週報 2024/04/28 川はただ流れている 4/20(土) 初期値依存性 さいきん土曜日は寝てばかり。平日で何か消耗しているらしい。やったことと言えば庭いじりと読書くらい。 ベランダの大改造をした。 サンドイッチ 一年前に引っ越してからこんな配置だったのだけど、さいきん鉢を増やしたら洗濯担当大臣の妻氏…
読んでいただいた皆様に感謝を よしここは「あなたに読んでいただけてよかった。ありがとう」とかくべき。 しっかしあいかわらず非モテか無断リンクでしか人が来ないなあ。ここはらいとのべるのかんそうぶろぐなんだぞー(むなしい)(だったらぐにゃっとした印象ではなく批評に耐えうるような書評をちゃんと書け) さて、ブクマコメントを読んで思ったことを書こう。考えがすごく発散したので、ひとつにはまとめ切れませんでした。 他者を承認する困難性 強烈に他者を承認する言葉がある。「あなたに出会えて良かった」「今まで生きていてくれてありがとう」「あなたは既に許されている」とか。しかしこれらの威力は簡単には言われた者の心まで届かない。 威力が大きすぎてうそくさい。上っ面を滑ってしまう。直撃させるためには、その言葉がその状況その発言者から語られることがレアである、被承認者が発言者を既に承認している、など他の条件を必要と
昨日チャットで話して見えてきたのだが、非モテの問題は私にとって大した問題ではない気がしてきた。というか、悩みの症状の一つに過ぎない。まあさほど悩んでいるわけでもないんだけれども。 私の抱える非モテの根っこにある問題は、承認されるされないの問題である。 名づけるなら承認欠乏症だ。 私はこの世に生きていても良いですか。 動物を殺して生きても良いですか。 植物を殺して生きても良いですか。 有限の資源を使ってしまっても良いのですか。 私が便利に生きるために他人様に迷惑をかけてもよろしいのですか。 私が楽しむために他人様に何かしていただいても良いのでしょうか。 今すぐ死ななくても大丈夫ですか。 私さえいなくなれば助かりますか。 私が消えると嬉しいですか。 運動のできない私は死ぬべきですか。 勉強のできなくなった私は消えるべきですか。 金の稼げない私は腹を切るべきですか。 などなど。そんなことを、折に
「ゲーマーの後悔」は終わらない 2007年10月 2日 カルチャー コメント: トラックバック (3) Clive Thompson 2007年10月02日 今にして思えば、見るべきではなかったかもしれない。 私は、ロールプレイング・ゲーム(RPG)の『Dungeon Maker: Hunting Ground』について8月にレビュー(英文記事)した。 このゲームを始めてから10日が過ぎたころ、「設定」メニューをちょっとのぞいてみたところ、「プレイ時間」というオプションがあることに気がついた。ゲームと格闘した時間の長さがわかるらしい。好奇心からクリックしてみた。 36時間と表示された。 見たとたん、とてつもなく落ち込んだ。36時間だって? こんなゲームのなかに1日4時間ほども入りこんでいたとは、いったいどういう気だったのだろう? 正直に言うと、この10日間にプレイしていたゲームはこれ1つで
「"柵"の中で気付いたこと」の続き。私が何故「~のつもり」でいることをあまりよく思わないのか考えてみた。 私はいろいろな事に興味は持つけれども、どれも中途半端で満足しているのではないかといつも不安に思っている。いくらクラシックを聴きこんだとしても、所詮しがない愛好者のどうしようもない感想に過ぎないんじゃないかとか、いくらピアノを弾いても技術も表現も解釈もプロの足元にも及ばないのだろうと思う。音楽だけじゃない。フィンランドのことだって、私の現実問題としてフィンランドの地を踏むことが出来るのは何年も先だろうし、住むなんてことは有り得ない。宇宙も専門的に学んだことはないし、以前書いたように地味な活動ばかりしているアマチュアでしかない。どの分野にももっと詳しい専門家や、経験豊かな人がいて、そんな人と私は比べ物にならない。いつまで経っても未熟な、中途半端な人間でしかないのです。 何をやっても中途半端
「それはあなたが思い出したくないほどの嫌な思い出だからですね」 と、カウンセラーは無表情で言った。 カウンセリングをする際、過去を話すよう誘導されるのは定石ではないかと思う。 それに対して当時の私は「覚えてない」を繰り返した。 まだそんなに何十年も生きていないのに、さほど長くないであろう過去をかたくなに「覚えていない」と執拗に言い続けた。 嘘ではなかった。 本当に思い出せなかったのだ。 カウンセラーはそれは心の防御機能だと言った。 最近、はてなでスクールカーストの記事が出て、スクールカーストが存在したであろう自分の学生時代を思い出そうとして、やはりよく思い出せなかった。 思い出したくないほどの嫌な思い出だからなのだろうか? 追記: Masao_hate氏のブクマに応えます。 失礼、言葉足らずでした。 記事を若干書きなおしました。 スクールカーストの言葉が出たのはMasao_hate氏の記事
