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批評と災害に関するlaislanopiraのブックマーク (17)

  • 病と癒しの物語  『鬼滅の刃』の構造分析 - 内田樹の研究室

    Twitterにも書いたけれど、ある大学から入試問題に使ったので、過去問集に採録したいという連絡があった。いったい何を使ったんだろうと思って見たら「週刊金曜日」に寄稿した『鬼滅の刃』論だった。ずいぶんとレアなアイテムを探し出して作問したものである。2020年12月に書いたものなので、何を書いたかすっかり忘れていたので、HDをサルベージして探し出して読んでみたら結構面白かったのでブログに再録。 マンガについて書くのは久しぶりである。数年前に集英社が『ONE PIECE strong words』というを出すことになり、そのときにONE PIECE論を書いたのが最後。尾田栄一郎さんの『ONE PIECE』は世界累計発行部数4億7千万部という桁外れのヒット作品であったので、版元から「どうしてそんなに売れるのか」について理由を考えて欲しいと言われて書いた。不思議な注文である。たぶん「ただすごく売

  • 国民の不安も科学的な提言も無視...パンデミック五輪に猛進する日本を世界はこう見る

    <IOCにノーと言えない日政府に、関係者を満足させたいだけのIOC。「安心・安全」と繰り返されても安心はできない> 東京五輪まで2カ月に迫った5月19日、「開催を実現することに集中すべき」とIOC(国際オリンピック委員会)のトーマス・バッハ会長は会議で強調した。大会の是非の議論はしない、開催すると決定したのだからという意味だ。 だが6月20日まで再延長された緊急事態宣言下で、来日すらできずにいるバッハは現実を見ていない。日の国民が感じていることを理解するため、彼に見に行ってほしい所はたくさんある。 例えば立川駅のそばにある立川相互病院。5月初旬、こう書かれた紙が窓に張り出されて話題になった。「医療は限界 五輪やめて!」「もうカンベン オリンピックむり!」 「病院長のアイデアだ。たくさんの重症者を受け入れた公立病院の職員は公務員だから、こんなことはできない。うちは民間の病院だからできる」

    国民の不安も科学的な提言も無視...パンデミック五輪に猛進する日本を世界はこう見る
  • 東浩紀「コロナ禍で『リベラル』な知識人は『監視社会』を肯定してしまった」 | 文春オンライン

    東 ぼくはテレビにはもう出ていないし、新聞にもあまり出ない。つまり、マスコミと付き合わないというポジションなんです。そう考えたときに、ぼくには今のツイッターもマスコミに見えたのでやめた。今回、コロナで緊急事態ということでまたやっています。 ――3月5日のツイートを今読み返すと、すでにその頃から、東さんの考えは一貫していると思います。都知事選を想起させる「ぼくたちは人々の不安に付け込むポピュリストのパフォーマンスには距離をとるべきです」という発信をしていたり、「生きることはリスクとともに暮らすことです」「そもそも不可能な感染拡大の阻止ではなく、重症患者の命を救うことに集中すべきです」といったwithコロナに近いアイディアも。 東 ぼくにとっては、3.11の経験が大きかったんです。原発事故の後、放射能の危険性を巡って専門家も右往左往し、かえって混乱を招きました。しかし間もなく10年を迎えようと

    東浩紀「コロナ禍で『リベラル』な知識人は『監視社会』を肯定してしまった」 | 文春オンライン
  • ”緊急事態”のなかで、やるようになったこと、やらなくなったこと。 「劇場と大学の授業とウィキペディア」  北村紗衣(研究者) 【6月号特別企画】|TV Bros. ( テレビブロス )

    ”緊急事態”のなかで、やるようになったこと、やらなくなったこと。 「劇場と大学の授業とウィキペディア」 北村紗衣(研究者) 【6月号特別企画】 企画・構成/おぐらりゅうじ およそ2ヶ月前の4月7日、政府により緊急事態宣言が発出。これにより、新型コロナウイルス感染拡大を防ぐため、外出の自粛や、いわゆる3密の回避が求められ、人々の生活様式やコミュニケーションのあり方にも大きな変化をもたらしました。 また、切迫した状況下における、政府の指針や関係各所の対応、さらには(SNS上での振る舞いも含めた)人々の言動や態度などを目の当たりにし、根的な生き方や考え方を見直した方もいるでしょう。 そこで、今回のコラム企画では『“緊急事態”のなかで、やるようになったこと、やらなくなったこと。』と題して、多方面の方々から「やるようになったこと」と「やらなくなったこと」をテーマにご執筆いただきました。 第3回は、

