タグ

倫理に関するebmgsd1235のブックマーク (7)

  • 児玉真美『安楽死が合法の国で起こっていること』(ちくま新書) : 山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期

    12月21 児玉真美『安楽死が合法の国で起こっていること』(ちくま新書) カテゴリ:社会8点 相模原障害者施設殺傷事件、京都ALS嘱託殺人事件、そして映画『PLAN 75』など、日でもたびたび安楽死が話題になることがあります。 安楽死については当然ながら賛成派と反対派がいますが、賛成派の1つの論拠としてあるのは「海外ではすでに行われている」ということでしょう。 著者は以前からこの安楽死問題について情報を発信してきた人物ですが、著者が情報発信を始めた2007年頃において、安楽死が合法化されていたのは、米オレゴン州、ベルギー、オランダの3か所、それとスイスが自殺幇助を認めていました。 それが、ルクセンブルク、コロンビア、カナダ、ニュージーランド、オーストラリア(一部を除く)、スペイン、ポルトガルに広がり、米国でもさまざまな州に広がっています。 では、そういった国で実際に何が起こっているのか?

    ebmgsd1235
    ebmgsd1235 2023/12/22
    "日本だと人権の中心に「いのち」があって、その反面、刑務所などでの「尊厳」に対する感度の低さが~安楽死を合法化した国々では、ある種の「尊厳」を守るために「いのち」が軽んじられているような印象も~"一元的QOL
  • Daily Life:生物学者は「自然主義的誤謬」概念をどう使ってきたか

    July 16, 2020 生物学者は「自然主義的誤謬」概念をどう使ってきたか 最近発表された人間行動進化学会の声明の中で、「自然主義的誤謬」という哲学由来の概念が使われていた。 そこでは、自然主義的誤謬が、「「自然の状態」を「あるべき状態だ」もしくは「望ましい状態だ」とする自然主義的誤謬と呼ばれる「間違い」」という言い方で紹介されている。これを倫理学者が聞いたなら「いや、自然主義的誤謬はそういう意味じゃないんだけどなあ」と言いたくなるところであろう。しかし、進化生物学者と「自然主義的誤謬」という概念の付き合いはかなり長く、それなりの経緯がある。稿の目的はとりあえずその経緯を追うことで、「自然主義的誤謬」という概念の適切な用法とはなんだろうかということを考えることである。 最初に断っておくが、稿はいかなる意味でも体系的なサーベイとはなっていない。どちらかといえば、目立つ事例いくつかをつ

    ebmgsd1235
    ebmgsd1235 2020/07/16
    “ただ「他の」性質であるというだけでなく、絶対的に、全面的に、善さと同一である”ムーアの自然主義的倫理の誤謬、「である」から「べきである」への導出はできないというテーゼの元ネタ、カントの存在と当為。
  • ヘーゲル『法の哲学』を解読する(2)

    ここでは、ヘーゲルの『法の哲学』の後半の「倫理」の章について解説する。 前半では、自由が抽象的な法権利から「当の正しさ」を目がける道徳へと形を変えつつ展開していった。後半では、道徳から倫理(人倫)の段階へと移行し、善が客観的に実現されていくプロセスを描き出している。 つまみぐいしないで! 前半を解説したときにも軽く触れたが、書は前半が抽象的で分かりにくく、後半が具体的で分かりやすいという構造になっている。なので前半をパスして後半の議論から読みたくなる気持ちになるかもしれないが、その気持ちはどうにかこらえて、ぜひ前半を読んでから後半を読んでほしい。 ヘーゲルは、家族も市民社会も国家も、自由が社会的形態として展開したものだと考えているが、その自由の質については前半で詳しく論じている。それをつかんでいない状態で後半を読んでも、あまり意味がない。 仮に大学の授業で後半から読むことになったとし

    ヘーゲル『法の哲学』を解読する(2)
    ebmgsd1235
    ebmgsd1235 2020/04/20
    “「人格の相互承認」を出発点としたプロセスは、自由が社会的な制度として展開する段階に行き着く、とヘーゲルは言う。こうした自由の展開プロセスこそ、ヘーゲルが世界史と~”市場における同等欲求と評価欲求。
  • アキバ中央通りの18禁ゲーム看板はなぜ問題なのかを真面目に考える - 狐の王国

    秋葉原に巨大なアダルトゲーム広告が登場 「子どもに有害」と批判の一方、表現の自由指摘する声もという記事。問題の看板は、当事者がツイッターで写真を上げてるので参考に見てみよう。 【ついに】秋葉原はトレーダー3号店様外の巨大看板に登場しちゃいました!!🎊ここに出せるのは最初で最後になるかもしれないので、どうぞ記念にお納めください。「もっと!孕ませ!炎のおっぱい超エロ♡アプリ学園!」11月29日発売予定! #みるふぁく #みるくふぁくとりー #超エロアプリ pic.twitter.com/pU60mgQndT— みるくふぁくとりー (@milkfactory_) November 1, 2019 さてこの看板、普段なら表現の自由を叫ぶような人たちまでもが割と批判的になったり、沈黙してしまったりしているようだ。18禁ポルノゲームの看板であり、法律に合わせて修正されているので、おそらくは東京都の広

