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教育社会学に関するshowgotchのブックマーク (17)

  • 教育社会学論文三点 - 社会学者の研究メモ

    最近『教育社会学研究』の論文をざーっと読んでいるので、いくつか論文のメモを。 広田照幸, 2007, 「教育社会学はいかに格差-不平等と闘えるのか?」『教育社会学研究』80: 7-22. この論文は特集テーマ<「格差」に挑む>の一部。内容をまとめるのが難しいので、少々恣意的に抽出したポイントだけ。 教育社会学が格差問題に取り組む際の難点は、格差問題が基的には教育の外部の問題であることにある。具体的には二つの課題がある。 個人の教育とその後の人生の間にタイム・ラグがあるため、教育の外の社会の将来のあり方(たとえば格差を広げる方向にいくのか、福祉を通じた再分配を充実させる方向にいくのか)で適切な教育制度も変わる。 雇用・社会保障などのシステムは基的には教育の外部の問題であり、「『教育さえ変えれば』という無用の幻想を振りまかないためにも、教育の改善を通してできることの限界をきちんと設定、明示

    教育社会学論文三点 - 社会学者の研究メモ
  • ゆとり教育と学力低下

    戸高七菜 @NanaTodaka 講義後のご質問「先進諸国では、高校は無償であるということでしたが、進学率は日並みに高いのですか?」調べました。後期中等教育進学率がもっとも低いイギリスでも7割以上が進学しています。世界第3位の経済大国なら可能だと思います。http://bit.ly/bS9iON #ntdk 2010-05-31 17:20:46 戸高七菜 @NanaTodaka もう一つ「日教育費の私的負担が高いとのことでしたが、国ごとに家族観や子育て観は違っているのだから、そのような家族と教育との関係・在り方も認めるべきでは?」これは私見ですが、私はやはり公的支出を、せめてOECD加盟国の平均値くらいまでは増やすべきだと思います(理由続 #ntdk 2010-05-31 17:25:55 まっくろなねこ @blackcat009 それだと、官僚や特権階級が望む格差社会の実現が遠退

    ゆとり教育と学力低下
  • 日本教育社会学会

    2020年09月17日【助成金公募】 日工組社会安全研究財団 2021年度研究助成募集のご案内(11月30日応募締切) 2020年09月16日【イベント情報】 公開シンポジウム「すべての人に無償の普通教育を!」のご案内(11月7日開催) 2020年09月02日【学会より】 オンラインによる年次大会開催のお知らせ2【大会参加サイト情報はこちら】 2020年08月26日【イベント情報】 日学術会議 公開シンポジウム「理数系教育とジェンダー:学校教育にできること」のご案内(9月15日開催) 2020年08月20日【学会より】 若手研究者交流会(オンライン開催)のお知らせ 2020年07月27日【お知らせ】 CSRDAディスカッションペーパー募集のお知らせ 2020年07月22日【教員公募】 九州大学大学院人間環境学研究院 教員公募のお知らせ(8月31日締切) 2020年07月17日【助成金公募

  • 社会的排除と教育社会学(もうあきたのでとりあえず最後) - もどきの部屋 education, sociology, history

    「社会的排除」という概念が突破口になるわけではない. そこはくれぐれも勘違いしてはならない.「社会的排除」概念によって研究上の新しいインスピレーションが得られるとしても,そこで得られるもののほとんどは,これまでの教育社会学が「階層」という概念で捉えてきたテーマに尽きる,と私は思う. むしろ,「階層」という概念で捉えるべき問題を,わざわざ「社会的排除」という概念で把握することによって問題の所在が不明瞭になる,と言ってしまってもよい(いったいなんのための「文化」や「社会関係資」という概念の考案だったのか!). 「貧困」という概念で捉えるべき問題を,わざわざ「社会的排除」という概念で把握することが問題の所在を不明瞭にする“場合もある”というのと相同の難点だ. それでもなお,教育研究(とりわけ教育社会学)にとっては「社会的排除」概念がもたらす恩恵があるのではないかと(ぼんやり)私が思うのは,

    社会的排除と教育社会学(もうあきたのでとりあえず最後) - もどきの部屋 education, sociology, history
  • 玄田有史 - Wikipedia

    玄田 有史(げんだ ゆうじ、1964年(昭和39年)[1] - )は、日経済学者、東京大学教授。専攻は労働経済学[2]。島根県出身[1]。 略歴[編集] 1964年島根県生まれ[1]。島根県立松江南高等学校卒業[3]。1988年に東京大学経済学部を卒業した後同大学院に進学するが、第II種博士課程を4年で退学し、学習院大学経済学部専任講師に就任[1]。その後、同大学の助教授、教授、および東京大学社会科学研究所助教授を経て、2007年より東京大学社会科学研究所教授[1][2]。2002年には大阪大学より経済学の博士号を取得した[1]。2021年度より東京大学社会科学研究所長。2022年春、紫綬褒章受章。 研究歴[編集] 2001年に出版した、中高年層の雇用(既得権益とみなす)を守るために若年層の雇用を抑制する日の民間企業の現状を分析した経済評論『仕事のなかの曖昧な不安 揺れる若年の現在』

