名古屋市出身の画家杉本健吉氏(一九〇五〜二〇〇四年)の作品を常設展示する「杉本美術館」(愛知県美浜町)について、運営する名古屋鉄道が閉館に向けて最終調整をしていることが分かった。来週、杉本氏の作品を所有する財団の理事会を経て正式決定する。 杉本美術館は一九八七(昭和六十二)年、名鉄知多新線沿線で開館。財団には杉本氏から七千点を超える絵画などが寄贈されており、名鉄が財団から借りて展示している。九四年に建てられた新館は、名鉄創業百周年の記念事業として建設された。
愛知県は20日、新型コロナウイルスの感染が急拡大しているとして、県内の百貨店やショッピングモールといった大型商業施設のほか、遊興施設などに対して、31日までの緊急事態宣言期間中、土日の休業を要請すると発表した。 土日の休業を求める施設は、百貨店、大型商業施設、スポーツクラブ、パチンコ店、ゲームセンター、スーパー銭湯など。いずれも床面積が1000平方メートルを超える施設が対象で、生活必需品売り場は除く。要請に応じた施設には協力金を支給する。1000平方メートル以下の施設には休業を求めず、午後8時までの時短営業の働き掛けにとどめる。
桑名藩出身で明治後期に陸軍大将を務めた立見尚文(一八四五~一九〇七年)が、兄の町田武須計(ぶすけ)(一八三八~九五年)にあてて書いた手紙を桑名市博物館が確認した。新型コロナウイルスの感染拡大で臨時休館となったため、普段は人手不足でなかなか手を付けられない調査研究に時間を割くこととし、約二年前に町田家から預かった大量の資料を重点的に分析する中での新発見。手紙には県内のコレラ大流行を案じる記述もあり、不思議な巡り合わせとなった。 桑名藩士町田伝太夫の三男として江戸藩邸で生まれた尚文だが、父の実家の養子となり立見姓となった。武須計とともに戊辰戦争を戦い、明治維新後は軍人として活躍。西南戦争、日清戦争、日露戦争で武勲を挙げ、一九〇五(明治三十八)年に陸軍大将に任じられた。武須計も文武に秀で、一八七一(明治四)年の廃藩置県まで存続した桑名藩の序列二位である権大参事や初代桑名町長を務めた。 手紙には、
東日本大震災から九年。多くの美術館や博物館が被災した経験をふまえ、収蔵品や来館者を守ろうと、防災設備を充実させる取り組みが目立つ。昨年十月の台風19号では、川崎市の市民ミュージアムなどが浸水した。老朽化が進む施設も多い中、多様な災害への対策が急がれる。(宮崎正嗣)
猛獣がいなかった戦後の東山動物園(名古屋市千種区)で、数年間だけ飾られた三枚組の油彩画「猛獣画廊壁画」が、名古屋市美術館(同市中区栄)の企画展「ザ・ベスト・セレクション」で展示されている。一九九七年の収蔵以来、初となる一般公開。未修復で画面はくすんでいるが、往年の迫力そのままに、所狭しと描かれた動物たちが楽しめる。 東山動物園は、戦時中に危険と判断された猛獣が殺され、終戦からしばらくの間は、飼育する動物が少なかった。生きた姿が見られない代わりに、来場者に絵で楽しんでもらおうと、一九四八年に中京新聞(現在は廃刊)が壁画の制作を提唱した。 壁画はいずれも縦一・四メートル、横五・四メートル。作者は愛知県文化会館美術館(現県美術館)の初代館長を務めた太田三郎(一八八四~一九六九年)、水谷清(一九〇二~七七年)、宮本三郎(一九〇五~七四年)の画家三人。それぞれが一枚ずつ手掛けた。
小倉百人一首の撰者(せんじゃ)として知られる歌人藤原定家(一一六二~一二四一年)がつづった日記「明月記」の原本の一部が愛知県碧南市で見つかった。これまで確認されていなかった記述があり、平安末期から鎌倉時代にかけて活躍した歴史的な歌人の横顔がうかがえる。 明月記は定家が十八歳から七十四歳までの日記で、宮廷の社会や文化、所感を記した。冷泉家時雨亭文庫(京都市)が原本の大部分を所蔵し、二〇〇〇年に国宝に指定された。原本から離された断簡(断片)が各地に伝わり、山形、島根各県では県指定文化財となっている。 見つかった断簡は、一四年に碧南市藤井達吉現代美術館に寄贈された「石川三碧(さんぺき)コレクション」に含まれていた。同市浜寺町でみりん醸造「九重味淋(みりん)」を営む石川家の二十五代、三碧(一八四四~一九二三年)が収集した掛け軸や屏風(びょうぶ)など約百点の総称で、寄贈前は江戸時代に建てられた蔵で保
