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現代史に関するmujinのブックマーク (10)

  • 第二次世界大戦の日本の戦没者の半分は餓死や病死だった - ARTIFACT@ハテナ系

    餓死(うえじに)した英霊たち 作者: 藤原彰出版社/メーカー: 青木書店発売日: 2001/05メディア: 単行購入: 2人 クリック: 68回この商品を含むブログ (14件) を見る戦没者というと、敵軍の攻撃によって死んだ人というイメージがあるだろう。しかし第二次世界大戦において、日の戦没者の半分は餓死や病死だったというのは意外と知られてない様だが、もっと知られてもいいのではないか。当然、そんな戦争歴史的に珍しい。 ※補足。病死が多い戦争は多いという指摘はあったが、餓死者が多い戦争は珍しい この辺りの研究としては『餓死にした英霊たち』があるそうだが未読なので伝聞情報なのだが、日政府によれば軍人軍属の戦没者は230万人で、著者の藤原彰氏によれば、餓死や病死は140万人前後と推定している。推定ではあるが、6割、少なくとも半分が戦闘による死亡ではなく、餓死や病死といえるのだ。 ※参考に

    第二次世界大戦の日本の戦没者の半分は餓死や病死だった - ARTIFACT@ハテナ系
    mujin
    mujin 2011/08/10
    人命軽視と無責任とは連動してるよな、絶対。
  • 木村元彦 - 誇り ドラガン・ストイコビッチの軌跡 - Close To The Wall

    ちょっとまえに話題になった動画がある。 サッカーの試合中負傷者が出たたため場外に蹴り出されたボールを、ベンチにいた革スーツのストイコビッチ監督が飛び出してノーバウンドで蹴り返し、見事ゴールさせたという場外ファインプレーだ。シーズンベストゴールなどといわれた驚愕の一幕で、チームでいま一番サッカーがうまいのは監督のストイコビッチなんじゃないかというジョーク(気かも)まで囁かれていた。サッカーをほとんど知らない私でもすごいと思わされた。 ストイコビッチ、という選手の名前はずいぶん前から知っていた気はするけれど、サッカーにまるで興味のない私はどういう選手かを全然知らなかった。所属チームも、名古屋グランパスと表記されているけど、いつからグランパス“エイト”でなくなったのかわからないくらいだった。 誇り―ドラガン・ストイコビッチの軌跡 (集英社文庫) 作者: 木村元彦出版社/メーカー: 集英社発売

    木村元彦 - 誇り ドラガン・ストイコビッチの軌跡 - Close To The Wall
    mujin
    mujin 2011/04/08
    「ストイコビッチはCNNニュースを見て、クロアチア難民の少女の証言が、字幕でまったく逆の意味に翻訳されているのを見て驚愕するエピソードがある。「悪魔のような所業はすべてセルビアのせいにされていた」。」
  • 「共産党を除く」ことによって生じた大きな失敗:五十嵐仁の転成仁語

    これまでご愛顧いただきました「五十嵐仁の転成仁語」を、こちらに引っ越しました。今後とも、よろしくお願いいたします。 福島第1原発の事故は、まだ収まる気配を見せていません。最終的な沈静化には、この先、何カ月もかかるようです。 このような中で、ウェッブやマスコミの一部で注目されている事実があります。今回のような事故を予言するような国会質問があったからです。 この質問を行ったのは、共産党の吉井英勝衆院議員でした。吉井さんは京大工学部原子核工学科出身の専門家で、地震に対して福島第1原発や第2原発は大丈夫かという質問を、2005年から07年にかけて繰り返し行っていました。 しかし、この質問はほとんどまともに対応されませんでした。マスコミによっても黙殺され、無視されたといって良いでしょう。 もし、この時、吉井さんの指摘や警告に対応し、震災や津波への対策をきちんと行っていれば、今回のような事故は防げたか