2000年6月長編小説「コンセント」を出版。その後「アンテナ」「モザイク」(共に幻冬舎)を発表。「富士山」「ドリームタイム」(文藝春秋)「ひかりのメリーゴーラウンド」(理論社)原爆をテーマにした短編集「被爆のマリア」(文藝春秋) 「キュア」(朝日新聞出版) ノンフィクションでは「忘れないよヴェトナム」「ひかりのあめふる島屋久島」「もう消費すら快楽ではない彼女へ」(いずれも幻冬舎) 「ハーモニーの幸せ」 「水の巡礼」(共に角川文庫) 「オカルト」「神様はいますか?」「根をもつこと翼をもつこと」(いずれも新潮文庫)「寄る辺なき時代の希望」(春秋社)な生きる意味を教えてください」(バジリコ) 詳しくはホームページをご参照ください。 http://www.randy.jp/
廃墟の美学だとか廃墟論だとかをおれは知らないのだけれども、廃墟ってのはようは建物から人を引いたもの、ってことなのかな? だとしたら、更新の停止したブログというのは廃墟と同じであり、廃墟が美しいように廃墟ブログもまた美しいのかなーなんて。 美しいってのはちょっと違うかもしれないけど。ちょっと惹かれる。 いまここに二つのブログがあるとする。ひとつはライブなブログで、もうひとつは更新の停止した廃墟ブログ。 ライブなブログに接するときには、コメントやブクマなんて道具を持ち出すまでもなく読むだけで書き手に影響を与えてしまう。すごく好きな文章や写真がもしかしたら自分が見たことで好きでない方向に変容してしまうかもしれない。あるいは書き手からのなんらかのレスポンスによって、あるエントリから受けた印象ががらっと変わってしまうかもしれない。 一方、廃墟ブログは見ても読んでも変わらずそこにある。読むことで廃墟が
溢れ出る感情の全てを言葉に代えることができたならば。 きっと私は、今まで以上に多くの事柄に言及してきたことだろう。 例えば、罪も無い人々の命がいとも簡単に奪われてしまうこととか。 例えば、“言葉の暴力”についてあまりにも簡単に語られてしまうことへの危惧とか。 私の中に芽生えた“ちいさな違和感”の大半は言葉にすることさえ出来ず、何度も何度も書き直しては結局封印されていった。 私には書けない。 私には無理だ。 劣等感ばかりが膨れ上がり、ますます私は自信を喪失していった。 やがて私は無理に言葉を探すことをやめ、迷うことなく「捨てる」ことを覚えた。 時が熟せば、言葉は自然に出てくる。 焦って書き記しても空回りするだけなら、潔く捨ててしまえばいい。 「吐き出す」ことより「伝える」ことを欲するようになった私は“言葉を寝かせる”ことを覚え、少しだけ冷めた視線で物事を捉えることを覚え
通りすがりでもコメントをつけられることがメリットだと思い、 はてなダイアリーを選んだ私ですが、 自分の記事に対してのコメントには活用できている一方、 同じようにはてなダイアリーでblogを書いている人の記事に対する コメントを見ることは殆どないことに気がつきました。 エントリ内容がとても興味深いものだったり、挑発的なものだったりして、 本文よりコメント欄の占める割合が大きくなっていたり、 場合によってはそこでのやり取りが翌日以降の メイントピックスになっているblogを見かけることがありますが、 その場合でも、基本的に大元のエントリしか読みません。 私自身はコメントを題材にして書くこともあるのに、 読み手に回ったときの、その割り切り方には自分でも驚きます。 どうやら私の中で、 「コメントはその記事を書いた人宛のもの」という認識があり、 自分の書いた記事以外のコメントには あまり興味をそそら
「裏表のない人格」に憧れる人は多い。 その人が発する言葉に“裏”はなく、それ故受け止める側は“額面通りに”受け止めればいい。 ある意味、これほど楽なことはないだろう。 かくいう私は「裏」も「表」もある。 時と場合(と相手)によって“言葉”を選ぶのは日常茶飯事。 これでも“T・P・O”を意識し、不器用なりに“自己演出”を試みている。 勿論私は私であり、“ある角度からの自分”を見せているに過ぎない。 相手を騙そうとする意図は微塵もなく、ただその場に応じた自分を提示したいだけ。 時にはそういった考え方が空回りし、心身共に疲れ切ってしまうこともある。 それでも、「裏表のない人格」にはなれそうにないし、仮になれたとしても敢えてそれを拒む。 “ありのままを見せない”こともまた、相手に対する思いやりになる。
春の伊予国漫遊記。松山・今治と愛媛の魅力を満喫してきました。 法事を兼ねて愛媛観光へ 2024年のGWは、毎年恒例の名古屋帰省ではなく自宅でゆっくり過ごしておりました。というのも、4月に法事のため愛媛・松山に親族大集合というイベントがありまして、そちらをGWの旅行代わりにしたという理由です。法事は日曜日の予定ということ…
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