分が使う無敵論法を他人が使っているかのように見せかけるgryphon氏 - 法華狼の日記
    namawakari
    namawakari 2018/02/15
    “一方の勢力は100点満点でなければ全体を不合格として、もう一方の勢力は1点でも合格で不合格者は例外あつかいする、よくある詐術だ”はてなでも一般的にもこのクソ論理は広がりすぎて既に収拾不可。
  • かしこいはつくれるー来たるべき人文知のためのプログラム(大風呂敷)

    この文章は、おそらくコードや技術的文書を書く人たちならポエムと自嘲する類のものであるが、詩人に「舐めてんのか」と恫喝されるのも面倒なので、綱領のようなものだと言い張ってむしろプログラムと呼び、加えて大風呂敷とルビをふるつもりでいく。 第一に自分のような頭の悪い人間が何をやっているのかを知るために書いた。 第二にこれはネイティブ広告のつもりである。昔から人を引き寄せようとすればするほど遠ざける性分であるから、むしろ営業妨害となっている恐れがあるのだが、案の定「宣伝するのに考え込ませてどうする?敷居が高くなって失敗だ」とコメントをもらった。 自由への教養 以前「何故学ぶのか」という問いに、「自由になるため」と答えた。 この応答は、イソクラテス以来のあの定義、「教養とは、運命として与えられた生まれ育ちから自分を解放するもの」を念頭においたものである。 生まれと育ちは人を強く拘束している。その価値

    かしこいはつくれるー来たるべき人文知のためのプログラム(大風呂敷)
  • 久々の「七平メソッド」解説 - Apeman’s diary

    『日人とユダヤ人』(以下、引用の出典は角川文庫版のページ数のみを示す)の第十二章は「しのびよる日人への迫害」というおどろおどろしいタイトルがつけられており、さすが反共デマゴーグだけあって「中韓の反日包囲網がっ!」とか「マスゴミは在日に支配されているっ!」と叫ぶ昨今の国士様の先駆者だなぁと感心させてくれます。 ここで七平はインドネシアの華僑、「黒いアフリカ」のアラブ人、古代アレクサンドリア・中世スペイン・帝政末期ロシア・ヴェルサイユ体制下のドイツにおけるユダヤ人を例にあげ、時の政権に重用されていたマイノリティがその政権の崩壊時に迫害されるのが「迫害の類型的なパターンと共通的な原因」であるとしています(181-186)。 すでにこの段階で七平の主張の非科学性は明らかです。自分が想定する「類型」に該当しそうな迫害のケースだけを恣意的に選び出して例示しているにすぎないからです。 また関東大震災

    久々の「七平メソッド」解説 - Apeman’s diary
  • 誤謬・詭弁 - 忘却からの帰還〜Intelligent Design

    忘却からの帰還〜Intelligent Design 創造論とインテリジェントデザインをめぐる米国を中心とする論争・情勢など トップページページ一覧メンバー編集 誤謬・詭弁 最終更新: transact 2023年08月16日(水) 14:36:39履歴 Tweet インテリジェントデザイン概説 誤謬・詭弁リスト インテリジェントデザインや創造論などでみられる誤謬・詭弁のリスト。一部は、創造論者の主張にもある。 道徳主義の誤謬 Appeal to Nature詭弁 進化の方向に向かって進め God of the Gaps False Dichotomy (誤った二元論) CA510 創造論と進化論は起源の唯二つのモデルである Argument from Ignorance(無知からの論) Argument from Incredulity (疑いからの論) CA100 "Argument

    誤謬・詭弁 - 忘却からの帰還〜Intelligent Design
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    2024夏休み旅行 神戸・2日目【前編】 zfinchyan.hatenablog.com ↑1日目はこちら 6:50 わたしと夫だけ先に起床 前日に買っておいたお芋のパンで朝ごはん 昨日の疲れからか、なかなか息子たちが起きてこなかったので、ゆっくり寝かせてから10:00にホテルの下にあるプレイゾーンに行って、パターゴルフやバス…

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  • この判決が大問題なのは「賠償金の支払い命令が出た」ことでなくて「過失の可能性を認めた」こと

