吉本隆明「ほんとうの考え」 84歳になった吉本さんが 現在進行形で考えている「ほんとうのこと」。 糸井重里が毎回のテーマについて 紹介文を執筆します。 テレビと落とし穴と未来と。 テレビをはじめとする 多くの文化的メディアは、 共通の問題を抱えているのかもしれない。 ほとんどテレビに出なかった吉本さんが ドキュメンタリーで描かれることになりました。 その放送を目前に、糸井重里と話しました。
思い起こせば、このブログを書き始めてから4年と3ヶ月になるんですね。その半分以上の時を、東京糸井重里事務所で働きながら過ごしたことになります。 このブログには書きませんでしたが、2年と少し前のある日、このブログを読んでいただいていたという糸井さんからメールをいただきました。それが入社のきっかけです。私にとって糸井重里さんという広告人は、お手本でもあり目標でもありました。つまり、特別な存在なのです。これは、決してお世辞でもなんでもなく、正直な気持ちとしてどうしようもなくあるのです。 もしかすると、リアルタイムで広告クリエイターとしての糸井重里さんがつくる広告を追って来た世代は、私の世代で最後かもしれません。それ以降の世代では、文化人としての糸井さん、ほぼ日の糸井さんという感じだろうと思います。このブログでも、糸井さんのことはたくさん書いてきました。代表的なエントリは、きっと「糸井重里さんの重
あの、ガイドのかっこいい彼に? いいんじゃないかな、 ぜひ、訊いてみようよ。 ──夜這いの話とは?── それは、そもそも一行がブータンに来る きっかけになったともいえるエピソード。 ある日、伸坊さんが観たテレビ番組で、 いまもブータンの辺境に残るという 「夜這い」の風習を特集していた。 夜這いとは、すなわち、 意中の娘さんの寝床に男が忍んでいくこと。 伸坊さんが観たドキュメンタリー番組の中では、 夜這い未体験の純情な青年に、 夜這いの名人が夜這いについて レクチャーしていたという。 音を立てずにその娘の部屋に入っていき、 寝ている彼女にそっとナスを握らせ、 ナスを握り返したら「OK」らしい。 それって本当? ということが かつての黄昏で話題になったのだった。 くわしくは、こちらをどうぞ。
大向うの堀越さんへのインタビューが終了してから、 実際にいろいろな掛け声のパターンを 「ほぼ日」の和室で録音させていただきました。 このコンテンツの第1回~7回までで、 すこしずつそれを公開してまいりましたが、 最終回となる今回、 録音させていただいたすべての声をご紹介いたします。 収録を行ったときの、 そのままの流れでお届けいたしましょう。 このコンテンツの、大団円をお楽しみください! ※威勢のいい音がしますので音量にご注意を。
その『信頼の構造』という本は その次の『安心社会から信頼社会へ』ともども、 「ほぼ日」というちっちゃな船に乗り込んで 大海へ漕ぎだそうとしていたときに 読んだんですけど‥‥もうびっくりしまして。
(笑)いや、同じ干支で 憶えちゃったもんだから、 景色みたいな感じで、 「まだ12年後に横尾さんの年なんだから」と 思いやすい、ということです。
うん。でね、さっき、 今回の旅の予定を見たんだけれどもね、 驚いたのは、行く先々で、 オレは過去に、なにかになっているんだよ。
岩手県(イーハトーブ)・花巻市に行ってまいりました、 ほぼ日刊イトイ新聞の &わたくし でございます。 北上川のほとりを歩いている際に、 「宮沢賢治なりきりセット、試してみませんか」 と声をかけられたので、 「はいはい~(即答)」 と応じてしまい、マント姿で失礼いたします。 誘いに乗ったが、実は不安。 こちら、。 このポーズでなりきり屋さんに褒められる。 そしてこちらが、宮沢賢治さん。 (このクリアファイルは、 宮沢賢治記念館で買いました) イギリス海岸の出現。 さて、訪れているのは花巻の北上川です。 この日はいつもより 水位が下がっていたのです。 ほら、これがいつもの北上川。 (『黄昏』取材写真より) これが今日の北上川。 なぜ、このように水位を下げる必要があるのか。 それは、かつて、宮沢賢治さんが命名した ここ北上川の河畔の風景「イギリス海岸」を 再現しようしているからです。 イギリス