  • 軋む社会 教育・仕事・若者の現在 | ESD ファシリテーター学び舎 for BQOE  

    323-4(1398)軋む社会 教育仕事・若者の現在 田由紀、双風舎、2008 なるほど、若者と仕事に焦点を当てて教育社会学者が教育を論じるということは、学歴に終始するのだなあ。 今日の日経新聞にESD-Jの全面広告が出ていたが、「若者-仕事-教育」と語る時に、教育内容、教育目標の変革が同時に語られなければ、無意味だ。 ブラウンの「機会の罠」は教育の高度化に見合った質の仕事の増加が対応していないことによって、過剰教育化傾向が激化するとして、「質の高い教育を万人が受ける」ようにする英国政府の方針を批判している。31, Globalization and Social Change, 2006 彼らが問題にしている「教育」は学歴でしかない。「質の高い教育」とは高学歴化の代用語だ。そうなのか? Better Quality Of Education for AllとESD持続可能な開発のため

    軋む社会 教育・仕事・若者の現在 | ESD ファシリテーター学び舎 for BQOE  
    showgotch
    showgotch 2009/11/06
    自己実現系ワーカホリック
  • NAKAHARA-LAB.NET 東京大学 中原淳研究室 - 大人の学びを科学する: 「教育」と「学習」 - あなたの研究・実践は「誰」に届くのか?

    中原淳(東京大学准教授)のブログです。経営学習論、人的資源開発論。「大人の学びを科学する」をテーマに、「企業・組織における人の学習・成長・コミュニケーション」を研究しています。 「教育」と「学習」とは、近い言葉だと思われているので、ふだん、その違いがあんまり意識されることはありません。 しかし、その違いは、結構明白です。 いろいろな定義があるでしょうが、「教育とは、第三者が、意図的に他者の学習を組織化すること」です。これは教育学者の広田先生の定義です。 最近の学習環境論やアーキテクチャー論に引き寄せて定義づけを変更するならば、「教育とは、意図的に、学習者が気づかぬように、彼の学習を統御する環境・アーキテクチャをつくること」という風にいえるのかもしれません。 いずれにせよ、どのように定義を行おうとも、教育の言説からは「第三者のもつ意図」「第三者から他者への働きかけ」は消えません。教育とは、他

    showgotch
    showgotch 2009/11/05
    教育と学習の定義
  • http://d.hatena.ne.jp/k-i-t/20091102

  • 潮木守一 - Wikipedia

    潮木 守一(うしおぎ もりかず、1934年11月11日 - 2023年2月26日[1])は、日教育社会学者。専門は、教育開発論・教育社会学。名古屋大学名誉教授[2]。桜美林大学招聘教授。元日教育社会学会会長。牧野巽の教え子[3]。瑞宝中綬章受章。 経歴[編集] 1934年、神奈川県横須賀市生まれ。1957年、東京大学教育学部教育学科を卒業。1975年、東京大学に学位論文を提出して教育学博士の学位を取得[4]。2023年2月26日、急性心筋梗塞のため死去、88歳没[1]。 中央教育審議会委員、国民生活審議会委員、日学術会議会員、ユネスコ国内委員会委員などを務めた。 職歴[編集] 1957年:東京大学教育学部助手 東京学芸大学専任講師 1967年:名古屋大学教育学部助教授 1978年:名古屋大学教育学部教授 名古屋大学教育学部学部長 1991年:名古屋大学大学院国際開発研究科教授、同附

  • 広田教授の「教育も、教育改革もけしからん」:NBonline(日経ビジネス オンライン)

    記事一覧 2008年2月21日 学校選択制は、「ダメな学校」を構造的に作り出す ~「教育の質の選択」という神話 保護者や子どもの側からしてみれば、学校を選べることは、メリットこそあれ、不利益はないように思えます。でも、それは「保護者と子どもが学校をちゃんと選べる」ということを前提とすれば、の話です。 2007年11月30日 なぜ「ゆとり教育」は失敗したのか? ~学校は「有限」の資源である【後編】 ものを知らずして「創造力」や「独創性」が単独であるわけではない。知識を組み合わせるような学力には、そのためのストックが必要だ、ということを前回お話しました。その傍証となるようなデータを紹介します。 2007年11月16日 なぜ「ゆとり教育」は失敗したのか? ~せっかちな創造性の追求【前編】 11月7日に、文科省が新しい学習指導要領の「審議のまとめ」を発表しました。「ゆとり教育」という言葉こそ使われ

