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ブックマーク / note.com/horishinb (21)

  • 日本は、実はアメリカ並みの"改憲"を既に何度も行ってきた?!(9条以外で)|弁護士ほり

    1 外国は憲法改正を頻繁に行っているけど、日は遅れてるの? (まず最初に断っておくと、記事のテーマは、憲法9条の問題ではありません。) 憲法問題についての議論の中で 「第二次世界大戦後、アメリカをはじめとする多くの国では何度も憲法が改正されてきたのに、日はまだまったく改正していない。これでは時代についていけない。」 という主張がされることがよくあります。 例えば下記のtweetもそれに近いニュアンスと言えるでしょう。 しかし、果たして当に日は遅れていると言えるのでしょうか。この記事では、まずはアメリカのケースを検討して比較対象してみることにしましょう。 2 アメリカの憲法は確かに何度も改正されている アメリカの憲法は制定以来何度も改正(修正)が行われていますが、ここでは過去60年程度の例を見ることにします。 ①修正第23条[コロンビア地区の大統領選挙人] [1961 年成立] ②

    日本は、実はアメリカ並みの"改憲"を既に何度も行ってきた?!(9条以外で)|弁護士ほり
  • 「日本は解雇規制が厳しい」というのはウソだった件|弁護士ほり

    解雇規制は国際的に見て厳しいの? 日解雇規制は厳しすぎるとか、解雇規制を緩和して雇用を流動化させなければならないなどという言説はすっかりおなじみになっています。(もちろん恣意的に何でも解雇できるわけがなく、労働契約法16条により、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない解雇は無効とされています。) ただ全般的にいって、日当に「解雇規制」が厳しいのでしょうか? まず以下のリンク先が作成してみた2019年のデータによれば、OECDの基準で見ると、日は総合的にみて主要48ヶ国のうち解雇しにくい順番に並べると28位であり、真ん中よりはむしろ解雇しやすい方に寄っています。 日より解雇しにくい国としては、オランダ、ベルギー、イタリア、フランス、スウェーデン、ノルウェー、ドイツなどがあり、日より解雇しやすい国としては、イギリス、カナダ、オーストラリア、(予想ど

    「日本は解雇規制が厳しい」というのはウソだった件|弁護士ほり
    tekitou-manga
    tekitou-manga 2022/01/08
    “OECDの基準で見ると、日本は総合的にみて主要48ヶ国のうち解雇しにくい順番に並べると28位であり、真ん中よりはむしろ解雇しやすい方に寄っています”
  • 憲法を民意でどこまでも改正できると考えると、自己矛盾で破綻する件|弁護士ほり

    民意でどこまでも憲法は改正できるの? 憲法改正の議論にからんで 「国民の多数決であれば、どのようにでも憲法を改正して良いはずだ」 「民意が望むならどんなことでも決められるべきだから、憲法改正に限界はない」 という意見が見られるようになりました。 そこでこの考え方を今回は検討してみましょう。「民意」であればどのようなことでも決めて良いのでしょうか。多数決で何でも決定して良いのでしょうか。 民意が望めば独裁制にすることもできるの? まず、「民意が望むなら何でもそのとおりにして良いはずだ」という原理を徹底して推し進めていけば、すぐ難問にぶちあたります。 例えば「民意が望むなら、民意を無視する政治体制(独裁制)にすることもできるはずだ。それが民意の尊重だ」ということも言えるのでしょうか? 良し悪しは別にして、理屈としては普通に筋がとおっているようにも思えます。「望ましくはないが、それが民意ならやむ

    憲法を民意でどこまでも改正できると考えると、自己矛盾で破綻する件|弁護士ほり
    tekitou-manga
    tekitou-manga 2021/11/13
    "単に「勢力の強い方が勝った」というのと同じレベルの現象" これをありがたがる人多いのなんなんだろうな。主張を言語化できないだけならまだいいんだけど……
  • 「マンセー」という言葉の濫用はやめましょう|弁護士ほり

