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ブックマーク / www.nikkeibp.co.jp (16)

  • 工業デザイナーの探し方 | 小さな組織の未来学

    前回、工業デザイナーを使うための事前知識として、 デザイナーの実態 をお伝えしました。フリーの工業デザイナーは縁の下の力持ちで、情報発信を行わない上に6000人しかいません。ほとんどが大都市圏に集中していて、地方にはほとんどいません。探すのはなかなか大変です。 デザイナーの紹介は口コミがほとんど 著名な工業デザイナーである喜多俊之氏の著書 「ヒット商品を創る デザインの力」 (日経済新聞出版社)に、シャープ液晶テレビ「アクオス」のデザイン依頼に関する経緯が書いてあります。意外なことに、最初の打診はシャープ資材部にいた喜多氏の高校時代の友人からだったそうです。大企業の威信をかけたデザイン開発の現場ですら、デザイン依頼は口コミからはじまったとのこと。実を言うと筆者の場合も、企業規模を問わずにデザイン依頼はほとんど口コミです。 口コミに頼るのは、「デザインはわからない」という企業側の心のバリア

    工業デザイナーの探し方 | 小さな組織の未来学
  • 馬場マコトVS奥村靫正『朱の記憶 亀倉雄策伝』発刊記念イベント

    この度、『朱の記憶 亀倉雄策伝』(日経BP社)の発刊を記念して、 著者馬場マコトさんのセミナー及びアートディレクター奥村靫正さんとのトークショーを開催いたします。 稀代の表現者、亀倉雄策の生涯を振り返りながら、 デザインとは何か、五輪エンブレム問題の質とは何かを明らかにしていきます。ふるってご参加ください。 詳細情報 2016年1月29日(金)19時開演・18時30分開場 場所:東京堂書店 神田神保町店6階 東京堂ホール 参加費800円(要予約・ドリンク付き) ※会場にて書籍購入の方はサイン会に参加いただけます。 第1部セミナー:19時~19時45分 昭和史をデザインした稀代の表現者、亀倉雄策とは 戦前のプロパガンダ、東京五輪、大阪万博、NTT民営化、リクルート事件・・・。重大局面において、常に日を鼓舞し続けた稀代の表現者、亀倉雄策。その生涯と仕事から、昭和史の裏側をあぶり

    馬場マコトVS奥村靫正『朱の記憶 亀倉雄策伝』発刊記念イベント
  • 「わたしのマニフェスト」を一挙公開 | 時評コラム | nikkei BPnet 〈日経BPネット〉

    株式会社 日経BP 〒105-8308 東京都港区虎ノ門4丁目3番12号 →GoogleMapでみる <最寄り駅> 東京メトロ日比谷線「神谷町駅」4b出口より徒歩5分 東京メトロ南北線 「六木一丁目駅」泉ガーデン出口より徒歩7分

    「わたしのマニフェスト」を一挙公開 | 時評コラム | nikkei BPnet 〈日経BPネット〉
    sig
    sig 2010/05/12
  • 日経BP

    株式会社 日経BP 〒105-8308 東京都港区虎ノ門4丁目3番12号 →GoogleMapでみる <最寄り駅> 東京メトロ日比谷線「神谷町駅」4b出口より徒歩5分 東京メトロ南北線 「六木一丁目駅」泉ガーデン出口より徒歩7分

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  • 日経BP

    株式会社 日経BP 〒105-8308 東京都港区虎ノ門4丁目3番12号 →GoogleMapでみる <最寄り駅> 東京メトロ日比谷線「神谷町駅」4b出口より徒歩5分 東京メトロ南北線 「六木一丁目駅」泉ガーデン出口より徒歩7分

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    株式会社 日経BP 〒105-8308 東京都港区虎ノ門4丁目3番12号 →GoogleMapでみる <最寄り駅> 東京メトロ日比谷線「神谷町駅」4b出口より徒歩5分 東京メトロ南北線 「六木一丁目駅」泉ガーデン出口より徒歩7分

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    sig 2009/12/10
  • 日経BP

    株式会社 日経BP 〒105-8308 東京都港区虎ノ門4丁目3番12号 →GoogleMapでみる <最寄り駅> 東京メトロ日比谷線「神谷町駅」4b出口より徒歩5分 東京メトロ南北線 「六木一丁目駅」泉ガーデン出口より徒歩7分

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    sig
    sig 2009/10/09
  • 日経BP

    株式会社 日経BP 〒105-8308 東京都港区虎ノ門4丁目3番12号 →GoogleMapでみる <最寄り駅> 東京メトロ日比谷線「神谷町駅」4b出口より徒歩5分 東京メトロ南北線 「六木一丁目駅」泉ガーデン出口より徒歩7分

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  • 元少年ジャンプ編集長 堀江 信彦に聞く(後編) - L-Cruise - 日経トレンディネット