    広田教授の「教育も、教育改革もけしからん」:NBonline(日経ビジネス オンライン)
  • 澁谷知美サイト

    Last up date 2006/07/02 (c)2004-2006 Tomomi Shibuya All Rights Reserved

  • 日本教育社会学会

    下記の留意事項を必ず確認いただき、「入会申込フォーム」(ここからジャンプできます)に必要事項を入力の上、入会申込を行ってください(入会者自身の情報に加え、推薦会員の氏名・会員番号・推薦を受けた日時を入力する必要があります。不明な点はページ最後の学会事務局までお問い合わせください)。 また、あわせて下記指定口座に正会員区分に応じた学会年度会費を納入ください。入会金は必要ありません。(「学会年度」についての詳細は、ページ中段「入会時期について」の別表リンク先をご参照ください。) 会費振込口座 郵便振替口座  00100-7-278708 口座名義(「加入者名」の欄) 日教育社会学会 (郵便局備え付けの振込用紙をご利用ください。) 正会員区分と学会年度会費 一般会員    11,000円 院生会員(※)  7,000円 留学生会員(※) 5,500円 (団体会員としての入会につきましては最

  • 「学校裏サイト」と「ネットいじめ」の現状〜より豊かな「ケア」のために〜 - 荻上式BLOG

    内藤朝雄さんブログ(管理人が僕)にて、エントリー「内藤朝雄による、オススメいじめ」をアップしました。 http://d.hatena.ne.jp/izime/20090919/p1 更新ついでに、僕が『心と社会』(http://www.kikanshi.net/archives/199/005890.html)に寄稿した、いじめというテーマに関わる文章を掲載します。 **** 2007年頃より、「学校裏サイト」や「ネットいじめ」がメディア上で社会問題として取り上げられる機会が増えてきました。この問題に対し著者は、『ネットいじめ』(PHP新書、2008)において、およそ次のようなことを書いています。 ●「学校裏サイト」とは、生徒等が公式サイトとは別に勝手に作ったサイトのことを指す ●そのため私は「学校裏サイト」ではなく「学校勝手サイト」と呼んでいる ●「学校勝手サイト」には、元々の集団のム

    「学校裏サイト」と「ネットいじめ」の現状〜より豊かな「ケア」のために〜 - 荻上式BLOG
  • 小宮山博仁の教育理念

    showgotch
    showgotch 2009/09/10
    わかりやすさと当たり障りのなさはぴか一だな
  • 紀伊國屋書店 新宿本店5階じんぶんや第五十一講 苅谷剛彦選 「曲がり角の教育を社会学する」

    ●苅谷剛彦さんエッセイ 「教育を社会学する」 教育の論じ方にはさまざまある。ここで紹介するのは、社会学の立場から教育を論じた著書の数々である。 なぜ社会学なのか。 ひとつには、教育という現象や営みは、教育だけをみているだけではわからないからである。とくに現代の教育が抱える問題の多くは、現代社会の変化と密接に関係している。しかも、その社会も、何十年という単位で生じる、大きな変化に直面している。それだけに、社会との関係抜きに教育を語ることが出来なくなっているというわけだ。グローバル化した経済社会の影響も、少子高齢化や福祉国家のゆらぎも、ナショナルなものをめぐる問題も、もちろん格差問題も、「教育と社会」の問題につながる。社会から切り離して、教育や子どもや若者の問題を語ることは無謀に思えるほどである。 二番目には、社会学という学問が、社会の内側にあって、自分たちを取り巻く社会そのものを問

  • 三重県教職員組合は労基法など眼中になし!:イザ!

  • <<日本人のしつけ観>>

    <<日人のしつけ観>> 広田氏によれば、日に於けるしつけには、三つの立場があるという事である。即ち、厳格主義(礼儀を重んじる子育て)、学歴主義(勉強を重んじる子育て)、そして童心主義(子どもの自然な育ちを重んじる子育て)。 だが、氏は実は、この書物の中でもう一つのしつけの在り方にも言及しているのである。ただ、氏はそれをしつけとは認定しなかったのであるが。それは、労働主義(労働を重んじる子育て)である。 明治初期、日は一部の上流階級と多くの庶民という二つの階層に分かれていた。上流階級を構成しているのは華族と士族である。上流階級の場合、子どものしつけの基は厳格主義であった。 一方、庶民(平民)にとって、子どもはまだ子どもではなかった。それは大人と同様の労働力であって、従って当時の子どもは子育ての対象ではなかった。彼等が教え込まれるのは、労働に関するしつけだけであって、しっかり働いてさえ

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