糸井重里がほぼ日の創刊時から 2011年まで連載していた、 ちょっと長めのコラムです。 「今日のダーリン」とは別に 毎週月曜日に掲載されていました。 テレビの持ってるいいところ。 2009-10-05 テレビの天下は終わりつつある。 そういう時代になっているのは、よくわかる。 広告が減っているのは一目瞭然だし、 その制作の予算も減っているらしい。 テレビに向かってやってくる「お金」の流れが 減っているということだ。 だけど、衰退していると思われているときには、 なんでも「だめ」に見えちゃったりするものだから、 逆に、こういうときにこそ、 「いいところ」を、ちゃんと探しておくほうがいい。 「お金」が集まらなくなったら、 たしかにパワーは減衰するかもしれないけれど、 量的な「ちから」でないもので、 減らない「いいところ」というものが あるはずだと思うのだ。 なんてことをいつも考えていたわけじゃ
こないだも、京都に行ったとき、観てきたよ。 その事件がきっかけなのか、 いまはもう、高い場所にあって、 簡単に近づけなくなっちゃってるんだけど。
昨日につづき、 岩手県(イーハトーブ)・花巻市で 宮沢賢治賞を受賞された 吉本隆明さんのことをお伝えします。 今日は、ちょっと長めですが、 吉本さんの授賞記念講演の内容を、おもに まとめてお届けします。 青春時代の夢。 昨日の記事でお伝えしたとおり、 冒頭3べん頭を下げて、 吉本さんはこう話しはじめました。 「ぼくの好きな宮沢さんの『雨ニモマケズ』という詩が、 学校の天井に貼ってありました。 ぼくはいつでもその下で、それを眺めていました。 これはどういう人で、どういうことを考えていたか、 ということを、毎日のように思っていました。 俺もこの人とおなじような人になれるんじゃないか、 ということが、 ぼくの青春時代の夢でもありました。 この夢を、自分なりにたどって、 そして自分なりの勉強も含めて いままでやってまいりましたけれど、 いやぁ、とんでもない人だ、 宮沢賢治って人は、とんでもない人で
Lesson459 どんな人とつきあいたいですか? ――3 人を測るモノサシ 「あなたはどうやって、あなた自身を尊重しますか?」 と先週のコラムで問いかけたところ、 印象的なお便りが届いた。 <自分を測るモノサシ> 先週のコラムを読んで、 最後の問い「どうやって自分を尊重するか」から 私が気づいたことは、 私の中にはそもそも「自分を尊重する」という概念がない、 ということでした。 それは尊重していないということではなく、 「尊重する」という意識がなく生きてきた、というか。 同様に、「(社会や他人から)必要とされているか」 という問いが掲げられることもありますが、 私にはどうもその考え方も欠落しているらしく、 「必要か不必要か」を殊更に気にする気持ちというのが あまり良く分かりません。 勿論、社会的に必要とされなければ存在できない、 居場所がなくなる、ということは分かるのです。 けれど、その
ここは、別の話をしていたときの「流れ」の 一部分を抜き出したものです。 吉本さんという人が、 「いつも考えている」ということ、 「ずっと考え続けてきている」ということについて、 ぼくもですが、ほんとに多くの人が 感心しちゃうんですよね。 人間は、ここまで考えるものなのか。 という驚きの感想が、 昨年の夏の講演のあといただいた、 いちばん多くのメールでした。 考えるということについて、話していて、 ちょうどぼくがそのころ思っていた、 「自分」という視点のことを言い出したら、 ころころころっと、話が転がっていったのでした。
Lesson457 どんな人とつきあいたいですか? 最近、教育現場で、 とっても妙な話を聞いた。 ともだち同士の「つりあい」の話だ。 たとえば、高校生なら 高校生の女の子同士で、 「あの子のともだちが、 私じゃ、つりあいがとれないから、 私は身をひく」 という感じで、自分でつりあいを気にして、 ともだちになれる人と、 高嶺の花とを、ランクわけし、 ふつりあいなら、興味ある相手でも、 近づかないで、身をひくというのだ。 明治時代の結婚の話なら、 「格がちがう」とか、 「どっちが立派すぎる」とか、 「つりあいがとれない」とか、 おかしなケチをつけて身をひくという話も あったのかもしれないが、 これは「平成」の時代の、 しかも「ともだち」に関する話なのだ。 格差社会といわれて久しい。 親の年収が、 子どもの経験の幅に影響する、 そのようなケースさえ、場合によってはあると聞く。 つまり、豊かな家庭
