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川柳川柳は名人・三遊亭圓生の弟子であった 川柳川柳が亡くなった。90歳である。 川柳川柳と書いて「かわやなぎ・せんりゅう」と読む。 落語家である。 もとは三遊亭圓生の弟子で、三遊亭さん生と名乗っていた。 昭和53年、圓生が落語協会を脱して別の協会を作るときに、弟子であったにもかかわらず「さん生」はそれについてついていかなかった。 落語協会に残ったため、圓生に言われて名前を返上した。 会長の五代目柳家小さんらと相談のうえ、あらたに「川柳川柳」と名乗った。洒落た名前である。 「重い空気」をひっくり返す芸人 寄席でよく見かけた。 明るく突き抜けた芸風で、重い空気の客の前に出て来ても「よーし、笑わせるぞ」と気配が横溢で、ときには実際にそう言葉に出して、とにかく盛り上げる芸人であった。 寄席では、次々とお笑い芸人が出てくるのだが、ときどき、何かのめぐりあわせで、すべての芸人が「すべり」続けることが起
川柳川柳の訃報が届く。亡くなったのは17日。90歳だったという。 大学に入り東京に出て寄席に通うようになると、毎回のように出ていた。演るネタは決まって『ガ―コン』。腹を抱えて笑った。 見るからに破滅型の無頼派だった。酒の上のしくじりは数限りない。師匠圓生のマンションの玄関に酔っ払って大便をしたのはよく知られている。池袋の初席で酔っ払って噺にならなかった高座も見ているし、七代目橘家圓蔵師匠の通夜で、やはり酔っ払って「圓蔵は死んだんだ」と気勢を上げて顰蹙を買っていたのも見ている。マジで酒に溺れて早死にをするんじゃないか、と思った。 川柳の転機は、弟弟子だった春風亭一柳の死かもしれない。この頃のことを、自著の中でこう書いている。 一緒に修行し、ともに破門された男の死は哀しかった。飲んで狂ってまた、したたかに血を吐いた。そのころはよく血を吐いた。以前から十二指腸をやられていて、バカ飲みが三日ばかり
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