    アキバ中央通りの18禁ゲーム看板はなぜ問題なのかを真面目に考える - 狐の王国
    ebmgsd1235
    ebmgsd1235 2019/11/08
    エントリー感謝です。素晴らしい性的モノ化と非倫理的な性的モノ化、どこからがヘイトなのか?“「明白かつ現在の危険」がある状況における加害煽動表現”昨今の拡大解釈によって逆に危機的な状況が。道徳と表現。
  • 「冤罪で人が死んでも良い」という弁護士の意見を見て、この社会に死刑制度が存在している理由をひとつ思いあたった - 法華狼の日記

    弁護士連合会が死刑廃止宣言を可決したことを受けて、「東京の弁護士」というshouwayoroyoro氏がツイートしていた。 しかしshouwayoroyoro氏は、前後のツイートを見ても、まったく冤罪者への補償について言及していない。 死刑反対派が冤罪をもちだす理由は、「冤罪の危険」そのものではなく、補償の不可能性が大きい。死刑廃止宣言においても「二度と取り返しがつかない」ことが言及されている。 日弁連「死刑廃止宣言案」採択、組織として推進へ…会場では異論も噴出 - 弁護士ドットコム 宣言は、死刑判決を受け拘束されていた袴田巌さんが、2014年に約48年ぶりに釈放されたことをあげ、「死刑判決を下すか否かを人が判断する以上、えん罪による処刑を避けることができない」「えん罪により死刑となり、執行されてしまえば、二度と取り返しがつかない」と死刑廃止を訴えた。 なお、shouwayoroyor

    「冤罪で人が死んでも良い」という弁護士の意見を見て、この社会に死刑制度が存在している理由をひとつ思いあたった - 法華狼の日記
    ebmgsd1235
    ebmgsd1235 2016/10/09
    「殺人は死刑によって被害者への補償となるという理念を死刑賛成派が持っているなら、例外的に死刑執行された冤罪者をも補償できる可能性はある」=ハムラビ法典!われらが人に赦す如く、 われらの罪を赦し給え。
  • 倫理学における、動物の「知能による線引き」について、雑に説明してみた - 道徳的動物日記

    anond.hatelabo.jp 「おれのアタマじゃ結論出ないので、倫理学の専門家に説明してほしいなあ。」 私も専門家ではないし、時間がないので雑になるが、前半の「知能による線引き」について、とりあえず説明してみる。 基的に、倫理学で「動物は道徳的に配慮されるべきだ」「人間には、動物を倫理的に取り扱う義務がある」といった主張がされる場合には、その根拠は「動物が苦痛や幸福を感じるから」であることが多い。 「人間が苦痛を受けること」や「人間の幸福が奪われること」が「悪いこと」であるのと同じように、「動物が苦痛を受けること」や「動物の幸福が奪われること」も「悪いこと」である、という訳である。 「悪いこと」であるから絶対にやってはいけない、という主張もあるが、多くの倫理学の主張では「正当な理由」がある場合には「動物が苦痛を受けること」などの「悪いこと」を行ってもよい、としている。 極端な例では

    倫理学における、動物の「知能による線引き」について、雑に説明してみた - 道徳的動物日記
    ebmgsd1235
    ebmgsd1235 2015/05/25
    一概に善悪を判断したり、人間も所詮屠られる獣じゃないかと文化的シェルターにも籠ったりせず「何がよりましなのか」というふうに枠組みを自在に調整していくのが倫理学。権利とか解放とか。苦痛や幸福に対する。
  • ポスト・グローバリズムの世界、あるいは「縮みゆく共同体」 - 内田樹の研究室

    アメリカの最近の国勢調査で、白人の人口が2歳時以下の幼児の過半数を割った。 ヒスパニック系(16.3%)がアフリカ系(12/6%)を抜いて、マイノリティの最大集団になった。 ヒスパニックは出生率2.3で、白人を0・5ポイント上回っている。 アメリカにおいて白人が少数民族になる時代が近づいている。 ヒスパニックは英語を解さないスペイン語話者を多く含む。 都市の黒人たちはすでに「エボニクス」という、英語と文法も語彙も違う独特の言語を有している。 「社内公用語は英語とする」というような「守旧派的」な雇用条件を課す企業がアメリカ国内に出現してくるのも、こうなると時間の問題である。 これを文化の多様化と言って言祝ぐ人もいるかも知れない。だが、国民国家が共通言語を喪失するという事態は「多様化」というよりはむしろ「分裂」と呼ぶ方がふさわしいだろう。 アメリカは国家としての統合軸を失いつつある。 植民地時

    ebmgsd1235
    ebmgsd1235 2012/01/22
    「顔の見える共同体」ですか、ヴォネガットの人工拡大家族、連想しました。でもそれは疑似家父長制的な集団ではなく、緩やかに連結したり離れたりできるものでないと。「倫理の身体化」にはちょっと違和感あります。
  • 1