    いつからかはわかりませんが、一般的に、何かを手放しで過剰に賛美・崇敬する行為を揶揄する時に、主にネットで「マンセー」という言葉が使われています。語源は「万歳」の韓国語読みですが、今は語源を知らずに使っている人もいるかも知れません。 おそらく発祥は旧2ちゃんねるでしょう。最初は韓国での何らかの現象を取り上げるところから始まったような記憶があります(あまり定かではありませんが、主に揶揄的なニュアンスであったように思います)。 ところがいつの間にか、日で普通に見られるような、何らかの過剰な賛美・崇敬の現象についても、揶揄的な意味で「マンセー」というようになってしまいました。 わかりやすい例としては、安倍首相を賛美しすぎる行為を「安倍マンセー」と呼んだりする事案があります。 しかしこれはおかしな話でしょう。何かを過剰に賛美したり崇拝したりするというのは、韓国特有でも何でもなく、日でも他国でも普

    「マンセー」という言葉の濫用はやめましょう|弁護士ほり
    tekitou-manga
    tekitou-manga 2021/08/20
    これは本来的にはネトウヨへの当てつけで使ってたのでは?と思うのだが。
  • 日本でロックダウンができない理由は、憲法のせいではない件|弁護士ほり

    なぜロックダウンができないの? コロナ対策については様々な議論が行われています。「憲法改正しないとコロナ対策で私権制限ができない」などというあまりにも粗雑な議論がデタラメであることは、先日の記事で簡単に説明したところです。 今回はもう少しテーマを絞って、ロックダウンについて考えてみましょう。諸外国で行われているような強制力のあるロックダウンが日でできない理由はなぜでしょうか? いろいろな説明の仕方が可能でしょうが、直接的な理由としては至って簡単な身も蓋もない話で、「ロックダウンをする法律が、まだ存在しないから」です。(後で述べますが「憲法にロックダウンが書いてないから」ではありません。) 権利や自由の制限をするには法律の根拠が必要 そもそも公権力が市民や企業(法人)の自由・権利に対して制限を加えるには、法律の根拠が必要です。(俗にいう「私権の制限」) 例えば、道路交通法がなければ、スピー

    日本でロックダウンができない理由は、憲法のせいではない件|弁護士ほり
    tekitou-manga
    tekitou-manga 2021/06/01
    政府支持者がこういう*当たり前の議論*できないのは至極当たり前で、政権与党が事実や常識に反するデマを流してるんだから。これ、どんだけ恐ろしい状況か
  • GHQが新憲法を「押しつけ」してくれなかったら、日本政府は酷い憲法を作っていた件|弁護士ほり

    国憲法の「押しつけ」の性格は否定できないが… 日国憲法は、敗戦後の占領された日で、GHQの作成した案をもとに帝国議会が審議したうえで制定されました。このことからすれば当然ながら、多かれ少なかれGHQによって「押しつけ」られた要素があること自体は否定できないでしょう。 ただ実際の展開としては、GHQが作成して日政府に与えた条文をそのまま翻訳して日国憲法にしたというわけではなく、まず1946年4月の日初の男女平等選挙で選ばれた衆議院議員と、(選挙の対象でない)貴族院議員が審議して、(GHQの意向に反しない限りにおいて、ですが)様々な修正を加えたうえで、現在の日国憲法が完成したのです。 戦争放棄だけの問題だったのか? そこで次の問題は、なぜ「押しつけられた」かということです。 この点、日国憲法に批判的な論者から「憲法9条の戦争放棄で日を非武装にするために、押しつけたのだ」とい

    GHQが新憲法を「押しつけ」してくれなかったら、日本政府は酷い憲法を作っていた件|弁護士ほり
  • 大日本帝国憲法だったら、コロナ禍にどう立ち向かっていたの?|弁護士ほり