    (インタビュー・文=山村 基毅 写真=須藤 夕子) <前編はこちら> マンガ「北斗の拳」は、もともとの種子は堀江信彦が生み出した。原哲夫、武論尊の手を経て、大輪の花となったのである。 「こんなものをやりたいな、と漠然と考えていたんです。それで原哲夫さんと何度も話し合いましてね。設定や人物のキャラクターなどを作っていき、それから武論尊さんに委ねました。と言っても、こちらは担当編集者ですから、毎週毎週、アイデアは出していきましたよ」 どうも、私たちの思い描くマンガ編集者のイメージといえば、作家のもとを訪れてはしつこく原稿を催促する姿とか、夜の街を作家と飲み歩く姿などだが……。 「そのイメージが間違っている(笑)。もともとマンガ編集者って、かなり作家性を要求されものなんです。原稿取りや酒の付き合いだけするのは二流編集者。マンガ家にコンセプトや原案などを提案できる、ドラマについての善し悪

  • 元少年ジャンプ編集長 堀江 信彦に聞く(前編) - L-Cruise - 日経トレンディネット

    (インタビュー・文=山村 基毅 写真=須藤 夕子) <プロフィール> 1983年の連載開始以後、「お前はもう死んでいる」といった名セリフで知られ、後には社会現象にまでなったマンガ「北斗の拳」(原作・武論尊/作画・原哲夫)。 実はこの作品、原型は担当編集者でもあった堀江信彦が創り出したのである。テーマやキャラクターの大枠を造形し、連載中もマンガ家、原作者と協議しながら作品を作り上げていった。その意味で、堀江は「第三の作者」と言えるかもしれない。 堀江は当時の人気の原因をこう振り返る。 「当時、ノストラダムスのブームなどがあり、どうも世紀末は危ないぞという雰囲気があったんです。さらに、バブル前夜でしたから、人の心は荒んでいった。そんな中、人間らしい生き方とはどういうものなのか、悩む人も多かったのでしょう。だから、荒野の中で愛を叫ぶ主人公に人気が集まったんだと思いますよ」 堀江はこの

  • スタイリッシュなフルフラットケータイ 913SH - L-Cruise - 日経トレンディネット

  • 新丸ビル誕生〜丸の内ハウスに注目 - ビジネススタイル - nikkei BPnet

    新丸ビル誕生〜丸の内ハウスに注目〜店と店の垣根を取り去る (文・写真=畠中 茂) 4月27日、東京・丸の内に新しいランドマーク「新丸の内ビルディング」通称「新丸ビル」が開業した。三菱地所が“世界で最もインタラクションが活発な街”を目指してハード・ソフト両面から進める“丸ノ内再構築”の一環だ。“お兄さん”的存在の「丸ビル」を凌駕するかもしれない「新丸ビル」の魅力を分析した。 アンティークでクラシカル、嫌味のない“ゆとり”が和みを生む 丸の内は、東京の表玄関でありながら、これまで単なるビジネス街でしかなかった。それが今、大きく変わりつつある。そのてこになっているのが、2002年の「丸ビル」建て替えを皮切りに始まった “丸の内再構築”プロジェクトだ。「三菱UFJ信託銀行店ビル」(2004年)、「丸の内オアゾ(OAZO)」(2004年)、「東京ビル(TOKIA)」(2005年)と相次いで

  • http://www.nikkeibp.co.jp/news/flash/507863.html

  • コクヨ創業100周年記念の文房具、布貼り表紙 2625円ノートなど - ニュース - nikkei BPnet

    コクヨグループのコクヨS&Tは3月29日、コクヨの創業100周年を記念して、ブックデザイナー、ネイリストといったアーティストとのコラボレーション文房具を限定発売すると発表した。「ノート」「ボールペン/カードケース」「PC用バラエティセット」を用意。4月10日より順次販売を開始する。 ノートは、書籍の装丁などを手がけるブックデザイナー松田行正氏とのコラボレーション商品。柄は「虹」「宇宙」の2種類。布貼りの表紙を採用し、外観の美しさを高めたほか、ページを開いたときに楽しさを感じられるデザインに仕上げたという。またコクヨの無線綴じ製技術や、独自の原紙などを使い、筆記性能も高めた。 ボールペン/カードケースは、若い女性に人気の高いネイリスト黒崎えり子氏のデザイン。いずれもアルミ製の体にスワロフスキー・クリスタルをあしらい、宝飾品のような華やかさを持たせたという。カードケースには「KOKUYO

  • 現代人にとって、腕時計はやっぱり必需品? - トレンド - nikkei BPnet

    sig
    sig 2006/04/26
  • ジャパネットたかた 社長 高田 明 - ビジネススタイル - nikkei BPnet

    ジャパネットたかた社長 高田 明 “売る”という職人芸を社員と顧客に捧げる ジャパネットたかた社長 高田 明。通販番組に自ら登場し、年商700億円を稼ぎ出す。だが、成り上がりの欲望は微塵も感じさせない。 誰をも惹き付ける熱のこもった語り口上は社員、そして顧客の明日のために捧げられる。 2004年の春、ジャパネットたかたは企業の根幹を揺るがされるような大事件に遭遇した。約51万人分もの顧客情報が流出し、名簿業者に売られていたのである。同社はこの事件で50日間にわたってテレビ・ラジオの通販番組を自粛し、その影響は約150億円もの減収につながった。 事件が発覚した時、社長、高田明ので同社の副社長も務める恵子は、激しく動揺した。 「一体、誰がこんなことしたの?」——。 だが、高田は言葉少なに、「これからどうするかを考えるのが先決だ」と語るだけだった。 3カ月後、同社の元社員2人が

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