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宗教と要再読に関するA13のブックマーク (2)

  • 信仰めいた話になるけど、私は「天は自ら助くる者を助く」とは思わない - finalventの日記

    信仰はないし。それに、「天」というか、「神」というかそういうものの考え方にはいろいろある、といえばそれだけのことで、個人的な思いにすぎないのだけど。というのは了解しているという前提で。 そして、努力に価値がないとは思わない。 でも、究極のところで、人の生きる道を開くのは努力ではなく、啓示だと私は考えている。 啓示というのは、ごく神話的に、あるいは比喩的に言えば、神だとか阿弥陀仏とかが、なんの脈絡もなく、なんの理由もなく、示してくれるものだ。あるいは与えてくれるもの。 吉隆明は、人が渾身で生きるとき、これ以外生きようがないなという一道が現れるとした。不可避ということだ。生きるというのはそういう姿なのだと。 私は少し吉とは違うが、生きる道というのは、自分でどうとなるものではないとは思う。 啓示は条件や因果からは生じない。世界というのは巧妙なからくりではなく、ある究極の存在との、理由のない

    信仰めいた話になるけど、私は「天は自ら助くる者を助く」とは思わない - finalventの日記
  • 宗教、金、そして次にくるもの

    今、宗教の力が死んだように、将来、金の力がなくなった時に又別の危機が発生するだろう。 アイザック・アシモフ著 「ファウンデーション」より 引き続き、ファウンデーションネタで申し訳ないけれど、これは非常に面白いセリフで、今も忘れられない。 日も、相変わらず、ファウンデーションのネタばれを含むので、まだ読んでいない人は、読まないで下さい。 時代時代によって、権力者は、その権力を正当化する、あるいは手に入れるために、何がしかの力を必要とする。 宗教の時代、イスラムとキリスト教の権力者は、その力を神と来世の利益で正当化した。自分は神に選ばれた代理人であり、その力にそむく人間は、神の力によって地獄に落ちるとされた。 地獄の恐怖と天国の利益こそが、彼らの権力を正当化し、その教義を人々に守らせた利益そのものだった。 だが、宗教の力は、キリスト教圏において、最初につきた。 それを行なったのが、金の力だっ

    宗教、金、そして次にくるもの
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