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漫画の歴史に関するnisoku2のブックマーク (64)

  • ヤマダトモコ 「まんが用語〈24年組〉は誰を指すのか?」

    「マンガ用語〈24年組〉は誰を指すのか?」(1998年) この文は、商業誌に掲載され報酬をいただいた最初の仕事です。もう18年近く前の文章です。 今でも時々読みたいという方がいらっしゃるのでWEB公開することにしました。 情報が古かったり、読みにくかったりする部分もあるかと思いますが、そこも含めなるべくそのままにしました。 後に判明した事実上のまちがい部分や調査が進んだ部分を、後日注として追加しました。 (2016年5月31日・ヤマダトモコ)[→プロフィールと仕事][→増補版をWEB公開するにあたって] ※誤字・脱字・データ表記の統一等最低限の直しを加えています。 ※当時雑誌の表記の都合でひらがなの「まんが」だった地の文をカタカナの「マンガ」に変更してあります。 書名や引用部分は原典のままです。 Who Does the Manga Term the “24Nen-Gumi(Group o

  • 昭和マンガ研究サイト☆ハクダイのカカク☆HAKUDAI NO KAKAKU

    劇画、そして劇画工房は大阪で生まれた 東京都豊島区に存在した「トキワ荘」はいうまでもなく有名なマンガ・コミュニティーであった。そして大阪には「劇画」を標榜し、「劇画工房」を名乗った若きマンガ家集団が存在した。劇画工房結成時には中心的存在の3名が活動拠点を大阪より東京へ移しているが、「劇画」の発祥は大阪であり、手塚治虫から始まった戦後のストーリーマンガも「関西」から始まっている。 劇画工房の存在は、辰巳ヨシヒロの自伝的作品「劇画漂流」の影響もあり、近年では広く知られるようになったが、その全貌は未だに明らかになっていないというのが実情だろう。 ハクダイのカカクの10周年リニューアル記念として、劇画工房に参加した8人について、僭越ながらハクダイがまとめてみた。 マンガファンの皆様に楽しんでいただければ幸いである。 劇画工房とは何か? 劇画工房とは? 1.1959年(昭34)に結成されたマンガ家た

    昭和マンガ研究サイト☆ハクダイのカカク☆HAKUDAI NO KAKAKU
  • 「ポンチ絵」について - 宮本大人のミヤモメモ(続)

    人工知能学会の学会誌の表紙イラストの問題から派生して、そのイラストを「ポンチ絵」と呼ぶ人がいたことから、伊藤剛さんがツイッターで、今、「ポンチ絵」という言葉がどのように使われているのか問いかけたところ、思いのほか、理工系というか技術系の現場で広く使われていることが分かって、これは興味深いですねという話があったようです。 で、もともと「ポンチ絵」ってどういう意味だったの?宮センセイよろしく、みたいなことになっていたので、ごくざっくりと。 もとをさかのぼるとイギリスの人形劇「パンチとジュディ(Punch and Judy)」とそのキャラクターに到ります。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%81%E3%81%A8%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%87%E3%82%A3 これを前提に、イギリスで1841年、

    「ポンチ絵」について - 宮本大人のミヤモメモ(続)
  • マンガのフキダシ、内向きの三角の起源について

    マンガで使われるフキダシには、多くの場合発言者等を指し示す線、三角等が付いているが、時にそれが内向きにされ、コマ外の発言を示すものがあり、その起源が話題となった。その後の検証過程をまとめたもの。この時点では大友克洋さんが起源で、その使用開始理由の推測まで進行中。追加の情報、検証が必要です。

    マンガのフキダシ、内向きの三角の起源について
  • まんがをめぐる問題

    テプフェールが1845年に発表したまんが論「観相学試論(Essai de Physiognomonie)」の復刻版を作成しました。 http://homepage3.nifty.com/gos/comic/index.htm Amazonから購入することができます。また、今度の5月5日に東京ビッグサイトで開催されるコミティア104「す14b」でも販売します。(こちらではAmazonの手数料がかからないので、少し安く販売します) 「復刻版 観相学試論」ロドルフ・テプフェール(森田直子・訳) http://www.amazon.co.jp/dp/4901241117/ 【内容紹介】 現代的な意味でのストーリーまんがの祖といわれる著者が、自らの創作体験に基づいて1845年に発表した、世界最初の格的まんが論というべき画期的な論考。 連続する絵によって小説のような内容を表現する手法の可能性を、物語