    ”緊急事態”のなかで、やるようになったこと、やらなくなったこと。 「劇場と大学の授業とウィキペディア」  北村紗衣(研究者) 【6月号特別企画】|TV Bros. ( テレビブロス )
  • 東浩紀「緊急事態に人間を家畜のように監視する生権力が各国でまかり通っている」 | AERA dot. (アエラドット)

    東浩紀(あずま・ひろき)/1971年、東京都生まれ。批評家・作家。株式会社ゲンロン代表。東京大学大学院博士課程修了。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。93年に批評家としてデビュー、東京工業大学特任教授、早稲田大学教授など歴任のうえ現職。著書に『動物化するポストモダン』『一般意志2・0』『観光客の哲学』など多数 ※写真はイメージ(gettyimages) 批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。 *  *  * 生権力(せいけんりょく)という言葉がある。フランスの哲学者フーコーの概念で、人間を家畜のように捉える権力を意味する。たとえば税制を変えれば出生率も変わるが、そのようにして集団を「管理」するのが生権力である。 生権力の働きは、非人称で政治的に中立なふりをしてくるので抵抗が難しい。だからこそ警戒が必要だとい

    東浩紀「緊急事態に人間を家畜のように監視する生権力が各国でまかり通っている」 | AERA dot. (アエラドット)
    laislanopira
    laislanopira 2020/04/17
    災害の後にも国民への相互監視は続く
  • タグ : 私たちの気付かない漫画のこと 一覧ページ|Zing!

    情報コンテンツサービス終了のお知らせ 2020年9月30日(水)をもちまして、以下コンテンツを終了いたしました。 【終了するコンテンツ】 Zing! 長らくご愛顧いただきました皆さまに感謝を申し上げますとともに、ご理解を賜りますようお願い申し上げます。 トップページ - サイトマップ - お問い合わせ

  • 椹木野衣先生インタビュー(1) - 青い日記帳 出前ブログ

    『日美術全集19 拡張する戦後美術』の責任編集を務められた、椹木野衣(多摩美術大学教授)先生にお話しを伺ってきました。 戦後70年の節目にあたる今年(2015年)8月25日に刊行となった『日美術全集19 拡張する戦後美術』にはどんな思いが込められているのでしょうか。3回にわたって記事をお届けしますので、じっくりお読みください。 『日美術全集19』ケース表 Tak:さっそく、お話を聞かせていただきたいのですけれども、いつ頃この19巻の責任編集の依頼があったのでしょうか。 椹木野衣:何年くらい前ですかね。震災より後だったと思います。編集委員の山下裕二先生や編集長からそれぞれメールが来て、引き受けますと返事をしたのが、東北の震災の少しあと、2011年の秋頃だったと思います。はっきりとは覚えていないのですが、とにかく考えるというよりは、それなら是非やりたい!と思ったもので。 Tak:ご自身と

    椹木野衣先生インタビュー(1) - 青い日記帳 出前ブログ
  • 朝日新聞デジタル:あいちトリエンナーレ評 - 愛知 - 地域

    ナゴヤカルチャーあいちトリエンナーレ評 宮佳明《福島第一さかえ原発》2013 怡土鉄夫氏撮影。原寸大の建屋の図面をテープで記した シアンブルーのTシャツを着たボランティアらが運営を支えた=愛知県岡崎市の松町会場 東京国立近代美術館 蔵屋美香・美術課長 ●多様な視野、獲得の場に 今年、ベネチア・ビエンナーレの日館でキュレーションを担当した。まずはここでアーティスト、田中功起と私がやろうとしたことと、今回のあいちトリエンナーレで感じたことを比べながら、少し述べたい。  ベネチアでは田中の映像作品を5展示した。テーマはあいちトリエンナーレと部分的に共通する東日大震災だったが、映像には「5人の陶芸家が一つの陶器を作る」「5人の詩人が一つの詩を書く」など、一見震災とは関係なさそうな協働作業の経過が映し出される。もちろん、東北の大変な様子を直接的に記録することもできた。しかし、それを遥(はる

  • 美しいアニメをつくりたいという呪われた夢「風立ちぬ」 - エキサイトニュース

    「(前作の)『崖の上のポニョ』をやっている時には僕の方が先に行っているつもりだったのに、時代の方が追いついてきた。(今回の映画で描いた)関東大震災のシーンの絵コンテを書き上げた翌日に震災(東日大震災)が起き、追いつかれたと実感した」」 (日経済新聞「宮崎駿 時代が僕に追いついた 「風立ちぬ」公開」2013/7/27 より) 宮崎駿は、幼い頃から現実と妄想の区別がつかないという特殊な才能を持つ、生粋の直感型クリエイター(オタクとも言う)である。 おそらくは毎晩のように、夢の中で「日アニメの神様」手塚治虫と勝手に出会って、脳内手塚治虫にあれこれ励まされていたのであろう。手塚治虫の夢の世界と自分の夢の世界がリンクしている、と彼は信じていたのだと思う。 たとえ未曾有の大震災に巻き込まれても、慌てず騒がず「空に飛行機が飛んでいるゾ〜」とグリプス戦役末期のカミーユみたいなことを言いだしかねないの