    はじめに コロナ危機における憲法の役割についての関心が高まっており、このnoteでも関連する記事をいくつか載せています。 世間では「コロナ危機に対処するには、憲法を変えるべきだ」「私権制限をすると違憲の恐れがあるから、憲法の方を変えれば、違憲の問題がなくなる」という主張も結構見受けられます。 そこでこの記事では一つ、思考実験をしてみましょう。実際に「憲法」を今のものとは変えた前提で考えてみるとして、極端な話、仮に今の憲法が戦前からの大日帝国憲法のままだったら、コロナ禍にはどう対処していたでしょうか。 ここでは細かい議論はできないので、ごく大雑把に検討してみることとします。切り口としては「ロックダウン」と「緊急時の政府の政策の迅速さ」という観点から見てみましょう。 法律でいくらでもロックダウンを決められる まずロックダウンを考えます。ロックダウンは居住・移転の自由に対する制約です。 この点

    大日本帝国憲法だったら、コロナ禍にどう立ち向かっていたの?|弁護士ほり
  • 自民の改憲案が通ると、いったい何がどうなるの?|弁護士ほり

    コロナ危機に乗じて改憲案を持ち出したがる自民の政治家 ひとつ前の記事では「今の憲法ではコロナ対策のための私権制限ができないから、改憲しなければ」という主張がデタラメであることを説明しました。 それはともかくとしても、コロナ対策と改憲を結びつけたがる議論が自民党政治家からよく出てくるのは事実です。 自民党はこれまで様々な改憲の提案をしてきました。このうち最も新しいのが、2018年に作成した改憲議論のための「たたき台素案」です。(2012年の憲法改正草案が非常に有名ですが、これとは別のもので、これよりは変更内容が限定されたものです。) この「たたき台素案」についてもこのnoteでは過去に何度か触れてきましたが、憲法記念日ということもあり、またコロナ危機に便乗した粗悪な改憲論も目立ってきていますので、きわめて簡単にわかりやすく、改めてその問題点を説明しておきます。 国会抜きで政権が刑罰条項を勝

    自民の改憲案が通ると、いったい何がどうなるの?|弁護士ほり
  • 「憲法改正しないとコロナ対策で私権制限ができない」というのが悪質なデタラメである件|弁護士ほり

    コロナ対策にかこつけた改憲論? 新型コロナ対策で、施設や店舗などの営業時間制限要請などが行われていますが、このような対策について 「今の憲法では、私権の制限ができないので、思い切った対策がとれない。」 「私権を制限できるように憲法を改正する必要がある。」 という類いの主張をする政治家や評論家が見られます。 このような主張は一見もっともらしく思えるのですが、実はかなり倒錯しているというか、そもそも憲法と法律の役割や関係をよくわかっていない可能性がありますので、どこがおかしいのか簡単に説明しておきましょう。 「私権の制限」という用語はあまり適切でない なお政界やメディアなどでは「私権の制限」という言い方が頻繁に使われているのですが、あまり適切な表現でもなく、むしろ「権利の制限」とか「自由の制限」と呼んだ方が正確ですので、この記事では「自由・権利の制限」という言い方を主に使うことにします。(法律

    「憲法改正しないとコロナ対策で私権制限ができない」というのが悪質なデタラメである件|弁護士ほり
  • 小室さんと眞子さんの結婚で世間に文句を言わせない方法とは?|弁護士ほり

    ひどくなる風当たり このnoteでも何度も触れてきましたが、内親王の眞子さんと小室圭さんとの結婚問題に対する世間の逆風はひどくなるばかりです。 ここでは、世間に文句を言わせないで結婚する方法を具体的に考えてみましょう。この結婚に大衆が文句をつけるのは、ほとんどが「皇族の結婚相手としてどうなのか」ということです。 是非はともかくとして、現実問題として「皇族の結婚相手は、国民が納得いくものでなければならない」という(この主張自体が必ずしも納得性があるとは思えないのですが)考え方が広く世間で支持されているということでしょう。 先に皇族を辞めてしまえば良い - どうやって? この問題を解決するのはそれほどむずかしいことではありません。「皇族の結婚」という前提条件そのものを先に変えてしまえば良いのです。つまり眞子さんが、結婚前にまず皇族の身分から離脱してしまえば良いというわけです。そうなれば、もはや

