大地震が起き、津波の発生が予想されるような時に、幼い子どもや高齢者をどのように避難誘導すればいいのか。この課題に警鐘を鳴らす司法判断が示された。2011年、東日本大震災の大津波で、宮城県石巻市の私立日和幼稚園の園児5人が死亡した。高台にあった幼稚園は被害を免れたが、園側が地震の直後に園児を自宅に帰すことを決め、送迎バスに乗せて低地の沿岸部へと向かったため津波に巻き込まれた。この事故について、
大地震が起き、津波の発生が予想されるような時に、幼い子どもや高齢者をどのように避難誘導すればいいのか。この課題に警鐘を鳴らす司法判断が示された。2011年、東日本大震災の大津波で、宮城県石巻市の私立日和幼稚園の園児5人が死亡した。高台にあった幼稚園は被害を免れたが、園側が地震の直後に園児を自宅に帰すことを決め、送迎バスに乗せて低地の沿岸部へと向かったため津波に巻き込まれた。この事故について、
函館市東川町の本願寺函館別院(西別院)で7日、宮城県南三陸町で東日本大震災の体験を語り継ぐ活動をする後藤一磨さん(65)の講演会があった。後藤さんは津波が押し寄せた当時の様子とその後の避難生活を振り返り、「津波で家も車も失ったが、全て押し流されたわけではない。人と人との絆は残った」と語った。 渡島、桧山管内にある浄土真宗本願寺派22カ寺の女性代表でつくる函館組仏教婦人会連盟(島田重子会長)が、研修会の講師に後藤さんを招いた。後藤さんは震災後、宮城大学の非常勤職員として働くかたわら、語り部ガイドとして同町を訪れる人たちに震災の様子を伝えている。 地震発生直後、半世紀以上前のチリ地震津波の記憶がよみがえった後藤さんは、すぐ自宅に戻り、妻と息子とともに高台に登り、難を逃れた。「津波に飲み込まれた集落を見ても夢のようで、まるで実感がわかなかった。自然の大きな力を感じずにいられなかった」と振り返った
明治29(1896)年6月15日、午後8時ごろ三陸沖で発生した地震に伴う大規模な津波により、三陸沿岸を中心に死者約2万2千人、流出、全半壊家屋1万戸以上という我が国津波災害史上最大の被害が発生した。
県では、国が平成24年8月に公表した南海トラフ巨大地震による震度分布、津波浸水域等を受け、国が用いたデータに、県独自に収集した地質データ等を追加し、より詳細な震度分布図と液状化危険度分布図を作成しました。 なお、今回作成した分布図は、現時点の最新の科学的知見に基づき南海トラフにおいて想定される最大クラスの地震が発生した場合の本県における震度分布等ですが、こうした地震の発生頻度は極めて低いものであり、次に発生する地震を示したものではありません。また、地震・津波は自然現象であり不確実性を伴うものであることや、現在の科学的知見には限界があることなどに留意する必要があります。 ○南海トラフの巨大地震 内閣府に設置された「南海トラフの巨大地震モデル検討会」で検討された地震です。地震規模はマグニチュード(Mw)9.0で、想定する震源域は駿河湾から日向灘に至る巨大地震です。国が検討したケースのうち、岡山
ブログ パスワード認証 閲覧するには管理人が設定した パスワードの入力が必要です。 管理人からのメッセージ 閲覧パスワード Copyright © since 1999 FC2 inc. All Rights Reserved.
国は29日、南海トラフ巨大地震による新しい被害想定を公表した。「千年〜万年に一度」とされる大規模な地震では、被害を軽減させる「減災」の視点が求められている。一方で、「100〜150年に一度」級の地震対策も軽視することはできない。 熊野灘に面した大紀町錦地区。住宅街の真ん中に、1998年に建てられた「錦タワー」がそびえる。44年12月7日の東南海地震で、地区では64人が亡くなった。タワーの側面には、その教訓から建てられた経緯や、地区を襲った6・5メートルの津波潮位が刻まれている。 今回の国の想定では、最大級の地震と津波が発生した場合、大紀町には高さ16メートルの津波が襲う。それだけの巨大津波が来たら、タワーの4階にある標高16・2メートルの避難所も、浸水する可能性がある。 元々、標高12〜13メートルの避難所を整備してきた町では、昨年の東日本大震災後、20メートル以上に計画を変えた。地
株式会社ナブラ・ゼロ 津波の「記憶」を次世代へつなぐiPhone 向け防災教育アプリケーション「AR 津波カメラ フィールドミュージアム」リリースのお知らせ 2012 年5月7日 株式会社ナブラ・ゼロ 津波の「記憶」を次世代へつなぐiPhone 向け防災教育アプリケーション「AR 津波カメラ フィールドミュージアム」リリースのお知らせ 株式会社ナブラ・ゼロ(代表取締役 沢野伸浩、東京都中央区日本橋2-1-14 日本橋加藤ビル7 階 レコルテ内、http://www.nabla-zero.jp/ )は、iPhone 向けの防災教育アプリケーション「AR 津波カメラ フィールドミュージアム」(無料)をApp Store 上に公開いたしました。 本アプリは、iPhoneに内蔵されたGPS機能を用い、東日本大震災により襲来した津波の高さ(浸水深)を、AR(拡張現実)の技術を用いて「被災地
逃げて 逃げて もっと高いところ もっともっと 高いところ 神社の裏山まで 逃げる 町の悲鳴が 足元に響いている 泣いているのに! 雪降る中を 家族で逃げる 暗い森も いのちを守る 灯の中と思う 辿り着いた 小学校の体育館の 片隅ですくむ 余震のたび 子を抱きしめる わずかな毛布を かけあって 眠る 砂だらけの足を重ねて 津波が去って 夜が明ければ 無惨 ひよどりが 慌てて飛んでゆく 町は 消えていた あまりに非情で 声が出ない 涙も出ない 高台にあった 家は 終着駅 知らない家が 突っ込んでいる 窓が破れて カーテンが しずかにゆれている 風も 泣いている・・・ (つづく 五行歌 暗い森② 南三陸町 Kさん)