    まんがをめぐる問題
  • 海法紀光氏.@nk12による、シリアスな/文学的なバットマンの系譜

    森瀬 繚@翻訳クラファン開催中(固定ポスト参照) @Molice ところで、『ダークナイト ライジング』パンフレットの寄稿者複数名によるアメコミ・ヒーロー史観がたいそうアレなので、.@nk12せんせいに御出座・御講釈いただき、Togetterにて後世に遺すべきと存ずるが如何に。 2012-07-31 01:18:39 海法 紀光 @nk12 さてさて、「ダークナイト・ライジング」のパンフを見て、つらつら思ったのですが、アメコミというのは歴史が長いだけあって「○○は××である」と断言しようものなら「いや△△という例外が」と、即、いえてしまいます。このへんは日漫画でもアニメでも同じで、そんだけ豊かということですね。 2012-07-31 01:22:53 海法 紀光 @nk12 なんでまぁパンフにあった、フランク・ミラーの「ダークナイト・リターンズ」「イヤーワン」がアメコミの歴史を変えたと

    海法紀光氏.@nk12による、シリアスな/文学的なバットマンの系譜
  • 「マンガの定義」を巡る、マンガ研究者の方々を中心とした遣り取り

    伊藤 剛 @GoITO いまマンガを描いているひとたちから見た「マンガ史」はどのくらいの射程でとらえられているのだろう。個人的な読書体験に規定される部分はもちろんのこと、マンガの「いま」と直接つながる「時代」はどのくらいまでと認識されているのだろうか。 2012-07-12 20:36:19 伊藤 剛 @GoITO これは「視野が狭い」とか「広い」とかの話ではなく、「いま、ここ」のマンガとのかかわりにおいて即時に、直接に連続性が見いだせる範囲はどのくらいと考えられるのか、という話。もとより通時的な関心や古マンガ趣味を前提に「マンガ史」をとらえるのではなく、ということ。 2012-07-12 20:38:13 とり・みき/TORI MIKI @videobird 個人的には昭和6年以降です。RT @GoITO いまマンガを描いているひとたちから見た「マンガ史」はどのくらいの射程でとらえられて

    「マンガの定義」を巡る、マンガ研究者の方々を中心とした遣り取り
  • 1GBレンタルサーバー・プロバイダー Amusement BiG-NET | www.big.or.jp/~solar/comics/newwave.html

    こちらは独自ドメインからレンタルサーバー、フレッツ接続専用会員までトータルサポートのプロバイダー、BiG-NETです。 いつも弊社ユーザーのページにアクセスをして頂きましてありがとうございます。 http://www.big.or.jp/~solar/comics/newwave.html 403 Forbidden (動作禁止です) 申し訳ございませんが、お客様がアクセス要求されました上記ページは、現在アクセスが出来ません。 弊社では、なぜアクセスできないのかと言う第三者からのお問い合わせにはお答えすることが出来ません。 もしこのページの関係者をご存知でしたら、連絡を取ってみることをお薦め致します。 何卒ご容赦下さい。

  • 宮本ブログと戦後言説史の転回点:夏目房之介の「で?」:オルタナティブ・ブログ

    大人氏のブログ「ミヤモメモ」3月17日に、米澤記念館で行われた「斉藤次郎、真崎守(峠あかね) 「COM」のコミュニケーション」というイベントの報告がありました。僕は行けなかったのだけど、行けばよかった。戦後マンガ言説史にとって、非常に興味深いことが語られたようです。 http://d.hatena.ne.jp/hrhtm1970/20120317 中で語られている「まんがコミュニケーション」という批評紙は、当時僕も一マンガ青年として知っており、今も2部ほど持っています。当時のマンガ青年をひきつける言説の可能性を持った「場」の雰囲気をかもしだしているメディアです。 報告には、当時ロックという音楽の場とマンガを語る場が隣接していたことが語られ、「同時代の若者文化」の中の、のちに別物のように語られるジャンルの混交した「場」の問題が提起されています。これは、今後の研究にとっても、とても重要な観

    宮本ブログと戦後言説史の転回点:夏目房之介の「で?」:オルタナティブ・ブログ
  • 斎藤次郎、真崎守(峠あかね)トークイベント「「COM」のコミュニケーション」 - 宮本大人のミヤモメモ(続)

