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思想とこころに関するlaislanopiraのブックマーク (622)

  • 哲学者スラヴォイ・ジジェク「セックスのファストフード化が加速している」 | 「抑圧」の反対は「鬱」である

    スラヴォイ・ジジェク(75)にインタビューするのは、筆舌に尽くしがたい体験である。哲学者、精神分析家、文化理論家、政治活動家、ロンドン大学バークベック人文学研究所インターナショナル・ディレクター、そしてスロベニア共和国の元大統領候補である彼との会話では、一つのテーマから別のテーマへ次々と飛んでいく。だから、対談者はなんとかして置いてけぼりにされないようにしなければならない。ジジェクは、ユニークで予想がつかないのだ。 「剰余享楽」とは ──あなたは『為すところを知らざればなり』(※原題副題は「政治的要因としての享楽」)、そして『快楽の転移』をすでに書いています。そして今回、『剰余享楽』を発表しました。なぜ、このテーマに関心があるのですか? 戦争や人種差別、そのほかの多くの恐怖をめぐって何が起きているかを理解するためには、まさに享楽に注意を払わなければなりません。私は、享楽を「喜び」としてのみ

    哲学者スラヴォイ・ジジェク「セックスのファストフード化が加速している」 | 「抑圧」の反対は「鬱」である
  • 「読む」とき、何が起こっているのか?──『読めない人が「読む」世界:読むことの多様性』 - 基本読書

    読めない人が「読む」世界:読むことの多様性 作者:マシュー・ルベリー原書房Amazon読書は日常的な行為ではあるが、実はそのやり方は人によって大きく異なる。書かれている文字を読んで、その意味を理解したり解釈したりするっていうだけでは? と思うかもしれないが、そこに収まらない読み方をする人が多数いるのである。 書『読めない人が「読む」世界』(原題:Readers Block)は、型破りな方法で読む人を取り上げていく一冊だ。たとえば認知症の患者は、少しずつ記憶が抜け落ち、短期的な記憶力も低下していく。長篇がスラスラ読めた人であっても、認知症が進行するにつれ、一ページ分の記憶も持たなくなり、話の筋が追えなくなる。そうした人たちは単純に「読む」という営みから除外されるのかといえば、そうではない。 ある認知症患者は長篇を読む喜びを諦めた代わりに短篇をじっくりと読み、楽しむ方向に切り替え、物語の展開

    「読む」とき、何が起こっているのか?──『読めない人が「読む」世界:読むことの多様性』 - 基本読書
  • 「マナー、道徳、常識、暗黙の了解」で人を叩く行為が気に入らない。

    功利主義に向き合う いきなりだが、どうもおれは功利主義者らしい。反出生主義などの持論を述べていたら、そう指摘された。 なるほど、反出生主義論者のベネターの考え方は功利主義的かもしれない。 とはいえ、おれは功利主義をよく知らない。「最大多数の最大幸福?」くらいのものだ。なので、おれはを読んでみることにした。 功利主義 (岩波文庫) たとえば、有名なJ.S.ミルなどはなんといっているのだろう。『功利主義』の冒頭はこんな文章で始まる。 正と不正の判断基準をめぐる論争は、解決に向けた進展が少しも見られない。人間の知識の現状を作り上げている環境要因のうちで、これほど期待はずれなものはほとんどない。 最も重要なテーマに関する思索でありながら、長いあいだ立ち後れたままであり、期待はずれという点でここまで際立っている環境要因はほとんどない。 哲学が誕生して以来、最高善に関する話題、あるいは同じことになる

    「マナー、道徳、常識、暗黙の了解」で人を叩く行為が気に入らない。
    laislanopira
    laislanopira 2024/04/12
    功利主義は社会の敵
  • 美しいもの、もっと美しいもの - obakeweb