    小室さんと眞子さんの結婚で世間に文句を言わせない方法とは?|弁護士ほり
    tekitou-manga
    tekitou-manga 2021/03/09
    “眞子さん”てのが今の天皇の弟の娘だというのをこの記事読んで「秋篠宮文仁」でggって初めて知りました。みんな普通知ってるの?すごいね
  • 『百田尚樹の日本国憲法』という本は、どこがおかしいの?|弁護士ほり

    はじめに  作家の百田尚樹氏が『百田尚樹の日国憲法』というを祥伝社新書から発売し、結構売れているようです。今回は、このが憲法についてどのようなことを説明しているのか、またどのような問題があるのかについて簡単に触れてみます。 最初に断っておくと、『百田尚樹の日国憲法』では、「そもそも一般論として、憲法とは何なのか」とか「憲法とは何のためにあるのか」「憲法の果たすべき役割とは何か」等の基的な問題については、一切何も触れていません。いきなり「日国憲法はおかしい」という話から突然始まります。 内容の概略 全体の構成は、おおむね次のとおりです。 まず「第1章 日国憲法はおかしい」では、日国憲法が制定後に一度も改正されていないのは世界の中でおかしいとか、憲法改正手続に厳格な要件が必要とされているのは不当だとかいうことが書いてあります。 「第2章 第九条に殺される」では、憲法九条をめぐる

    『百田尚樹の日本国憲法』という本は、どこがおかしいの?|弁護士ほり
    tekitou-manga
    tekitou-manga 2021/01/03
    “『百田尚樹の日本国憲法』では、憲法が基本的人権を保障していることについては一切触れていません。まるで天皇と第九条しか憲法には存在しないとでも思っているかのようです”一言一句そのままなのではw
  • 日本学術会議問題での政府の説明責任について|弁護士ほり

    学術会議の任命拒否 日学術会議の任命拒否問題については、これまで2回、記事をnoteで書きました。 稿を書いている時点で事態はほとんど進展していませんが、いずれにしても菅政権は、6名の任命を拒んだ理由を説明する必要があります。 例えば「日学術会議は軍事研究に否定的であり、この6名も軍事研究に反対しそうだから政府は拒否したのだ」と推測する声があります。また一方では、著作や研究の傾向と関係があるのではないかと想像する意見もあるでしょう。 政策判断に基づく任命拒否が可能だと仮定しても・・・ 以前述べたように、私は、日学術会議法の趣旨からも、また過去の法改正の前提となった国会答弁からも、内閣総理大臣が自分の政策目的で自由には学術会議の会員の任命を拒否することはできないと考えていますが(詳しい理由は以前の記事参照)、菅政権の見解はそうではないようで、総理は政策上の都合で、自由に会員の任命や拒

    日本学術会議問題での政府の説明責任について|弁護士ほり
  • 1945年8月に日本で革命があった?|弁護士ほり

    八月革命説 憲法の議論で「八月革命」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。これは1945年8月に日に「革命」が起こったという説です。(★以下、憲法の教科書で『八月革命』説についての説明を承知している方は、お読みいただく必要はありません。) これに対しては「日は1945年8月に第二次世界大戦で負けて、確かに大きな変動を経験したが、別に革命なんか起こっていないではないか?」という反応が、当然出てくると思います。 しかし、ここでいう「革命」という単語は、一般に使われているような意味、つまり反政府勢力や群衆が武装蜂起して政権を倒すような意味での「革命」ではなく、憲法の根原理が変更されたという意味で使われています。 憲法の改正か、革命か? ある国の憲法が一定の手続を踏んで変わる場合、普通は「憲法改正」と呼ぶのが一般的なので、わざわざ「革命」という大げさな言葉を使って呼ばなくても良いように思え

