⇒世間様から公共圏へ - 地下生活者の手遊び 先のエントリを挑発的に書いた甲斐があったようで、議論が前に進みそうです。包括的な社会観の議論として、私とtikani_nemuru_Mさんの見解の相違点について確認していきたいと思います。 確かに各人が緊密に結びつけられて相互に影響がでかいところが「世間」の特徴のひとつにゃんが、それだけで「世間」となるわけではにゃー。 「世間」というのは、「個人の尊厳」がないところ これは基本にして必須の論点のはずだにゃ。阿部謹也も「世間とは何か」で言っていたぞ。 仰る通りです。だから、そういうのを「東洋の土人部落」と言うのだと思いますが。佐藤亜紀氏も使用していた「世間様」という言葉を一連の議論で最初に使用したのはtikani_nemuru_Mさんだと思いますが、その典拠は阿部謹也の世間論だったのですか。ならば「東洋の土人部落」という話には必ずしもならないでし
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「伯母は、もうじきに降りてまいります、ナトル様」落ち着きはらった十五歳くらいの少女が言った。「それまではわたくしのようなもののお相手をしていただかねばなりませんけど」 フラムトン・ナトルは、後から来る伯母と、目の前にいる姪、どちらも軽んじてはいないということを理解してもらえるよう努めなければならなくなった。内心、こうやってあちこち訪問することが自分の神経症の回復に役立つものなのか、ますます疑わしくなってきた。 「目に見えてるわ」彼の姉は、転地療養の準備をする彼に言ったものだ。「死体みたいに引きこもって、話し相手もなくふさぎこんで、かえって悪くするのがオチよ。あちらで知り合った皆さまに紹介状を書いてあげます。それなりに良い人たちもいましたから」 フラムトンは、いまこうして面会を求めたサプルトン夫人が、はたして良い人の部類に入るのかどうかを考えていた。 「このあたりには、よほどお知り合いがいら
祖母いずこ 感傷と追憶の湘南行き。そこで、またひとつ向き合わねばならない存在があった。鎌倉の家でともに暮らしていた父方の祖母である。一家離散ののち、彼女はアパートで独り暮らしをしている。独居老人である。週末には私のおじが泊まりに戻るが、生まれてはじめての独り暮らしをしているのだ。 その祖母と会ったのは、離散後一回きりである。一度だけたずねたことがある。母と弟と一緒だった。何かの用事のついでだった。ちょっと顔を見せるという程度だった。別れ際はさみしそうだった。それっきりだった。それっきりなのは、ある種のわだかまりがあるというのも本心だし、たんに面倒くさいから、というのも本心だ。 だが、今回、自転車でモノレールの下を走り、失われた我が家を訪れるのに、その通り道に住む祖母に会わないわけにはいかない。こんな機会がなければ、会うこともない。 私は意を決して、細い路地に入った。入って、適当に進み、気づ
id:md2tak よく考えれば、被害者が自身の行動・思考について内省する自由を侵害するようになる可能性もあるなぁ。そんなこと考えてもいないんだろうけど。 はてなブックマーク - Non-Fiction(Remix Version) | [ツッコミ]にしては底が浅い 「もっと気軽に女が男をレイプできる世界になると良いね。」「性別に関係なくみんな気軽にレイプできる社会が来ると良いですね。」という別の人の発言も目にした。その人は「表現の自由」の旗幟に立つ論者だった。別れたい……ではなく。――md2takさん。 「自由」とは差別の撤廃と同時に達成されることであり、また達成されてきたことです。そして、当然のことながら、この社会では達成されていないどころか「遠い夜明け」でしかない。だから、言うまでもないことですが、陵辱表現の商業的流通と――ミニスカートがそう指されるような――「女性の自由なファッシ