    美的理由についての前置き 快楽主義 エンゲージメント理論 共同体主義理論 ネットワーク理論 ✂ コメント 参照文献 美的価値についての議論は引き続きたいへん盛り上がっているが、次の事実は意外なほどに無視されている。すなわち、美しさや優美さは比較・ランクづけ可能である。絵の下手な私が模写した《真珠の耳飾りの少女》は、フェルメールによるオリジナルほどには美的価値がない。 「趣味については議論できない」「美は見る人の目の中にある」を真に受けている人は、美的価値に上下があるという観察自体を否定したくなるだろう。「みんな違ってみんな良い」というわけだ。しかし、仮になんらかの観点から私の模写がフェルメールのオリジナルを凌いでいるのだとしても、それと同時に、前者が後者に比べて稚拙であり、覇気がなく、ごくふつうの意味において劣っていることを否定できるわけではない。芸術家やパフォーマーですら創作や上演に際し

    美しいもの、もっと美しいもの - obakeweb
  • 「怒り」はよくて「嫌悪感」はダメなのか?(読書メモ:『感情と法』②) - 道徳的動物日記

    感情と法―現代アメリカ社会の政治的リベラリズム 作者:マーサ ヌスバウム 慶應義塾大学出版会 Amazon 前回の記事でも触れたように、『感情と法」の第2章と第3章では、おおむね「嫌悪感は不適切で理に適っていない感情だから法律に組み込んではいけないが、怒りは適切で理に適った(ものになり得る)感情であるから法律に組み込むべきである」という議論が展開される。 この議論はかなり興味深いものではあるが、わたしとしては、ヌスバウムは「怒り」という感情を過剰に高く評価したり理想化したりしているように思えたし、逆に「嫌悪感」という感情を低く評価し過ぎて貶めているように思えた。 わたしがまず疑わしく思ったのは、嫌悪感(disgust)について、「汚染源を拒否したいという感覚」であるとしているだけでなく「自分の死や有限性を思い起こさせるもの」とか「アニマル・リマインダー(自分が動物であることを思い起こさせる

    「怒り」はよくて「嫌悪感」はダメなのか?(読書メモ:『感情と法』②) - 道徳的動物日記
  • 高度な社会の一員になれていますか。これからもなれますか - シロクマの屑籠

    「高度な社会は、それにふさわしい高度な人間を要請する」。 それが言い過ぎだとしたら、「高度な社会に適応するためには相応の能力や特性が求められ、足りなければ支援や治療の対象になる」と言い直すべきでしょうか。 少し前に「SNS上では境界知能という言葉が悪口的に用いられている」といった話が盛り上がったようですね。 president.jp リンク先で述べられているように、知能指数はその人の生きづらさを探る手がかりとして用いられるもので、そうして算出された境界知能も、支援の見立てに用いるための語彙なのでしょう。そしてリンク先では、境界知能という言葉を時代遅れにする動向にも触れられています。どんな言葉にも全人的な否定のニュアンスをとりつけたがりなインターネット民の挙動を見ていると、境界知能という語彙を消すべきだとする人々の考えにも同意したくなります。 そうした語彙の汚染問題はさておき、境界知能や知的

    高度な社会の一員になれていますか。これからもなれますか - シロクマの屑籠
  • エンタメの恐怖はニセモノなのか『恐怖の正体』(春日武彦著、中公新書)

    ネットで肝試しするなら「蓮コラ」画像が手軽だ。ちょっと検索するだけで簡単にゾワゾワできる。「集合体恐怖症(トライフォビア Trypophobia)」で検索するのもあり。生理的にダメな、見てはいけないものを見ている感覚を味わえる。 あるいは、youtubeで「フライングスーツ flyingsuits」を検索してもいい。ムササビみたいな恰好をして滑空する映像を「一人称で」見ることができる。スカイダイビングとは異なり、切り立った崖から飛び降りるのがスタートだ。だから映像は、飛び降り自殺する人が見ている(見ていた)視点と重なる。 Wingsuit Flight - straight & steep line より 高所恐怖症なら、「Raw Run」で検索しよう。スケボーで長い坂道を延々と滑り降りる映像なのだが、背筋ゾゾゾとなるのを請け合う。乗ってる人はほぼ丸腰で、ヘルメットもしていないのもある。公

