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liyehukuに関するsphynxのブックマーク (55)

  • 今後について | 蜜蜂を弄ぶ

  • You shall face the music | 蜜蜂を弄ぶ

    選択肢があるということ。 ある選択肢を選び、他を選ばなかったということ。 これを選べば守られるもの。諦めなければならないもの。 あれを選べば守られるはずだったもの。失うかもしれないもの。 夫と あんな選択肢やこんな選択肢について話をしながら、どちらからともなく、 「でもそれって幸せなんだろうか?」 と言った。 自分が幸せについて語る日がくるとは思っていなかった。 私には幸せが何かわからない。(それは今も変わらない。) でも、今の生活を続ける選択をし、その他の将来の選択肢について「それって幸せなんだろうか?」と思ったということは、私は今幸せなのだ。 私には幸せが何かわからないのに、でもどこかでそれを知っている。 私は家族であることをを選びたい。 その上で、私たちはどこに住もうとそこで地に足を付けて生きていくしかない。 そこがどこであろうとそこが私たちの居場所なのだから。 そこがどこであろうと

    You shall face the music | 蜜蜂を弄ぶ
  • 信仰と個人主義はどのように共存するのか | 蜜蜂を弄ぶ

    仮にHeavenの存在を信じるとして、信じるとしたら必ずその人の中に「天国で自分がどのように存在するか」というイメージがあると思う。 昨日も述べたように、エルパソに住んでいた時、たまたまバプテストの原理主義的な人のそれに触れる機会があった。彼女の言葉から彼女の中に在るであろうそれを組み立てると、「え、それって他の大勢の人と共有できるものなの?」とちょっとぎょっとするようなものだった。同じ教会に通っている人の間でもそのイメージってばらばらなんだろうな、と考えざるを得ないようなイメージだった。 同じ教会の中ですらそうなのだから、バプテストという大きな括りの中にはもっといろいろな考えやイメージを持つ人がいるはずだ。バプテスト教会といっても立場は様々で、原理主義的な我らが講師は「バプテストにもとんでもない教会がいっぱいある」と憤慨していた。それよりもっと括りの大きい「アメリカン・プロテスタント」と

    信仰と個人主義はどのように共存するのか | 蜜蜂を弄ぶ
  • 子どもの時代 | 蜜蜂を弄ぶ

    娘がおもちゃのコンパクトを私のところに持ってきて言った。 「これをみるとね、ねこになっちゃうんだよ」 「そうかあ。お母さんになっちゃうねー」 「おとなはならないの。こどもとあかちゃんだけなるんだよ」 「何歳くらいからにならなくなるの?」 娘はしばらく考え込んでから、 「7さいから。7さいになったらねこにならなくなるの」 娘は来年小学校にあがる。

    子どもの時代 | 蜜蜂を弄ぶ
  • 天国と「私」 | 蜜蜂を弄ぶ

    エルパソのバプテスト教会で行なわれていた女性向けのバイブルスタディで、「私たちは天国でどのように存在するか」という話になったことがある。講師は、「(人間を構成するbody、soul、spiritという3要素のうち)spiritだけになり、そのspiritは浄化されるのです」と説明した。 私は彼女の言葉に従った天国の光景を想像して、慄然とした。 天国で浄化される時、人間のmindはどうなるのだろう? 削ぎ落とされちゃうんじゃない? mindがなくなれば自我(「私はこういう私である」という認識)もなくなるはずだ。 ということは、天国に存在するspiritたちの存在のあり方は、「我と彼の区別がなくなり、渾然一体となっている(ひいてはHoly Spiritと同化)」ということになる。 私にとっては、「自分の抱えているやっかいな自我がなくなること」はある意味救いともいえる。 しかしそれは、救いであり

    天国と「私」 | 蜜蜂を弄ぶ
  • 母性の綱引き(カオナシの物語) | 蜜蜂を弄ぶ

    私の父や母に会った友人たちは口々に言う。 「○○ちゃん(私のこと)のお父さんってほんまにええなあ。あの人を嫌いな人おらんやろ」 「あんたんとこさ、お父さんもお母さんも素朴で、いかにも田舎のいい人たちって感じがするのに、何であんたみたいなめんどくさい子が育ったんかいな」 「めんどくさい」というのは、私が以下のようなことを日常的に考えているからである。 10年以上前のことになる。 父が仕事関係の知人に、私について、 「あの子はいつでも中立だった。一度くらいわしの味方についてほしかった」 と漏らしていたらしい。 私は「何を虫のいいことを」と思った。 殴ったら終わりだろう。 ただし、私は母が父に与える暴力も、それは肉体的なものではないが、同等のものだと思っていた。 だからこその中立だったのだよ、それ以上私に何を望むのかこの人は、と思った。 私には父が私に望むものの正体がわからない。 父は私に手を上