この存命人物の記事には検証可能な出典が不足しています。信頼できる情報源の提供に協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。 出典検索?: "鈴木道彦" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2011年7月)
年末恒例のミステリーやエンタメ系ベストテンとは縁のない白水社が、寂しいので自分たちで勝手にランキングして盛り上がろうということで昨年から始まったイタい企画。選考委員は今回もおなじみ営業部Tと宣伝部N。目くじら立てずにご笑覧ください。(特に社内からの意見は一切受け付けませんのであしからず。) *ページ末には社員3名が選んだ「2009年の3冊」のおまけ付き! T:今年もやってまいりましたー! 今年で10回目でしたっけ? ──そんなわざとらしい前フリ入れなくてもいいから…… T:どうですか、去年の反省を生かしてですね。(段ボールひと箱分の本を前に)去年は全然本持ってこなかったという。 N:でも私、『ラブレー』重いから横着して持ってこなかった…… T:今年は重量とかもうやめました。 N:おお? なぜ? T:マッチョになったところでモテない。 N:……はあ、そうですか。 ──では早速、先手はNさん
ターシャ・テューダー 最後のことば [著]ターシャ・テューダー [写真]リチャード・W・ブラウン[掲載]2009年12月10日朝刊 ■ターシャの人生を締めくくるインタビュー集 絵本作家であり、園芸家としても知られるターシャが帰らぬ人となったのは2008年6月18日のことだ。享年92。彼女は50代半ばにアメリカ・バーモント州の小さな町に移り住み、1830年代のライフスタイルを実践した。それは花と野菜がいっぱいの庭を持ち、コーギ犬と家畜を飼い、ささやかな私生活の自由を楽しむ暮らしである。彼女は携帯電話などの文明の利器は持たず、1日に2回ヤギの乳をしぼった。 本書は『月刊MOE』に掲載されたターシャの生涯最後のインタビュー2編と、家族の証言をまとめたものである。「午後のお茶の時間はとても大切」「自分の手で何かをつくりだすことから、素晴らしい喜びが生まれる」などターシャの言葉はどこを切り取っても彼
たとえば付き合ってて相手のことが好きでも、「なんか今日は気乗りしないなあ」って日がある。 「やめてよ」って言ってもしつこく触ってきたりして結局気乗りしないまま適当に感じてるふりとかしてセックスする。最後まで。 あ、『自衛』してないわけじゃないよ。でもずっと「今日はそういう気分じゃない」って嫌がってると「おれのことが好きじゃないのか」「他に男がいるのか」とか言われそうじゃん、よくある話だし。こっちだって相手のこと(普段は)好きなんだもの、変なトラブル起こしたくないし嫌われたくないから、まあ仕方なく乗るよね。 気乗りしないのにしつこいから結局セックスして、「やめてよって言ってるのになんで続けるの?」って言ったこともある。「本当に嫌がってるかどうかは分かる、だって彼女だし好きだから」とかぬかされてマジかよって思ったけど。愛情をあまり過信しないでいただきたい、愛情は快楽におけるスパイスに過ぎない。
「メガネっ娘」「メガネ男子」といった言葉も登場するなど、ファッションの一部としての眼鏡はすっかり市民権を得た感がありますが、よりスタイリッシュな眼鏡を探し求める人はモノクル(片眼鏡)に注目すべきかもしれません。 「バットマン」の悪役のペンギンを始め、フィクションの世界では主に悪役やマッド・サイエンティストが着用しているイメージでおなじみのモノクルですが、現実には19世紀のヨーロッパの上流階級で流行しました。日本でも明治時代にやや流行したそうですが、彫りの浅い日本人には装着が難しく、実際に着用している人を目にする機会はめったにないのではないでしょうか? モーニングコート、トップハットと共に1890年代には上流階級の資本家の象徴だったのですが、その後流行は衰退し、かつては政治家のジョゼフ・チェンバレン(上の写真)や息子でノーベル平和賞受賞者のオースティン・チェンバレンなど多くの紳士がモノクル愛
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