    単純に保険会社に金を支払わせたいんなら「過失はないが払え」って命令するだけでいい。それであれば画期的であろう。 そうじゃないから問題なんだよ。

    この判決が大問題なのは「賠償金の支払い命令が出た」ことでなくて「過失の可能性を認めた」こと
    namawakari
    namawakari 2015/04/20
    この興奮ぶりを見てると、民事にも市民感覚をとか言われだしそう。
  • 福井地裁の交通事故判決をめぐる誤解と解説|sho_ya

    ※4/19以降,記事の中でいくつかの追記をしています。 【04/23追記】 今回の事件の判決文が公開されました。 裁判所 | 裁判例情報:検索結果詳細画面 http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail4?id=85058 ■今回のテーマは何?平成27年4月13日,福井地裁で次のような判決が出されたそうです。 「もらい事故」でも賠償義務負う 福井地裁判決、無過失の証明ない 事件・事故 福井のニュース |福井新聞ONLINE:福井県の総合ニュースサイト http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/accidentandincident/69100.html 「車同士が衝突し、センターラインをはみ出した側の助手席の男性が死亡した事故について、直進してきた対向車側にも責任があるとして、遺族が対向車側を相手に損害賠償を求

    福井地裁の交通事故判決をめぐる誤解と解説|sho_ya
    namawakari
    namawakari 2015/04/19
    ″とりあえず落ち着いていただきたいのですが,今回の裁判は民事裁判です。刑事裁判とは別です。自賠法は刑事裁判には適用されません。刑事裁判の場合,検察官が立証しなければなりません。心配しないで。”
  • ゴッド・マイナス

    前々回のエントリで、デカルトによる存在論的議論(神の存在証明)の話が出てきたけれど、そのあたりをめぐっていて、ちょっと面白い議論を見かけた。デカルトの議論のそもそもの原型は、アンセルムスのアプリオリな証明と言われるもの。「それ以上のものが考えられない存在」が神の定義であるとし、単に心の中にある偉大なものよりも、実際に存在するもののほうがより偉大なのであるから、その定義により神は存在することにならざるをえない、という議論なのだけれど、もちろんこれには当時から様々な反論があった。たとえば同時代のベネディクト会士、マルムティエのガウニロは、アンセルムスの議論では、神以外の任意の何であれ、それ以上が考えられない何か(ガウニロが示す例は島だ)として存在しうるはずだが、それが実在しないのは議論に問題があるからだ、と批判してみせたという(ガウニロについては英語版のwikipediaのエントリがまとまって

    ゴッド・マイナス
  • The Red Diptych 例えばの話

    例えばの話ですよ。  あるところに、A村という、小規模ではありながらも美しい景色に恵まれた村が、山奥にひっそりと存在していました。そこでは、心優しい村人たちが、とりたてて大きな事件こそないものの、争いごともなく、平穏な日々をのどかにすごしていました。  そんなA村が、あるとき、山を一つ越えた向こうにあるB村と、野球の対抗戦を開催することになりました。舞台となるのは、A村の村営球場です。B村から代表の選手たちが派遣されてきて、いざ試合が実施されることになりました。  さて、いざ野球の対抗戦を実施することになったA村ではありますが、村人たちは、「野球」という競技の存在を、ごく最近になって知ったばかり。そのため、村人たちの中でも、その正式なルールを細かく把握している人は、あまりいませんでした。  そんな中、いよいよ対抗戦の日を迎えました。移動にだいぶ手間がかかるB村から訪れた観客はあまりいなかっ

  • 三党鼎立ができない条件

    政治思想は、どこまで力があるのか?」とは別に、理論的にはすっきりとした三党鼎立ができない条件があります。 1 小選挙区制であること 2 各政治勢力にグラディエーションがあり、主流派と非主流派があること 3 選挙のたびに風が吹くこと 4 野党でいるよりも、自分の主張を完全には通せなくても、とりあえず与党にいるほうがいいと政治家が思うこと 第1回目の選挙で、風が吹いて、どれかの政党が圧勝したとしましょう。例として政治勢力Vを代表する政党政治勢力Vが勝ったとします。この時、この政党には連立を組む誘因がありません。自分の党で政治権力を独占するでしょう。 次の選挙では、政治勢力Vを背景にする政党は現職を公認するでしょう。すると、小選挙区を前提にすると、この現職以外の全政治勢力が結集して対抗する可能性が出てきます。政治勢力Tと政治勢力Sは手を握る可能性が高くなりますし、政治勢力Vの非主流派、さらに、