    母性の綱引き(カオナシの物語) | 蜜蜂を弄ぶ
  • 韓国滞在記(2011年5月3日~5月8日) | 蜜蜂を弄ぶ

    5月3日(火) ソウルの街に存在するキリスト教教会の多さはアメリカ並みである。つまり、とても多い。 5月4日(水) 午前11時ごろにホテルを出ると遠くでパトカーのサイレンが鳴った。数十秒続いて止む。 ホテルから歩いて10分くらいのところにある地下鉄の駅に向かうと、途中の大きな交差点で白バイの警官が全車両を止めているのが見えた。歩道はがらがらで、歩道脇の店の軒下にまばらに人がいるくらい。みんな手持ち無沙汰な様子で何かを待っている。脇道の角には制服っぽい黄色のジャケットを着た人が立って何かを見張っているらしかった。 20~30分くらい経っただろうか。再びサイレンが鳴ると、車が一斉に動き出し、歩道はあっという間に人で溢れた。黄色いジャケットの人たちはいそいそとジャケットを脱いで所定の場所に戻して仕事に戻っていく。歩道の脇に並ぶ店の人たちらしい。 狐につままれたような気分だ。 韓国在住の友人に聞い

    韓国滞在記(2011年5月3日~5月8日) | 蜜蜂を弄ぶ
  • 希望と影、または月のような何か | 蜜蜂を弄ぶ

    誰かに激しい怒りや憎しみを感じる時、私は自分の過去に復讐されているのだと思う。 一昨日、「母に電話をかける」という、私にとっては非常に高い心理的障壁のある行為をやりとげた。それであらためて認識したのは、自分がひどく両親を憎んでおり、これからもそれは続くだろう、ということだった。 私は凡人で、世間に突出するような何か(才能とか)を持っていないが、父母に対する憎しみだけは私に特有な何かなのかもしれない。 私の人生は結局、「父と母を許せるかどうか」にかかっているのだろう。問題は私が何でそんなに怒っているのかわからないということである。 原因は、親との諍いや親が自分に対してしたこと、あるいは逆にしてくれなかったことといったようなことの中にはない。 3.11の後、関東地域で予想される混乱を避けて広島の実家に逃げ帰った時、私は福島の原発事故に対する不安から、子どもたちを連れて実家の近くにアパートを借り

    希望と影、または月のような何か | 蜜蜂を弄ぶ
  • 私の問題は | 蜜蜂を弄ぶ

    臨月間近の友人に「子育てって楽しい?」と聞かれて、「楽しくは、ないねえ」と答えてしまう自分には、やはり人間としてどこか問題があると思うのだ。 彼女にとって初めての子供である。 「いや、『子育て楽しい!』って人はたくさんいるよ」 「でも、私には楽しいもんではないなあ。子育てってね、子供を育ててるようで、実は自分自身を育ててるようなもんなのね」 「というのは、子供を育ててるとそれまで自分の中で見えてなかった部分がどんどん出てくるのよ。でもねえ、自分の人生30年、40年の間に見えてなかった部分ってさ、結局、自分が見たくない部分であることが多いの。そんなもん常に突き付けられるって、結構しんどいよね」 「だから、『楽しい』とは言えないかもしれない」 言葉を選び選び、ようやく私は言い、慌てて「でもやりがいはあるよ。それはものすごくある」と付け加えた。 友人も慌てて私を慰めるように、「いや、でも●●ちゃ

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  • 私たちは大人になった。そしてそれから | 蜜蜂を弄ぶ

    韓国で10年ぶりに協力隊時代の同期と再会。 私たちが去る前夜、私たちが泊まっているホテルの部屋まで遊びに来てくれた。 ビールを飲みながら彼女がしみじみと言う。 「いやあ、私たち、バングラデシュなんかよく行ったと思うわ。ね、そう思わん?」 私と夫は彼女と比べると生活の不便に対する耐性が少し高い。私たちはそれぞれ「うーん、そうだねえ」といった感じの曖昧な相槌を打った。 その実、彼女はあの後何度かバングラデシュに行っている。 彼女はダッカで知り合ったフランス人男性と結婚した。2人が付き合い始めた頃、彼はNGO事業をやっている母親の仕事の関係で現地に住んでいる人だと誰かから聞いたことがある。息子がバングラデシュを離れた後も、義母はそこで仕事を続けていた。結婚してから夫婦でおかあさんに会いに行ったのだ。 私たちはあの後、一度もバングラデシュに行っていない。 「でもね、行って良かったと思う」 と彼女が

