【読売新聞】能登半島地震で被害を受けた文化財の復興支援に向け、文化庁が始めたクラウドファンディング(CF)が苦戦している。開始から2か月以上がたっても、寄付額は目標の約1割に低迷。CFは近年、文化財保護の分野でも注目されているが、ケ
能登半島地震で段ボール製の簡易住宅「インスタントハウス」が大活躍している。組み立ては15分、原価は約1万円で、屋根と扉、窓もついた小さな「家」だ。被災地の子供は「体育館におうちができた」と話しているという。インスタントハウスはどうやって生まれたのか。開発した名古屋工業大学の北川啓介教授に、フリーライターの川内イオさんが取材した――。
輪島市門前町にある曹洞宗の「総持寺祖院」は、国の登録有形文化財となっている17の歴史的な建造物すべてに被害が確認されています。 このうち、正面に立つ山門から続く回廊は全体にわたって、基礎部分から大きく倒壊し、原形をとどめていません。 また、歴代の高僧をまつる大祖堂は門が外れ、壊れていました。 国の登録有形文化財のほかにも、僧侶が修行を行う僧堂では瓦が落ちるなど屋根が激しく損傷しているほか、境内では、石畳がめくれ上がったり、灯籠が倒れたりする被害が広い範囲に及んでいます。 寺は、専門家を呼んで被害の状況を詳しく調査したうえで、今後について検討していくとしています。 2007年に発生した能登半島地震でも被災した総持寺祖院は、3年前の2021年に耐震工事や修復を終えたばかりでした。 寺の総務などを担う副監院の高島弘成さんは「14年間、苦労を重ねてようやく形になったというところでまた被害が出てしま
能登半島地震では、最大震度7の激震によって各地の文化財や美術品も多数損傷した。17年前の地震以降に耐震補強をしたはずの文化財の建物まで全壊し、関係者は「復興したばかりだったのに」とショックを隠せない。 【写真】「石川県能登島ガラス美術館」では屋内外の収蔵品の一部が粉々に砕けた ■「誘客」見えた矢先 「あれだけ耐震補強したのに、一瞬で文字通り崩れ落ちた」 元亨(げんこう)元(1321)年の開創で、曹洞宗の大本山だった石川県輪島市の総持寺祖院。国登録有形文化財の33メートルの廊下「禅悦廊(ぜんえつろう)」や、創建当初からあるとされる「白山井戸」が全壊した。仏殿(本堂)の柱1本が外れるなど、他の多数の文化財も損壊した。 祖院は最大震度6強を観測した平成19年の地震でも被災していた。曹洞宗は復興委員会を立ち上げ、約40億円をかけて修復や耐震補強工事を実施し、禅悦廊を含む計20の文化財を耐震化。令和
気象庁の津波観測地点「珠洲市長橋」については、令和6年1月1日16時10分頃から観測データが欠測となっておりますが、地震後に撮影された空中写真によって海底の露出が確認され、観測不可能な状態であることがわかりました。 周辺での代替の観測地点の選定を含め早期の観測再開に向けて作業を進めております。 「令和6年能登半島地震」による影響により、気象庁の津波観測地点「珠洲市長橋」については、令和6年1月1日16時10分頃から観測データが欠測となっております。地震後に国土地理院が撮影した空中写真によって、当該観測地点の一帯で地盤隆起によるとみられる海底の露出が確認され、観測不可能な状態であることがわかりました。 気象庁では、周辺での代替の観測地点の選定を含め早期の観測再開に向けて作業を進めております。 なお、気象庁では、津波のおそれのある大規模な地震の際には、全国に設置している地震計のデータをもとに震
9月11日は「公衆電話の日」。語呂合わせなどではなく、1900年(明治33年)に新橋駅と上野駅の構内に日本初の「自動公衆電話」が設置されたことに由来する。当時は交換手を呼び出し、お金を投入してつないでもらう仕組みだったようだ。 ピークの1984年には日本全国に93万4903台もあった公衆電話だが、携帯電話の普及によって利用者は減少。現在は災害発生時などの緊急連絡手段として、およそ10万9000台を維持している状況だ。しかも2031年度末までに約3万台まで減ることになっている。 公衆電話はNTTの東西地域会社に設置が義務づけられているもので、維持費はユニバーサルサービス交付金などで賄われる。しかし22年の電気通信事業法施行規則の一部改正で公衆電話の設置基準が緩和され、従来の3分の1程度の数で良いことになった。 22年6月にNTT東西がまとめた資料によると、設置基準は2万7000台程度で満たせ
大雨の影響で茨城県日立市の市役所(同市助川町)は8日夜から9日夕まで全ての電源を喪失した。近くの数沢川が氾濫し、地下の電源機器が浸水したのが原因。災害対策本部は近くの市消防本部に移転。9日は証明書などの発行業務を停止し、職員は復旧作業に追われた。 水戸地方気象台によると、同市の9日午前0時までの24時間降水量は269ミリで、観測史上最大を記録した。影響で市役所西側の数沢川が8日夜に氾濫し、庁舎には50センチほどの濁流が押し寄せた。 1階は職員が入り口ドアを閉めて浸水を防いだが、地下1階は駐車場に下りるスロープから濁流が流れ込み、最大で約120センチが浸水。地下の機械室に止水板はなく、受電設備と非常用電源設備ともに水に漬かった。地下に排水機能はあったが、処理が追い付かなかった。 停電の影響で市役所の電話はつながりにくくなり、住民の要望に一部対応できない事態となった。市は9日、応援要請した国土