    美しいアニメをつくりたいという呪われた夢「風立ちぬ」 - エキサイトニュース
    laislanopira
    laislanopira 2013/08/30
    本田透が書いたような文だと思ったら本田透だった
  • ゼロ年代批評の政治旋回――東浩紀論 - 名無し委員会

    稿は、『別冊情況 思想理論篇』第二号に掲載されたものである) ゼロ年代批評の政治旋回――東浩紀論 藤田直哉 ゼロ年代批評の政治旋回!? 『思想地図β』vol.3(二〇一二)、特集「日2.0」の巻頭言で、東浩紀は政治旋回宣言を行った。 日はどうあるべきか。考えてみれば、ぼくたちは長いあいだ、その素朴な問いをこそ忘れてきた。停滞する政治を尻目に、消費社会のまどろみのなか、それがまどろみにすぎないことを知りながら、現実との直面を先送りにしてきた。(p44)。 ぼくたちは長いあいだ、自分たちがなにものか、その問いへの直面を(原発の問題への直面を、沖縄の問題への直面を、世代間格差の問題への直面を)避けることこそが幸せの条件であり、成熟の条件であり、ひいては「正義」の条件ですらあると教えられてきた。(同) ゼロ年代を代表し、オタク・カルチャーを牽引し、ポストモダンを肯定していた東浩紀という人物

    ゼロ年代批評の政治旋回――東浩紀論 - 名無し委員会
  • 限界はどう繰りこまれていたか - Freezing Point

    岡崎乾二郎氏: 「震災前に作られた作品を出すべき。事故後の変節は反省ですらない」(togetter) 直接には作品活動の話だが、あらゆる人に問える。 一撃をくらったことで、事故前にどんな限界が繰りこまれていたか、検証されることになる。作品活動に留まらず、唯物論的な生活実態(物質的生活の社会的生産)*1そのものについて、同じことが検証できる。事故前に、何をやってしまっていたのか――《つくる活動》として。 事故後のダメな変節は、「想定外」の連呼や、お涙ちょうだい路線だろう。 しかし例えば、《病気をきっかけに、病人として置かれた状況について考え始めた》というケースは、責められるべきではない。それが変節だったとしても、アリバイ作りとは別の活動になっている。この違いが極めて重要。 ▼そう考えれば、岡崎氏が変節と呼ぶものは、じつは変節を拒絶している姿。 災害前の段階で、災害を織り込んだ態勢づくりが必要

    限界はどう繰りこまれていたか - Freezing Point
    laislanopira
    laislanopira 2012/06/04
    大事件の前に作ってしまったものがその人の思想の限界を反映する。事件後のヒステリーもお涙ちょうだいも、「説得されればわかったはず」という万能感も聞きたくない
  • 水野亮氏「作品と作者と意志」- 岡﨑乾二郎氏の連続ツイートを読んで -

    3 @drawinghell とても興味深い。.@edtion1 さんの「岡﨑乾二郎さん(@kenjirookazaki)の考える 「災害と事前の作品構造」」をお気に入りにしました。 http://t.co/900QBT68 2012-05-31 20:24:42 3 @drawinghell 岡﨑乾二郎氏のツイート、「震災(災害)」というよりは、「作品」というものを考える上で大きな示唆を含んでいるような予感がする。もちょっと考えてみよう。。。 2012-05-31 22:43:51

    水野亮氏「作品と作者と意志」- 岡﨑乾二郎氏の連続ツイートを読んで -
  • 岡崎乾二郎氏: 「震災前に作られた作品を出すべき。事故後の変節は反省ですらない」

    震災後に「変節」して見せることは、震災前にやっていたことを「なかったこと」にし、現在への私的なアリバイ作りに終始し得る。―― この togetter をまとめた私は、岡崎氏の発言を通じて、そういう問題意識を喚起されました。 【追記】 edtion1 氏による、同じつぶやきを使ったまとめ: http://togetter.com/li/312608 言及された作品の写真や、岡崎氏の発言に対する様々なレスポンスを見ることができます。(※私より前に作成されていたようで、混乱させてしまって申し訳ありません。以後気をつけます。)