    「共産党を除く」ことによって生じた大きな失敗:五十嵐仁の転成仁語
    mujin
    mujin 2011/04/08
    「何となく怖い」というよりは、部落民や朝鮮人と一まとめに穢れと見なして差別してきたんじゃないかと思う。
  • 原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略~

    ◆ブログ http://scrapjapan.wordpress.com/ ◆「毒をもって毒を制する」 第5福竜丸事件で反核・反米の世論が高揚する中、日米が協力し民間から行った世論形成の全貌を明らかにする。(現代史スクープドキュメント 1994年放送) all » «

    mujin
    mujin 2011/03/19
    そうそう、原発は軍拡競争の一面もあるんだった。忘れかけては思いだす。
  • 日本公共放送による壮大なネトウホイホイ

    金明秀 Ꮶɨʍ, ʍʏʊռɢֆօօ @han_org さて、流れを読まずにNHKの感想: まず、NHK有志のために政権交代を歓迎したいところ。自民右派の検閲が入らなくなったことがこのシリーズの背景でしょう。 金明秀 Ꮶɨʍ, ʍʏʊռɢֆօօ @han_org 内容としては、水野直樹さんがこの時期を論じるときのキーパーソン。それを適切に取り上げてくれたことにまず好印象。ゼノフォビアを喚起した清瀬一郎の横槍が参政権停止の原因だと示唆している。GHQ関係者への丹念な取材もよかった。「偏見」と語らせたしね。

    日本公共放送による壮大なネトウホイホイ
  • 日本側の新聞報道に見る桂林号事件: 日夜困惑日記@望夢楼

    「消えたハワイ・クリッパー飛行艇」で簡単に触れた桂林号事件(1938年8月24日)について、『新聞集成昭和編年史 十三年度版III』(新聞資料出版、1991年)に収録にされた、日の新聞に報じられた日側の公式発表に基づいて、事件の概略を見てみることにする。もちろん、当時の公式発表が信頼できるか、といえば、そんなことは決してないのだが、当時の日側が認めた事実だけからも、この事件の性格をある程度うかがうことはできる。なお、引用文は資料性に鑑み、漢字を新字体に置き換えたほかは訂正を加えていない。 まず状況を確認しておく。1938年(昭和13)8月から10月にかけて、日軍は武漢作戦・広東作戦を並行して行い、華南各地で中国軍と激しい戦闘を繰り広げた。この時点では香港(当時イギリス領)は戦場にはなっていないが、その周辺は戦場になっていたわけである。なお、この直前に日軍は広東(広州)爆撃を行って

    mujin
    mujin 2010/05/05
    「敵機かどうか分からんかったので念のため殺しといた」南京事件と同じ思考パターン。
  • 本館更新(消えたハワイ・クリッパー飛行艇): 日夜困惑日記@望夢楼

    http://homepage3.nifty.com/boumurou/island/sp01/extra/Hawaii-Clipper.html 久々の館更新です。「消えたハワイ・クリッパー飛行艇――沖ノ鳥島最初(?)の新聞報道」を公開しました。 もとはといえば、各種新聞記事データベースで何の気なしに「沖ノ鳥島」を検索してみて、たまたま、1938年7月に起こった、パン・アメリカン航空の太平洋横断飛行艇が跡形もなく消え失せてしまった、という、この不可解な事件にぶちあたったのがきっかけでした。一見すると簡単に書けそうでしたが、これがまたかなりの難物。そもそも戦前の航空機事故については文献が少なく、どこから手をつけていいのかもわからない。 さらに困ったのが、この事故を日海軍の陰謀だとする珍説が存在すること。いくら日軍が残忍で無謀で謀略好きだといっても、旅客機を一機丸ごと、しかも乗員・乗客

    mujin
    mujin 2010/05/01
    一番呆れたのが桂林号事件でした。1938年8月24日、日本海軍機が中国の民間機を珠江上空で誤認(?)攻撃して不時着させ、浙江財閥の大物2人を含む14人を死なせておいて、「危険空域を飛んでいた方が悪い」と開き直った
  • 近衛読書中隊 銀河の道

