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ブックマーク / ikeuchisatoshi.com (5)

  • メディアと政治の関係と、それを支えていたムラ社会の崩壊はどこまで及ぶか | 中東・イスラーム学の風姿花伝

    これは重要なコラム。 三浦瑠璃「メディア「ムラ」は民主的に統制されるべきか?―高市総務相の放送法発言問題」『山日記』ブログ、2016年2月16日 浅薄な党派性や、学者業界のやっかみ、色々なゲスの勘ぐりとかは別にして、自分の拠って立つ根拠を問い直すのに有用な論説です。 メディアへの政治の介入がメディア産業大手の媒体で盛んに議論されるけれども、どこかピンとこない。 言論が不自由になっているというが、不自由になったとされる事例の大部分は、メディア産業の内部で勝手に自粛し、勝手に忖度して不自由にしているだけだ。確かに政治家の圧力はあるだろう。しかしなぜそれにメディアが脆弱になったのか? ここで三浦さんはメディア産業のムラ社会としての崩壊あるいは弱体化を真の理由としています。 私がもっと大雑把に単刀直入に言ってしまうと、今の政治家が昔よりメディアに圧力をかけるようになったというよりは、今のメディア

    メディアと政治の関係と、それを支えていたムラ社会の崩壊はどこまで及ぶか | 中東・イスラーム学の風姿花伝
    h_nak
    h_nak 2016/02/22
    "国際比較がしにくい業界は、改組が遅れましたが、グローバル化がより深く広く浸透することで、やがて既存の業界ムラ社会が立ち行かなくなる時代が、業界ごとに順にやってきています"
  • 【帰ってきた】おじさん雑誌レビュー『中央公論』10月号は、戦後70年談話のテキスト分析から欧州の終焉まで | 中東・イスラーム学の風姿花伝

    『中央公論』は最近中堅どころの研究者の原稿をよく掲載するようになって、研究者同士で議論するような内容を一般向けに載せてくれているので、毎号興味深いものをメモしておこうと思うのだが、出張に行っていたり時間がなくて時期を逸したりして結局メモできていない。そういえば以前、【新企画】と銘打って「おじさん雑誌レビュー」なるカテゴリを新設したが、ボランティアで論壇時評なんてとてもやる時間ないので(←頼まれたってやりませんよ)、自分の文章が掲載されたときに、ついでに他の文章も読んでコメントするぐらいで企画が立ち消えになっていた。 今回は自分の文章は掲載されていないが、偶然、刊行されてすぐ手に取ったので取り急ぎ。論文に集中しすぎて逆に滞っているので気分転換。 巻頭連載コラムの「時評2015」の一つ、宇野重規「『I』と『We』と『Japan』–戦後70年談話の複雑な構造」(22−23頁)が面白かった。 8月

    【帰ってきた】おじさん雑誌レビュー『中央公論』10月号は、戦後70年談話のテキスト分析から欧州の終焉まで | 中東・イスラーム学の風姿花伝
    h_nak
    h_nak 2015/09/15
    "トルコやイランやアラブ世界の「親日感情」の根幹は、「遠く離れていて植民地支配をしたことがない」日本が、欧米に対して日露戦争で勝利したり、第二次世界大戦で軍事的に挑戦したことにあるのは、文献学的()事実"
  • 井上達夫『リベラルのことは嫌いでも・・・』を読んでしまった | 中東・イスラーム学の風姿花伝

    駒場の東大の生協で発売されたばかりのこれを買ってきた。 『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください--井上達夫の法哲学入門』(毎日新聞出版) 「タイトルがね〜」とくさしながら読み始めたが中身がすごく真摯でかつ単刀直入なので引き込まれてしまって、タイトルなど気にならなくなった。いや、当に、リベラリズムのことは嫌いにならないでください、と心の底から思った。 (「人文系の先生のことは嫌いでも、人文系学部は社会に必要だから嫌いにならないでくださ〜い」とか応用が効くような気もしてきた) この著者は、私が大学に入った頃、1・2年の教養学部の頃に『共生の作法』(創文社、1986年)を読んで以来、が出るたびに買って読んできた。 思い出深いのはやはりこれでしょうか。こののインパクトはすごかった。 『他者への自由―公共性の哲学としてのリベラリズム』(創文社、1999年) その当時

    井上達夫『リベラルのことは嫌いでも・・・』を読んでしまった | 中東・イスラーム学の風姿花伝
    h_nak
    h_nak 2015/06/18
    "「学者の言うことを聞け」というのは、都合のいい時だけ都合のいい「権威」を祭り上げて付和雷同を誘い、異論を権威主義で黙らせるといったことではないのです"
  • イスラーム教をなぜ理解できないか(2)リベラル・バイアスが邪魔をする〜米国のガラパゴス | 中東・イスラーム学の風姿花伝

    昨日の「「こころ教」のガラパゴス」(2015年6月10日)が随分シェアされて、いいねが1100を超えている。イスラーム教の宗教規範について、日の規範と対比させることで理解しやすくなった人もいるのではないか。 日では「こころ」に特化した宗教認識が広がることで、それを「常識」「普遍」と受け止めてしまい、それに合わないイスラーム教が「宗教ではない」ように見えてしまったり、「真のイスラームはそんなものではない、もっとひとりひとりの『こころ』を大事にしたものであるはずだ」と強弁して中東の現実から目を閉ざしたりしてしまう。 これについては、読んだ人自身が思い当たるところがあったのではないだろうか。イスラーム教をなんとか知ろうとして手に取ったにそんなようなことが書いてあったりもしたはずだ。 少し構図は違うのだが、欧米でも固有の条件下で同様の障壁があり、認識や議論が阻害されている。欧米の議論は日

    イスラーム教をなぜ理解できないか(2)リベラル・バイアスが邪魔をする〜米国のガラパゴス | 中東・イスラーム学の風姿花伝
    h_nak
    h_nak 2015/06/15
    "ところがアラブ世界の場合は、社会の側が非リベラルな信条を抱いているために、民主化して多数派の意見が取り入れらると、非リベラル化してしまう" "現実のアラブ世界のイスラーム教徒はリベラルではない"
  • イスラーム教をなぜ理解できないか(1)「こころ教」のガラパゴス | 中東・イスラーム学の風姿花伝

    最近、いろいろな聴衆に向けて『イスラーム国の衝撃』を叩き台にして話す機会が多いのだけれども、イスラーム教の来の教義・規範・体系を話しても、必ずと言っていいほど「分からない」と言われる。 かなり単純化して基的なところを話しても「分からない」と言われるので、問題はイスラーム教の教義そのものやそれを私がどう解説するかではなく、日の聞き手の側に、「宗教」というものに対する頑迷な思い込みがあるからではないかと痛感する。 日の現在の宗教認識について、ヒントになる論説があったので紹介してみよう。 「「こころ教」と「原理主義」の時代が来る? ビジネスパーソンのための仏教入門(4)」 この記事は、浄土真宗の僧侶で仏教学者でもある佐々木閑氏へのインタビューである。佐々木氏はここで、日の既成仏教の「こころ教」化という概念を提示し、批判している。メインストリームの「こころ教」化が、そこで満たされない層の

    イスラーム教をなぜ理解できないか(1)「こころ教」のガラパゴス | 中東・イスラーム学の風姿花伝
    h_nak
    h_nak 2015/06/15
    "アラブ世界でも、イスラーム世界一般でも、「こころ教」化は進んでいない""圧倒的多数は、人間の外部に神が絶対的な規範を定め、それを人間は護持していく義務があるのだ、と信じている"
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