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国家に関するebmgsd1235のブックマーク (17)

  • 楽器が買えなきゃ、踊ればいい。──社会主義国家キューバのリアル|ノア

    キューバが革命の国であることはよく知られている。チェ・ゲバラとフィデル・カストロ率いる革命軍が、アメリカの影響下にある独裁政権を倒し、社会主義国の礎を築いた。 そのような武装闘争の歴史や思想背景の強いカリブの島国に、私は計1年以上滞在した。そのため、周囲からは「彼は余程の思念を持ってキューバに行ったのでは」とのイメージを持たれることも多い。期待に添えず申し訳ないが、そういうわけではない。 当初は人気漫画『ONE PIECE』が大好きで、「キューバはカリブ海にあるらしい! ワンピースに出るような海賊がいそうじゃん! 面白そう」くらいの興味だった。決して真面目な動機ではない。 そのような軽いノリで私が最初にキューバを訪れたのは2015年。キューバとアメリカが国交正常化に踏み切り、半世紀ぶりに雪解けへと向かった重要な年だった。それまで外国との貿易機会が限定され、物資不足に悩まされてきたキューバだ

    楽器が買えなきゃ、踊ればいい。──社会主義国家キューバのリアル|ノア
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    ebmgsd1235 2024/02/22
    “キューバは「テロ支援国家」に指定され、商取引の制限はおろか、アメリカ人のキューバへの観光は禁止になる~アメリカでテロ支援国家に指定されているのはキューバ、シリア、イラン、北朝鮮の4カ国のみである”
  • ノア・スミス「権威主義体制の統治はべつに有能じゃないよ」(2022年10月6日)

    [Noah Smith, “Authoritarians are not governing effectively,” Noahpinion, October 6, 2022] 軍が人々の顔を踏み潰す一方で,列車は定刻通りに走っていない 先週は,こんな話をした――自由民主主義を支持する人たちは,自分たちが創り出したいとのぞんでる未来像がどんなものなのか,具体的に世の中に提示する必要がある.ただ,この未来像はまだ浮かび上がってきてないけれど,あちこちの権威主義国家のおかげで,自由民主主義を支持するすてきな論拠が出てきてる.単純に,権威主義国家がびっくりするほど無能をさらしてくれたおかげなんだけどね. 権威主義統治の売りといえば,きまってこれだ.「独裁者・寡頭制支配者・ 絶対的指導者は有能で決然と行動する――民主主義国家がちんたらしてる間に,権威主義国家は行動する.」 こんなフレーズを聞い

    ノア・スミス「権威主義体制の統治はべつに有能じゃないよ」(2022年10月6日)
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    ebmgsd1235 2022/10/28
    夜間照明の衛星データが経済活動の代理変数になるんだね。「権威主義国家の方が,公式に発表されてる GDP の数字と観測された照明の産出量との落差がずっと大きい」わけか。ムッソリーニロイドね。停滞後の中国が心配
  • 令和4年度東京大学学部入学式 祝辞(映画作家 河瀨 直美 様) | 東京大学

    令和4年度東京大学学部入学式 祝辞 多くの困難を乗り越えて、この度の東京大学へのご入学、誠におめでとうございます。 この約2年の間、コロナという未知のウイルスによって皆さんの日常が昨日までとは全く違う現実を余儀なくされることになりました。そんな中で今日という日を迎えられましたこと、大変悦ばしい時間を今、この瞬間、噛み締めておられるのではないでしょうか? 今日は、手放しでその喜びを全身に受けて、お過ごしください。 さて、そうはいっても、明日からの日々は、その喜ばしさに胡座(あぐら)をかいているわけにはいきません。かつてカンヌで、その年世界で一番これからを期待される新人に贈られる賞を受賞した時、フランス人の担当者が私に同じようなことを言ってくれました。今日はこのトロフィーを掲げて、大いに喜んでいればいい。けれども明日からはまた0から出発する。賞の上に胡座をかいていては、それ以上の成長はないのだ

