とある法事の説教で、お坊さんがいきなり「親死ね、子死ね、孫死ね。」と言った。 物騒で素っ頓狂な言葉にその場に居合わせた者は皆驚きざわめいたのだが、一休禅師の言葉を引いて語ったのだった。 一休に祝いの言葉を述べてほしいと招いたところ、この言葉が出てきたとか。 それでは、なぜ法事なのに祝いの席での一休の言を用いたのか。 真意は、先に生まれた者から順当に亡くなっていく、これほどの幸せはないというもの。 昔は乳幼児死亡率も高かったし、長寿の人も少なかったので、先に生まれた者から順に亡くなっていくこと自体が有難かった。 字義どおり、有り難いことであった。 これは現代においては見過ごされがちであり、肉親や友人知人の死に直面してはじめて、人はいつか死ぬものであることをやっと思い出すような社会の中で生きていることを示唆していた。 母は二十年余前に亡くなったが、今父は植物人間状態で入院中であり、父が旅立つた
思いは言葉に。 はてなブログは、あなたの思いや考えを残したり、 さまざまな人が綴った多様な価値観に触れたりできる場所です。
そば通が言うには、噛まず、するっと飲み込むとのが粋な食べ方だとか*1。喉越しこそが蕎麦なのだ、と。 しかし、ある研究によれば、そばは噛んだほうが「そばポリフェノール」という栄養素をより効率的に摂取できるらしい。 そうなれば、「健康より喉越し」派と、「喉越しより健康」派が対立するのは必然であろう。 健康より喉越し派は言う。 「なーにが『そばポリフェノール』だ。早死にが怖くてそばが楽しめるかってんだ」 しかし、喉越しより健康派はこう切り返すだろう。 「あいつらは見栄を張ってるだけさ。喉越しなんて、健康のことを考えれば刹那的な快楽にすぎないじゃないか」 話は絶望的なまでに噛み合わない。 こうなると、そばで派閥争いである。例えば、ある会社では喉越し派閥が優勢だとしよう。創業者である頑固な会長がそのトップにいる。一方、社長は健康派なのだが、その力は弱く、なんとか切り返しを図りたい。 昼休みは社員たち
12月18日、富士山登山を行っていた片山さんら3名が遭難しましたが、その知らせに驚きまた他人事とは思えなかった。何故ならば同じ日に富士山登山を予定していたからだ。しかし、一緒に登ろうとしていた平賀カメラマン(山岳カメラマン)が海外ロケに出かけており延期。右京さんの遭難前日、奥多摩登山を行っていましたが、この日からグッと冷え込んでいた。天気予報は「雪が降るかもしれない」と伝えていたので、ダウンジャケットなどの防寒具に身を包んでいたが、それでも寒かった。奥多摩でこれだけ寒かったのだから富士山は大変だっただろうと、延期になった事を安堵していた矢先の右京さん遭難。 右京さん遭難の一報の直後からテレビ、新聞などの報道陣から話を聞きたいと連絡が相次いだ。そして何人かの記者から「片山さんが登山仲間を残したまま下山しましたが、どう思いますか!」と、最初から右京さんの判断に問題があったのでは、といったニアン
祖母いずこ 感傷と追憶の湘南行き。そこで、またひとつ向き合わねばならない存在があった。鎌倉の家でともに暮らしていた父方の祖母である。一家離散ののち、彼女はアパートで独り暮らしをしている。独居老人である。週末には私のおじが泊まりに戻るが、生まれてはじめての独り暮らしをしているのだ。 その祖母と会ったのは、離散後一回きりである。一度だけたずねたことがある。母と弟と一緒だった。何かの用事のついでだった。ちょっと顔を見せるという程度だった。別れ際はさみしそうだった。それっきりだった。それっきりなのは、ある種のわだかまりがあるというのも本心だし、たんに面倒くさいから、というのも本心だ。 だが、今回、自転車でモノレールの下を走り、失われた我が家を訪れるのに、その通り道に住む祖母に会わないわけにはいかない。こんな機会がなければ、会うこともない。 私は意を決して、細い路地に入った。入って、適当に進み、気づ
はてブ モノが捨てられない人必見!「捨てる」を後押しする名言集 delicious livedoor クリップ Tumblr Instapaper メールで送信 生活・趣味・旅行・創作 2009.12.01 0 試供品でもらった化粧品、衝動買いしたかわいい雑貨、ビデオにゲーム、雑誌に書籍、何年も前の(高かったのに、今はもう着ない)スーツ、もう行くことのない店のポイントカード、好きなブランドの紙袋、旅先で買った(家では色あせて見える)置物、なぜかストックしてしまう輪ゴムや封筒...... 例えば、これらのもので部屋が埋め尽くされているとしたら?好きなものに囲まれた暮らしは心地の好いものですが、それは、本当に必要なものでしょうか? ものが捨てられない人は多いと思いますが、 「捨てる」を後押ししてくれる名言がありました。 迷ったらゴミ 使わなきゃゴミ なくしても買いなおさないものは捨てろ いつ