    岡崎乾二郎氏: 「震災前に作られた作品を出すべき。事故後の変節は反省ですらない」
  • 長山靖生『戦後SF事件史』:なんだ、ぼくが一回も出てこない事件史なの? - 山形浩生の「経済のトリセツ」

    戦後SF事件史---日的想像力の70年 (河出ブックス) 作者: 長山靖生出版社/メーカー: 河出書房新社発売日: 2012/02/11メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 2人 クリック: 122回この商品を含むブログ (34件) を見る なんだ、戦後 SF 事件史で、愛国戦隊大日とかにも触れてて、ぼくが一回も出てこないの? つまんなーい。ちなみにこの、しょせんは戦後「日SF「業界」事件史なんだよね。 が、それ以上にぼくががっかりしたところは、書の最後。東北震災と前後して小松左京が死んだことに触れて「日は今、もっとも必要な人材を失ったのである」(p.271) と述べて、SF 的な想像力こそが震災からの復興に大きく役立つはずだ、とまとめている。 小松左京的な構想力のかつての意義とその現代的な課題については、イナバ、田中、山形の SF 鼎談でかなり語った。そしてそこでも指摘

    長山靖生『戦後SF事件史』:なんだ、ぼくが一回も出てこない事件史なの? - 山形浩生の「経済のトリセツ」
  • 日常っぽくて日常じゃない少し日常な『日常』――京都アニメーションと大震災 - 反=アニメ批評

    『日常』という作品タイトルは、そもそも「日常系」の隆盛に起因して、そことの(アイロニカルな)距離感が計られてるんだろうから、キャラクターの容姿が日常系の開祖(?)『あずまんが大王』にそっくりなことだって単なるイミテーションとはちょっと違う。あずまんが大王DVD-BOX出版社/メーカー: キングレコード発売日: 2009/06/24メディア: DVD購入: 4人 クリック: 17回この商品を含むブログ (13件) を見るだからアニメ版『日常』も、『らき☆すた』『けいおん!』で日常系アニメのひとつの達成をみた京アニが、次に取りかかる(解体)作業にもってこいな題材だった、と言えるかもしれない。それも、「日常」の意味がぐるりとひっくり返ってしまった、「現代」という格好のタイミングでの。 この「現代」的な日常の転覆は、『日常』のアバンにぎゅうぎゅうに濃縮されている。お魚くわえたドラ追っかけて行くよ

  • 「久米宏のラジオなんですけど」(TBSラジオ)今週のスポットライト!!ゲスト:池上彰 書き起こし。 - 虚馬ダイアリー

    毎週土曜日午後1時からTBSラジオで絶賛放送中の「久米宏のラジオなんですけど」の人気コーナー「今週のスポットライト!」のコーナーに、わかりやすいニュース解説で、去年大ブレイクした池上彰さんが登場して、「ニュースステーション」でニュース番組の歴史を変えた久米宏さんと対談しておりまして、大変興味深い内容だったので、全編書き起こしてみました。 追記:コーナー後の雑談部分を書き起こしたエントリをアップしました。エントリの後でお楽しみください。 http://d.hatena.ne.jp/toshi20/20110320#p1 池上彰と久米宏、初対面 久米宏:池上さんです。こんにちは。 池上彰:あ、こんにちは。はじめまして。 久米:あ、はじめましてなんですよねー。ほんとに初めてお目にかかって。 池上:ええ。 久米:今日は黒のタートルに紺のスーツで、テレビで見るよりはるかにシックな格好で。 池上:い

    「久米宏のラジオなんですけど」(TBSラジオ)今週のスポットライト!!ゲスト:池上彰 書き起こし。 - 虚馬ダイアリー
  • 1995年についての考察

    宮沢章夫(笑ってもピンチ) @aki_u_ench 朝七時に目をさまし、いままで日の授業の準備をしていました。うーん、もっと語るべきことがあるんじゃないのか、先週、サブカルチャー論に来た方(学生ではない方)から頂いた『村崎百郎の』もじっくり読めなかったし、「90年代サブカル」については語ることがもっとあるはずだ。 2011-01-20 09:01:47 宮沢章夫(笑ってもピンチ) @aki_u_ench しかしながら、90年代に入ってサブカルチャーの世界というより演劇にばかり関わっていた記憶がある。その時代をたしかに過ごしたのだから知らないわけがないのに、遠くのものとして、その時代の「ある側面」を見ていたのだな。 2011-01-20 09:04:55

    1995年についての考察
    laislanopira
    laislanopira 2011/01/21
    昭和70年代の最初の年、渋谷系やウゴウゴルーガの終了後、NIFTY全盛期で、インターネットであったり映画秘宝だったりオタクアミーゴスだったりいうものの前夜。小室系を避けてギターポップに逃げていた
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