    1945年8月に日本で革命があった?|弁護士ほり
  • 日本学術会議の会員任命拒否は何が問題か|弁護士ほり

    学術会議の会員の任命拒否問題 学問研究に関する国の機関で、実績のある研究者を会員として構成されている日学術会議が新会員として推薦した候補のうち6名について、菅首相が会員に任命しなかった問題が報道されています。 これについては既にメディアやネットで議論されていますが、一体何が問題なのか、私なりに整理してみましょう。 議論の出発点 - 総理も自由自在に任命できるわけではない まず初歩的な話になりますが、そもそも論として 「民主主義国家の機関の人事なのだから、内閣総理大臣がその人員を任命したり任命拒否したりできるのは当然だ。総理は民主的に選ばれたのだから、総理の判断に不満があるなら、次の選挙で勝てばいい」 という類いの単純な議論は通用しないことに注意してください。 民主主義の国で為政者を国民が選んでいるといっても、国民は別に独裁者や万能者を選んでいるわけではなく、あくまで憲法や法律で定めた

    日本学術会議の会員任命拒否は何が問題か|弁護士ほり
  • 「多様性の尊重」というスローガンは捨てた方が良い件|弁護士ほり

    やたらと使われる「多様性の尊重」現在、「多様性の尊重」というスローガンは、政府の文書から個人の会話まで、至るところで目につくようになっています。経済、雇用、福祉、教育その他、あらゆる分野で「多様性の尊重」という言葉が使われるようになりました。 これについて今回の記事では、この「多様性の尊重」というスローガン自体に重大な問題があり、むやみに使わない方が良いということを説明します。(念のためいうと、「多様性を尊重すること自体がいけない」という真逆の主張をしたいというわけではありません。) 多様な「状態」を尊重すれば良いのか?まず言葉そのものを眺めてみましょう。「多様性」を「尊重」するというわけですから、当たり前の話ですがここで尊重すべきとされているのは「多様性」です。「多様性」とは物事の性質とか状態ですから、結局は何らかの性質や状態を尊重しろと言っているわけです。 学校の制服問題で考えてみる一

    「多様性の尊重」というスローガンは捨てた方が良い件|弁護士ほり
    tekitou-manga
    tekitou-manga 2020/09/21
    タイトルの件、ずっとほり先生言ってたけどわかりみしかない
  • もやウィンの説明は、どこがおかしかったの?|弁護士ほり

    もやウィンと「基的人権の尊重」 さて、このマンガの第3話で、もやウィンは日国憲法の基原理について触れているのですが、そのうち「基的人権の尊重」について説明する中で、まず「人間が生まれながらにして持っている、人間らしく生きる権利を永久に保障する」と述べています。 ここまでは特におかしくないのですが、その次に具体例として、もやウィンは 「例えば、言論の自由だったり、職業選択の自由だったり、つまり法律に触れたり、人に迷惑をかけない限り自由ってことで…」 と語っています。 この部分の前半は良いとして、後半の「つまり法律に触れたり、人に迷惑をかけない限り自由」という部分は、一見もっともらしく見えますが、非常に問題がある記述ですので、以下、簡単に説明しておきましょう。 「法律に触れない限り自由」とは? まず「法律に触れない限り自由」という部分を考えてみましょう。「触れない」というのはやや曖昧な

    もやウィンの説明は、どこがおかしかったの?|弁護士ほり
    tekitou-manga
    tekitou-manga 2020/07/05
    “「迷惑をかけない限り自由」ではなく「迷惑をかけても自由」の場合もある”
  • コロナウイルス危機と憲法(2)|弁護士ほり

    現在も既に行われている「私権の制限」 さて前回の「コロナウイルス危機と憲法(1)」では、そもそも現在の憲法でも「私権の制限」は不可能というわけではないどころか、現に環境汚染防止や労災防止など様々な局面で、法律により「私権の制限」が既に行われていることを示しました。ここでいう「私権の制限」とか「人権・自由の制限」は、主に営業や移動の制限を念頭に置いています。 具体的に問題となる二つの論点とは? 次に、コロナウイルスや自然災害のような緊急事態への対応として、具体的にどのようなことが法律面で問題となるか、もう少し立ち入って考えてみましょう。 これは大きく言って二つに分けることができると思われます。すなわち (A)緊急時に国民の生命・安全を守るためにどのような対策をしなければならないか (B)緊急時に国家の意思決定のあり方をどうするか という二つの次元の問題です。 前回触れた「私権の制限」とか、コ

