橋口・和本論の完結編は「書入と注釈」を取り上げる。コメントとアノテーションは、知識コミュニケーションの装置としての本の機能の最も重要な側面だ。そして和本は非常にユニークな方法でソーシャルな空間を共時的、通時的に実現してきた。絵巻と黄表紙がマンガやアニメの祖型としたら、漢籍を拡張した「書入と注釈」はハイパーテキストの祖型であると思われる。だからこの祖型は、デジタルに、創造的に蘇らせることができるだろう。(編集子解題) 1. 装置としての書物:読み解かれることで再生産される知 和本に対すると、テクストを受け入れるという意味での「読む」ことは、書物の持っている目的の一部分にすぎないことがよくわかる。作品をテクストという視点からだけで見てしまうと、書物の果たした役割が見えなくなってしまう。このことは書物がたんなる原典の複製的役割を持つだけでなく、さまざまな加工を施すことで、さらに進んだ別の世界に人
ー素人が歌舞伎で声を掛ける方法― 歌舞伎を好きな人なら誰でも一度は掛けて見たいなぁとおもうのが、あの「掛け声」ではないでしょうか? そこでこのサイトでは大向こうの「掛け声」について、いろいろ考えて見ることにしました あなたは人目のお客様です(since2002.9.8)
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く