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  • 金持ちの規模 | 蜜蜂を弄ぶ

    しばらく熱で臥せっているとどんどんどんどん家の中が荒れてくる。 ボーっとした頭で「ああ、こんな時にお手伝いさんとか使用人がいればいいのに」なんてことを考える。 ああ、バングラデシュなら安く人が雇えるのに。 と思いつつ、あの国で自分と家族が安全でいられる生活を確保するには一体どのレベルの金持ちだったらいいんだろう、と考えた。 治安の悪い国(あるいはあまり良くない国)で一番狙われやすいのは、「小金持ち」「中くらいの金持ち」である。 ある日いきなり脅迫状が来る。「この期限までに要求額を払わないと殺すぞ」とか「要求額を払わないと家族を誘拐するぞ」といった文面である。単なる脅しではないので言われた方は諾々と金を払うしかない。目をつけられたら終わりなのだ。(ただし要求額を交渉で値切ることは可能。) そういった事態を回避するために警察などの関係機関(の偉い人)に日頃から賄賂を渡しておくという手がある。こ

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  • 千切れたコード | 蜜蜂を弄ぶ

    911でショックだったのは崩れ落ちるビルの映像ではなく、それを見て歓声をあげ手を叩く人々の姿だった。その人々は私の友人たちであった。あの時を境に私の中で何かが変わった。 でも私はあの時からどれほど前に進めただろう?今だに自分があの場所で茫然と佇んでいるような気がする 言葉にしてみれば珍しいものでもなんでもない。読んだ人にしてみれば「ふうん、それで?」ってなもんだろう。 「伝えられない伝わらない誰も聞きたがらない」ということにはもう慣れたけど、今でも時々「何かを伝えた方がいいのではないか」と思う。多分これからもそんな風に思うのだろう。でもその「何か」とは結局、経験のコアの部分-言語化できない部分-で共有されえないもののような気がする。 例えば、あの時あの場所には夫(お互い、まさか自分たちが将来結婚するとは思っていなかった頃だ)も私と一緒におり、その場には私とほぼ同じ立場で存在していたはずだ。

    千切れたコード | 蜜蜂を弄ぶ
  • リスクを負うこと、あるいは自分に必要な物語について | 蜜蜂を弄ぶ

    自分に何もやましいところのない人(傍目にそうでなくても自分ではそう思っている人を含む)が「差別はいけない!」と言ったところで、それは確かに正しいかもしれないけれど何の役にも立たない。 そして私にはやましいところがある。 福島で原発事故が起きた直後、周辺住民がテレビのインタビューに答えて「差別が怖い」と言った時、私は「まさかそんなことがあるわけない」と思った。 広島や長崎に原爆が落とされた時、被曝者(あるいはその可能性がある人)に対して差別があったとは聞いていた。そしてそれは嘘や誇張ではなく確かに当のことだろうと思っていた。 でもあれから時はたったのだ。そんなことはもう起こらない。 「被曝者に対する差別」は今の時代において都市伝説のようなものだと感じていた。 でもいざそういう状況になってみたらそれは現実になった。まるで決まりきったことのように。 差別って強いものが弱いものに行使する暴力じゃ

  • 大根おろしでできている | 蜜蜂を弄ぶ

    夫は来週からまた海外に出る。 行き先はメキシコとアルゼンチン。特にメキシコでは軍とマフィアの衝突が続いているような地域での仕事になるので心配はしているのだが、今回はどうも羨ましいという気持ちが先に立ってしまう。 一つには今この状況の日を外から見てみたいという好奇心があるが、それより何より疲れているからに違いない。自分を取り巻くいろいろなことから逃げ出したいのだ。 数日前、母から手紙が届いた。10枚はありそうなその分厚い手紙を私はまだ読んでいない。1枚目に謝罪の言葉らしきものが連ねてあったのだけは見た。 どんな言葉も今の私には刺激が強すぎる。許すとか許さないとか、あるいは許されるとか許されないということではなくて、私はただただ疲れている。 「修羅場をくぐると人は成長するって言うけど、その代償として、寿命が縮む」と言った人がいる。至言である。 ここのところのあれやこれやで私の寿命はぐっと縮ん

    大根おろしでできている | 蜜蜂を弄ぶ
  • こぼれ落ちる人 | 蜜蜂を弄ぶ

    「誰にでもねえ、人生のうち3回くらいモテる時期があるのよ」 という説(というか気休め)は「モテる人」にしか適用できないということを心得るべし。 いや、正確にいえば、世の中には「モテる/モテない」という議論からこぼれ落ちる人もおり、その人にはその説が当てはまらない、ということである。 私は「こぼれ落ちる人」である。 (以下、確か前にも書いた話で恐縮です。友よ、決して根に持っているわけではないのだよ。いや、ほんとうに根に持っているわけではない。断じて。) まだエルパソに住んでいた時、友人が日から遊びに来た。(大学卒業後に就職した会社の同期だった。) 「アンタ、当に協力隊行ってよかったよねえ」と彼女。 「?」 「いやあのね、ウチの同期の中でね、そうじゃなくても会社の人でね、アンタと付き合ったり結婚したりする人って想像つかないもん。いや大学の時がどうだったか私は知らないけどさ」 ちなみにその会