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名古屋市の実業家で美術品コレクターだった木村定三さん(一九一三~二〇〇三年)と遺族が名古屋・栄の愛知県美術館に寄贈した収集品に、半世紀前の将棋のタイトル戦「名人戦」などに使われた盤と駒があることが分かった。愛知県瀬戸市の中学生棋士・藤井聡太四段の活躍で火がついた将棋ブームに触発され、美術館が盤を詳しく調べたことで、「名品」に光が当たった。 将棋盤は厚さ六寸(約十八センチ)のカヤ製。東海棋界の重鎮だった故板谷四郎九段が仲介し、一九五四(昭和二十九)年に六万三千円で購入したと記録されている。大卒の国家公務員の初任給が八千七百円だったころだ。 外箱が二つあり、第十三期名人戦第四局(五四年五月)と第四期王将戦第二局(同年十二月)、第十四期名人戦第四局(五五年五月)、第十五期名人戦第四局(五六年六月)に使われたことを示す対局者の署名がある。ひときわ目を引くのは、第十三期名人戦の大山康晴名人と升田幸三
岐阜大(岐阜市)は創立七十周年を迎える二〇一九年度から、キャンパス内に分散して保管している古文書や標本などの学術資料を集約し、一般に公開する「キャンパスミュージアム」を始める。収蔵庫や展示ギャラリーを新設するほか、教育学部など三学部に専門性が高いサテライト館も設け、緑豊かな散策ルートでつなぐ計画だ。 岐阜大教育学部は古くから日本列島の植物研究が盛ん。八万点を超える貴重な標本があるが、現在は学部棟にある収蔵部屋で眠っている。同じ棟には郷土博物館があり、前身の旧制岐阜師範学校から受け継ぐ五万点超の古文書、二千点以上の土器などの考古出土品も所蔵している。ただ、開館は事前申し込みがあった時に限られ、一般にはあまり知られていない。
八月に全面開館する県美術館(富山市木場町)に収蔵する新作として県は、洋画家藤田嗣治(一八八六~一九六八年)の絶頂期の作品「二人の裸婦」を取得する仮契約を結んだ。予定額は二億一千六百万円。石井隆一知事が五日の定例会見で報告した。本契約の議案を九日開会の県議会六月定例会に提案する。
長良川のアユで作り、江戸時代は幕府にも献上された鮎鮨(あゆずし)に関する資料を集めた企画展が、岐阜市長良の長良川うかいミュージアムで開かれている。 鮎鮨は室町時代から続き、アユに塩をまぶしておけで米飯と一緒に発酵させて作る。江戸時代には徳川家康らの指示で、毎年夏に岐阜から江戸に運ばれていた。ふだん鵜匠(うしょう)家で身内で楽しむために作る鮎鮨は二カ月塩漬けするが、献上鮨は五日間漬けるのみ。保存食というより、新鮮な風味を大切にしていた。 会場には、献上鮨を詰めた箱の模型や宿場町を経由して徒歩で江戸まで運んだ際の道具や衣装を再現したもの、文書などが並ぶ。学芸員の桜井美保子さんは「岐阜の鮎鮨をたくさんの人の力で江戸へ届けていたことを知ってもらえれば」と話した。来年二月六日まで。火曜と年末年始は休み。入場料は大人五百円、小人二百五十円。一月二十一日は有料でアユ料理を味わう市民講座を開く。(問)うか
乳白色の裸婦像などで知られる画家藤田嗣治(つぐはる)(一八八六~一九六八年)が、愛知県瀬戸市ゆかりの画家北川民次(一八九四~一九八九年)を描いた肖像画二点が同県尾張旭市の北川の遺族宅にあることが分かった。うち一点の油彩は専門家にもほとんど知られておらず、荒々しいタッチと明るい色彩が特徴的だ。調査した名古屋市美術館の深谷克典副館長は「二人の画家の親しい交流を示すだけでなく、藤田の創作の幅の広さをうかがわせて大変貴重」と話している。 板に油彩した肖像画は縦三三センチ、横二三・六センチ。画面右上に「北川民次」、右下に「嗣治謹写」、三七(昭和十二)年十一月二十八日の日付があり、北川が住んでいた東京で描かれたとみられる。戯画化されており、北川の長男の妻淑子(としこ)さん(72)によると、北川は「僕はこんな顔をしているかな」と感想を話し、長くアトリエにしまわれていた。 もう一点の肖像画は紙に鉛筆・水彩
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