    令和4年度東京大学学部入学式 祝辞(映画作家 河瀨 直美 様) | 東京大学
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    ebmgsd1235 2022/04/17
    映像作家らしいいい言葉がたくさんある。「小さくても自らのまなざしを獲得」した?なのにお寺の管長さんの迷いごとにたぶらかされたか。五輪映画にしても市川崑的権威をひっくり返す見事な着地は期待できそうもない
  • ヘーゲル『法の哲学』を解読する(1)

    『法の哲学』Grundlinien der Philosophie des Rechtsは、ドイツの哲学者G・W・F・ヘーゲル(1770年~1831年)の著作だ。1820年に発表された。 「法の哲学」と聞くと、なんとなく法律についての哲学を考えてしまいそうになるが、ここでいう法とは、権利とか正しさ(ドイツ語でRecht、英語でright)のことを指している。 つまりヘーゲルのいう法の哲学とは、正しさ(よさ)の哲学のことだ。 書でヘーゲルは、法権利(正しさ)の質を規定し、それにもとづいて自由の質論を展開している。なので「法の哲学」といっても、ヘーゲルは現代の法哲学が扱っているテーマとはかなり異質なことを論じていることは、頭の片隅に置いておいてほしい。 「ヘーゲルなんて古いでしょ?」…いやいや! ヘーゲル ヘーゲルといえば、いわゆる正・反・合の弁証法や、学の体系の頂点としての絶対知(この

    ヘーゲル『法の哲学』を解読する(1)
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    ebmgsd1235 2020/04/20
    「法の哲学とは、正しさ(よさ)の哲学」正統性?“「道徳」は普遍的な正しさ(よさ)を個的に求める意志の段階を、「倫理」はその正しさを現実化するための制度を構想する意志の段階を指している”所有、契約、道徳
  • 立法裁量論と立法の不作為

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    ebmgsd1235 2018/07/16
    司法消極説。「裁判所が法律の合憲性の審査を求められたとき、立法府の政策判断に敬意を払い、法律の目的や目的達成のための手段に詮索を加えたり裁判所独自の判断を下すことを控えるべきである」本来非民主的機関。
  • 国家が家族に介入って…「家庭教育支援法案」が描く恐怖の未来図(大前 治) @gendai_biz

    衆議院選挙に注目が集まる今、知ってほしい法案がある。自民党が国会に提出しようとしている「家庭教育支援法案」である。 すでに同党の文部科学部会は法案を了承し、早ければ次の国会に提出される可能性がある。小池百合子氏も推進派に名を連ねているので、選挙の争点としては注目されていない。 しかし、法案の内容は、国家が「上から目線」で家庭に介入と指導を行うというもの。憲法改正だけでなく、この法案も「国のあり方」を大きく変える問題として議論されるべきだ。 問題点を探るには、5年前に大阪市で撤回された条例案が参考になる。そこから考えてみよう。 「伝統的子育て法」で発達障害を予防? 2012年5月1日、大阪維新の会・大阪市議団は「家庭教育支援条例案」を発表。そこには次の内容が含まれていた。 【前文より】 ・かつて子育ては、社会から温かく厳しい「眼差し」に支えられていた。 ・今は、伝統的子育て法が伝承されず、父

    国家が家族に介入って…「家庭教育支援法案」が描く恐怖の未来図(大前 治) @gendai_biz
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    ebmgsd1235 2017/10/11
    教育委員会や共同体といった行政(国家)と学校や家庭との間、中立・緩衝地帯がスカスカになってるからなあ。「道徳の教科化と相まって、特定の価値観が学校教育だけでなく家庭教育にまで持ち込まれることが危惧」
  • ジュディス・バトラー インタビュー「トランプは抑えられない憎悪を解放している」 : おきく's第3波フェミニズム

    バトラーの翻訳なんてわたしなどにはハードルが高くて、他に訳してほしい方々がたくさんいらっしゃるんですが、非常に刺激的な内容で、ついつい恐れながらやってしまいました。多分これまた誤訳がたくさんあるのではないかと思います。ご指摘いただければたいへんありがたいです。 バトラーについては説明は要らないかと思います。インタビューは2016年の10月に行われています。ドイツのサイトのものなので、ドイツ政治状況についてが多いですが、アメリカの占拠(オキュパイ、99% etc)の運動やトランプについても語っています。インタビュアーとのかけ合いというか、インタビュアーがおそらくわざとたたみかけるような質問をして、バトラーがそれに対して否定したり肯定したりして議論が深められていくのが面白いです。 欧米で激化するレイシズムがメイン・テーマになっています。フレイザーのテキストについても言えますが、フェミニスト