    明治大学 米沢嘉博記念図書館で開催中の「伝説の雑誌『COM』 コミックス×コンパニオン×コミュニケーション」展の関連イベントとして、評論家の斎藤次郎*1さんと漫画家の真崎守さんの対談が行われました。司会は霜月たかなかさん。 真崎さんは、当時、峠あかね名義で『COM』誌上で新人の投稿作の選考や評論の執筆を通じて後続世代に大きな影響を与えていますし、作家としてもカリスマ的な影響力をお持ちの方です。 斎藤さんも、子ども調査研究所に属しつつ、マンガとロックを中心に若者文化・大衆文化全般を横断的に評論する活動で、後続世代に影響を与えていて、『COM』誌上でも「まんが月評」など多くの評論を書かれています。『まんがコミュニケーション』という評論誌(というよりタブロイド新聞的な体裁なので、評論紙というべきかもですが)を3号だけ発行していますが、この略称「まんコミ」は漫画評論の歴史においては伝説的なものにな

    斎藤次郎、真崎守(峠あかね)トークイベント「「COM」のコミュニケーション」 - 宮本大人のミヤモメモ(続)
  • 学習漫画(業界)の頂点と退廃

    うおりゃー!大橋@最後のレトロ派漫画家 @uorya_0hashi @kakitama ははは。あんまり注目されるとビビりますが。当のことなんだから、「まあ、こんなもんだ!」というか。ただ、「ヒドイ現場は当にヒドイ」んだけど「ちゃんとしたマトモな原作者、編集者」も多いですからね。「悪いのが数人いるから、みんな悪い」という話ではないんで。 2011-10-15 17:02:16 うおりゃー!大橋@最後のレトロ派漫画家 @uorya_0hashi もともと秋玲二先生をはじめとして、内山安二先生やムロタニ先生などが活躍された…最初のブーム(60〜70年代)の学習漫画家は、自分で「資料」を読んで、「教えなければならない学習内容」を「理解」して、自分の言葉で、学習漫画のネームを作ってました。 2011-10-15 17:09:04 うおりゃー!大橋@最後のレトロ派漫画家 @uorya_0hash

    学習漫画(業界)の頂点と退廃
  • ET「絵物語と漫画の違い -1950年代の少女雑誌」(「ビランジ」28):夏目房之介の「で?」:オルタナティブ・ブログ

    竹内オサムさんのマンガ研究誌「ビランジ」28号を送っていただいた。 その中にETさんの「絵物語と漫画の違い -1950年代の少女雑誌」という文章がある。 戦前から、少年少女雑誌には挿絵小説、絵物語、漫画が載っているが、それをどう区別するかは、はっきりした基準が存在しない。もちろん、見て直観的にそれぞれを区別できる、と思えるものは多いが、中には曖昧でどっちつかずのものもある。これらをどう整理したらいいか、その上でこれらの歴史的推移や移行をどう考えるかは、マンガ史では重要な研究課題だといっていい。 ET氏は、具体的に少女雑誌(50年代後半の「少女ブック」)の例をあげて、かなり明確にその基準を示している。 まず、見開き2ページあたりの絵の数によって、3.5~4以下なら挿絵小説、それ以上で12.5~13以下なら絵物語、それ以上なら漫画という基準が「少女クラブ」には、わりと明瞭にあるとしている(雑誌

    ET「絵物語と漫画の違い -1950年代の少女雑誌」(「ビランジ」28):夏目房之介の「で?」:オルタナティブ・ブログ
  • 時間を描いた未来派

    第一次世界大戦は人類に劇的な価値観の転換をさせた。 産業革命以降ヨーロッパでは産業技術の一大革新とともに、大量生産システムが確立し、資主義が急速に発展した。人々の暮らしや生活スタイルも変わりつつあった。反面資主義の急速な発展は資源と市場を海外に求めて、列強の植民地争奪戦になった。 そして世界初の総力戦である第一次世界大戦が勃発した。 この戦争は産業テクノロジーが人類の暮らしを向上させるのとは逆に、人類と文明の殺戮と破壊をももたらした。ここに価値観の矛盾というひずみが文明の暗部を支配し始めた。 第一次世界大戦で今日の近代兵器である、戦車、飛行機、潜水艦、毒ガス兵器などがすべて登場した。これらは当時のテクノロジーの粋を集めた最新兵器であった。 芸術の世界では印象派以降、表現主義芸術が主流となっていく。表現主義芸術とは、キュビズム、フォービズム、抽象主義、ドイツ表現主義などの総称である。その

