捜査関係者によると、新型コロナウイルス感染が判明した後に「ウイルスをまく」と話して外食した愛知県蒲郡市の男性(57)が18日、入院先の医療機関で死亡した。
捜査関係者によると、新型コロナウイルス感染が判明した後に「ウイルスをまく」と話して外食した愛知県蒲郡市の男性(57)が18日、入院先の医療機関で死亡した。
(四半世紀前の思い出。間違い、勘違いがいくつかあります。修正しようと努力しましたが、次第につじつま合わせに必死になり、書き上げた時の情熱を自ら消してしまいかねないと気づきました。なので10年以上も迷って、やっとついに書き上げることができたままの文を残しておきます。) 大学生時代、塾講師のバイトをしていた。理由は金。岩手県で「現役東北大学生が勉強を教えます」とぶん回せば仕事がたくさん来た。家庭教師もしていたが、すぐに塾一本に絞った。希少性を高めるため、不便なところを狙った。動機は金。岩手の実家から高速バスで1時間半揺られ、山奥の町の中にあるたったひとつの塾に週3回通った。当時の岩手はのんきなもので、高校進学の選択肢もそんなに多くはなかった。進学校に行くか、そうではない高校に行くか、それぐらい。それでも我が子のよりよい将来を願って、子供を塾に通わせる親が増えてきていた。 両親の願いを背負って送
タイトルのままなのだけど、一人でいると突然過去生きてきた中での嫌な思い出がよみがえってきてしまい、 そのたびにひとりで 「ごめんなさいごめんなさい」とか「あー死ねばいいのに」とか「大丈夫大丈夫」とか「ダメだダメだ」とか独り言で大きな声が出てしまう。 風呂に入っているときが一番顕著なのだけど、一人でいるときに一日数回発症する。 例えば通勤時に道を歩いているときとか。 こういうときは声を出してしまうと変な目で見られるので、なるべく声が出そうになったら咳払いでごまかしている。 ごまかせないときも多い。 こういう症状だとチック症や汚言症が一番疑われるのだけど、 嫌な思い出に起因することが症状に当てはまらず、なんか納得できる他の病も見当たらないので、医者に行く気にもならない。 ずっと昔からこの症状があったと思っていたのだけど、よく考えたら10年ほど前であればこんな症状はなかった。社会人になってからだ
壊れてたというか多分正常に戻ったんだけど 私の母は義母とエリートの夫にいびられプレッシャーをかけられて精神を病んだタイプの女の人で、ストレスから自分を守るため子である私をガス抜きに使って生きてきた。(交際の禁止、偏差値は65程度はゴミで罰則、習ってない範囲の問題が解けないと殴打、父方の家に沿わない夢を抱く事の禁止など) まあ恥ずかしながら私は母親に殺されたくなかったし、愛されたかったし、死んでほしくもなかったので(彼女は私の不出来を理由とした狂言自殺を頻繁にやった)必死に彼女に尽くしていたのだけど特に叶う事もなく、なので私は「ああ私の存在は無意味だな」と思いながら生きてきた。 だというのに、彼女を抑圧していた二人が立て続けに亡くなった途端、母はとても優しくなり、私の知っている苛烈な性格は突然鳴りをひそめてしまった。 急に別人のようになった母親が理解できずいろいろと調べた所、 私が何をしても
自国開催だった1998年長野五輪での金メダルで日本中に衝撃を与え、2002年ソルトレークシティ五輪でも銅メダルを獲得。冬季五輪2大会連続メダリストとして一世を風靡したのが、女子モーグルの里谷多英さん(43)だ。2013年まで現役を続け、5度の五輪に挑んだ彼女だが、数々の栄光の傍らで、プライベートの話題がスキャンダラスに報じられるなどの紆余曲折も味わった。しかし、今は頂点を追い求めた競技者としての鋭い目線も、メディアを賑わせた奔放さもない。「スキーをするのは年に1回くらいかな。特別に体を鍛えたりもしていません」。あっけらかんと言う彼女は「金メダリスト」という鎧を脱ぎ捨て、長野五輪直後に入社したフジテレビでイベント運営の仕事に携わりながら、伸び伸びと自然体の人生を送っている。 重圧ではなくパワーになった自国開催の五輪――自国開催の東京五輪が来夏に迫っています。その空気を1998年の長野で体験し