    ジュディス・バトラー インタビュー「トランプは抑えられない憎悪を解放している」 : おきく's第3波フェミニズム
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    ebmgsd1235 2017/03/12
    街に繰り出す主権者の身体。公的な集会としてのデモ。この国の主権者である市民としての私たちとは一体誰の事なのか?おもてなしの限界(お客様扱い)、歓待を超え完全な包括を。しかしプレカリアートのままでは?
  • 王殺し、偽王(モック・キング)の戴冠と死 | Kousyoublog

    ■王の誕生と王殺し 未開社会における習俗として、「王殺し」というものがある。 原初的な共同体においては神々や外部との関係をつなぐ役割は輪番制や一定年齢以上の男または女などが選ばれてそれを担当し、徐々にその媒介者の役割を担う専業の祭祀者や首長などが誕生していったと考えられている。彼らは神との祭儀を執り行なったり、外部との折衝などを担う、あるいはタブーに触れたものの浄化の儀式を行うなどの職務を担当していたが、それは権力を持っていたというわけではなかった。 赤坂 憲雄 著「異人論序説 (ちくま学芸文庫)」P150 首長は例外なしに権力をもたない。首長は共同体の代言人として、他の共同体にむかってみずからの社会集団の意志と願望をのべつたえることができるだけなのである。また、共同体のメンバーや家族のあいだに起こる紛争にさいしても、首長は強制力とは無縁な威信(呪力)をゆいいつの武器に、ただささやかな調

    王殺し、偽王(モック・キング)の戴冠と死 | Kousyoublog
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    ebmgsd1235 2016/12/19
    秩序と混沌のハザマ=マージナル。永遠の共同体ためにケガレを一身に背負う一回限りの王?王権の永続のための王殺し、人間神、力の衰え、兆候、すぐに殺すこと、モック・キング=道化、祝祭、去勢されるカオス。
  • カフェ・ド・エルサイトウ

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    ebmgsd1235 2016/09/23
    抑圧の移譲というキーワードで参りました。簡潔で読み易い文章で助かりました。日本人にとって本音って何だろう、真に内面から発せられるものなのか、原理原則(自然?)という外圧に対する決壊(例外?)なのでは?
  • 「日本死ね」と言うべきだっただろうか?: 極東ブログ

    すでに旧聞になると思う。というか、そうなるのを待っていた面もあるし、考えていたらそうなってしまったという面もある。話題は、れいの、と言ってもいいだろう、「保育園落ちた 日死ね!」ということだが、私が気になっていたのは、「日死ね」という表現だった。そう言うべきだったのだろうか? 言葉狩りがしたいわけではないが、これが仮に「中国死ね」や「韓国死ね」という表現であったら、ヘイトスピーチになるのではないか。なのになぜ、「日死ね」ならそういう問題にならないのだろうかと疑問に思ったのである。 おそらく日人なら「日死ね」と言ってよいという暗黙の前提があるのではないだろうか。だとすればそこで疑問が続く、日人なら「日死ね」と言ってよいのだろうか? あるいは、日人なら「日死ね」と言えるという特権のような意識があるとすれば、それは何に由来するのだろう? その特権を支える正義はなんなのだろう? 

    「日本死ね」と言うべきだっただろうか?: 極東ブログ
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    ebmgsd1235 2016/04/04
    「死ね」は下品だけど政府に対して向けられるならまさに作為の契機、変革に向けた市民の言葉として認知されるべき。大人じゃないとかお行儀のいい態度では僕ら市民が政府を作り上げたなんて一生言えないし歌えない。
  • 最終回を読む前に――これまでのまとめ/松尾匡:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』 - SYNODOS