    中島欣也『銀河の道 ”社会主義中尉”松下芳男の生涯』恒文社 芳男の父は下士官上がりの将校であった。新発田の彼の家の側には、第15歩兵旅団副官だった大杉東大尉の家もあった。日露戦争で鬼少佐と謳われる人物であった。大杉が宮城に詰めていた時、何かの際に馬から振り落とされてお濠に落ちた。明治天皇が泥まみれであがってきた大杉をごらんになって、『猿じゃ猿じゃ』と笑い興ぜられたそうである。芳男はその家の次男と仲が良かったが、長男とはその当時はあまり接点がなかった。「栄さん」何かの折に芳男が声をかけると、「おお松下」栄は振り返って無愛想に応えるだけだった。 芳男は仙台の地方幼年学校に進学した。そこには終生の友人となる田中新一もいた。晩年、芳男は仙幼の校史の編纂を手がけている。中央幼年学校を卒業後、田中と二人確実に一緒に行けるところということで、志望者の少ない弘前の歩兵第52聯隊を志望した。二人は志望通り弘

    mujin
    mujin 2010/03/06
    恵まれないなあ。
  • 従軍看護婦の証言

    8月24日の午前1時を過ぎた頃、ひと眠りした後ふと目が覚めた私は、NHKのラジオ深夜便で気になっていたプログラムがあったので、何気なくスイッチをつけた。すると、男性アナウンサーのインタビューを受けている女性の声が聞こえてきた。 その女性は、戦時中に従軍看護婦を志願し、旧満州の陸軍病院に派遣されていたという。放送では秋田県横田市の住所と実名を告げていたが、漢字の表記が不明なので、ここでは匿名とする。 彼女の回想を聴くにつれて、恐るべき事実が明かされるのだが、その事実を彼女は満州から引揚げてきた時、舞鶴の援護局の元軍人と思われる職員から絶対に口外しないよう口止めされ、3年前まで夫にも言わずに秘密を守り通した。 3年前の平成17年、どうしても舞鶴を訪ねたくなり、引揚記念館へ行った時、戦争体験のない若い世代の人が戦争を体験した世代から語りつがれた事実を説明する姿に接して、自分も責任を果たし過去を償

    従軍看護婦の証言
    mujin
    mujin 2009/08/26
    「日本は無条件降伏し、ソ連軍によって武装解除されました。問題は重症患者でした。青酸カリの注射をすると、もがき苦しんで「お母さん、助けて~」と叫びながら1分ほどで息絶えるのです。」
  • 近衛読書中隊 現代史の対決

    秦郁彦『現代史の対決』文藝春秋 お盆の古祭りで購入。1998年から2002年に主に『諸君』に掲載された文章を纏めたもの。この頃は、”自虐史観”に対する”自由主義史観”が台頭して来ていたが、まだ”自虐”側もそれなりに頑張っており、そして何より田母神や在特会といったモンスターが現出していなかった。そういう時代の空気を反映して、先生も随所に筆が滑っている(要するに足元を気にせず心置きなく自虐側をおちょくれた時代ということだ)。例えば件の女性国際戦犯法廷でインドの判事が欠席したことについて東京裁判で唯一人、少数意見を書いた有名なパル判事の”亡霊”に叱られたせいかもしれない。 なんてのは全く書かずもがなだし、天皇訪英時の元イギリス人の要求について、”『戦場にかける橋』のアレックス・ギネスが聞いたら何というだろうか”などと言うのは全く意味不明だ。シドニー五輪に際してのオーストラリア政府がなんとかアボ

    mujin
    mujin 2009/08/24
    図書館で『現代史の争点』を手に取って最初の数ページをぱらぱらめくりすぐに書架に戻したときも似たような感覚。秦さんに限らず他の論者の資質を云々しはじめたら大概つまらなくなる。
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