    時間を描いた未来派
  • なぜマンガは「Comics」なのか? :: 1000planches

    今回、アメリカン・コミックスに特に造詣の深い小田切博さんに寄稿していただきました。『戦争はいかに「マンガ」を変えるか アメリカンコミックスの変貌』や『アメリカンコミックス最前線』(共編著)などの仕事からもわかるように、小田切さんはアメリカ文脈をフィールドとする方であり、主に現代 BD を扱う当サイトとは分野が異なります。ですが、総称としての「マンガ」の歴史を俯瞰すると、「アメリカとフランス」などという境界線は(あるいは現在「マンガ」に分類されているものといないものの境界線すらも)曖昧になってきます。今回はそうした観点からお読みください。 去る2009年6月20日、21日の2日間、東京工芸大学において日マンガ学会第9回大会がおこなわれた。 初日である20日におこなわれた発表の中に東北大学大学院の三浦知志氏による「『ニューヨーク・イブニング・テレグラム』における初期コミックストリップ」という

    なぜマンガは「Comics」なのか? :: 1000planches
  • 備忘録2 江戸時代のコマ割表現:夏目房之介の「で?」:オルタナティブ・ブログ

    上図 平瀬輔世(ほせいorすけよ)『天狗通』(1779(安永8)年) 手のやり方を解説したこの図は、偶然上野演芸場に置いてあった手品(手)の伝授のコレクターによるパンフレットで見つけたもの。資料としては藤山新太郎『手のはなし 失われた日の奇術』(新潮選書 2209年 149~157p ※このには図版がない)。 下図 歌川貞房画 吉田屋文三郎『けんしなん』江戸後期 こちらは学生の持っていた古書パンフレットから。ジャンケン的遊びのハウツーみたい。 つまり、江戸期のHow Toには、こうしたコマ割り表現がけっこうあったようなのだ。上図『天狗通』を初めて見たときは当にびっくりした。 コマを大小に割り、アップを含む画像の切り取りを行い、非常に近い時間幅の時間分節に沿って効率的に構成されている。形式的には現在のマンガのコマ割りとかなり近い。下図『けんしなん』のほうもアップの分節になっ

    備忘録2 江戸時代のコマ割表現:夏目房之介の「で?」:オルタナティブ・ブログ
  • 戦後の大城のぼる 補足:夏目房之介の「で?」:オルタナティブ・ブログ

    先月、「戦後の大城のぼる」についてコメントした。 http://blogs.itmedia.co.jp/natsume/2010/09/post-8631.html#comment その後、松零士/日高敏『漫画大博物館』(小学館クリエイティブ 2004年)所収の『火星探検』の項の後にあった「大城のぼるインタビュー」を読みなおしてみたら、こんな箇所が。 〈-昭和27年に、「おもしろ漫画文庫」の1冊として「少女白菊」がありますね。あれは、いい絵でしたね。 大城 私はね、いい絵もなにも、漫画から離れようとしてたんですよ。そういう意識が出てきたわけですよね。そのころ、まだなかった、今の劇画ですよね、映画と同じようにカメラアングルをいろいろと移動させてね、そういうテクニックが人から新しいといわれたのを覚えてますよ。 -「少女白菊」は傑作だと思いますけれども・・・・・・。 大城 あれは、あんまり誉め

    戦後の大城のぼる 補足:夏目房之介の「で?」:オルタナティブ・ブログ
  • 戦後の大城のぼる:夏目房之介の「で?」:オルタナティブ・ブログ

    「青虫」で何が驚いたって、戦後の大城のぼる作品でした。戦前、戦中の作品はいくつか復刻されて読めますが、戦後のものは古書以外見られない。僕は「青虫」で初めて戦後作品を目にしました。時代順に並べるとこんな感じ。 1954(昭和29)年9月20日 大城のぼる『少女白菊』集英社 おもしろ漫画文庫55 1955(昭和30)年6月12日 吉川英治、大城のぼる『神州天馬侠』同上89 1957(昭和32)年6月30日 大城のぼる『戦国鉄覆面』兎月書房 おもしろ長編漫画15 1959(昭和34)年1月号 大城のぼる『ロケットパンチスター』小学館「小学六年生」付録 『少女白菊』~『戦国鉄覆面』で目につくのは、異様なほどの細密な描写。背景が挿絵や絵物語風に描きこまれ、一見水木しげるかつげ義春のようだが、はるかに律儀な絵。それが、戦前の丸っこい、いかにも子ども向け漫画の線画と混じっている。とくに火炎の描写は迫力が

    戦後の大城のぼる:夏目房之介の「で?」:オルタナティブ・ブログ
  • 80年代初期ロリコン漫画誌の時代−SFと美少女からエロ漫画への変遷を辿って - WEBスナイパー

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