デビューは1982年。 80年代の音楽を知る方なら、「花の82年組」という言葉も耳馴染みがあるかと思います。 三田寛子も、アイドルとしてデビューしたその中のひとりでした。 しかし、この年にデビューした女性アイドルの中で、決してトップクラスではなかった。 saewataru.hatenablog.com その後数年間の実績であえてグループ分けすれば、 中森明菜と小泉今日子が、ヒット曲の量産数では「2トップ」。 松本伊代・堀ちえみ・早見優・石川秀美は、コアなファンならばそれぞれ1つ2つの代表作は挙げられたとしても、「人と歌が結びついた」ヒット曲をたくさん持っているわけではない「2番手」。 三田寛子は、そのグループにも入っていませんでした。 阿木燿子作詞、井上陽水作曲という強力な布陣で臨んだデビュー曲「駈けて来た処女」(かけてきたおとめ)こそ話題になったものの、大ヒットにはならず。 その後、往年