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野球に関するtakeshi1479のブックマーク (2)

  • どうして野村克也の現役時代を語る人が少ないのか?(豊浦彰太郎) - エキスパート - Yahoo!ニュース

    逝去した野村克也は名選手であり、名監督であり、名解説者だった。しかし、選手としての部分はあまり話題にならなかった。その全盛期は遠い昔になってしまったこと以外にも理由がありそうだ。野村克也が死んだ。突然の訃報に驚いたが、愛サッチーさんが逝ってから急激に老いたので、ある意味では来るべき日が来たか、という感もある。 野球人としての彼には語るべき部分がたくさんある。戦後初の三冠王獲得や史上2位の出場試合数(3017)、安打数(2901)、塁打(657)、打点(1988)を誇る選手としての栄光、現役兼任、3度の日一などの監督としてのキャリア、そして「ノムラスコープ」で知られた解説者としての部分だ。 彼のプロ野球人生はなにせ昭和29年に始まっているし、死の寸前まで野球人であったと思う。だから彼を追悼するに当たっては色々な切り口が可能だ。みんなそれぞれが、自分が生きてきた時代での野村克也がある。

    どうして野村克也の現役時代を語る人が少ないのか?(豊浦彰太郎) - エキスパート - Yahoo!ニュース
    takeshi1479
    takeshi1479 2020/02/12
    そうだよね、今じゃ想像できないくらいパ・リーグは露出が少なかったものね。
  • プロ野球 野村克也さん死去 84歳 戦後初の三冠王 | NHKニュース

    プロ野球で戦後初の三冠王に輝いた名キャッチャーで、監督としても日一に3回輝いた野村克也さんが11日、虚血性心不全のため亡くなりました。84歳でした。 野村さんは京都府出身、昭和29年に峰山高校からテスト生でソフトバンクの前身、南海に入団しました。昭和36年から8年連続でホームラン王を獲得し、昭和40年には戦後初の三冠王に輝きました。 「打ってよし守ってよし」の球史に残る名キャッチャーとなり、選手兼任監督としても8年間チームを率いて昭和48年にはリーグ優勝を果たしました。 その後、ロッテと西武でプレーし、昭和55年に45歳で現役を引退しました。 通算3017試合出場は、平成27年に中日で選手兼任監督だった谷繁元信さんが更新するまで長年にわたってプロ野球記録でした。 また通算2901安打、ホームラン657、1988打点はいずれも歴代2位で、平成元年に野球殿堂入りしています。 翌年の平成2年

    プロ野球 野村克也さん死去 84歳 戦後初の三冠王 | NHKニュース
    takeshi1479
    takeshi1479 2020/02/11
    俺、野村監督以前のヤクルトからずっとファンで、野村克也監督の時代はヤクルトファンとしてどう控えめに言っても最高でした。R.I.P.
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