平成26年3月27日、静岡地裁でいわゆる「袴田事件」の再審が決定した。 その報せを喜ぶ弁護団のなかには、袴田巌さんの実姉、秀子さんや、元プロボクサー輪島功一さんなどの顔があった。それを観て、ふと23年前、リング上でこの事件のことを訴えていたファイティング原田さんの姿を思い出したものだ。 プロボクサーが、強盗殺人放火事件の犯人とされ、死刑を宣告されたが、それは冤罪であり、無実だ、という。 当時、私は殺人事件を取材する機会が多く、それが縁で、司法・警察関係の資料と人脈なども少なからず得ていた。 ドキュメントとルポルタージュの観点から、この事件を見直したい、なにより、事実はどうであったのか、というのが取材、執筆の端緒ということになる。 ノンフィクションの原点は事実吟味と正確な情報伝達にあるが、そこで悩まされるのがコメントの処理である。その人が「見た、聞いた」ことがすべて事実とは断定できないところ
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1966年に静岡県清水市(現・静岡市清水区)で家族4人が殺害された「袴田事件」で、被害者のみそ製造会社専務、橋本藤雄さん(当時41)の長女で、事件当時に現場におらず難を逃れた昌子さんが、28日に自宅で亡くなっているのが見つかった。捜査関係者への取材でわかった。事件性はないとみられる。袴田事件をめぐっては、死刑が確定した袴田巌さん(78)の再審開始が27日に決まったばかりだった。 昌子さんは事件当時19歳。事件は66年6月30日未明に自宅で起き、両親と弟妹が死亡したが、昌子さんは当日、自宅と線路を挟んであった祖父母宅で寝ていたため無事だった。 捜査関係者によると、28日午後6時ごろ、昌子さんが自宅で倒れているのを親族が見つけ、119番通報。警察と消防によって死亡が確認されたという。
1966年に静岡県の一家4人が殺害された「袴田事件」で死刑が確定し、再審開始決定を受けた袴田巌さん(78)の再審請求審で、東京高裁(三好幹夫裁判長)は28日、静岡地裁が拘置の停止(釈放)を決定したことに対する検察側の不服申し立て(抗告)を棄却する決定をした。 検察側は27日、抗告に対する高裁の判断が出るまでの間、身柄を拘置所にとどめるよう地裁に求めた。それが退けられたため、袴田さんは同日釈放された。 検察側は今後、地裁が27日に出した再審開始決定に対しても、期限の31日までに高裁に不服申し立て(即時抗告)をするとみられる。高裁では、地裁とは別の裁判官が審理するため、決定が取り消され、袴田さんが再び拘置所に収容される可能性もある。
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