現職として「世界最年少首相」が誕生 2019年12月10日、フィンランドで34歳の女性首相が誕生した。 新首相のサンナ・マリンは、現職として世界最年少の首相である。 マリンは、5つの政党から成る連立内閣の第一党、社会民主党の党首でもある。5つの政党(社会民主党、左翼同盟、中央党、緑の党、スウェーデン人民党)の党首は全員女性で、年齢は32歳と34歳が2人、55歳が1人(註 スウェーデン人民党は、スウェーデン語を母語とする少数派フィンランド人の党)。この内閣を形成するのは、女性12人、男性7人の大臣である。 若い女性の首相であることに加えて異色なのは、マリンが、母とその同性パートナーのレインボーファミリーで育ったことだ。7色のレインボーは、LGBT(レスビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスセクシュアル)のシンボルカラー。フィンランドでは、LGBTの家族、特にレスビアンとゲイの家族は、レイン
こんばんは。医療の現場で働いてる増田だよ。あなたの家族に英一郎氏みたいなのがいたとして、助かるには家族全員で患者を見捨てて逃げるか、家族がそれを許さないなら自分一人で逃げ出すしかない。 病院の事務方(夜勤)をやってると、徐々に限界を迎える精神疾患者とその家族を目にする機会が沢山ある。十年で二十組くらいは見たかな。大体は冬か梅雨にアイツらは活発になる。日照時間が短いとやっぱダメなんだろうね。大暴れして家を飛び出して何故か僕の職場に来る。僕は掃除用のモップとか放射線科に置いてある三角コーンとかを駆使して無力化を試みる。まあ大体はブン殴られて滅茶苦茶になるんだけど。無力化できたら僕が警察を呼ぶし、出来なくても殺すつもりでしがみついて時間を稼ぐと、その間に看護師とかドクターが警察を呼んでくれる。 暴力を振るってた場合は警察がすぐに患者を拘束してくれる。大声程度だとそうもいかないらしく、警察がどんど
38歳のオッサンになって、生きることが楽になった。禿げてきても「まあボチボチ40だしね、仕方ないか」とそれほど悲しくなかった。息切れも性欲の減退も揚げ物があまり食べられなくなったことも全く同じように、年相応の衰えだと納得できた。これはとても楽でいいなと思う。 今までは「もう20過ぎたのにアレも出来ないコレも出来ない」みたいな苦しみ方をしたり「まだ30なのに衰えが始まった気がする」と怯えたり、そんなことが多かった。でもこう、40が迫ってくると自分が何に関しても大した才能を持たず平均的な労働力でしかないことや肉体的な衰えを、自然な変化として受け入れることが出来るようになった。 僕は何者にもなれなかった。もっと言えば何者かになろうと必死で足掻くことをダサいことだと勘違いして避け続けた結果、凡庸な中年男性になった。でもまあ生きていける程度に給料はもらえて、健診でも特に問題はなくて、たまには連休を取
俺はいま23歳だけど、これまで一度も彼女ができたことがない。 そしてそれに対して死ぬほど苦しい思いを抱いてるので、一度文字として残してその思いを整理したい。 俺が感じる苦しみは大きく分けて①セックスがしたいのにできない苦しみ②他者と深いつながりを作りたいのに作れない苦しみ③モテる人間に対する嫉妬の苦しみ④これからも彼女ができる見込みがないように思える苦しみ、の四つあると思う。 ①セックスがしたいのにできない苦しみ俺は性欲が強く、2日に1回ほど自慰行為に耽る生活を高校時代からずっと続けている。そんな俺がセックスに強い関心を持つのは当然のことだ。高校時代から他者と肉体を重ね合う場面を想像し、「いつか彼女ができればこういうことができるんだ」という希望を持っていた。浪人する羽目になって死んでしまおうかと思った時も、「大学に入れば彼女が作れてセックスができる」と思って自分を慰め(ダブルミーニング)て