    コロナウイルス危機と憲法(2)|弁護士ほり
  • 自民党の改憲「たたき台素案」には致命的な欠陥があった件|弁護士ほり

    全体の要点 自民党が憲法改正について(2012年の草案とは別に)2018年に公表した、憲法改正に関する「たたき台素案」によれば ①内閣が一存で、国会の審議抜きで、法律と同じ効力を持つ政令を定めることができ、これによって、例えば官庁組織を自由に設立したり、刑罰を定めることもできる。条文上は、有効な歯止めは存在しない。 ②国会議員の任期を無限に延長することができ、内閣総理大臣も終身在任とすることができる。 はじめに - 自民党の改憲「たたき台素案」 2012年に自民党が作成した憲法改正の草案の緊急事態条項については、過去のnote記事で批判的な検討を行ってきました。 ただ現在は、自民党はこの2012年改憲草案には必ずしもこだわらず、改憲を提案する項目を簡略化・縮小した4項目の「たたき台素案」を2018年にまとめて公表し、国会での議論を求めています。(ただし、上記の2012年改憲草案を正式に撤回

    自民党の改憲「たたき台素案」には致命的な欠陥があった件|弁護士ほり
  • どこがいけなかったの?大日本帝国憲法|弁護士ほり

    はじめに このnoteでは憲法について話題にすることも多いのですが、今回は大日帝国憲法について考えてみましょう。 1889年に発布された大日帝国憲法は、1946年に現在の日国憲法によって取って代わられるまで60年近く存続し、戦前の大日帝国の骨格となっていました。 現在の日国憲法を様々な観点から批判する論者もいますが(その大半は9条の戦争放棄と防衛問題の論点についてのものです)、さすがに「大日帝国憲法の方が日国憲法よりも優れている」と主張する人は超少数派でしょう。時代の制約もあったでしょうが、大日帝国憲法(以下、「帝国憲法」)には多くの重大な欠陥がありました。 この記事では、帝国憲法の問題点すべてを取り上げることはできませんが、大きな論点をいくつか検討してみることにします。 国民は臣民、その権利は? まず帝国憲法では、国民の権利についてどのように決めていたでしょうか。第二章「

    どこがいけなかったの?大日本帝国憲法|弁護士ほり
    tekitou-manga
    tekitou-manga 2019/09/06
    "さすがに「大日本帝国憲法の方が日本国憲法よりも優れている」と主張する人は超少数派でしょう"自民党改憲案からは帝国憲法への回帰願望を強く感じてしまうけどね
  • メディアの「おっさんバッシング」が、おっさん差別ではなく、実はおっさん支配の反映だった件|弁護士ほり

    はじめに 前回の記事では、いわゆる「かわいそうランキング」または「かわいそうリスト」で「おっさん」が(若い)「女性」に比べて低い位置づけにあるという問題について検討しました。 そのうえで、いろいろな事件・事故の報道で「若い女性」が「おっさん」よりも同情され派手に取扱われているのは、「おっさん」が差別されているからではなく、逆に他ならぬ「おっさん」自身が、「おっさん」よりも「若い女性」の報道の方に興味があるからだろうという結論を示したところです。 これは事件や事故の報道の話でしたが、それはそれとして一般論として、「現代の社会では、全体的にいって『おっさん』に対する不当な差別が行われている」という意見も最近は有力になっています。 結論からいうと、私はこれも極めて疑わしいと思っているのですが、まずは手順を踏んで考えてみましょう。 「おっさん」に対する否定的な評価 「おっさん差別がある」と主張する

    メディアの「おっさんバッシング」が、おっさん差別ではなく、実はおっさん支配の反映だった件|弁護士ほり