    エンタメの恐怖はニセモノなのか『恐怖の正体』(春日武彦著、中公新書)
  • 自責強めだった陰キャが「自分は悪くないんだ」と思える思想(宗教やマルチ商法含む)に出会うとマジ嵌まる

    結局これ。 自責とか劣等感から楽になって、二度とその苦しみに戻りたくないから むしろ人から批判されればされるほどそっちに逃げちゃうんだよな。 当に馬鹿だよなー それは自責の強い陰キャではなくて謙虚を装うことで批判や責任を回避してきた真面目系クズ的な人では? 真面目系クズと自責強めの陰キャは同義語。 普通に生きてたら陰キャにはならない。 陰キャという時点でクズ。 クズならクズなりに開き直ればいいのに 自責することでクズであることからも逃げようとしてる。 自分が駄目なことに対する言い訳を求めてるだけ。 自責する陰キャというのはそういうこと。 だから真面目系クズと自責強めの陰キャは同義語。 だから陰キャに宗教やマルチ商法与えると狂う。 「バカだ」と評価する人の近くにいたくないですよね はいいただきました典型的な陰キャ仕草。 陰キャは叱られたときも、自分が悪いとは考えず相手の態度ばかり気にする。

    自責強めだった陰キャが「自分は悪くないんだ」と思える思想(宗教やマルチ商法含む)に出会うとマジ嵌まる
  • 死ぬまでに読みたかったベイトソンが「いま」読める幸せ『精神の生態学へ』

    面会にやってきた母親を、息子はハグしようとする。母親は身をすくませるため、息子はハグを諦めて、少し離れる。すると母親は悲しげに言う「もうお母さんのことを愛してくれなくなったの?」 母親が帰った後、息子は暴れ出したので、保護室へ収容される。 グレゴリー・ベイトソンは、統合失調症の息子ではなく、母親の言動に注目する。息子のことを愛していると言う一方で、息子からの愛情を身振りで拒絶する。さらに、息子からの愛が無いとして非難する。 息子は混乱するだろう。ハグしようとする愛情表現を拒絶するばかりでなく、そもそもハグそのものが「無かったこと」として扱われる。にも関わらず、息子のことを愛していると述べる……そんな母親に近づけばよいのか、離れればよいのか、分からなくなる。 矛盾するメッセージに挟まれる ベイトソンは、この状況をダブルバインドと名づける。会話による言葉のメッセージと、身振りやしぐさ、声の調子

    死ぬまでに読みたかったベイトソンが「いま」読める幸せ『精神の生態学へ』
  • 「能動的に行動する能力」はいかにして生まれ、進化してきたのか──『行為主体性の進化:生物はいかに「意思」を獲得したのか』 - 基本読書

    行為主体性の進化:生物はいかに「意思」を獲得したのか 作者:マイケル・トマセロ白揚社Amazonこの『行為主体性の進化』は、認知科学が専門のマイケル・トマセロによる、「行為主体性」について書かれただ。霊長類や他の哺乳類はアリやハチといった昆虫と比べると「知的」であるようにみえる。しかしその知的さをどのようにはかるべきだろうか。もちろん、これについては行動の複雑さなど無数の尺度が考えられるだろうが、書ではその知的さの違いを「行動の制御」に見出していく一冊だ。 たとえば、アリやミツバチの行動は、それがどれほど複雑であっても個体がすべてをコントロールしているようにはみえない。彼らの行動を主に制御しているのは個体の判断ではなく生物学的機制(バイオロジー)である。一方の霊長類や他の哺乳類は、ある程度は自分のコントロールにおいて、情報に基づく決定を能動的に下しているようにみえる。これに関連して出て