私は、1965年早生まれ、東京五輪世代です。ひきこもり問題については、多くのひとが、30歳未満、あるいは35歳未満を想定していると思われます。けれども、40歳前後、40歳以上のひとたちの存在については、ただきもちわるくみられるだけで、専門家にしても、当事者にしても、あまり語られていないように思います。 私たちが、思春期から青年期をすごした70年代から80年代にかけて、ひきこもり問題が語られることは皆無に近く、私もそうですが、ひとりでさびしく、えたいのしれない悩みにむかっていました。このところようやく、ひきこもり問題が社会問題として、クローズアップされましたが、もうそのときは、私たちは、青年とはいえない歳になっていました。 わたしは、この歳になっても、自分自身の思春期の問題が解決されたり、思春期葛藤をのりこえているとは思えません。思春期・青年期に卒業していなくてはいけない問題が卒業できずに、
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
「大野さんのピークはいつだった?」 少し前のことだが、中年(40代後半)の人達と雑談の最中、いきなり聞かれて言葉に詰まった。私のピーク? いつだったんだろう。そんなものあったんかいな。考えたことがなかったです。 あなたのピークはいつでしたか? 過去のことについて訊ねているのだから、これはとうにピークを過ぎた人への質問である。10代や20代の人には聞けない。30代の人にもちょっと聞けない。 これまで生きてきた年数と、平均寿命に照らし合わせてこれからたぶん生きるであろう年数を天秤にかけて、「これから」が長い場合は、「人生のピークはこれからだろう」というふうに考えるのが普通だからである。 もっとも、社会においても人生においても「右肩上がり神話」というものが崩壊した今、「25だけど、もう人生終わったと思ってる」「30だけど、これから上り調子になるとは思えない」という人はそれなりにいそうだ。 ただそ
この世を味わう力と、自分を味わう勇気を。 ほんの一歳か二歳か、まだ三歳にはならないくらいの、とても小さな私が、広島の、祖父母の家で過ごした時。当時のことを後年祖母は、何度も語って聞かせてくれた。 その話をする前に、ちょっとだけ解説。当時の扇風機は今とは異なり、本体と電源を繋ぐコードの途中に、プラスチックの塊があり、そこについているスイッチを押すことで、電源を入れたり切ったりする仕組みであった。後の文中に出てくる「扇風機のスイッチ」とは、手のひらにおさまるくらいの大きさの「プラスチックの塊」のことである。そして、私が幼少の当時は、けっこうな昔であるため、全ての家庭に電話があったわけではなく、電話はまだやや珍しい存在であった。祖父母の家にはたまたま電話があったが、その電話は柱の高いところにくっついていて、子どもの手には届かない。もちろん「おもちゃの電話」などない。たとえあったとしても、私の周り
日記 私が布ナプキンを知ったのは、いちむらみさこさん経由、ブルーテント村とチョコレートの中で、「布ナプキン」を作っているという話から。そこで、いったん、「布ナプキン?めんどくさそー」と思いつつも、ちょっと気になっていました。この間の「あたまとまんこのストレッチ」に参加したとき、「布ナプキンを手作りするワークショップ」に参加していた人から、手作りキットや現物をちょっと見せてもらったことで、俄然、布ナプ熱が高まりました。サイトなんかもたくさんあります。布ナプキン始めるなら〜布ナプキン.com布ナプキンビギナーのための布ナプ生活ガイド「ウーマンケアネット」布ナプキン.jp 女性は、出産という大仕事のために、 生理があるわけだけど、ほんと、なんだか面倒だし、 なければいいのに・・・ってなんだか、ずーっと思って 生活してきて・・・きっとみんな・・・。でも布ナプキンにすると、 今まで、見ないでポイって
夫の趣味のひとつに「コイン収集」がある。一口にコインといっても、夫の興味の対象は、もっぱら銀貨だ。過去に流通していた、そして、現在は通過として使用できない銀貨がお気に入りらしい。流通とは無関係の、一部の記念硬貨も対象となるようだ。それらの何がどう魅力的なのか、私にはよくわからないのだが、何かぐっとくるものがあるのだろう。コイン専用のアルバムに収めた銀貨たちを、自室でにやにやと眺めるのが、夫の、ゆっくりとした時間のおたのしみ、だ。 もうずいぶん前のこと。広島の夫の実家に帰省したときに、夫が、銀貨を集めている話をして、義父に、「とうさんが前に集めたやつ見せて。」と頼む。義父は、どうだ!というかんじで、義父コレクションを出してくれる。夫は、なにやら、鑑定士みたいな手つきで、一枚一枚眺めては、うんちくをたれる。義父のコレクションには、夫の好きな銀貨だけではなく、金貨も含まれている。夫が「俺は、銀貨
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