もう39歳で人生詰んでるのはわかってるけど、この状況から出たい。どうしたらいいかわらないけれど。 親はもう70歳でこれまでずっと心労だけかけてきて申し訳ない。 なんで引きこもりになったのかはずっと積み重なってたことだけど、最終的にはバイトで休むときにシフトに入る代わりの人を見つけられなかったから。本当に馬鹿な理由だ。 馬鹿みたいなことだけど、出来なかった。 中高といじめられてきて高校をなんとか卒業したときはボロボロだった。大学受験なんてやれる精神状態じゃなかった。 母は浪人すればいいと許してくれたが、父は浪人は許しても受験勉強もしないでゴロゴロ家にいるのは許さないと言われた。 それでファーストフード店のバイトの面接して受かって、でもバイト内でもどんどん馬鹿にされていって単純な仕事もミスばかりする無能で、そしてシフト代わることを頼まれると断れなかった。 どんどん休みたい人のシフトを交代してた
先日、出張で北海道に行った。 仕事終わりに上司2名に食事に連れて行ってもらった。 自分は20代前半なのだが、恥ずかしながら今まで食わず嫌いをしておりいくらを食べたことがなかった。 それを上司に伝えるとせっかくだし食べてみようよ!ということでとてもいいいくらを用意してくれた。 めちゃくちゃおいしかった。とってもおいしかった。ほっぺた落ちるかと思った。 トマト的な味を想像していたので予想外のおいしさに一生懸命ほおばっていたら唇がかゆくなってきて腫れてきた。 いくらってプチってなるしそういう食べ物なんだろうと思ってシカトして食べていた。 数分経つと急に視界がぐらつきはじめて、声がおかしくなった。 お手洗いに立った時に気持ち悪さはないのに嘔吐が止まらなくなって、スルスルスルスル胃の中のものが出てきた。 お酒も飲んでいたからそのせいだと思っていた。 そこからさらに数分経ったときには顔がパンパンに腫れ
教えてください。 追記気が付いたらホッテントリに入ってた。 今までうんち先輩やKKO先輩のトラバくらいしか付いたことが無かったので非常に驚いています。みんな苦しみのなか生きているんだなぁ… 切り抜けた前提で質問したのは、抜け出した方法があれば何か参考にできるのではないかと思ったからです。(けれども「過ぎ去るのを待つ」って人が多くて結構意外でした) 皆さんが挙げてくれた方法を参考にしつつ、会社で産業医面談が受けられるようなので一度そちらを受けてみようかなと思います。 トラバ、ブコメの皆さんありがとうございました。 明日も何とか生き延びます。 ―――――――――――――――――――― せっかくなのでまとめました。 食う寝る遊ぶ苦しみが通り過ぎるのを耐え忍ぶ(何もしない)逃げる専門家に相談自己分析環境を変える考え方を変える何かに依存する1日生きることだけを考えるジタバタ足掻くあきらめる何かしらア
※本日の企画は、JR東海の提供でお届け致します。 こんにちは。ヨッピーです。夜はだいたい酔っ払っています。 5月のとある日の話ですが、その日も友人と焼肉店でお酒を飲んでおりました。 当日、一緒にお酒を飲んでいた友人マッハ・キショ松氏(左)と野田せいぞ氏(右)。 写真右側の野田せいぞ氏が奈良県の実家から東京に上京してきた、という事でお祝いがてら焼肉を食べていたのです。もちろん全額奢らされました。当たり前みたいな顔をして奢らされました。「じゃあこれ」みたいなテンションで、スムースに、シームレスにお会計を渡されました。なんなんだよ。 そしてこの席で爆弾発言が飛び出したのであります。 いやー、でも急に「東京に行く」って言ってご両親は心配しなかった? 心配してるかどうかも良くわからないです。 は?どゆこと? 実は僕、お母さんと15年間マトモに話してないんですよ。 とある事をきっかけにお母さんに対して
20代後半男、160cm、40kg 中学生と言って普通に通じるほどの童顔でヒッキー たまに外に出ると高確率で見知らぬ人から声を掛けられる それは挨拶だったり注意だったりキャッチだったりビラ配りだったり道を尋ねるものだったりいろいろで老若男女外人を問わない キャッチやビラ配りの類は俺を見つけると確実に目線を合わせてくるし、駅のホームでスマホを弄っていれば意味不明な婆さんにいきなり話しかけられるし、クソ忙しいはずのスーパーのレジ係までもが俺の買うものをネタに瞬間的な雑談を振ってくる 最近まで自覚していなかったが、どうもこれは見た目が原因であるらしい マウントが取りやすくて舐められているようだ 世にいる大半の引き籠りの同意を得られる自信があるが、俺は人間が大嫌いだ 名前も知らん輩に話しかけてほしくない、放っておいてほしい 今まで穏便に対応したり無視したりして来たが、良い加減鬱陶しくなってきたので