    「能動的に行動する能力」はいかにして生まれ、進化してきたのか──『行為主体性の進化:生物はいかに「意思」を獲得したのか』 - 基本読書
  • ダンバー数 - Wikipedia

    ロビン・ダンバー ダンバー数(ダンバーすう、英: Dunbar's number)とは、人間が安定的な社会関係を維持できるとされる人数の認知的な上限である。ここでいう関係とは、ある個人が、各人のことを知っていて、さらに、各人がお互いにどのような関係にあるのかをも知っている、というものを指す[1][2]。 ダンバー数は、1990年代に、イギリスの人類学者であるロビン・ダンバーによって初めて提案された。彼は、霊長類の脳の大きさと平均的な群れの大きさとの間に相関関係を見出した[3]。ダンバーは、平均的な人間の脳の大きさを計算し、霊長類の結果から推定することによって、人間が円滑に安定して維持できる関係は150人程度であると提案した[4]。 ダンバーはこれについて、「もしあなたがバーで偶然出会って、その場で突然一緒に酒を飲むことになったとしても、気まずさを感じないような人たちのことだ」というように噛

    ダンバー数 - Wikipedia
  • AIが人間に反乱しないよう「道徳」を実装すべきか。京大の哲学者・出口康夫が本気で考えて示した結論|FINDERS

    CULTURE | 2023/09/22 AIが人間に反乱しないよう「道徳」を実装すべきか。京大の哲学者・出口康夫が気で考えて示した結論 Photo by Shutterstock 京都大学で出口康夫氏が行った人気講義を書籍化した『AI親友論』(徳間書店)... Photo by Shutterstock 京都大学で出口康夫氏が行った人気講義を書籍化した『AI親友論』(徳間書店)。 同書はAIと人間との関係性でよく言われる「仕事が奪われる(人間が奴隷にされる)」、あるいは逆に「人間が支配できる程度の性能に抑えるべきだ」といった敵視を前提とした議論ではなく、人間とAIが「親友」として共生するための社会観・人間観をいかにして考えることができるかについて、これまでのAIやロボットにまつわる議論も参照しながら考え抜いた一冊だ。 稿では、アイザック・アシモフの「ロボット三原則」の時代から続く「A

    AIが人間に反乱しないよう「道徳」を実装すべきか。京大の哲学者・出口康夫が本気で考えて示した結論|FINDERS
  • 美的なものと芸術的なもの - obakeweb

    1 美学は芸術の哲学なのか? 2 芸術抜きの美学? 3 美学抜きの芸術? 4 ビアズリー、ディッキー、シブリー 5 美的なものと芸術的なもの、その後 参考文献 1 美学は芸術の哲学なのか? 博士論文(80,000 words)をあらかた仕上げて予備審査に出したので、ゴキゲンのブログ更新。 博論でも取り上げている話だが、私の専門である美学/芸術哲学への入門的な話題としてよさそうだったので、一部ネタを抜粋して再構成してみた。なにかというと、美学と芸術哲学の関係性についての話だ。*1 美学[aesthetics]は、なんの専門家でもない人にとっては「男の美学」「仕事の美学」とか言われるときの流儀やこだわりを指す日常語であり、もうちょっと詳しい人にとっては、芸術哲学[philosophy of art]の同義語だ。英語でも事情は同じらしく、aestheticsが専門だと言えば、artについてなんか

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  • 『熟達論』“走る哲学者”が伝授する、「今を生きる」ための心と身体の使い方 - HONZ