    こぼれ落ちる人 | 蜜蜂を弄ぶ
  • 4/12/2011: 今日もよく揺れますね | 蜜蜂を弄ぶ

    我が家の地震計。

    4/12/2011: 今日もよく揺れますね | 蜜蜂を弄ぶ
  • 4/11/2011: そのくらいの不幸 | 蜜蜂を弄ぶ

    しつこくって申し訳ない。 母からの手紙には「お前を産まなければよかった」と書いてあった。 そのことを夫に話すと彼は悲しそうに「お母さん物凄く辛いんだね」とだけ言った。 40に手が届こうかという歳になっているとそんな言葉にも動じないものである。 母がそれを書いた時の気持ちを思えばもっとショックを受けたり凹んだりするべきだったのかもしれない。 もちろん、それはとても悲しい言葉だった。 それでもやはり彼女の気持ちは理解できる。そのことについて私の方で彼女に対して後ろめたさを感じているからということもある。 「後ろめたさ」というのは、一つには私が自分でも彼女をないがしろにして傷つけているとわかっているからだ。 もう一つはこういうことである。 できるかぎり正直に言おう。 母が苦しむ様を目の当たりにし、その苦しみを投げつけられて私自身が被る痛みに耐えかねて「いっそのこと死んでくれたらいいのに」と思うこ

    4/11/2011: そのくらいの不幸 | 蜜蜂を弄ぶ
  • 4/8/2011: 藁の役割 | 蜜蜂を弄ぶ

    頑張れとか復興とかって、多分、今言うことじゃない。(*1) やっぱり母のことと関連付けて考えてしまう。今の私の状況だとどうしようもないことなのかもしれない。 さっきもテレビNHK)で「ボランティアがまだまだ足りない」という話をしていて、これからもどんどん募集され、応募する人もたくさん出てくるだろう。 そこに水を差すようなことは言いたくないのだけど、でもやっぱりこれだけは忘れちゃいけないんじゃないかと思うことが一つある。 必要とされるということと感謝されるということは分けて考えるべきだ。 どういうきっかけでボランティアを行うのであれ、与えられた作業をできるだけ淡々とこなすのがいい。 もちろん、「私は見返り(感謝も含めて)など期待しない」と思って参加する人が多いのだろうけれど、場合によっては感謝されないどころか怒りをぶつけられるかもしれない。援助を受ける人が必要そしているのは実は何よりも罵倒

    4/8/2011: 藁の役割 | 蜜蜂を弄ぶ
  • 3/14/2011: 計画停電 | 蜜蜂を弄ぶ

    元協力隊員たる者、停電ぐらいでオタオタしていてはイケナイ!! とはいえ、夫がいつ帰宅するかまただんだんと怪しくなってきて、それはイタイ。(出張の目的が現在日の経済活動が滞っていることで果たされていないから。また、帰国しても電車が動いていないので家までたどり着けるかどうかおぼつかないから。) まあそれでも、明日実家から携帯ラジオが届けばほっと一息つけるはず。(売り切れていたので買って送ってくれるよう頼んだ。)現時点で警報を知るのにテレビしか手段がないのだが、テレビだと必ず映像がついているので張り詰めた緊張感を解くことができない。 「こういう映像ばかり子どもに見せるのはよくないなあ」と思っていたら、当の私が泣いてしまい、5歳と2歳に慰められる始末。(「おかあさん、なかないでー」「ほら、あのひとたちつよそうだよ。あのひとたちがたすけてくれるからだいじょうぶだよ」という5歳と「ないてう、ないてう

    3/14/2011: 計画停電 | 蜜蜂を弄ぶ
  • 3/7/2011: 救急車は119番 | 蜜蜂を弄ぶ

    子どもは寝ている時が一番かわいい。 もう少し調子がいい時ならそういう自分に対して「何てひどい母親!」と思ったりするのだが、いかんせん今は調子が悪すぎて、寝てる間だけでもかわいいと思えるだけマシな状態である。ほとんど育児ノイローゼみたいになっている。 こういうことを書くと心配してくださる方がいるので、いや、大丈夫です、ということだけは伝えておきたい。(ここにこうして書けるようになったのも少し回復したからなのです。心配しないでください。メールなどもご不要です。どうもありがとう。) 今はどうか知らないけれど、まだ(病気としての)が今ほど世の中にきちんと認識されていなかった頃、 「欝は心の風邪です」 という「ごく普通の病気だから臆することなく専門家に相談してください」ということを伝えるためのフレーズがよく使われていた。 私はその「心の風邪」をひきやすいタイプで、長年そういう自分と付き合うちに対

    3/7/2011: 救急車は119番 | 蜜蜂を弄ぶ