Lesson456 私がそれをやろう 「人をふるいたたせる言葉」とは、 どんな言葉だろう? 限界にぶちあたって打ちひしがれている人を、 元気にしようとして、 あれこれ言ったって、 ちっとも、しみないどころか、 かえって相手を追いつめたり、 不快にしたり、 そういうことがありがちだ。 だけれども、ほんとうにめったにないことだけれど、 一発で、打ちひしがれた人の心に、 息吹をふきこむような、そんな言葉に出くわすことがある。 最近、ある夫婦から学ばされることがあった。 プライバシーに抵触しないよう 改変を加えてお話したい。 過日、私の友人夫婦の、 「奥さん(以下、良美さんと呼ぶ)」が、 ご近所のおばあさんのお世話をしはじめた。 ご近所のおばあさんは、おじいさんと2人暮らしなのだが、 おじいさんが怪我で3ヶ月入院することに なってしまったのだ。 おばあさんは、もともとかなりの高齢で、 病気がちだっ
糸井重里がほぼ日の創刊時から 2011年まで連載していた、 ちょっと長めのコラムです。 「今日のダーリン」とは別に 毎週月曜日に掲載されていました。 使い回しとか、ありあわせ。 2009-08-17 「ありあわせ」とか「使い回し」って、 あんまりいい意味で使われてないけれど、 なんかさ、ものすごく好きだなぁ。 「新しいなにか」が生まれるときって、 「その新しいなにか」の部品や環境が、 すべてそろっているはずがないんだよね。 自動車がはじめて走ったとき、 その車体は、おそらく馬車のものを そうとう流用したと思わない? よく語られるけれど、 ホンダの最初の原動機付き自転車って、 ガソリンタンクが「湯たんぽ」だったっていう話。 伝説なのか、事実なのか知らないけれど、 わざわざどこにもないガソリンタンクをつくるより、 そこにある「湯たんぽ」を有効に利用するほうが、 先に進めるに決まってるもんね。
・歴史の勉強のなかで、なんとなく年号を憶えるじゃない? 仏教伝来だとか、鎌倉幕府の成立だとか、 年号とそのタイトルみたいな数文字が結びつくと、 それでもうなにか知ってるような気になっちゃう。 ま、それにちょっとだけ「あらすじ」みたいなものとかね。 でも、思うわけですよ、大人になると。 鉄砲伝来は1543年(天文12年)だって。 種子島に漂着したポルトガル人が鉄砲を持ってた。 そこから、日本の戦ががらりと変わるんだよな、と。 これだけ知ってると、なんだかぜんぶ知ってる気になる。 テストで出題されるのも、せいぜいカッコのなかに (1543)(種子島)(ポルトガル人)とか記入できたら 点数がもらえると思うんだけどさ。 ちょっと考えたらすっごいことですよ。 だって、それまで鉄砲、なかったんだよ? なにかしら似たようなものがあったのか、なかったのか。 鉄の筒(パイプ)をつくるったって、どうするのさ。
糸井重里がほぼ日の創刊時から 2011年まで連載していた、 ちょっと長めのコラムです。 「今日のダーリン」とは別に 毎週月曜日に掲載されていました。 ほんとに成功する法則。 2009-08-03 お、ひさしぶりだな。 元気だったかい。 そうか、元気で本なんか読んでるのかい。 ビジネス本を中心に読んでるのか、ふーん。 ビジネス本っていうのは、 なんだか要するに「成功」について書いてあるみたいだね。 「成功」した人や会社の例を研究したり、 その「成功」にどういう新しい発見があったかとか、 「成功」するには、おれのようにしなさいとか、 だいたいは、そういうテーマだよ。 いろいろあるけど、「成功」がテーマなんだよな。 でさ、「成功」って、 これまた法則があるんだよな。 いわゆる「成功の法則」というものは、あります。 たしかにあるんだよ。 教えろ? 言われなくても教えるよ。 すぐ教えちゃう。 これさ
まず、吉本隆明さんの姿を 映像に残したい、というところから 山口さんとの打ち合わせがはじまったのですが、 最初はどう考えていらっしゃいましたか。 吉本さんのことは、 一般教養として知っている程度で、 著書をちゃんと読み込んだことは それまであまりありませんでした。 ぼくの大先輩に、 片島紀男さんというディレクターがいて、 その人がいわゆる“吉本ファン”でした。 いっしょにお酒を飲みにいって、酔っぱらっては 吉本さんの詩を朗読したり、 吉本さんといっしょに国会に突入したときのことを 話してくれました。 ですから、ぼくにとって吉本さんは 「尊敬する人の尊敬する人」という 位置づけだったんです。 その片島さんが、 三好十郎さんの特集番組を撮られたとき、 吉本隆明さんに出演してもらっていました。 だけど、片島さんは 「ほんとうは吉本さんで番組を作りたい」と ずっと、おっしゃっていました。 片島さん
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く