今回発見された映像には関東大震災で被害を受けたとみられる、御殿場付近と思われる町の様子が写されていた。この場面は新たに確認された映像となる=原版所蔵・山端健志さん、協力・板橋区 1923年9月1日に発生した関東大震災の直後に、被災地を撮影したとみられる映像のフィルムが見つかった。静岡県旧伊東町(現伊東市)を襲った津波の跡も収められ、津波の被害を記録した国内で最も古い映像の一つとみられる。研究者は「関東大震災による津波被害を知り、防災を意識するうえで貴重な映像だ」と指摘する。 【動画】「万死を冒して」撮った被災地 涙のむ観衆 見つかったのは、13分30秒ほどの35ミリフィルム(16コマ/秒再生)。津波で家屋が押し流され、倒壊した様子や、橋の上に乗り上げた船といった被災直後とみられる旧伊東町などの状況が捉えられている。冒頭には「関東大地震 大正十二年九月一日 大阪朝日新聞社撮影」というタイトル
川崎市は二日、二〇一九年の台風で地下収蔵庫が浸水し長期休館中の市市民ミュージアム(中原区)に代わる新たなミュージアムの基本構想案に対するパブリックコメント(意見公募)の結果を、市議会文教委員会で報告した。生田緑地ばら苑(えん)隣接区域(多摩区)とされた開設候補地を巡り、アクセスが不便とする反対意見や「学芸員を市の職員としてほしい」といった趣旨の意見が多く上がった。(竹谷直子) パブコメは今年三〜四月に実施。メールやファクスなどで百十通(意見総数四百五十八件)が寄せられた。市の基本構想案では、新ミュージアムの開設候補地について、市のハザードマップに該当しない場所として、閉園した向ケ丘遊園跡地の市有地(約八千六百平方メートル)とされた。 ただ、JR南武線の宿河原駅や小田急線向ケ丘遊園駅から徒歩で二十分以上かかり、急勾配の坂道があるなど、アクセス面で課題がある。パブコメでは「立地条件が悪いので反
茨城県内の地震リスクは? 専門家「いずれ大地震の宿命」 田淵慎輔(記者),浦林李紗(記者),丸山彩季(記者) 2024年01月18日 (木) 2011年3月11日の東日本大震災。 茨城県内は広い地域で建物の倒壊などの被害が相次ぎました。しかし、県内で今後、起こりうる地震の被害はさらに深刻です。 災害リスク評価の専門家は「茨城県は地震の頻度が高く、いずれ大地震が起こってしまう宿命にある地域だと理解しなくてはいけない。特に地震の激しい揺れに対してきちんと備えることが重要だ」と指摘しています。 あらためて地震の揺れの恐ろしさを知り、被害を防ぐためにできることを考えてみませんか。 茨城県内の将来の地震リスクは? 東日本大震災で、茨城県内では24人が死亡、1人が行方不明、42人が災害関連死に認定されています。 もうあんな経験はしたくない、と誰もが思うところですが、茨城県内で今後予測されている地震のリ
","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"
JR松山駅近くの遺跡で、文献に残る最古の南海トラフの地震よりもさらに100年以上前の西暦500年から550年の間頃に発生したとみられる大地震の痕跡が発見されました。 愛媛県埋蔵文化財センターは、JR松山駅の高架化に伴う道路整備の一環として、駅の近くにある「辻町遺跡」の発掘調査を2年前から行っていて、このほど、大地震が発生した際に生じる「噴砂」と呼ばれる痕跡が見つかりました。 「噴砂」は大地震の際に地中の砂が液状化し地表に吹き出す現象で、通常は震度5強以上の地震で発生すると言われています。 今回、黒い粘土層の上に堆積した砂の層を引き裂くように吹き出した「噴砂」の跡が確認されました。 「噴砂」の跡がみられた層の近くで見つかった土器の年代などから、西暦500年から550年の間頃に大地震が発生したと考えられるということです。 文献として残っている最古の南海トラフの地震「白鳳地震」は、684年に発生
東日本大震災の写真や動画などを収集、公開しているデジタルアーカイブを閉鎖する動きが目立ってきた。運営する自治体や民間団体が、システム更新などに伴う維持管理費の重さを理由に、他の機関にデータを移す例が多い。震災発生から間もなく12年。息の長い記憶の継承を見据え、存続を下支えする技術開発も進んでいる。(報道部・柴崎吉敬) 【表】閉鎖された主な東日本大震災のデジタルアーカイブ ■新たな情報減る 「システム運用上の都合により、次のとおり公開を停止いたします」 青森県の八戸市、おいらせ町など4市町が共同運営する「青森震災アーカイブ」は2021年6月からサイトが閲覧できない状態が続く。岩手県1市2村の「久慈・野田・普代震災アーカイブ」も同年4月に公開を停止。共にサイトを閉じる方向でデータの移行先を調整している。 八戸、久慈両市によるといずれもサーバーなどの更新時期で費用捻出が難しかった。八戸市防災危機
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く