    2013年10月から続けてきました連載もとうとう最終回になります。長らくご愛読下さったみなさまには当に感謝もうしあげます。最終回に入る前に、ここまでのお話をまとめておきましょう。 連載の前半、第8回までの内容は、昨年11月にPHP研究所さんから、新書『ケインズの逆襲、ハイエクの慧眼』として出版していただきました。そこでは、1970年代までの国家主導体制がその後行き詰まって、新しいシステムに転換しなければならなかった原因は何かを探りました。 この転換を私は「転換X」と呼びましたが、これまで、この転換は、民営化、規制緩和などの新自由主義的な「小さな政府」への転換であると理解されてきました。それに対して私は、「転換X」の質は、「リスク・決定・責任」がなるべく一致するシステムへの転換なのだと論じました。 つまり、(1)リスクをともなう決定は、それにかかわる情報が最もあり、決定が間違った時の被害

    最終回を読む前に――これまでのまとめ/松尾匡:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』 - SYNODOS
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    ebmgsd1235 2015/07/31
    「生身の自分」と「アイデンティティの複数性」は衝突する。「構成的理念」は容易に実現(喪失による普遍化)されてしまうが、「統制的理念」として獲得される普遍性は、青写真でなく透視図ゆえ見通しが立たない。
  • (ピケティコラム@リベラシオン)政教分離と不平等 フランスの壮大な「偽善」:朝日新聞デジタル

    フランスはしばしば、宗教に関して平等で中立的な国家モデルであるかのように振る舞ってきた。実際にはしかし、例えば雇用に関して、問題はもっと複雑だ。時に、寒々としてさえいる。 ほかの様々な分野でそうであるように、宗教に関しても、国家はその国ならではの壮大なストーリーを描きがちだ。確かに、私たちの集団… こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。

    (ピケティコラム@リベラシオン)政教分離と不平等 フランスの壮大な「偽善」:朝日新聞デジタル
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    ebmgsd1235 2015/06/24
    「スカートの丈が長すぎる」ってまたイスラム教徒の中学生かよ。政教分離法(1905年)以前に設立された施設(カトリック系)には未だ公的な補助が?何よりの偽善はイスラム系の若者に対する職業差別。重い遺産。
  • BLOGOS サービス終了のお知らせ

    平素は株式会社ライブドアのサービスを ご利用いただきありがとうございます。 提言型ニュースサイト「BLOGOS」は、 2022年5月31日をもちまして、 サービスの提供を終了いたしました。 一部のオリジナル記事につきましては、 livedoorニュース内の 「BLOGOSの記事一覧」からご覧いただけます。 長らくご利用いただき、ありがとうございました。 サービス終了に関するお問い合わせは、 下記までお願いいたします。 お問い合わせ ※カテゴリは、「その他のお問い合わせ」を選択して下さい。

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    ebmgsd1235 2015/06/12
    良記事。孤独死ではなく孤高死という可能性、「日本で老いていくことは、何を守り抜き、何を手放しながら生きていくことなのだろうか」「社会福祉の偶有的で個別的な在り様」=ウエルビーイングについて筆者は問う。
  • 無条件の歓待というユートピア : 池田信夫 blog

    2015年03月25日21:53 カテゴリ 無条件の歓待というユートピア 21世紀の戦争が、国家と<国家でないもの>の非対称戦争になることを劇的な形で示したのが、まさに2001年に起こった9・11だった。デリダはここにヨーロッパ的な戦争という概念の終わりをみる。アメリカは90年代に「ならず者国家」を敵として指定したが、21世紀に現れた敵は国家でさえない「ならず者」だった。 領土を争奪する古典的な戦争に代わって起こっているのはグローバリゼーションという名の新しい戦争であり、国連の決議さえなしにイラクを攻撃したアメリカは、ヨーロッパ的な普遍主義も捨て、世界の主権者としてふるまい始めた。ここでは法によって主権を制限するという近代国家の原則も破棄され、無条件の主権者が世界を支配しようとしている。 もともと民主的な主権国家という言葉は矛盾している。主権者が例外状態について決断する者だとすれば、国民

    無条件の歓待というユートピア : 池田信夫 blog
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    ebmgsd1235 2015/03/26
    なるほど「民主的な主権国家という言葉は矛盾している」か、例外状態における国民の決断は不可能?無条件のそれは“不可能なユートピアだが・・・理念を明確にする上では有用なユートピアだ”、いいフレーズだなあ。
  • 官僚と民衆の距離が遠い国 : 池田信夫 blog