    「走る哲学者」為末大氏自身の手による初の書き下ろし、しかも編集担当が元DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー編集長の岩佐文夫氏ということで、期待値は出版前から否応なしに高まっていたが、実際に書を読んでみると、それを遥かに上回る内容だった。 私のような昭和生まれ昭和育ちにとってのスポーツは、『巨人の星』や『あしたのジョー』に代表されるような、ただひたすら気合と根性だけで全てを乗り切ろうとする「スポ根」ものだった。それが、やっとイチローやカズの頃から科学的なスポーツに軸足を移し、令和に入って遂に大谷翔平や三笘薫にまで辿り着いたかということで、言い知れぬ感慨深さがある。 スポーツが筋力や精神力だけでないのは、もうかなり前から常識になっており、現在では科学的トレーニングやメンタルトレーニングが盛んである。しかし、それらがどのように一人の「人間」の中に統合されているのか、統合されるべきなのか

    『熟達論』“走る哲学者”が伝授する、「今を生きる」ための心と身体の使い方 - HONZ
  • 優生思想と伴走した知能検査(立命館大学総合心理学部教授:サトウタツヤ) #誘惑する心理学|「こころ」のための専門メディア 金子書房

    知能検査は個人を理解し、必要な支援を提供するのに役立ってきました。しかし、知能検査は、そもそもの開発者の意図から離れて使われたという過去もあります。社会にとって、知能検査とはどのようなものだったのでしょうか。学問と社会のあり方を考える一つの視点がそこにあります。今回は、優生思想とともにあった知能検査の歴史、および社会と学問のあり方をテーマに、サトウタツヤ先生にご執筆いただきました。 学問が社会のためになる、ということに反対する人はいないだろう。 役にたつことだけが学問ではないとか、いつか役に立つことを考えれば良いのであって今役立つかどうかだけを考えてはいけない、などという考えもありうるだろう。社会のため、というとき、私たちは社会がまっとうなものだという前提を置いている。しかし、社会がまっとうでないとすればどうだろうか? 社会に役立つということ自体、それほどお気楽に宣言できるものではない。そ

    優生思想と伴走した知能検査(立命館大学総合心理学部教授:サトウタツヤ) #誘惑する心理学|「こころ」のための専門メディア 金子書房
  • 死にたさが出てきたときの処方箋としての思想

    はじめにある人間に「死にたさ」が上がってきたときに、それを打ち払う便利な思想を自分の人生経験から編み出したので、それを紹介したいと思う。 これは自分はリアルでたくさん言っているのだがなかなか言うべき機会も少なく、普及しないので増田にも書いておく。 いってみよう! 仮に10億円あっても死ぬかテストこれはもっとも重要なテストだ。80%程度はこれで解決する。 「仮に10億円あってもまだ死にたいか?」と自らに問うてみて、直感的に出てきたその答えについて分析する手法だ。 「死にたさ」が上がっているときは「そんな夢みたいな荒唐無稽な話を聞かせてくれるな」などと言い出す人が多いが、それはすなわち「それが叶うなら生きてもいい」という証である。 ほとんどの問題はこれに帰着する。金があっても死のうとする場合は衝動的なものか、金持ちの道楽のようなものである。 「もし10億円あるなら死なない」という答えになった場

    死にたさが出てきたときの処方箋としての思想
  • 保守派に「柔軟な思考力がない」理由、新たな研究結果が示唆 | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)

    社会問題に関する考えの硬さと、認知的柔軟性の間にある興味深い関係に光を当てる新たな研究結果が、Psychological Research誌に発表された。研究チームは、保守主義や排外主義(ゼノフォビア)、根拠のない主張をするといった特徴が、問題解決における認知的硬直性を予測できるかを調べた。 論文の筆頭著者で、イタリア・ローマのジョン・カボット大学(JCU)心理・社会科学部教授、米テキサス大学オースティン校精神医学・行動科学部准教授のカローラ・サルビは「問題解決能力の高い人は、社会問題を理性的に解決しなければならないときにもオープンマインドな姿勢を持つ」と説明する。 「人の柔軟な思考は、さまざまな場面に反映される。例えば、数学の問題を解くときや、社会問題について推論するときなど。人間の思考におけるこの2つの側面に、関連性はあるのか? この研究では、柔軟な思考をする人とはどのような人なのかを