先に言っておきますが、今日も女は夫叩き……夫への愚痴です。 同棲時代から耳があまり良いほうではなく、夫にも伝えてあるのですが 「ごめんね、聞こえなかったのでもう一度いって」って言うと 「何度も言わせるんじゃねぇ!」と即座にキレだします。 完全に聞こえず、私の反応が一切無かったときは 「無視してんじゃねぇよ!」と言われたことも多々あります。 聞き取れた部分だけ復唱すると「ぜんぜん違う!何度も言わせんな!」とキレる。 そのたびに謝罪し、「耳があまり良くないから」と伝えてきました。 1度注意深く見ていたときは、私の方を見ず、テレビを見てボソッと呟いてました。 聞こえずに聞き返すと普段どおりキレるキレる。 「テレビの方を向きながら小さな声量で聞こえるわけが無い、私に話すならこちらを向いて欲しい」と伝えても 「絶対にお前の耳が悪いせいだ。普通なら聞こえてる」と言われました。 ちなみに、聴力検査では一
うちも嫁の連れ子がいるんだけど、そんなに可愛くはない。元々俺は子供好きだし、仲も悪くないけどな。 比較的大きくなってから一緒に暮らすようになったから、子供なりに気も使ってると思う。俺も道路に飛び出すのと、危ないイタズラ以外は怒ったことないから、まぁどう思ってるかは薄々わかってんじゃないか。知らんけど。 「ほんとの親じゃないくせに!」俺も言われたよ。確か、プリントをずっと抱え込んで見せなかったのを咎めた時に言われたんだったかな。学校の素行もそんなによろしくないって聞いてたし、それも触れた気がする。 連れ子が言いがちなのかもな。 カチンとくるかというと、そんな来ない。こいつめんどくせぇとこで母親そっくりだな、とは思ったw 「でもお父さんは家族だと思ってるよ」とか言って誤魔化した。 基本的に嫁とも関係良好だけど、やっぱ別れたらこいつ別に俺の手元残んないと思うと、なんか熱心になれないんだよな。 子
高齢両親のための「実家デジタル化」を目指してやったこと。まずはタブレットを導入してみた。 #IT・テクノロジー#遠距離の親にできること#親とのコミュニケーション#親の介護の準備#老後も楽しむ 公開日 | 2019/08/13 更新日 | 2021/04/27 ヨッピー 飲み会の席で自虐的に「俺はもうおっさんだからな~」って言うと「まあ、そうッスよね」みたいなリアクションが返ってくるようになりました。こんにちは。ヨッピーです。38歳、完全無欠の、どこからどう見ても、純度100パーセントの、紛れもないおっさんです。 そんな完全無欠のおっさんになったことを象徴するのが、「自分以外の心配をするようになった」ということであります。 社会人になりたての頃は慣れない仕事に振り回されたりとか、会社から支給されたクレジットカードを機嫌よく使いまくり、莫大な請求金額を見て「不正利用されてる!」といきり立つも、
安月給とはいえ年収もどうにか400万超えたし、仕事は暇だけど、ちょっとやる気出せばだいたい解決出来る適度な難易度でやりがいがあるとまでは言いづらいけど、手応えはある感じ。 自炊も覚えて野菜とか魚とか食べるようになってうんこもベチャベチャじゃなくトゥルンって感じの健康的で繊維質なものになった。 自重筋トレも2年くらい続けてたらそこそこ体が引き締まってきてて、筋肥大はしてないしあばらも浮き出てるけど、バランスのいい肉付きになってて何より生活が楽になった。以前のように筋トレしていなかったときはちょっと動くことさえ億劫でめんどくさかったけど、今にして思えばあれは、基礎体力が無いので細く弱った体にとってはわりと負担だったんだなって思う。 HIITも週イチでやってる。4分間だけど、これのおかげで速歩きとか長時間歩いてても息が乱れなくなった。アナルは開発済み。 彼女も居ないし好きな女も居ない童貞、酒もタ
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