    2014年06月24日12:19 カテゴリ科学/文化 官僚と民衆の距離が遠い国 中国を理解することは、これからの日にとってきわめて重要だが、西洋の社会科学にはその道具がない。王国斌もいうように、経済的には中国は18世紀まで世界の最先進国であり、その挫折は普通の経済学では理解できない。概念装置から作り直さないと、中国はわからないのだ。 その歴史を勉強すると印象的なのは、学問と政治の距離が近く、両者がほとんど同一になっていることだ。中国では読書人という称号が最高の讃辞だが、それは知識人という意味とともに、高級官僚(士大夫)を意味していた。文書管理能力が、エリートの必要十分条件だったからだ。書はそれを強調し、唐と宋の歴史を儒学を中心に描いている。 文書能力で官僚をスクリーニングすることは合理的である。トマセロもいうように、音声言語はすべての人類が使うが、文字を使う能力は訓練しないと身につかな

    官僚と民衆の距離が遠い国 : 池田信夫 blog
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    ebmgsd1235 2014/06/26
    「学説の内容はあまり関係なく、40万字以上もある四書五経を丸暗記することが情報処理能力のシグナリング」「本質は能力主義ではない。科挙は、高度な記号処理能力をもつ人だけが民衆を支配するという正統性の源泉」
  • 愛国心教育で自己肯定感は向上するのか?

    一連の保守的な教育論議の中で、次のような仮説が語られているのは知っていました。「現在の子供たちには自己肯定感とか自尊感情が欠けている、その背景には自分の国が悪い国だというような『自虐史観』がある、従って、子供の自尊感情向上のためには愛国心教育が必要である」というストーリーです。 例えば、先日私の出演した「朝まで生テレビ」という番組でも、いわゆる保守派の論客からはそのような発言が何度もありました。 これに対して、私はアメリカの様子を例に取って「それは少し違うのではないか」ということを申し上げました。 つまり「アメリカにもベトナム反戦とか、学生運動など国家に批判的な活動があったが、むしろそうした国を批判するような人々の方が、一般的に自己肯定感というのは高いのであって、逆に9・11以降の草の根保守のように、自己肯定感の弱い人々のほうが精神的に国家に依存する傾向がある」というストーリーです。 私は

    愛国心教育で自己肯定感は向上するのか?
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    ebmgsd1235 2014/04/09
    愛国心教育で自己肯定感を得ることはできないし、自虐史観がそれを毀損するわけでもない。日本社会全体の閉塞感が自由な批判とか非難に対する脆弱性、謝罪する余裕を奪っているのであって、文化じゃなくて状況の問題
  • 田中優子さんに聞いた その1 - この人に聞きたい|マガジン9

    江戸文化の第一人者である田中優子さんは、 きちんと検証もせずに「日の伝統文化」という言葉を軽々しく使い、 政治利用していることについて、鋭く批判します。 たなかゆうこ 法政大学社会学部・メディア社会学科教授。専門は、日近世文化・アジア比較文化。 1952年横浜生まれ。法政大学大学院博士課程修了。近世文学を専攻後、研究範囲は江戸時代の美術、生活文化海外貿易、経済、音曲、「連」の働きなどに拡がってゆく。 江戸時代の価値観から見た現代社会の問題に言及することも多い。 書著に『江戸の想像力』(ちくま学芸文庫)、『江戸はネットワーク』(平凡社)、『江戸百夢』(朝日新聞社)、『江戸の恋』(集英社新書)『樋口一葉「いやだ!」と云ふ』(集英社新書)『江戸を歩く』(集英社ヴィジュアル新書)他、多数。

    田中優子さんに聞いた その1 - この人に聞きたい|マガジン9
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    ebmgsd1235 2014/01/06
    なるほど「戦後放棄」ですか。それと『「君が代」の歌詞は単なる宴席の和歌で後には隆達小歌です。「君」はその時々の祝う相手で、誰でもいいのです』ということで。出所も怪しく合意もない。
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