江戸時代後期、長崎に滞在したドイツ人医師シーボルトが日本地図を国外に持ち出そうとした「シーボルト事件」の新史料を、長崎市長崎学研究所が発見した。事件に関与して獄死した長崎の阿蘭陀通詞(オランダつうじ)(通訳)、稲部市五郎の検視記録。処罰した後も幕府が関係者を重要人物として扱っていたことが分かり、事件の影響の大きさがうかがえる。 出島のオランダ商館医シーボルトは阿蘭陀通詞の協力を得て、国外への持ち出しが禁じられた日本地図を手に入れた。1828年の帰国時に発覚し、シーボルトは国外追放、仲介した通詞3人は終身刑になった。 稲部市五郎(1786~1840)は末席の小通詞だったが、植物採集の案内役を務めるなどシーボルトに信頼されていた。上司の指示で地図を渡したことが罪になり、七日市藩(現在の群馬県富岡市)の監獄で病死したとされる。 新史料は、幕府役人による検視に立ち会った七日市藩士が残した約60ペー