「昔「○○」という作品が好きだったんだけど、だんだん作者が馬鹿だと気づいてきて醒めた」は「(過去の)自分の馬鹿さに気付いて恥じた」の言い換えだよな。という話。 問題の外部化というか、痛さの切断処理の一種だろう。「安い仕掛けに易々と騙されていた自分が痛い」ではなく「こんな安い仕掛けで客を引っ掛けようとする作者は馬鹿だ」という理解によってパージ。実際には「結局その安い仕掛けに引っ掛かっていた自分」自体は消せないのだが、まあそこは、人間にとって世界観は世界そのものと等しいことにより云々。 なんでもそうだが、痛みやショックに耐えられるようになるには強さなり時間なりが必要だから、そのような切断処理自体べつに悪いことではない(もちろん切断処理を経ず己の激痛と向き合って耐え抜く気概のあるオタは賞賛されるべきとして)。ただ、過去に切断した自分の痛さは、そのまま捨て置かずいずれは再び(その痛みに耐えられるく