    保守派に「柔軟な思考力がない」理由、新たな研究結果が示唆 | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)
  • 人間が生成AIに依存したら 責任はどこへ? 哲学者が懸念する未来 | 毎日新聞

    生成AIの活用と未来像について語る哲学者の戸谷洋志さん=大阪府枚方市の関西外大で2023年5月23日、三村政司撮影 もしも「チャットGPT」などの生成AI人工知能)に人々が依存するようになったら、どんな未来が待っているのだろうか。 哲学者の戸谷洋志さん(35)は、2022年刊行の著書『スマートな悪』(講談社)で、余計な手続きを排除する「スマート化」に価値を置く社会に警鐘を鳴らした。科学技術と倫理について研究する戸谷さんは、人間に代わって意思決定するような生成AIの活用をどう考えるか。キーワードとして「責任」を挙げた。 ――生成AIの先行きをどう見ていますか? ◆これからどうなるか見通しがつかない、というのが率直なところです。特にチャットGPTは急速に浸透しているようにも見えますが、今はまだ使って遊ぶ「おもちゃ」にとどまっています。 ただ、それが飽きられて終わると考えるのは、一つの見方でし

    人間が生成AIに依存したら 責任はどこへ? 哲学者が懸念する未来 | 毎日新聞
  • タイトルすら読めない人の「声」は今のネットに存在するか - シロクマの屑籠

    note.com 先日、狂人を名乗っている小山さんが、「論破王」ひろゆきさんとtwitterで「議論」になった一部始終をnoteにまとめてらっしゃった。その内容は、ひろゆきさん自身に焦点を当てるよりも、ひろゆきさんのファン層に焦点を当てた内容だった。 小山さんは驚きをもって語る。「日語は読めないけれど論破したい」という欲望が存在する、と。ひろゆきさんのファンからの声には、論争内容を理解したコメントがぜんぜんなくて、まったく論争内容を理解していないコメントが無限に飛んでくる、と。 自分はインターネットに20年以上どっぷり浸かり、不毛なネット論争を何十何百と繰り返してきたわけなのですが、ここまでファン層の知的レベルが低いのは確実にひろゆきさんが初めてだと思います。というか、おそらくは「論争」という知的(?)遊戯を嗜まない層にまでひろゆきさんの影響力は波及している。論争の当事者になることで、そ

    タイトルすら読めない人の「声」は今のネットに存在するか - シロクマの屑籠
    laislanopira
    laislanopira 2023/05/07
    名もない人々がほぼ全員、インフルエンサーの発言を拡散するだけのマシンになっている現代
  • ジャニーズの件について語る際に「過剰適応」というキーワードを知っておいた方が良いかも - 頭の上にミカンをのせる

    【ホッテントリしてたので宣伝】私がこのテーマに関して思い出す作品の内、もっともおすすめな作品は「聖☆高校生」です。 聖☆高校生 11 (ヤングキングコミックス) 作者:小池田 マヤ少年画報社Amazon①性被害者ポジであった自分が加害者ポジになったときの衝撃をどう受け止めるか ②自分の性被害をどう克服するか ③自分の罪とどう向き合うか。④あこがれの人が犯罪行為をおかしていたときにどのように向き合うべきか。だいたいこのテーマについて考えるべき要素が一通り体験できます。そういうの抜きにしてもおすすめしたい超ド級名作。あと、個人的な趣味としては「花やしきの住人たち」も好きなのですが、こちらは暗すぎるので人を選びます。 当はfont-daさんに解説していただきたいところですが…… https://anond.hatelabo.jp/20230413000017anond.hatelabo.jp

    ジャニーズの件について語る際に「過剰適応」というキーワードを知っておいた方が良いかも - 頭の上にミカンをのせる