レンズの口径が3.8メートルと国内では最大となる光学赤外線望遠鏡が、岡山県浅口市に完成した。将来の望遠鏡のために新しい技術を満載し、大きな割に機動的に動かせられる。宇宙で突発的に起…続き 銀河誕生の謎探れ 130億光年見通す望遠鏡の仕組み [有料会員限定] ケプラー宇宙望遠鏡が引退 太陽系外惑星を多数発見
木の家をつくる建築家。国産材と自然素材で平和な家を作ります。戦争と放射能は人間と共存できません。地上から無くすためにはどうしたらいいのか、毎日考えています。 たまには「家づくり」のほうの記事を書いてみようかと 思いながら、やっぱりその前に震災のことを 少し前に新聞などでも書かれていたらしいが、カリフォルニア工科大学のマーク・サイモンズ教授が、こんなことをサイエンス誌に書いた。 「茨城沖が震源、関東を大震災が襲う」 米科学誌『サイエンス』衝撃のレポートを緊急検証する! 2011年06月06日(月) フライデー http://gendai.ismedia.jp/articles/-/6836 記事の内容は読んでいただくとして、要するに3月の震源域の南側で、プレートの滑りが引っかかっているところがある。 そこ(茨城沖)が危ない ということらしい。 なるほど、見る限りでは何となく説得力がある。 6
がれきが取り除かれた大川小学校の3年1組の教室(右奥に裏山が見える)=宮城県石巻市で2011年5月13日、梅村直承撮影 東日本大震災の津波で全校児童108人中68人が死亡、6人が不明の宮城県石巻市立大川小学校が、市教委に指示された津波時の避難所指定をしていなかったことが分かった。また、地震直後に防災無線が大津波警報の発令を告げ高台への避難を呼びかけたものの、避難先を巡って教員らの意見がまとまらなかった様子が卒業生らの証言で浮かび上がった。市教委は「避難所の未指定が先生たちを迷わせた一因。市教委も未指定を把握していなかった」と市教委、学校側の過失を認めた。【百武信幸】 ◇迷う教師、即決できず 市教委は、市内の小中学校に防災危機管理マニュアルを定め、津波時の高台避難所を指定するよう指示していた。しかし、震災後にチェックしたところ、大川小は避難所を指定していなかったという。市教委は「震災前に把握
東日本大震災による被災者の心の傷を癒やす「津波祈念資料館」を設立しようと、宮城県名取市の心療内科医、桑山紀彦さん(48)が被災証言や映像の提供を呼びかけている。被災者のPTSD(心的外傷後ストレス障害)が今後増えることが懸念される中「証言を聞き映像を見て、記憶の断片をつなぐことが心の傷の治療や予防につながる」と狙いを語る。【長野宏美】 桑山さんは岐阜県出身。山形大卒業後、20年余り海外の被災地や紛争地の医療活動に携わり、09年に名取市でクリニックを開業した。震災当日から24時間開院し、避難所も巡回。今も被災者の声に耳を傾けている。 さまざまな被災者が桑山さんに心の内を打ち明けた。高齢女性は「津波の夢にうなされる」とおびえ、自分を助けに来た息子を亡くした母親は「私のせいだ」と自責の念にかられていた。 桑山さんによると、震災から約2カ月が過ぎたころから心の問題が噴出し、3カ月を超えるとPTSD
三陸海岸大津波 (文春文庫) 作者: 吉村昭出版社/メーカー: 文藝春秋発売日: 2004/03/12メディア: 文庫購入: 24人 クリック: 500回この商品を含むブログ (105件) を見る 内容(「BOOK」データベースより) 明治29年、昭和8年、そして昭和35年。青森・岩手・宮城の三県にわたる三陸沿岸は三たび大津波に襲われ、人々に悲劇をもたらした。大津波はどのようにやってきたか、生死を分けたのは何だったのか―前兆、被害、救援の様子を体験者の貴重な証言をもとに再現した震撼の書。 この本、吉村昭さんによって1970年に書かれたものですから、もちろん、2011年3月11日の津波のことについては、全く書かれていません。 しかしながら、まだ生々しい記憶である「あの震災」について書かれていないことで、さまざまなことを考えてしまう面もあるのです。 僕は今回の大震災まで、東北・三陸地方が、こん
「津波が来る前には必ず潮が引く」。過去に津波を経験した三陸沿岸の住民の多くは、そう信じていた。岩手県大槌町では東日本大震災で、引き潮がなかったように見えたため、潮が引いてから逃げようとした住民を急襲した津波がのみ込んだという。津波の前兆を信じていたことが、1600人を超える死者・行方不明者を出した惨劇の一因にもなった。 3月11日午後3時すぎ、大槌町中心部の高台に逃げた住民は、不可解な海の様子に首をかしげた。大津波警報は出されていたが、海面は港の岸壁と同じ高さのまま。潮が動く気配がなかった。 「潮が引かない。本当に津波が来るのか」。そんな声が出始めた。 大槌町中心部は、大槌川と小鎚川に挟まれた平地に広がる。津波の通り道となる二つの川の間に開けた町の海抜は10メートル以下。津波には弱い一方で、山が近くに迫り、すぐ避難できる高台は多い。 高台にいた住民らの話では、海面に変化が見えない状
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く